母校の恋(1)
ピピピピピピ――ピッ。
パシッと目覚まし時計のボタンを押した私は、むくりと起き上がった。
そしてパジャマ姿のまま、洗面台に向かい、顔を洗う。いつもの一連の流れでタオルで顔を拭いた所で、自分の後ろに紙が貼ってあるのに気が付き、セロハンテープで貼られた広告を剥がす。そこには、日記を読む事と書かれていた。
そしてさらに、これは夢ではないとも。
「……うっ」
明らかに自分の字だ。
そして、お酒を飲んだりしない私は早々記憶をなくすという事もなく、しっかりとこの紙を書いた時の状況も覚えていた。色々覚えていたが、とりあえず私は、昨日の私の指示に従って日記を本棚から取り出した。
パラパラとめくり日記に記した昨日の文面を見た所で、バタンと閉じる。
そして深く深くため息をついた。一晩眠って、少しは動揺も落ち着いたはずなのに、忘れたはずの動悸が蘇り目を閉じる。
「うぅぅぅぅっ」
口からはうめき声が漏れる。
「うぅぅぅ……何で」
何故……。
私は覚悟を決めもう一度日記を開いた。
そこには私の文字でこう書かれていた。
『佐久間に告白された』と。
その他の文章は、今回病院で起こった事件についてのまとめが書かれていた。ただ、一文。そう、ただ一文だけが、私に衝撃を与え続ける。
「何で」
何故佐久間は、私を好きだと言ったのだろう。喜びよりも戸惑いの方が強すぎて、自分の気持ちすら上手くまとまらない。
そんな私は佐久間に告白されたにも関わらず、まだ佐久間に何の返事もしていない。
それは佐久間が今すぐ返事しなくていいと言ったからでもあるし、私が呆然としてしまってすぐに返事を返せなかったからでもある。
また佐久間は、告白された事で呆然としてしまった私に気を使ってか、すぐに告白なんて何もなかったかのように別の話題を話し始めてしまい、結局私はあの後何も喋る事ができなかった。そしてそうこうしているうちに明日香と近藤さんが戻ってきてしまったのだ。
だから何もかもが宙ぶらりんな状況。
更に日記に挟まれた、『組織職員申し込み』と『能力ランク見直し申請』の2枚の用紙もどうしたらいいのだろうと答えを出せずに放置されている。
どちらにしろそれぞれに、答えは出さなければいけないだろう。
誰かに相談をしたい所だけれど、真っ先に思い浮かんだ明日香は駄目だと思い、私は頭を振った。そして同時に、もしも佐久間に告白されたことを明日香が知ったらどう思うのだろうと考え不安になる。
私は明日香も佐久間の事が好きだという事を知っていて、ずっと佐久間は明日香と付き合うのだろうと思っていた。いや、そうなればいいと思っていた。
私が佐久間と付き合うという考えはまったくなくて、だからこんな現実が待っているなんて思ってもいなかったのだ。
佐久間は好きだ。でも明日香の事も好きで、私が佐久間と付き合ったら、きっと明日香は傷つくだろう。ただここで私が佐久間と付き合わないという選択をしても、きっと誰よりもまっすぐで正義感あふれる明日香は怒るに違いない。
だから……私がどちらを選んだとしても、もう明日香とは今までのような関係では居られない。
折角できた友人を失うのが怖くて、私は立ち止まってしまう。
「……そうだ」
私はふと相談相手を思いつき、日記を閉じて立ち上がる。本棚に日記を戻そうとして、でも相談に向かう間に夢オチだったのではないかと思考が向かっていきそうなので、鞄の中にしまう。きっとその相手に会った時にこれがないと、私は白昼夢でも見たのではないかという気分になって、相談できない気がするので。
それぐらい、佐久間の告白は、私には実感がないものだった。そもそも付き合うとは何をするのだろう。
分からない事だらけだ。それでもこのまま立ち止まる事すらできない場所に居るのだから、進むしかない。
今日は夜にしか仕事が入っていないこともあり、私は出かける準備を始めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
【市立若葉小学校】と書かれた門の前で、私は【無関心】の能力を発動させた。門には、関係者以外立ち入り禁止と書いてあるが、無視して中へと入る。関係者以外立ち入り禁止と書いてあるが、ここには防犯システムは特に置いていない上に、門には鍵すらかかってはいない事を知っているので、遠慮なく入れる。
久々にというか1年ぶりに入った小学校は、特に変わっていなかった。ただ休みの日の早朝だった為、誰もいない。
「そう言えば、佐久間と会ってから、そろそろ1年になるんだ」
最後に小学校へ足を運んだのは、佐久間と会う少し前だから、そういう事になる。
