逃走者の恋(7)
「それで佐久間君は、綾の本当の親の事について聞きたいんだけ?」
運ばれてきたナポリタンを食べながら、影路母は何てことない様子で、話を切り出した。
あまりに普通にたずねられた為に、一瞬何の話か分からずぽかんとしてしまう。
「ええ。そうなの。いいかげん、私もしっかり聞きたいから呼んじゃったのだけど。大丈夫だった?」
「いいわよ。うちに来られても、散らかってるし。夕ご飯作らずに済んだから、ちょうどよかったわ」
あれ?
影路の本当の両親の事を聞けば、もっと重い雰囲気になると思ったのに、軽いノリだ。しかも心配が、まさかの会場場所……いや、影路が育った場所が気にならないわけではないし、でもそれは影路と一緒に来たいというか――って、俺は緊急事態で、何アホな事を考えているんだ。
影路の育ての親に会って、影路との繋がりを感じて、何だか影路の事をもっと知りたい気持ちになって、俺はぐるぐると思考を彷徨わせた。
そしてふと、俺は影路の事が好きなのに、影路の事をほとんど知らないんだなと思う。
「すみません、突然。本当は影路と一緒に聞くのが筋だと分かっていますが、どうしても知りたくて」
影路姉には、影路と連絡が付かない事については話した。だったらこの両親にも話すべきだろう。……でも話せばきっと、とても心配するだろう。血のつながりがあろうがなかろうが、2人は影路の親には違いないのだから。
「別にいいわ。貴方が綾の事を大切に思って、綾の事をまっすぐ見ようとしてくれている事は分かっているから。だから貴方の心はもう覗かない。必要だと思う事を話して、必要だと思う事を聞いてね。ね、お父さん。それでいいでしょ?」
「ああ」
元々寡黙なのか、それとも影路母が良くしゃべるから寡黙になったのかは分からないが、影路の父も静かに頷いた。
だから、俺は遠慮せずに聞くことにする。それが影路を助ける為に必要なのだ。
「影路の母親が、影路のお父さんの妹で、Aクラスの人間だと言う事までは聞きました。……どうして影路は実の母親ではなく、貴方の家に引き取られることになったんですか?」
本当は影路がいない場所で聞く話ではないだろう。それは分かっている。分かっているけれど、少しだけここに影路がいなくて良かったと思う。
影路が捨てられたと言っても過言ではない状況にいたった理由は正当なものでも、そうでなくても、影路が否定されてしまったという事実に変わりない。もしも……もしもだ。影路がDクラスだからという理由で捨てられたのだとしたら、俺は影路に何と言えばいいのだろう。
影路が今の両親にまったく不満を感じていないのは分かる。とても愛されているし、影路も大切に思っている。でもそれと拒絶された傷みは違う。
「綾がDクラスだから捨てられたのだと思ったら、義妹が可哀想だから止めてあげてね。彼女は、……そうね、綾にとても似ていて、あまり感情を表には出さない人だったわ。でも綾を手放す時に泣いたの。私も母親だから分かるわ。とても辛い選択だったのだって。自分の子が可愛くないわけないもの」
「なら何で捨てたのよ。どれだけ泣いたって、綾はまだ赤ちゃんだったから、そんな事覚えてないのよ?!」
気の毒そうな顔をする影路母とは対照的に、影路姉は怒りという感情をあらわにした。それはきっと、影路の事が大切で仕方がないからだろう。
「妹には、もう1人子供がいたからな」
「えっ」
「双子だったの。もう1人の男の子はAクラスで、どちらもこの国で育てていくには大変な子だったから、綾を不幸にしない為に、彼女は私たちの所へ里子に出したの」
影路に双子の兄弟が居た?
