母校の恋(4)
学校の廊下を小走りで進みながらも、私はできるだけ心を落ちつかせて、煙が無いことを確認する。休日の早朝の学校は誰もいない事が前提になっているので、出火場所の放送が入らない。その為煙がないかを確認して進んでいくしかなかった。
一番出火の可能性があるのは宿直室か職員室だ。出口がある職員玄関はとても近い場所にある。煙が増えてきたら窓から脱出も考えてはいるが、今のところ煙は感じない。焦げた臭いはまったくないし、視界が悪くなる事もなかった。
やはり誤報なのだろうか?
そう思いつつ職員室の前を通った瞬間、ガタガタという何かが崩れる音が聞こえた。
足早に立ち去ろうと思っていたのだけれど、その物音に私は足を止める。出口までは後少しなのですぐさま逃げる事は可能だ。でもならばどうして警告音が鳴り響く中で、玄関に近いこの場所で物音がするのだろう。
誤報だった為この音を止める為に誰かがここで四苦八苦しているのかもしれない。でももしかしたら、この音にビックリして、動けない状況になっている可能性もある。
動けない状況だった場合、私が助ければ、きっとどうしてここに私が居るのかという話になるだろう。でももしも警告音が誤報ではなかった場合、私は職員室の中を確認しなかったことを後悔する事になるかもしれない。
私は少しだけ悩んだが、【無関心】の能力を発動したまま、職員室の扉を開く。
誰かいないだろうかと見渡して、すぐに職員室の中に小さな子供の姿を発見した。教師の机の上にあったものを崩してしまったらしく慌てて拾っている。
普通に火事だった場合そんな事している暇はないわけで。私はこの少年が何をしているのだろうかと観察する。最悪煙を感じ始めたら、職員室に設置されているドアから外へ逃げ出せばいい。
「最悪だよ」
悪態をつきながら少年は拾い終わると、何かを探している様子だった。どうやら少年は特定の机に用事があるらしくその机だけ念入りに探している。
「アイツ、どこに隠したんだ? 非常ベルも止められちゃったのに」
気が付けば確かに非常ベルは音を鳴らすのを止めていた。宿直をしていた教師が止めに行ったのだろう。
しばらく見ていたが、どうやらこの誤報がこの少年が引き起こしたものだと判断した私は声をかける事にした。
「何を探しているの?」
「ギャ――」
悲鳴を上げられそうになり、私は慌てて口を塞いだ。
私の能力は消えるではない。その為誰かが騒ぎ、私の存在をアピールすれば消えてしまう程度のものだ。私自身学校に忍び込んでいるので、教師に見つかるのはマズイ。
「叫べば宿直の教師が来るけどいいの?」
問いかけると、少年は首を横に振った。
やはりこの少年はちゃんと教師から許可をもらっているのではなく、こっそりと中に忍び込んでいたらしい。
「騒がないと約束するなら手を放すけれど」
私の言葉に今度は縦に首を振ったので、私は少年の口から手を話した。
放した瞬間、私から少しだけ距離をとった少年は、警戒した様子で私を見上げる。気が強そうな顔つきの少年だが、小学生のころの私ならいざ知らず、今の私だとそれほど怖くはない。ただこの少年の能力が何か分からないので、私よりも全然強い可能性はかなりある。
「……オバサンも何か盗みに来たのか?」
「いいえ。用事があったから来ただけ。オバサンもという事は、あなたは盗みにきたという事でいい?」
「うっ」
自分で自分の状況を暴露してしまった少年は、しまったという顔をする。職員室に忍び込んだ事は悪い事だが、元来の性格から、悪い事ができないタイプなのだろうなと思う。
「私自身褒められた事をしていないから、普通には警察に貴方を引き渡すことはできない。けれど、悪い事をしようとしているならば、貴方へ何らかの制裁を加える事はできる」
「せいさい?」
「例えば匿名で、貴方がここに忍び込んでいた事は伝えられるけれど。みうらゆうすけ君?」
「何で俺の名前を。もしかして【さとり】の能力者なのか?!」
「いいえ。ただ上靴に書いてあるから」
わざわざ上靴を履いてくるなんて律儀というかなんというか。
それに気が付いた少年も顔を赤くする。
「くそっ。持ってくるんじゃなかった……」
