母校の恋(6)
「先生ただいま!」
Aクラスのみが通う、月島学校。その先生が集まる校舎へやってきた所で、千春ちゃんは俺の手を離し、走って受付へ向かった。
「お帰りなさい。では外出許可書の返却をお願いします」
「はい」
元気に返事をして、千春ちゃんは鞄の中から外出許可書とスタンプカードを取り出し渡した。
「ご苦労様」
「お兄ちゃんは受付に名前を書いてね」
「はいはい」
俺は千春ちゃんに言われるままに受付で名前と日付と時間、それと来た理由を書く。
まあ来た理由は、千春ちゃんを送り届けるとだけ書いておけばいいだろう。恩師に挨拶しようと思っていたのだが、今日は休日だった事を人気の少ない受付を見て思い出した。大学を休んで病院に入院していたので、どうにも日付感覚がおかしくなっていたようだ。
「佐久間さんも来ていたのですね」
「ん? あ、春日井部長、お疲れ様です」
受付の中で職員と話している【雪女】の能力者である春日井部長の姿を見つけ、俺は頭を下げた。いつもながらクールな雰囲気だ。
「仕事が終わったばかりと思っていましたが、今日はどうしたのですか?」
「あ、千春ちゃんを施設まで届けるように土方に頼まれて……」
「そうですか。ご苦労様です」
労いの言葉をもらっているはずなのに、ピシッと背筋が伸びるのは、春日井部長がニコリとも笑わないからだろう。どんな時もいつも通りクールである。
「お兄ちゃん」
つんつんと服の袖を引っ張られて、俺は下を見た。するとちょいちょいと千春ちゃんが手招きをするのでしゃがむ。
「トイレ行ってくるね」
「おう」
「まだ帰っちゃダメだよ」
そう言って小走りで千春ちゃんがトイレ行った。……もしかして、ずっと我慢していたのだろうかと思いながら、折角久々に来たのだし、すぐに帰るつもりはないんだけどなと思う。
「そういえば、エディと連絡は取れましたか?」
「いいえ。まだです」
再び質問をされて、俺は立ち上がる。
エディとは8月のオタクのイベントの日以来会っていない。あれ以来組織にも来ないし、何度電話をしても出なかった。一応メールは返ってきていないので、メールアドレスは変えていないようだが、読んでいるのかどうかすら分からない。
「そうですか。引き続き、何か連絡があれば報告をして下さい」
「はい」
一体、どこで何をやっているのか。
アイツの事だから、何となく、どこに行ってもマイペースに生活をしていそうだ。便りがないのは無事な証拠を本気でやりかねない、自由な奴なのだから。
だから俺は心配なんかしてやらねぇと思っている。きっとある日いきなりパンダの着ぐるみなんて目立つ姿をして、ひょっこりと現れるに違いないのだ。
「それと、影路さんの件はどうなりました?」
「えっ? どう? ……ああ。書類は渡しておきましたよ。影路は慎重な奴だから、今、じっくりとどうするか考えているんだと思います」
影路は行方不明じゃないぞと考えてすぐ、組織の正職になるかどうなの書類の事を春日井部長は言っているのだと気が付いた。
病院の潜入前に書類は渡してあるが、今のところまだ未提出なのだろう。確かに俺と同じように組織に勤める事になれば危険は増える。影路の能力はサポート系だから、その辺りの考慮はしてもらえるだろうが、護身術を学んだり、拳銃を扱ったりする訓練もやる事になるのだ。
正直一緒に働きたいが、影路にはあまり危険な事へ近づかないで欲しいとも思う。
「貴方が一押ししている人なので、是非一緒に働きたいと思っています」
「勿論、俺もそう思いますが、決めるのは影路なので」
俺が決める事ではないし、影路の意志は無視したくない。
「勤めるかどうかは別として、能力の再調査は同様に勧めて下さい。今までの協力者としての働きからするとDクラスと言う判断には疑問が残ります。記入の際は、能力を包み隠さず正確に書くように伝えて下さい。調査は入りますが、珍しい能力の場合は、調査員がその能力に気が付けない場合もありますので」
「あの。もちろんDクラスでない方が影路は楽だと思いますけど、最近、俺はあまりクラスとかこだわらなくてもいいんじゃないかと思うんですよね」
A,B、C、Dと別れてはいるが、そこにどんな違いがあるのか分からなくなってくる事があるのだ。
判断してクラスを割り振るのは人間で、すべてを見通す事ができる神様ではないし、明確な物差しがあるわけでもない。Dクラスだから優れていないというわけでもないと影路を見ていると思えて、一体こんな風にクラスを分ける事に何の意味があるのだろうと思うのだ。
「危険な能力ならば、早急に保護が必要だと思いませんか?」
「あ、勿論思います。でも影路の能力は危険じゃないし、何というか、能力を上手く扱う為に訓練が必要かどうかを調べるだけで十分な気がするというか……」
すでに影路はちゃんと自分の能力を把握して、上手く使いこなしているので保護も必要ないと思う。というか、俺の様に同様の能力の先輩がいれば扱い方のコツというのも教えてもらえるが、影路の能力と同じ人は今のところ見た事がない。となると、手さぐりで学んでいくしかないのだ。
「危険かどうかは、主観だけではなく、客観性が必要では? そもそも能力の提示は国民の義務です」
「まあ、そうなんですけど」
