能力者の恋(2)
「では、こちらにお名前とご連絡先をお書き下さい」
俺は目の前の妊婦さんにボールペンを手渡しながら、これは俺らの仕事なのだろうかと若干遠い眼差しになる。
現在、能力のクラス分けがなくなった事により、これから出産を控えているお母様方や幼い子供を持った親は大混乱だった。例えばAクラスに分かれる様な子供だった場合どうしたらいいのか。逆にDクラスに分かれるような子供でも問題なく育てる事は出来るのか。
今までの常識と違う為に、不安でたまらなくなったようで、医療機関を通じて相談説明会が開かれているが、あまりに急に法律が変わった為に出席希望者の数が莫大な量となり、病院の通常業務を圧迫するまでになっていた。
しかし病院の機能が停止なんてしたら大変な事となる為、急遽俺らも手伝いをする事になったわけだ。近藤さんの奥さんに会うためには願ってもない仕事だけど、何だかなぁとも思う。
「佐久間君と瀬戸さん、ご苦労様。休憩に入ってくれる? 私もこれから休憩だから」
いまだに人の波が切れる様子はないけれど、看護師の近藤さんか声をかけてくれた。俺ら自身近藤さんと話がしたかったので、願ってもない申し出だ。
「あ、はい。分かりました」
「ありがとうございます」
俺らは近藤さんと一緒に居た、別の二人と受付を交代すると、近藤さんの後ろをついていく。途中自分の荷物を持ち出し、俺らは屋上へと向かった。
屋上は風が吹くためかなり寒く、俺ら以外は誰もいない。……ここで昼ご飯を食べるのだろうか?
とりあえず、日差しは暖かいので、俺は能力で屋上の風の流れを変え、俺らの居る場所に当たらないようにした。
「佐久間ってこういう時、本当に便利な能力ね」
俺が能力を使った事に気が付いた明日香が俺に声をかけてきた。
「でもこれ、地味に体力消費するんだよ。能力を継続して使ってるから」
こうやって風の流れを操る時は広い範囲で継続して能力を使いつづけなければいけない為、単発的に使う派手な攻撃よりも結構力を使うのだ。
「ごめんなさいね。職場の仲間が居ない所で少し聞きたい事があったから」
「あ、大丈夫です。疲れると言ってもへとへとになるほどじゃないし、俺らも近藤さんに聞きたい事があったからちょうどいいというか。えっと、それで、聞きたい事って何です?」
タイミングよく誘ってもらえたなと思えば、どうやら近藤さんも俺らに聞きたい事があったようだ。
以前、この病院の幽霊騒ぎを解決する時に知り合いにはなっていたが、連絡先を交換するほどの仲でもない。何だろうか。
「うちの旦那、元気にしてるかしら?」
「えっ?」
少し迷ったように視線をさまよわせた近藤さんは、困ったような顔で笑いながら俺にそう訊ねた。
「ほら、今、病院と一緒で組織の仕事もすごく忙しいでしょう? 前にしばらく帰れないって連絡があってから会えていなくて」
「えっと……その……」
近藤さん、仕事場に来てなかっただけじゃなくて、家にも帰っていないのか?!
おぉぉぉぉい、どうするんだよ。
奥さんは、今も仕事場に行っていると信じている。そして自分と同じように忙しくしていると思っているのだ。
俺らも奥さんに近藤さんの事を聞きに来たところだというのに。
いっそ、他部署だから知らないと嘘をついた方が奥さんは不安がらずに居られるのだろうか? 連絡があったという事は、近藤さんが自分の意志で何かをしている可能性も高いのだ。……でもそうでない場合は、かなり残酷な答えが待っている。
「旦那さんから連絡があったのはいつですか?」
「えっ? 最後にあったのは、階級制度を廃止すると発表があった日だから――」
何を言おうかと迷っている俺に代わって明日香が質問をした。
近藤さんが家に帰らなくなったのは、組織が忙しくなった日と日付は同じだ。
「旦那さんは、その日から職場には来ていません」
「お、おいっ」
なんつー馬鹿正直に。慌てて止めようとする俺を明日香が逆に手を俺の前に出して止めた。
「でも、近藤さんも薄々気が付いていたんですよね。だから私も正直にお伝えしようと思います。旦那さんには連絡はその後はされましたか?」
気が付いていた?
