逃走者の恋(3)
「えっと。私はエディに何を教えればいいの?」
「そんな改まって、ピシッとしなくてもいいよー。僕も答えに行きつくための突破口はどこだろーって思ってるところだし」
そう言って、エディはジュースを喉を鳴らしながら飲む。
着ぐるみを脱いだエディは、『俺の嫁』と書かれたティシャツとジーンズ姿になっている。相当着ぐるみの中が暑かったのだろう。ティシャツには汗の染みができていた。
「まず、影路ちゃんの【無関心】の能力は血を媒介にして他人に貸すことができることを知っているのは誰か教えてもらっていい?」
「えっと……、佐久間と明日香とお姉ちゃんと……あと、お父さんとお母さんも知っているけど」
「そっか。それ以外の人の前では使ったことはないの?」
私の能力を私以外で使う事はほぼない。最近、佐久間たちと付き合うようになって、頻度が増えただけで……。
そう考えて、ふと思い出した。
「そういえば、銀行の立てこもりの事件の解決に協力した時に、不特定多数の人に使ったかも……」
人質を逃がすために、私はそこで全員に血をつけた。でも人前で大っぴらに使ったのは……たぶんそれぐらいだと思う。
佐久間が嫌がった事もあり、あまり使わないようにしていたし……。
「オッケー。じゃあ、報告書のデータを見てみるよ。そこに被害者が羅列されてると思うしー」
エディはおもむろにノートパソコンを取り出すと、カタカタと何かを打ち込む。
「えっと……ここから見る事ができるの?」
組織の情報って、そんな簡単に外でも閲覧で来てしまっていいものなのだろうか? 特にエディは正職でもないのに――。
「普通はできないよー。でもこの間、組織の情報を盗んだからね」
「えっ? 報告書のデータを盗んだの?」
それは不味いんじゃないだろうか? 報告書も外部への流出禁止に該当する書類な気がする。
「まさかぁ。そんな膨大なデータ誰も盗まないよ。僕が盗んだのは、組織の人達がデータアクセスする時のパスワードさ。まあ、それを盗んだ事がバレないように、トラップとして別の情報も盗んでおいたけどー。たぶん5階の暗証番号が知られた事ばかりに目がいっちゃっているんじゃないかなぁ」
あれ? やっぱり、それはやってはいけない事なんじゃ……。5階のパスワードが何か分からないけれど、何故かエディと私の認識にズレがある気がしてならない。パソコンに関しては疎いけれど、こういうのは、ハッカーとか呼ばれるんじゃないだろうか。
「あの、エディー。それって――」
「よし。データ抽出完了。うーん、パッと見、一般人っぽいけれど、こればっかりは調べてみないと分からないからねぇ。……報告書には、詳しく影路ちゃんの能力は書かれていないけど、部長辺りは佐久間から細かく聞いている可能性があるかな」
「部長?」
「春日井部長。本名、春日井真冬。Aクラスで【雪女】の能力を持つ。現在42歳、既婚。……っと、顔写真はこれだよー」
くるっと、パソコンを私の方へエディは向ける。
そこには、証明写真のような真面目な顔をした女性の顔写真が映っていた。以前組織の中に入った時に、見かけたような気もする。
「結構、細かく情報が載っているんだね」
旦那の名前、子供の名前や年齢なども載っている。……あ、でも旦那は享年と書かれているので、亡くなっているようだ。子供は私や佐久間と同じで19歳らしい。
「そうだよ。例えば、僕の場合は、これかな」
エディが今度は別のページを開いた。そこにはエディの顔写真と、名前、クラス、能力名、家族構成など細かく書かれている。
「組織と関われば、細かい情報まで管理されるんだよねー。ただね、ちょっと影路ちゃんの情報は特殊で……ほら」
「えっ」
何故か名前だけしか載っておらず、顔写真もない。新参者だからとも思たが、私が組織と関わって約1年経つ。そこまで時間がかかるものだろうか。
「たぶん故意的に載せていないんだと思う。ここのデータベースに載らないという事は、春日井部長が何らかの理由で情報を上司に上げるのをストップしたか、更にその上の判断で載せないという選択をしたかという感じかなぁ」
「私がDクラスだから、載せる必要性がなかったという事は?」
「協力者をやっている時点でそれはないよ。Dクラスだろうと、今後仕事を要請する可能性がないとは言えないからね。あのさ、そもそも、影路ちゃんはどういう形でいつも仕事の依頼を受けていたの?」
どう?