特に春日井部長は怒っている気はないのだろうが、表情筋や声のトーンが変わらない為、説教をされている様な気分になって、俺は早々に否定するのを諦めた。俺自身、ランク付けは本当に必要なのかと疑問に思っても、ならどうするのが一番いいのかと言われれば良く分からない。ランクがあればどれぐらいの能力かを判断するのに分かりやすいのも事実なのだ。
それに国の方針では、生まれてすぐに何の能力を持っているか【能力解析】の能力者に見てもらい登録するようになっている。そして最初の能力から変化があった場合は再提出が義務づけられていた。もっとも申請がなければ変わったことなど分かりようがないので、現実的には再提出はしていない人の方が多かったりするけれど。
しかし部長の言い分は正論だ。
「影路さんは【無関心】の能力という事ですが、影を薄くするだけでなく、何か特殊な能力を持ち合わせては居ませんか?」
「いや、影路の能力は【無関心】ですけど――」
その範囲がかなり広いというか、能力の付与ができるのが変わっているが、【無関心】と呼ばれる能力には間違いがないと思う。
「お兄ちゃん、ただいまっ!」
「おっと」
どんと、腰にタックルを決められて俺は受付に手をつく。
トイレは近場にあったのか、意外に早く千春ちゃんは戻ってきた。
「あのね、お兄ちゃん」
「ん?」
またちょいちょいと手招きされ俺はしゃがんだ。すると千春ちゃんは鞄の中から一枚の手紙を出してきた。可愛らしいアニメのキャラクターが載った封筒には、【おーじおにいちゃんへ】と大きな字で書いてある。
「私のきもちなの」
「えっと……」
まさか、これは――。
「ラブレターかしら?」
俺の背後で、春日井部長の冷静な声が聞こえる。しかし実際にその単語を聞いて、ぎょっとしてしまう。
いや、だって。俺は大学生で千春ちゃんは、小学校一年生。何歳の年の差だという話だ。現実から見て、この話を真に受けたら、俺は性犯罪者として、明日の朝刊に出てしまうかもしれない。【シンデレラ王子のシンデレラは、まさかの小学生?!】や【とんだロリコン王子】などなど、残念な見出しが目に浮かぶ。止めて、影路から白い目で見られるから。
しかもからかい半分で、友人AさんやEさん辺りが、アイツは昔からそう言う事をやる男だと思っていました的なコメントをしている姿が思い浮かぶ。
「いや。千春ちゃん。これはちょっと千春ちゃんには早いような気がするなー」
ちょっとどころじゃなく、かなり早い。後15年くらい後でないと俺が警察に捕まってしまう。
「レディーにはじをかかせるなんて、男としてしっかくよ」
「一理ありますね」
後ろで春日井部長が、コメントする。部長の言葉は、冗談か本気か分からないので辛い。
「とにかくうけとって」
真剣に言われて、俺は諦めて受け取った。
「はやくよんでほしいの」
「えっ。じゃあ――」
何が書いてあるのか正直怖いが、開けようとするとぽかぽかと千春ちゃんは俺を叩いた。しかも、結構全力で、地味に痛い。
「いてっ。ちょ、待って。何?!」
「1人でよんで!」
わ、我儘だな。
読めと言ったり読むなと言ったり。俺は小さなお姫様の暴走に小さくため息をついた。
「当然ですね」
……春日井部長の声が、いつもに増して冷たい気がする。踏んだり蹴ったりだなと思い、俺は肩を落とした。
「じゃあ、俺は帰るから」
どうせ、恩師も休みだし、何だかどっと疲れたのもあって、そう切り出した。そもそも、俺は昨日あまり寝ていないのだ。
「うん。バイバイ、お兄ちゃん。それ、私のきもちだから。はやくよんでね」
「はいはい」
「ぜったいだよ」
「じゃあ、部長、先に失礼します」
一言挨拶だけして、俺は校舎の外へ出た。
とりあえず、さっさと家に帰って、一度寝よう。微妙に小腹がすいているが、家にカップ麺ぐらいあっただろうかと思いながら歩きつつ、手渡されたラブレターを見る。
「もてる男はつらいねぇ……」
自分でいいながらちょっと悲しくなる。ただ告白する時に勇気がどれだけ必要なのかは、俺も体験したばかりだ。
だから千春ちゃんの気持ちを子供だからと言って馬鹿にするのは良くないのは分かっている。
そう思い俺はラブレターの封を切った。幸い休日である為、周りに人はいない。一応、千春ちゃんのご希望通り1人だ。
中に入っていた手紙もまたアニメのキャラが書かれていて、大変可愛らしい。女の子はこういう手紙を宝物にしていたりするから、大切な紙に千春ちゃんは気持ちを書いてくれたのだと思うと、悪い気はしない。答えられるかどうかは別として。
とりあえず、どういう風に書いてくれたのだろうと手紙を開いて、俺は足を止める。そこに書かれた文字は、俺が想像していたものとは違った為に。
「どういう……」
今出てきた校舎を振り返りながら、俺は千春ちゃんの言葉を思い返す。千春ちゃんは、早く読んでと言い、更に一人で読んでと言った。そして、私の気持ちだといい、ラブレターとは一言も言わなかった。
分からないことが多いが、それでも千春ちゃんが俺へ内緒でくれたメッセージだ。
あえて言葉にしなかったのは――誰かに聞かれないようにする為か。
「あー……、なんて返事をしたらいんだよ」
盗聴の可能性も考えて、俺はこれが千春ちゃんからのラブレターであるというような内容のコメントをする。
1人でペラペラしゃべるのもおかしいので、ここからは無言でも構わないだろう。
【きけん。はやく、かげろおねえちゃんのところにいって】。
そう書かれた手紙をポケットに突っこみ、俺はどういう事なのかを考えながら、駅へ向かった。