026 『彼女が学校にきてみたら』
「ご飯にしますか? お風呂にしますか? それとも――私、ですか?」
家に帰ると、着物エプロン姿の新妻コントな依織に出迎えられた。
着物とエプロン、そしてその裾から覗く蜘蛛の身体というのは色々と斬新すぎる。
「……とりあえず、腹減ったし飯で頼む」
三つ目を選んだらどうなるか興味は尽きないが、流石に選ぶ勇気はない。
「もう、据え膳食わぬは男の恥ですよ、彰さん?」
ツッコム気にもなれないので食事を頼むと、残念そうに依織がぼやく。ただ、そう言いながらも台所の方へ向かい、夕食の準備をしてくれるのは流石といえる。
「一応、あいつなりに元気付けてくれてるのかね……?」
依織なりの励まし方なのか、レイアがいなくなってから彼女のアプローチはよりいっそう激しくなってきていた。今回のような出迎えも初めてではない。なので、あまり戸惑いもしなかったというわけだ。流石に、一切動揺せずに平然と流せるというわけではないけれど。
「まっ、考えるよりもさっさと動くか」
荷物を降ろし食卓の方へ向かうと、独特の刺激のある香辛料の良い匂いが漂ってきた。どうやら今夜はカレーらしい。子供が好きな料理の定番だが、大人だって嫌いな奴は少ないだろう。
「あっ、彰さん。もう温まりますから、どうぞ席についてお待ちください」
「いや、せめて食器ぐらいは並べさせてくれ。流石に、何もかも任せきりは悪いしな」
サラダと依織のよそってくれるカレーをテーブルに並べ、夕食の準備が整う。鍋のままでも良い香りだったが、皿に盛られてより一層食欲をかきたててくる。
「いただきます」と、二人で手を合わせ、食事を始める。
「ん、美味いなこのカレー。なんというか、まろやかっていうか、コクがあるっていうかさ」
具菜がしっかりと煮込まれていたからだろう、カレーの香りはあれど辛味はあまりなく、野菜や肉の旨みが口に広がる美味さだ。
「うん、やっぱり、依織の料理はなんでも美味しいな。ほんと、毎回の食事が楽しみだ」
和風な外見であるが依織は和洋問わず様々な料理を作ってくれ、そのどれもがとても素晴らしいものだった。現に彼女が来てからは毎日、料理屋涙目の美味いものしか食べていない。
「ありがとうございます。そう言ってもらえると、作った甲斐があります。そうやって美味しく食べてもらえるのが一番嬉しいですから。そういう意味では、レイアさんも料理の作り甲斐はありましたね」
「そうだな。もし、あいつがいたなら絶賛しながら、食い尽くす勢いでお代わりでもしてるかもな。カレーは一晩寝かせた次の日の朝が、より一層美味しくなるっていうのに」
「ふふっ、そうかもしれませんね。けどよかったです、彰さんが少し元気になったみたいで。この前の件以来、レイアさんのことをすごく気にしていたようですから」
「やっぱりお見通しだったか。まぁさっきの出迎えみたいに励ましてくれてたことから、分かってはいたけどさ。どうやらお前にも、かなり心配かけてたみたいだな」
レイアがいなくなってから激しくなった依織のスキンシップや、アプローチ。それが俺を元気付けるためのものだとは、うすうす感づいてはいたのだ。内容はアレだけれど。
「いや、あれは別にそういうことより、どちらかというと邪魔な方がいないうちに既成事実を作ろうかと……」
「……既成事実?」
「いえ、それは個人的な話ですので気にしないでください。それより、やはりそんな風に彰さんが元気になられたのは、お帰りが遅かったことと関係があるのですか?」
「あぁ、そうだ。悪かったな、遅くなって。ちょっと放課後知り合いに怒られて励まされたんだ。落ち込んでばかりいるな、ってさ」
こう言うと少し理不尽なことだが、俺のことを思っての言葉なのだからありがたい。奈々のやつに言われたことを思い出し、そう思う。
「なんだか、ちょっと妬けてしまいますね。私では、彰さんのお役に立てませんでしたから」
「いや、依織には心身ともに助けてもらってるさ。俺がこうして今生活できてるのだってお前のお陰だしな。だから、改めて心配かけて悪かった、そしてありがとな依織」
「勿体無いお言葉です。ではこれからも御奉仕させていただきますね。勿論、彰さんが望んでくださるのなら、夜の御世話でも喜んで! むしろ私のほうからお願いしたいぐらいです!」
「いや、夜の世話はいいから……」
妙な張り切りを見せる依織に苦笑する。けれどそんな風に、レイアがいなくなってからは久しぶりな騒がしい夕食となったのだった。
一夜明けた金曜の昼、四限の授業の終わりを告げるチャイムが響く。
「あっ」
そんな昼休みの教室の中、鞄を開けて俺は自分の過ちに気がついた。
「ん、どしたの、彰? そんな雨に濡れて途方にくれるショタっ子みたいな顔して」
