逃走者の恋(6)
「いらっしゃいませ」
マニュアル通りの元気な挨拶の声が聞こえるたびに、俺はファミレスの入口をチラチラと見てしまう。そわそわして落ち着かず、グラスの水滴を手でなぞってみたり、ストローの紙袋を折りたんだりしてみるが、精神統一ができない。
「貴方、今、思いっきり不審者よ」
俺の目の前に座っている影路姉にズバリ言われて、俺はうぐっと詰まった。そんなの俺だって分かっている。
「だってよぉ」
「今から強盗でもするみたいよ」
「しないですよっ!」
何でそうなる。
俺の声に驚いたお客がこちらを向いて、俺はすみませんと頭を下げた。早めの夕食をそろそ食べに来ている人も増え始め、来た時より客の数は増えている。
「お店で騒ぐのは止めなさいよ」
「……あのですね」
「そうそう。そろそろディナータイムだから、何か頼みなさい。ドリンクバーだけでここに居座るのはつらくなってくるから」
自由な人だ。
Aクラスが嫌いだからこういう意地悪をするのか、それともこれが素なのか分からない。
「俺、昼ご飯が遅かったから――」
「何? 私が大食いの女に見られてもいいわけ?」
「はい、頼みます」
ギロッと睨みつけられて俺はすぐに白旗をふった。影路姉は、影路と違って、本当に自己主張が激しい。
メニュー表を見てから店員を呼び、適当に注文する。影路姉は鶏で俺はハンバーグだ。
「そう言えば、綾に告白したの?」
「ごふっ」
俺はドリンクバーから持ってきたお茶を勢いよく吹いた。 お茶が変なところへ入ってしまい、俺はひたすら咽る。
よりにもよって、どうしてその話題を――。
「ちょっと、お茶をこぼさないでよ」
そうのんびりと言いながら、影路姉はおしぼりでテーブルを拭いた。
「もしかして、影路から……」
「あの子。こっちから聞かないと何も言わないの。変なところで秘密主義というか。その分だと、したのね」
影路らしいといえば影路らしい。完璧な結論が出るまでは影路はあまり自分の意見を話したりしない。俺の事を信頼してないからかと思えば、重要な事を任せたりするので、そういうわけでもなく、間違った意見で他人が混乱しないようにする為という気がする。
ただ、俺はまだ影路に答えをもらっていないのに、話してしまっていいのだろうか。
「そう言えば、綾の能力、貴方は誰かに漏らしてないわよね?」
「影路の能力?」
何て話そうかと考えていると、話題を変えられた。
「なんだか、最近綾の様子が変だったのよね。Dクラスじゃなければ心配しないのかみたいなことも言ってくるし。もしも綾に能力を見直す、再申請をするように言ってるなら止めて。綾の【血】についての事は、うちの両親からも絶対誰にも言うなっと言われてるから」
【血】と言うのは、血を付ければ無関心の能力を付与できるという変種の能力の事だろう。
「いや、特に誰にも言ってないけれど。……何で駄目なんだ?」
「うちの親は、綾が悪い人に目をつけられないようにする為と言っていたわ。綾の能力は私の能力よりずっと悪い人にとっては魅力的じゃない?」
「……そうですか?」
影を薄くする能力と花嫁の結婚相手を見る能力。確かに後者は、結婚詐欺ぐらいでしか、悪い事には使えなさそうだけど。
「無関心は消えているわけじゃなくて、その存在を認識していても気にならなく能力よ。見られてしまったから消えるわけでもないし、ぶつかってしまっても能力さえ持続していれば大丈夫なの」
認識しているけれど、気にならない。
「諜報とか向いてそうですね」
盗み聞きとかそう言う事に向いている気がする。実際影路には、仕事でそれに近い事をやってもらったりもしていたし。
しかし影路姉は、こちらに馬鹿にしたような目を向けた。
「それは、いつもの綾の能力の方でしょ。あの子は【血】を使って、【血】が付いているものも自分という認識に変えて能力範囲を広げているのよ」
影路姉はこそこそと俺にそうささやく。
「でも、人を傷つけるような殺意を向ければ解けてしまうんですよね。感情を無にするのは相当訓練された人でも結構難しいですよ」
影路はそういう不安定な能力だから役に立たないと言っていた。確かにそれでは戦闘などでは全然役に立たないだろう。
どうしても人は、人を傷つけようとすれば何かしら思うはずだ。それを感じないのはごく一部。
「確かに人はそうね。でも、ものに感情はないわよ」