予想もしていなかった理由にきょとんとしてしまう。
「双子の兄弟がAクラスだっただからって何よ。どちらにしろ、同じAクラスの子を育てて、Dクラスの綾を捨てたには変わらないじゃない。何で捨てるのよ。自分の子なのに」
「あらら。ほらほら、泣かないで。メイク崩れちゃうわよ?」
「泣かないわよ。というか捨てるような親、いなくて正解だし、私がその分綾を大切にしてるもん。返せって言ったって、絶対返さないんだから」
そう言いきって、影路姉は鶏肉にかぶりついた。
「たぶん、ただのAクラスとDクラスの子供だったなら、彼女は捨てなかったと思うわ。彼女にはどうしても2人を一緒にしておけない理由があったから、彼女は綾を預ける事にしたの」
「理由?」
「具体的には聞けなかったわ。彼女はAクラスで、秘密保持の義務も負っていたから。でも彼女の力ではどうしようもない、【予言】が子供達に読まれてしまったとだけ言っていたわ」
【予言】。
それは【予知】よりも重く、一般的に覆せないものとされている。ただし絶対覆せないわけではないという事は、爆発を阻止した時に証明した。
でも【予言】が出ると、重く受け止められる事には変わりない。
「どんな予言なんですか?」
「私は知らないわ。お父さんはどう?」
「本人に聞け」
「まあ、そうよね」
確かに【予言】が出たら、Aクラスだったら他の人に喋るなと言われるだろう。案外、【予言】の保持に組織も関与しているのかもなと思う。
「影路の親はどこに居るんですか?」
もしかしたら、連絡を取り合っていないかもしれないが、名前さえ聞きだせば、Aクラスなら探しやすい。もしもAクラスの施設での生活していても、俺ならそこへ行く事ができる。
「真冬が住んでいる場所は聞いていないが、組織で働いていると聞いたな」
「Aクラスって皆そこで働かなくちゃいけないんでしょ?」
「いや、全員というわけでもないですけど、施設外で住んでるAクラスは、そこに勤めている事が……まあ多いですね」
給料も一般で働くよりもいいし、元々戦闘訓練は施設でしているので、特に組織の仕事を怖いと思った事はない。Aクラスにとって働きやすい環境には間違いはなかった。
「ただ俺は影路以外で、【影路】という名字の人を知らないから他部署か、働いている地方が違うのかもしれないですね」
「は? 何言ってるの?」
とてつもなく呆れたような、馬鹿にされている様な声を影路姉が俺へ向けた。
な、何だよ。
「えっ? 何か変な事いいました?」
特に怒られるようなことは言っていないのに、眼力がある所為でドキドキする。力では絶対勝てるのに、どうしても影路姉に勝てる気がしない。
「影路真冬は旧姓でしょ」
「あ……そうか」
結婚すれば、女性の苗字は変わる。だから、影路姉の苗字は【上垣内】なのだ。
となれば影路を産んだ真冬さんも、離婚とかをしていない限り旦那の苗字。もしも予言の関係で影路に会う事を避けているなら、なおさら旧姓は使わないだろう。
「じゃあ、影路の本当の母親の名前はなんていうんですか?」
「春日井真冬だ」
「えっ……春日井?」
「あら、知ってるの?」
俺は改めて聞かされた名前にキョトンとしてしまった。
「知ってるも何も――」
いつも名字で呼んでいるから忘れがちだが、確かにそうだ。確かあの人の名前は真冬だった。能力にも性格にもすごいマッチした名前だよなと記憶している。
「――俺の上司の名前……春日井真冬です」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『綾、そろそろ眠いならベッドで布団をかぶって寝なよ』
「……あ、うん」
鏡男と話していて、徐々に瞼が重たくなってきていた。普段なら夜の仕事もあるし頑張れるのだけど、今日は朝早くから動き回っていた為に疲れてしまったのかもしれない。
『僕をベッドの方に連れていけば、そこでも話せるだろ? ただ先に顔を洗って、歯を磨いて、服を着てきなさい。もう乾いただろ?』
「うん……たぶん」
眠たくてこのまま寝たいという気持ちを誤魔化しながら、私は鏡男をに言われるままに、寝る為の準備をする。
歯を磨きなさいだなんて、本格的にお兄ちゃんのようだと思うと少し笑える。
「お待たせ」
一通り、身だしなみを整えてから、私は鏡を持ってベッドの方へ向かった。
「……おっきい」
『エディは相当お金もちなんだね』
いつものシングルベッドの倍はあるかもしれないベッドが寝室には置かれていて、改めてエディの金持さ加減を実感する。
「これなら、もしも鏡男が鏡じゃなくても、一緒に寝れたね」
『……あのねぇ、綾。男にそう言う事を言うもんじゃないよ。変な風に勘違いするかもしれないだろ?』
「するの?」
『まあ、僕は確かにしないよ』
「私だって、相手を選んで言うよ」
流石にエディには一緒に寝ようは言わないし、佐久間にも恥ずかしくて言えない。ただ鏡男は、何というか、小さい時から一緒にいた為、お互いそういう対象ではないのだ。
恋愛ではない。でも大切な人。
『昔、綾が泣きながら喋ってそのまま寝てしまった事があったよね』
ベッドに転がると、鏡男がそんな昔話を持ちだした。
「……そうだっけ」
『苛められるたびに、ポロポロ泣いてさ。でもだんだん泣かなくなって。そうやって強くなったけれどある日、泣きながら自分は捨て子かもしれないって喋って、そのまま寝ちゃったでしょ』
「そんな時もあったね」
あの時も、姉と顔かたちが違う事を近所の子に指摘され、不安になって泣いたのだ。でも家で泣けば家族が心配するし、私が泣ける場所は、鏡男の前だけだった。
『あの時ほど、この鏡が邪魔だと思った事はなかったよ。凄く近いようで、綾の涙を拭いてあげる事もできないぐらい遠い』
「話を聞いてくれただけで十分だったよ」
逃げ道が用意されているのとされていないのでは全然気持ち的に違う。ずっと鏡男と一緒にいる事は出来ないけれど、弱音を吐き出せば、何とか次の日も踏ん張れた。
そして踏ん張っていくうちに、自分のペースがつかめて、どうにか学校に通えたのだ。
「一緒にいてくれてありがとう」
今もこうやって不安にならずにいられるのは、たぶん鏡男がいるからだ。こんな広い部屋で、誰とも連絡をとれずに悶々と考えていたら、結構辛かったと思う。もしかしたら寝れない夜になったかもしれない。
この安心は、彼がくれたもの。そんな事を思いながら、ふわふわと眠気に身を任せる。
『おやすみ、綾』
「おや……すみ」
鏡男は近くて遠いと言ったけれど、私は彼との距離が遠いようで、勇気をもらえる程度に近いと思った。