……近藤さんの手は震えていた。多分、最初から。
なるほど。最初から奥さんは、職場に旦那は居ないかもしれないと疑っていたのだろう。元々旦那の仕事は救護なので、組織の中で勤務する事が多く危険は少ない。だから奥さんが俺らの答えに怯える必要はないのだ。
それに人目を避けたのも、何かあると最初から思っていたという現れな気がした。
「そう……やっぱりね。連絡は入れてるけど、今は連絡が出来ないって一度メールが来てからずっと音信不通なの。何度かメールは送ってるんだけどね」
「やっぱりって、何か心当たりがあるのか?」
何故近藤さんの奥さんは、近藤さんが嘘をついていると思っていたのだろう。
「今までどれだけ忙しくても、今日は帰れないとか連絡はしてくれていたの。それもないし……ごめんってメールに入ってたから。何となく、私を巻き込まないようにして、何かやってるんだろうなって思ったのよね」
「『何か』に、心当たりはありますか?」
明日香の質問に、近藤さんは苦く笑った。
「貴方たちが聞きたかった事はこれなの?」
「……すみません」
旦那が行方不明中なのに、根掘り葉掘り聞くのはやっぱり失礼だろう。分かっている。
でも、今は俺らも、影路への手がかりが欲しいのだ。
「影路さんは元気かしら?」
「えっと……あの?」
俺らがもう一度質問する前に、先に近藤さんが質問をした。前回の仕事では、影路も一緒だったのだから、彼女が影路の事を気にするのはおかしくはない。でも、偶然影路の事を考えた瞬間だった為に、ドキリとする。
「うちの旦那、結構あの子贔屓だったから」
「そうなんですか?」
「きっとDクラスだから、応援してあげたかったのよね。うちの旦那ね、私の前の奥さんがDクラスだったから、かなりDクラス贔屓なの。嫌いで別れたんじゃなくて、死に別れだったし。だからDクラスの子が預けられる孤児院にボランティアで出向いていたのよね。その事も分かってて、私も結婚したから、その事で何か言うつもりはないのだけど」
そういえば、近藤さんは再婚をしていると聞いた事がある。でも、元の奥さんがDクラスで、孤児院にボランティアに行っているなんて事を話すほど深い付き合いはしてなかったので知らなかった。
「死んだ人にはどうしても敵わないのよね。こういうのは勝ち負けの問題じゃないと分かっては居るのだけど。たぶん今、あの人は好きな人の為に出来る事をしているのだと思うの」
まるで不倫でもされている様な言葉だけれど、きっと近藤さんがいう好きな人は、死んでしまった前の奥さんの事を指しているのだろう。
近藤さんは今も前の奥さんの事が好きなのだろうか。
……奥さんの話を聞く限り、好きなんだろうなとは思う。それはとても奥さんに対して不誠実な気はするけれど、もしも今影路が死んでしまったとして、俺は影路の事を忘れて生きられるだろうか。
結婚しているしていないとか、付き合っている付き合っていないとか、違いはあるけれど、死んだからそれで終わりにはならないような気はする。だから近藤さんが、前の奥さんの事が好きだという気持ちを否定はできなかった。
「でも危険から遠ざけようとしているのだから、近藤さんの事も好きなんだと思います」
「……ええ。それは当たり前よ。私が好きな人なんだもの」
明日香の言葉に、彼女は強く笑った。
「でもね。できれば、私の事も巻き込んで欲しいと思うの。危険から遠ざけるなんてやさしさ、私はいらないわ。だから、もしも貴方たちがうちの旦那に会う事があれば、いい加減にしないと離婚届を投げつけに乗り込むわよと、私が言っていたと伝えてくれないかしら」
……近藤さん、ご愁傷様。
この奥さん、結構肝が据わっている気がする。というか、女の人って、俺らが思っているほどか弱くないのかもしれない。奥さんの笑顔が、今は超怖い。
「分かりました。あの、近藤さんがボランティアに行っていた孤児院がどこか教えてもらえますか?」
「ちょっと、後で地図と名刺を渡すわ。そうだ。明日香ちゃんに、一つだけアドバイスするなら、恋愛はぶつかってナンボよ。ちなみに、前の奥さん……美紀というのだけど、彼女と私、親友だったの」
「えっ?」
「だから、あの人が美紀を優先しても、許してあげたくなるのよねぇ。でもそんな風に思えるのは、ちゃんとお互い逃げずに、妥協しなかったからよ」
なんの話だ?明日香は恋愛相談を近藤さんに何かしたのだろうか?
なんだか置いてきぼりを食らわされた状態で、俺は彼女達の会話を聞いていた。