「ものって……ロボットですか?」
「……今の大和にそんなロボットいるか、じっくり考えてみなさいよ」
「いないですよね」
呆れたように言われたが、俺だってそう思っているわけではない。ロボットは有人も無人もアニメの中だけだ。その辺りエディが一番詳しいかもしれない。
「だったら……」
「ヒントは電車のアナウンスかしら」
電車? 今日乗ったが何かあっただろうか。……駄目だ。ホーム出発時に発射します以外に何か言うか? えっと、黄色い線より後ろに――は電車じゃなくて、駅構内だよな。
「まあ、ピンと来ないなら十分平和ボケしているからいい事だと思うわ。でもそのアナウンスが流れるという事は、実際にそう言う事が起こってもおかしくはないという事よ」
アナウンス……えっと、優先席付近では携帯電話を使うなだろ。後は、次の駅がどこどことか……あっ。
「不審物?」
「そう言う事。綾の能力があったら、誰も気づくことはできないわ」
大和でも今までにテロがなかったわけではない。だから、車内の不審物に対する注意のアナウンスが流れ、見つけ次第車掌に相談するようになっている。
ただ、多くのヒトが聞き流している状態ではあるけれど。それは平和の証拠でもあり、平和ボケと言われてしまっても仕方がないかもしれない。
そんな平和ボケの所で例えば、爆弾が仕掛けられたとして……もしも影路の能力が使われていたら気が付くことはできないだろう。いや、平和ボケしていなくても影路の能力なら、きっと爆発するその瞬間まで誰も気に留める事はない。
テロは、必ず成功する。
「だから、綾の能力は内緒にしなければいけないと、うちの両親は言っていたのだと思うわ。実際に聞いた事はないけどね」
「でもそれならなおの事、ちゃんと申請をして、国で保護してもらった方が良かったんじゃないか?」
もしかしたら影路は、家族と一緒に過ごせなくなってしまうかもしれないけれど。でも影路の能力だけでは攻撃性はそこまで高くないわけで、誰かに攫われない為に保護してもらった方がいい気がする。
「だからAクラスは嫌なのよ」
「何でだよ」
「私は、綾の力を誰かを傷つける為に使って欲しくないわ。誰に害意を向けようとすれば能力が使えなくなるのは、きっと綾がそう言う事を望んでいないからだと思うの。でも国に保護をされた瞬間、国の命令にも逆らえなくなるという事でしょう?」
確かに、影路は優しい。
俺と違って、誰かを傷つけるなんてことはできないだろう。
「でも、そんな――」
「愛、遅くなって悪かったな」
「こんにちは、貴方が、佐久間君?」
「あっ、はい」
俺は話の途中だったが、慌てて椅子から立ちあがる。
通路には筋肉質の体の大きな男と、影路姉によく似た女性が居た。影路姉のさらにお姉さんという感じだが……待て待て。影路は2人姉妹と言っていた。となると――。
「初めまして。私は綾と愛の母です。で、こっちは父です。よろしくね」
やっぱり母かっ?!
母、若っ。そして、父、怖っ。
頭に美女と野獣という言葉が浮かんだのは内緒だ。
「初めまして、佐久間龍といいます。影路には、いつもお世話になってます」
「そんなに固くならなくてもいいわよ。ほらほら座って」
「はい」
「こんなイケメンが未来の私の息子かもしれないと思うと、お母さん楽しくなっちゃうわぁ」
……み、未来の息子?!
冗談なのか本当なのか、ケラケラ笑いながら女性は俺の隣にすわ……すわ……目のやり場が……。
影路母は影路姉と同様に何というか派手な外見というか、派手な服だ。影路と違って首回りが開いた服を着ていて、胸のでかさが強調されている。確かに、影路が似ていないと思っても仕方ない。影路が不細工という事はまったくないが、タイプが違う。
「あの、お母さん――」
「お前に、お母さんと呼ばれる筋合いはないっ!!」
びくぅぅぅぅっ。
何。何?!
唐突に怒られて混乱する。
「――って、言ってみたかったのよねぇ。愛の旦那は、そう言う冗談通じそうにない子だったし。面白い反応ありがとう」
言ってみたかった?
バンバンと背中を叩きながら笑う女性を見て、俺はこの好奇心、影路と似ていると思った。見た目とかではなく、中身はどこか似てる……。まあ、ずっと一緒に住んでるんだし、似ていて当たり前だよな。
「あら。ありがとう。勿論、綾は私の自慢の娘だもの。似ていて当然よ」
「えっ?」
あれ? 俺、声に出したか?