「どんな例えだよ……? 途方にくれてたのはあってるがさ」
腐った幼馴染が寄ってきた。気にかけてくれるのはいいが、その比喩はいらない。
「で、結局どうしたのよ? ようやくまともになったと思ったら、いきなりそんな顔して」
「いや、弁当忘れたんだよ。しかも、そんな日に限って財布も持ってきてないという」
だから購買でパンか何かでも買ってきて、済ますということも出来ない。しかも依織の弁当は美味しくて毎日の楽しみだっただけに、単なるひもじさ以上に悲しいのだ。
「なんだ、そんなこと。心配して損したわ」
「そんなことって、健康な男子高校生にとって昼飯は結構一大事……」
「ほら、これでなんか買ってきなさいよ」
「……ありがとうございます!」
平伏し、奈々から五百円玉を受け取る。持つべきものは、やはり優しい幼馴染だ。
「べっ、別にあげるわけじゃないんだからね、ちゃんと返しなさいよ……!」
「いや、そのツンデレはどうなんだ……?」
というかツンデレ風に言っただけで、単に『貸しただけ』と念押ししているだけで、ときめきもへったくれもない。ツンデレを言うのなら、せめて『別にあんたのために――』な内容でしてほしかった。この幼馴染にそんなことを求めるのが間違いなんだろうが。
「乙女には、たまにはそういう台詞を言いたくなるときがあるものよ。というか、貸してあげたんだからいいじゃない。ほら、さっさと買いに行かないと購買売り切れるわよ」
「確かにそうだな。んじゃ、買ってくる。さんきゅな、奈々」
そう奈々に礼を言って、教室を後にする。
そして購買へ向かう途中、何故か昇降口の方に生徒が集まっているのが目に付いた。まるで有名人でも来たかのような光景に、つい空腹よりも先に好奇心を駆られてしまう。
「一体、何があるっていうん、――えっ?」
生徒達を掻き分け、その騒ぎの中心へと辿り着いた俺は目を丸くした。そこに見知った、けれどここに絶対にいてはいけない相手を見てしまったから。
腰ほどまで伸びた艶のある長い黒髪、下に擦れるほどに長く幾重にも布の重なった豪奢な着物、そして見惚れるほどの整ったその美貌。
……だが、その美しさ以上に驚くべき秘密が、着物の下に隠れていることを俺は知っている。
「ああっ、彰さん! やっと会えました!」
「いや、なんでお前がいるんだよっ!?」
俺を見つけて喜ぶ依織の手を掴み、その場から逃げるように離れる。
依織が人目を引く為にすぐに人が集まり、ようやく落ち着くことができたのは人気のない校舎裏に着いてからだった。正直、かなり疲れた、肉体的および精神的に色々と。
「で、どうしてここに来たんだ……?」
「あの、彰さんがお弁当をお忘れになられたので、お届けしようと思ったんです。ですが、どうやら逆にご迷惑をおかけしてしまったみたいですね。すいません、私のせいで……」
「いや、弁当を持ってきてくれたのはありがたいんだが……」
見当違いなことや勝手な言い分であれば怒れるのだが、俺のために弁当を届けてくれたのが理由なうえ、自分で反省して落ち込まれてはこれ以上責める気になれない。いっそレイアがするように、逆ギレでもしてくれたなら気が楽だったんだが。
どう声をかけるべきか、悩みながらも俺は依織に告げる。
「気持ちは嬉しいし、弁当はありがたい。けど、もう少し自分のことも考えてくれ。もし、依織の正体がばれたなら大騒ぎどころじゃすまなくなるんだぞ」
ただでさえ彼女は見た目や格好で目を惹くのだから、そんな状態で出歩いて万一一般人
に女郎蜘蛛であることがばれたら一体どうなってしまうことか。
「あぁ、そこは大丈夫です。正体に関しては、この着物に認識阻害の術式が織り込んでありますので、直接蜘蛛の身を露にでもしない限りは気づかれることはないはずですよ」
「なるほど。そういえば、俺も始めて会ったときは凄い格好だとは思ったけど、それ以上には気にならなかったもんな。けど、それがまさかその着物のせいだったとは」
言われてみればそうだ。彼女のことを知った今見れば着物の膨らみが明らかに大きいと思えるが、あの時は特に変だとは思わなかった。俺が気づけたのは、レイアとの諍いでその脚を見たからというわけか。
「でも、俺のときみたいに万が一もあるし、やっぱり一人で出歩くのは控えて欲しい。俺も早めに帰るようにするし、休日とかはなるべくどこかに連れていくようにするからさ」
「えっ、休日一緒に出かけてくれるのですか――!」
「その、いつも世話になってるし、家に篭らせてばかりじゃ悪いから俺の時間があるときなら、出かけるぐらいは構わないぞ。別に、そんなに驚くようなことか……?」
突然の依織の喜びように、言った俺の方が逆に戸惑ってしまう。けれど、そんな俺の様子に気づくことなく依織は何か思い描くように笑みを浮かべる。