どういうと言われても……。
「偶然そこで事件が起きて巻き込まれるか……、佐久間に協力してと頼まれるかだけど」
「普通はね、口約束ではなくて、組織から正式に書類が送られてくるんだよ。そもそも影路ちゃんのペアが毎回佐久間や明日香姉さんというのも変わっているんだよね。協力者はあくまで協力者だから、その能力にあった場所に要請がくるようになってるし」
「私がDクラスだから、佐久間ぐらいしか必要としてくれないのだと思うけれど」
Dクラスの私を1人の人間として扱ってくれるのは、佐久間や明日香、エディ、後は以前仕事でお世話になった近藤さんぐらいだ。
他の人の場合、私の力なんていらないと思うのではないだろうか。
「その可能性はないとも言いきれないけど……でも、やっぱり明らかに特別扱いだと思うよー。さて。あえて影路ちゃんの情報がさらされないようになっているという事は、ここに何かこの違和感? の解決の糸口があると思うんだよねー。じゃあ、順番に自己紹介いってみよー!」
「自己紹介?」
「影路ちゃんはDクラスで能力名は【無関心】だよね」
今更自己紹介。
……でもよく考えると、ちゃんとした事がないなと思い、頷く。
「家族構成はどうなっているの?」
「父と母、それと姉が1人だけど」
「それは本当の?」
「えっ」
本当という言葉にドキリとする。
別に私が養子である事を隠しているわけではない。でも突然言われると、やはり私はお姉ちゃん達と家族にはなれていないのだろうかと思ってしまう。
「ちなみに僕はウォーカー夫妻の養子だよ。幼いころに、母親に育児放棄されて施設に入って、そこでアメリカのパソコンメーカーの社長に引き取られたんだ」
ああ。そうか。エディは確率の話をしているんだ。Dクラスは、里子に出されてしまう事が多いから。
「私も養子。生まれてすぐに引き取られたみたい」
「本当の親の事は知ってる?」
「……聞いた事がない」
聞いてしまったら、今の家族を否定しているかのようで聞けなかった。自分の戸籍がどうなっているかを確認するのが精いっぱいで、それ以上の事は知らない。
「ウォーカー夫妻は、子供がいなかったんだ。だから僕を引き取った。でも、影路ちゃんの家には、お姉さんが居る。お姉さんは養子じゃないんだよね」
「うん。違うと思う。お母さんとよく似ているから」
姉はとても派手な顔立ちだ。
美人で自慢の姉。私とは似ていない。そして、それは母にも言える。姉ほど派手な格好はしないけれど、同じくとても美人だ。
スタイルもいい。
「だとしたら、どうして影路ちゃんを引き取ったんだろうねぇ?」
「どうして……」
「普通子供を引き取るのは相当の覚悟がいるよ。たとえDクラスだとしても、人身販売をこの国は禁止しているからね。それなりに面倒な手続きもいる」
エディはそう言って、ごくごくと、ペットボトルの炭酸水を飲み切った。
私に考える時間を与えるような時間な気もするし、エディが考える為の時間な気がする。私もペットボトルの水に口を付ける。
子供が居るのに、別の子供を引き取る理由。
子供が欲しいからという事はないだろう。エディのように仕事で役立つ能力を持っているからという事もない。お父さんの仕事は大工で、【無関心】はまったく関係がない。
「私の産みの親を知っている……とか?」
何らかの理由で育てられないから、引き取った――ならあり得る。
「まあ、その可能性が高いと僕も思うよー。でもって、影路ちゃんのプロフィールで何かあるとしたら、本当の親の方なんじゃないかなと思うんだよね。それ以外に変わった経歴なさそうだしー」
「私の事、調べたの?」
「えーっと……てへぺろ?」
エディは視線を彷徨わせたが、私に笑みを見せて誤魔化した。
確かに勝手に私の情報調べられたのは、褒められた事ではないけれど……。
「凄いね」
「あー……もう。どうして、そう言う反応するかなぁ」