デパートで掃除中に空から降ってきた住む世界のまったく違う青年が、これほど身近な存在になるなんてあの時は思いもしなかったことだ。
ずっと、同じ日常が続くのだと思っていた。ずっと1人で掃除をして誰にも気が付かれずに、息を潜めるように生きていくのだと思っていた。
すでに佐久間からは、とても多くのものをもらっていて……それなのに、これ以上を望んでしまってもいいのだろうかと不安になる。
付き合うという事は、私の知識が間違っていなければ、恋人同士になるという事だ。好きの先にあるもの――私には一生縁がないと思っていた事。
そして私にそんな奇跡が起こった時に、誰かが不幸になるだなんて知らなかった。
私の中で佐久間は好きだし大切で、でも同じぐらい明日香も好きで――。
私はそっと職員玄関から校舎の中へ足を踏み入れる。
今日は日曜日だけど、宿直さんが居て、ここは朝7時から開いているのだ。もうしばらくしたら、少年野球の子達がやって来る為に。
土足で上がるのは良くないので、靴を脱ぐ。そしてその靴を手で持って廊下を進んだ。誰もいない小学校はとにかく静かである。
とても多くの児童がここで一日に大半を過ごすのだから広くて当前なのだが、この誰もいない広い空間は妙に寂しさを覚えさせる。まるで世界に自分しかいないのではないかと錯覚させるような、そんな静けさだ。
私はそんな静けさで包まれた空間を、ひたひたと小さな足音を鳴らしながら歩く。足の裏がひんやり冷たいのが余計に心細く感じる原因かもしれないし、相談しに行く内容が内容な為不安があるから居心地悪く感じるのかもしれない。
私は職員室の前を通り、保健室の前を通り過ぎる。保健室便りなどが自分の目線より低い位置に貼られていて、昔はこんなに小さかったんだなと思う。
昔から自分はあまり変わっていない気がするが、こうやって見ると徐々に変わってはいたのだろう。変わらない――不変なんて存在しないのだ。
【図画工作室】と書かれた部屋へやって来た私は、そっとドアを開け、中に入った。図画工作室には、いくつか児童の作品が置かれている。卒業してしまった児童のものもあるし、在学中の児童のものもある。
何故卒業した児童の作品まであるのかと言えば、作品に能力が加わって変化してしまったものだからだ。能力を練り込んだ道具として多いのは【無効化】の能力で、かなり需要も高い。また【印象画】の能力なども有名だ。でもいざ家にそんな作品を持ち帰ろうとしても迷惑だったりするもので、その場合はここに仕舞われる。
そして私は、ここに展示されていた作品の中で、一つだけ小学生の時にこっそりと隠したものがあった。教師もいちいち何があるかを確認していないようで、特に問題になった事はない。
隠したのは、一枚の置き鏡だ。枠が手作りで、粘土で作られている。もしかしたら、当時は在学生の作品だったかもしれないので申し訳ないけれど、私はその作品に救われ、なくなるのを恐れて、自分の血をその鏡につけた。その時に妙な【能力変化】が起こったらしく、結果的に隠さざる得なくなってしまった作品だ。
私の能力は普段発動していなければ、物に対しての付与も効果が切れてしまうのだが、その【鏡】に対しては、私が能力の発動を止めても【無関心】の能力が持続し、私以外は気が付かないようになっている。
能力の掛け合せにより、まるで化学反応が起こるかのように新しく啓発する能力については、現在研究段階でまだそのメカニズムも何も分かってはいない。それでも偶然ここで引き起こしてしまったのだから仕方がない。
そんないわくありの【鏡】を手に取り、机の上に置いた。そしてその前の椅子に座る。
「こんにちは」
必ず目的の者が映るとは限らない。事実、鏡には誰も映っていない。ただし私すら映していない鏡は、どう考えても普通の鏡ではないのは確かで、能力が消えてしまったわけではなさそうだ。
しばらく待っていた時だった。
ゆらりと揺れて、鏡に男が映る。黒髪黒目の大和人顔で、私によく似た顔だが、喉仏が出ていたり、私より明らかに短い髪である為、私ではない。
幼いころはもっと瓜二つだったが、年をとるごとに、ここに映し出される彼は違う人物となった。
彼が何かは知らない。並行世界の私かもしれないし、私の姿を借りた幽霊かもしれないし、神様とかそういう類かもしれない。
それでも、【無関心】の所為で喋る相手がいなかった小学生の私にとっては、とても大切な友人だった。
『ひさしぶりだね。もう僕の事は忘れてしまったのかと思ったよ』
そして一年ぶりに会った鏡は、開口一番少しすねた口調でそう喋った。