「とりあえず、お友達が隠れている場所へ案内してくれる?」
「なっ……。お、俺が1人で取り返しに来ただけだから。仲間なんて誰もいねぇよ」
「職員室から一番遠い場所の非常ベルを鳴らしたんだよね? 非常ベルは鳴らした場所へ行かないとサイレンが止まらないから。ちなみに、サイレンがなった瞬間、消防署にその事が伝わって、ここへきてしまう可能性が高いけれどどうする?」
少年はそこまで深く考えていなかったらしく、ギョッとした顔をした。そして、泣きべそをかきそうなそんな表情になる。
「……どうしよう」
私がこれ以上関わるようなことではない。だからここで、さようならをして、彼らがどうするのかまで確認する必要はなかった。
そもそも、彼らに対して無関心を装い、声をかけないという選択だってあったのだ。ただ以前学校へ用務員として入った時、生徒に先生と呼ばれ頼られ、仲良くなった。その感覚もあって、何となくこのまま見捨てるのは良くないと思ってしまったのだと思う。あの時、子供というのは良くも悪くも発展途上なのだなと思ったから。
「私が忍び込んだ事を黙っていてくれるなら、助けてあげる」
私が誰なのかの情報を彼に与えてはいないし、彼自身私を学校で見たといえば自分が忍び込んだ事がバレてしまうため、誰かに私の存在を伝える事はないだろう。
だからあえて口止めなどする必要はないと分かってはいたが、何か条件がなければ少年も私の言葉を信用したりしないと思い言ってみる。
「もしかして、オバ――姉ちゃんは、女盗賊なのか?!」
「……違うけど」
女盗賊。
あまりやった事はないが、ゲームの世界で出てきそうな職業名だ。盗賊……つまりは泥棒という事なのだろうけれど、もう少し別の表現はなかったのだろうか。
「じゃあ――やべっ。帰ってきた。姉ちゃんも隠れて!!」
そう言って、少年が私の腕を引っ張って机の下にもぐった。
少しして、ガラッと扉が開音がする。教師が戻ってきたらしい。ビクビクと震える少年を見ながら、足音を確認する。
ちらりと机の下から見えた足は大きかったので、たぶん男の教師だ。
「どうして分かったの?」
少年の耳元で囁くようにして尋ねる。少年は引きつった顔の私を見て苦笑した。
「流石女盗賊……。度胸ある。俺の能力は【百目】で、【目】を書いた場所を見る事ができるんだよ」
初めて聞く能力だ。
つまり彼は、ここではない別の場所を目視してこの教師が帰ってきたのを確認したという事だろうか。
「ヤバい。こっちに来るよ」
足音だけで確認している私には分からないが、少年には私にはみえないものがみえているようだ。
「落ち着いて」
「だって」
「怖いなら目を閉じてもいいから、落ち着いて。私が隠してあげるから」
とりあえず、少年を抱きしめ、そのおでこにキスを落とす。正確に言えば、唾をつけるのが目的で親愛などはゼロだけど。
「あれ?」
しばらくしてガラガラと扉が開く音がして教師の足音が消えた。
どうやら適当にこの部屋を確認し、特に何もないと思ったらしく、職員室の外へ出ていったようだ。机の下を覗く様子もなかったので、上手く私の能力が効いたらしい。
「何でこの近くを通ったのに気が付かなかったんだ?」
「それは私が【無関心】の能力――」
「やっぱり女盗賊はそういうスキルがあるんだな! 姉ちゃんすげぇ」
キラキラとした目を子供から向けられて、私はどうしたものかと内心首をかしげる。私はそんな職業になった覚えもなければ、それが結局何をする職業なのかも良く分かってない。
「なあ、姉ちゃんに助けてもらいたいんだ。俺の仲間を紹介するからさ」
「私は悪い事はしないよ」
とはいえ、小学生が職員室に入ってやる悪い事は何だろう。金銭目的はないだろうし、小学生のうちからテストの問題を盗むというのもないと思う。
「今流行りの、義賊という奴だな!」
「えっと、流行ってるの?」
義賊は流行り云々のものだっただろうかと考えるが、もしかしたら彼らが読んでいる漫画などにそういうものが載っているのかもしれない。
「とりあえず、仲間を教えて。話はそれから聞くから」
「良いぜ。姉ちゃんにはカリがあるしな。こっちだよ」
少年に手を引っ張られながら、私は再び校舎の中を歩いた。