困ったようにエディは眉を顰め、頭を掻く。
「普通、怒るところだと思うんだよねー、僕としては」
「怒られたいの?」
「やだよー。僕怒られるの嫌いだしー。でも……Dクラスだからって、影路ちゃんが色々我慢する必要はないと思うんだ」
その言葉は、私に伝えているようで、別の誰かに向けられた言葉な気もした。エディ自身か、それとも別の誰か……。
エディにちゃんと自己紹介をした事はなかった。でも、それはエディも同じだ。私はエディの事を知らない。
「エディ。私が選ぶことができるように、色々教えてくれるんだよね。まだいまいち、何が起こっているかは分からないけれど」
「勿論これからこれから。ちゃんと教えるよ」
「なら、まずはエディの目的を教えて」
「それは影路ちゃんの友達だから、助けたいと思ったから――」
私はじっとエディを見た。
エディは確かに私の友達だ。私にとっても、エディにとっても。
でもエディがやっている事は私が友達だからというだけではない。何故ならば、エディがこの国に戻ってきたのは、私と知り合う前なのだから。
私と知り合う前に、エディは組織の情報を盗もうとして捕まって……組織で働くようになって――。
数年前のエディの腕が未熟だから捕まったのだろうか? 本当に? エディなら、今回みたいに鮮やかにパソコンを操って、色んな情報を得られるんじゃないだろうか。
もしかして組織に入らなければ分からない情報を得る為に、あえて捕まったとかあり得るだろうか。
「――僕の大切な人を、助けたいんだ。その為にやってる」
「そう」
「でも、影路ちゃんを助けたいのも本当だよ。えっと……その。うん。ほんのちょっと、利用しようかなとか考えていたりいなかったり……。その、じっと見透かすように見てくるの止めてくれない?」
エディはきょろきょろと視線を彷徨わせ、パンダの顔を持ち上げて自分の顔を隠す。
エディは臆病だ。だから着ぐるみを着ている。私が【無関心】の能力を使って自分を隠そうとするのと同じこと。
でもエディは臆病だけど、優しい。
「エディ」
「な、何? パンダさんは、痛いのも、怒られるのも嫌いだよ」
「利用していいよ」
私は素直な気持ちで答えた。
「勿論、私の両親やお姉ちゃんが泣くようなことは困るけれど。でもエディは利用するけど、私を見捨てないと思うから」
たぶん。
何となく今まで一緒に仕事をしてきたけれど、エディは臆病な分、人の痛みが分かると思う。だから、大丈夫な気がするのだ。
「影路ちゃん、もし僕が悪い人だったらどうするのさ。盲信は愚か者がする事だよー。ちなみにね、佐久間や明日香姉さんの事を信じすぎるのも駄目だからね。特に佐久間は馬鹿だから、悪気がなくてもとんでもない爆弾爆発させそうだしー。火を消そうとして、間違えてガソリン投げ込んだ上に風を送る間違えぐらいしそうなんだよね」
ペラペラ喋るのは、照れ隠しなのだろう。
「エディって、本当に佐久間と仲がいいね」
「何でそうなるのさ。アイツは馬鹿なんだよ馬鹿」
エディは佐久間を馬鹿馬鹿言っているが、佐久間が私を騙したり酷い事をするとは全く思っていない。そこが、仲がいいんだなと思わせる。
そして私を騙したいなら、自分を疑えなんて言わないのに、エディは冗談ぽく、それを伝える。
だからエディは大丈夫だ。
「エディは優しいね」
「ごめん、参った。僕が悪かったから、直球は、それぐらいにしておこう。ね。あ、そうだ。佐久間に、試練メール送っておこうっと」
エディは慌てたようにそう言うと、パソコンで何かをカタカタと打ち込む。打ち込みながら、徐々にキーボードを叩く手がゆっくりになり止まった。
「影路ちゃん。……その……助けて欲し……欲しくて」
エディの声が震える。
「……だからっ。僕の話を聞いて欲しいんだ」
「うん。聞くよ」
エディが私の為を思って、私を連れてきた事も嘘ではないと思うから。
だから私は頷いた。