「声には出てないわよ。初めて会った人には、最初から私の能力を伝えるようにしてるの。私の能力は【さとり】。勿論ON、OFFはちゃんとできるから安心して。でも後出しすると、騙されたとか思ったりすることあるからねぇ。あっ、料理は何か頼んだかしら?」
「もちろん。お母さんも何か食べる?」
「ええ。お父さん、今日は外食でいいわよね」
「ああ」
どうやらこの家は、女性陣が主導権を握っているらしい。いや。影路は控えめな性格なので、女性が強いのではなくて、この母と姉が強いのか。
「でもゆっくりご飯は食べたいわよねぇ。佐久間君、少しだけ居心地が悪くなるかもしれないけれど、力を貸してもらっていいかしら」
「えっ? ああ、いいですけど」
居心地が悪くなる? でもゆっくりご飯?
何を――。
「ええっ! すごぉい!! 佐久間君って、Aクラスなだけじゃなくて、組織で働いてるの?!」
一体、何だ?!
突然大きな声で褒められて、俺はビクッとなる。
「あ、あの」
しかも会話の流れを丸無視で、さっぱり状況が分からない。
「でしょー! 綾ったら、見る目あると思うわ」
影路姉が俺を褒めるだと?!
怖い。なにが起きるんだっと、ビクつくと足を踏まれた。
「いっ」
「しかも、イケメンじゃない?」
「お母さん、恥ずかしがって声も出ないみたいだから、それぐらいにしてあげなよ」
声が出ないのは、恥ずかしいからじゃなくて痛いからだ。
「ごめんね。組織で働いていて、いくつもの事件を解決しているなんて聞いたら、お母さん驚いちゃって。でも若いのに凄いわね。やっぱりAクラスは違うのねぇ」
「……なんなんですか?」
俺はとりあえずボソボソと周りに聞き取れない程度の声で聴く。しかし、2人とも笑うだけだ。
たぶんこの親子はわざと俺がAクラスで組織で働いていると周りに伝えているのだろう。でも、何で。
……いや。何でじゃないか。
ちょっとぐらい頭を使わないとだよな。えっと、ゆっくりご飯を食べたいから俺がAクラスだという事を伝える……いや、組織で働いている方をAクラスという事よりもっと強調しているか?
自慢? いやいや。それはないだろ。
だとしたら……誰かに向けたメッセージ?
「恥ずかしいから、それぐらいにしてくれませんか? ……そんなに組織に所属しているのが珍しいなら、別の奴も呼びますよ」
呼ばないけど。
俺の演技に、影路母は良くやったとばかりの笑顔を見せた。
やっぱり組織を強調か。
理由を一生懸命考えていると、ツンツンと俺の腕を影路母に突っ突かれた。
「悪いけど、ウエイトレス呼んでくれる?」
「あ、はい」
呼び出しボタンを押すとピンポーンとチャイム音が鳴った。
「私聞かなくていい声、たまに気になって拾っちゃうのよ」
「えっ?」
「メニュー表見ながら、ただ聞いて」
俺がメニュー表を広げるとそれを覗き込むふりをして、影路母は更に俺へ近づいた。
「入口近くに1人で座っている男の人、凄く挙動不審で、チラチラとレジを見てるの。で、今さっき、レジの女の子1人の時なら強盗できちゃうかなと考えてたの聞こえちゃったのよね。あっ。すべての声が聞こえるわけじゃないのよ。ちゃんと1人に集中しないと聞こえてこないから――えっと、私、ミートスパのセットね」
視界、広いなぁ。
気が付けばウエイトレスがメニューを聞きに来ていた。
それに、洞察力もある。すべての心の声が聞こえるわけじゃないなら、目星をつけなければ強盗するかどうかの心の声を聞くことはできない。それに聞いた上で一番安全な回避方法もちゃんと考えられる程度の機転もあって――影路と同じだ。
似てなくなんかない。何処か似てる程度じゃない。彼女は間違いなく、影路の親だ。
「あっ、お父さんはどうします?」
俺はハッと気が付いてメニュー表をあわてて影路父の方へ向ける。
「お前にお父さんと呼ばれる筋合いはない」
低い声に、俺の背筋が伸びた。
ひぃぃぃぃ。俺、調子乗りすぎただろうかと思わせる声だ。大きな声ではないのに、腹の底に響く。
「やっだぁ。お父さんまでそのネタ? もうちょっとひねってよ」
「そうか。悪い」
えっ。
そのネタって……えっ。ネタ?
「まあ一度は言ってみたいわよねぇ。あ、アイスも食べましょうよ」
家族って……こういうものか?
それともこの一家が色々凄いのか? 良く分からないが、俺は影路母の提案に流されるように頷いた。