「ふ、ふふふっ、休日に二人で……。つまり、これって、デートの約束ですよね……! でしたら、そうして仲を深めていき、ゆくゆくは……! いいえ、うまくすれば帰ってくるまえに既成事実だって……!」
「……とりあえず、ちょっと落ち着いてくれ」
放っておくといつまでもこのままになりそうなので、声をかける。なんだか色々不穏な言葉が聞こえた気もするが、深く考えるのはやめておこう。
「あっ、すいません彰さん!? 私、つい浮かれてしまって……!」
「いや、喜んでくれてるのは嬉しいんだが、今は学校だし昼休みももう終わるからな」
「そうですね。では、私は彰さんの迷惑にならないよう、お家の方へ戻っておきます。今日は明日のためにも、腕によりをかけて御夕飯のほう作らせていただきますね……!」
「あっ、おい……」
静止の声も聞かず、俺に弁当を渡すと依織は上機嫌に去っていく。一応暫く手は繋いでいたし、着物の術式とやらで大丈夫らしいが、あの浮かれようだとそれも心もとなく思えてしまう。
「というか、あいつ教えてもないのにどうやってここまで来れたんだ……?」
今更ながらにそんな疑問を感じるも、答えてくれる相手はいない。
そんなことを考える間に、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。折角届けてくれた依織に悪いが、結局弁当は五限の後に食べることになるのだった。
全ての授業が終わった放課後。帰る前に俺は奈々の席へと向かう。
「奈々、昼はありがとな。けど、使わなかったから返すぜ」
「弁当食べてたものね。忘れたんじゃなかったの?」
「忘れはしたんだが、届けてくれてな。そのとき色々あって、結局昼に食べれなかったんだが」
お陰で五限目の授業が辛かった。しかも短い休み時間に食べなきゃいけないせいで、急いで食べる羽目になってしまったし。できることなら、ゆっくりと味わって食べたかったところだ。
「ふぅん。その届けてくれた相手が居候の依織さんで、昼から話題の着物美少女ってわけ?」
「えっ、もうそんなに話が広がってるのか……?」
「そりゃそうよ。この時代に着物で、しかも美少女ときたら話題になるに決まってるじゃない。で、事情を少し知ってるわたしからしたら、あれが件の依織さんって予想はつくわよ」
そこまで大事になっているとは思わなかった。けど確かに、もし俺も当事者じゃなければ、依織みたいな美少女が学校に来たら騒ぎに加わっていたかもしれない。
そう思う俺に、さらに追い討ちをかけるように奈々は話を続ける。
「途中から着物少女を連れ出した男子生徒がいたって話だけど、それって彰のことよね。幸い依織さんの方に注意がいってたからか、誰かはばれてないみたいだけど、もし見つかったなら大変なことになるわよ。なんかもうすでにファンクラブとかまで出来てるらしいし」
「そこまでかよ。そうなると、やっぱり依織のやつには学校に来ないようにしっかり言っておかないといけないか。悪気はないんだろうけど、ここまで騒ぎになってしまうとはな……」
「ねぇ、やっぱり私も一度会わせてくれない? 今日彰の家にそのまま着いて行かせてよ。その依織さんに会って、直で話してみたいわ。あんな美少女がどうして彰といるのか、敵のことは知っておきたいし」
「悪い、会わせるのはいいんだが今日はちょっと無理だ。依織のほうも色々準備とかあるだろうし。またそのうち機会は作るから、それで勘弁してくれ。……というか、なんで敵なんだ?」
出迎えの際に依織の正体がばれる可能性があるし、依織を紹介するなら事前に手をしっかり繋いで人の脚を持った姿になってもらわないといけない。
そして、依織が敵って、こいつは何と戦っているんだろうか?
「ふんっ、わかったわ。やっぱり彰はわたしなんかより、依織さんのほうが大事なんだ。うん、分かった、そういうことね。それじゃ、わたしは帰るわ。彰も、依織さんと仲良くね……!」
「ちょっ、そんなんじゃなくて……!」
不機嫌そうにそう言い捨てて、奈々は俺の声も無視し荷物を纏めて教室から去っていく。その様子を見ながら土日明けにはまた誤解を解くことを考え、憂鬱になる。
けれど、そんな心配が全く無用となることを、この時の俺はまだ思いもしなかった。
まさかこんなに早くお気に入りが50件こえるとは……。
というわけで、不定期とは別の御礼更新。
流石に、こんなはやく増えるとは予想外ですが、嬉しい限りです。
ありがとうございます。
それでは読んでくださりありがとうございました。
次は月曜以外の不定期更新、というか今日の零時に更新予定です。
次回もよろしくお願いします。




