病院の恋(4)
「どういうつもりかしら?」
美女にすごまれると、通常の2倍恐ろしい気がするが、更にここに影路の姉という肩書がつくとその10倍は威圧感を感じる。
俺は何故か、ベットの上で正座をするという状況に陥りながら、どうしてこうなったと心の中で叫ぶ。
「どういうつもりも、こういうつもりも……」
ぶっちゃければ、俺は何もしていない。
「私たちは、ただ佐久間さんの状態を見に来ただけですよ。ねぇ」
「そうでーす」
「今日入院されたばかりなので、ご挨拶をと思いまして」
看護婦さん達はそれぞれ影路姉の質問に答えるが、影路姉の威圧感は変わらない。
更に看護師さん達が、まさか妊婦に手を出したのかしら?、それとも結婚はしてないけど妊娠させた?などとない事、ない事をこそこそと耳打ちしあっている声も聞こえて泣きたくなる。
俺はそんな酷い男じゃないというか、誰かと付き合った経験なんてないと若干自分へもダメージのあるツッコミを入れたくなるが、そんな無駄話を俺がすれば影路姉の火に油を注いでしまう。
「挨拶ねぇ。そこの一番若い看護師さんは、内科じゃなくて、産婦人科担当だったと思うけれど?」
「えっと。今日は、ヘルプで入っているんですぅ。人が足りないから」
「人が足りないというわりに、こんな場所に3人も集まっるって、おかしくないかしら?」
うん。俺もそう思う。
こんな大勢どかどかとやってこなくてもいいのにと。とうとう来たかモテキと言いたい所だけど、俺の好きな人は決まっているわけで。
その本人を見るのだけど、……まったく普通な様子に、やっぱり脈なしかと悲しくなってくる。今まで色々アピールしているつもりだけど、ここまで綺麗にかわされ続けると切ない。ただ唯一の救いは、影路には好きな相手がいないところだろう。誰に対しても俺と同じような対応だ。
唯一、明日香が俺よりも仲がいいんじゃないかと思うが、2人にレズの気配はないので大丈夫だと思う。
「医院長から言われたんです。Aクラスの人だから、失礼のないようにしろって」
あ、モテキじゃなかったんだ。
少しだけがっかりしても、男の子なんだから許して欲しい。でもそれならば納得だ。俺らが派遣されるという事は、幽霊が現れる病院の噂を消したいと思っている依頼主が、必ず1人はいるという事。たぶんその医院長が、依頼主で間違いないだろう。
警察だけでは解決できない仕事を俺らが請け負うのも事実だけれど、警察が動いてくれない仕事もまた回って来る。今回の事件は、誰かに危害が加えられているわけではないので、後者というわけだ。
「ふーん。特別サービス、白衣の天使ハーレムなんて良いご身分ねぇ」
「俺の所為じゃありませんから」
影路姉には、俺が影路の事が好きだという事がすでにバレている。浮気ではないと一応未来のお姉さまになって欲しい相手に言い訳をするが、その目は笑っていない。
くそっ。何で、神様は俺にチャンスをくれないんだと思うが、たとえチャンスをくれても、現在影路との進展はないので、上手くいかせる可能性は低い。影路と出かけられるのは、大抵仕事で、仕事じゃないと思えば組織からの仕事が臨時で入って――、ヤバい。目から鼻水が出そう。
「佐久間、私は分かってるから。お姉ちゃん、佐久間は女性を悲しませるような人じゃないから、そんなに責めないで」
うん。影路。たぶん、分かってないよな。
鋭い影路の事だから、白衣の天使ハーレムができているのは依頼が関係するだろうと今の会話で気が付いていそうだ。でも俺が悲しんでいるのは、影路がまったく嫉妬もせずに、脈なしの現実を突きつけてくれる事だ。友情はありがたいけれど、愛情でなく無常で溢れている現実がつらい。
「冗談よ。私も、この激ニブ女心が微塵も分かっていない、馬鹿男がそこまでモテモテになれるとは思ってないわ。良いのは、ルックスと能力だけだし」
「色々酷い言われようじゃね? ……嘘です。ごめんなさい。俺は、ミジンコ以下の脳みそしかない男です、はい」
ギロリと影路姉に睨まれて、俺は負けを宣言した。うん。これはいわゆる負けるが勝ちなのだと思う。というか負けないと、精神面が再起不能にされそうだ。
「えっと、佐久間。そう言えば、お姉ちゃんと知り合いなの?」
「前にお見合い会場で会ったんだよ」
看護師たちが、見合いの末にやっぱり未婚の母にしたの?や責任をとらないつもりなの?などという不名誉極まりない事をボソボソと囁き合っている。いや、影路姉とは全く持って赤の他人だから。
これは、後から好奇心いっぱいの看護師さん達が次々にこの部屋へやって来るかもしれない。良いのか悪いのかと遠い目になる。
「そうだったんだ」
「とりあえず、看護婦さん。変な噂を流すのはやめて欲しいんだけど。……俺は一途なんだからさ」
勇気を振り絞って影路を見るが、影路は俺を見ていなかった。俺を通り越して窓の方を見ている。……なんだろうこのしょっぱい気持ちは。
「きゃあぁぁぁぁっ!!」
しかも看護婦さんには叫ばれた。
ちょっと悲しい。何、そんなに、俺は寒いですか。そうですか……ん?
1人で不貞腐れた思いでいると、全員の視線が俺を通過して窓を見ているのに気が付いた。しかも、影路が、俺のベッドの上に突然乗り、窓に張り付くように外を見る。
「どうしたんだよ」
「今、人が落ちた」
「人が――はぁぁぁ?!」
マジで、自殺かよ。
俺も慌てて窓の外を見るが、上手く真下の方は見えない。窓ガラスを開けたいが、どうやら少ししか開かないになっているようで、上手く開けられない。
それも俺より先に飛び降り自殺に気が付いた影路の方が試していた。そして影路は、ベッドから降りると、病室から飛び出す。俺も慌ててスリッパを履くと影路を追いかけた。
「影路、こっちの方が早い」
俺はエレベーターの前で止まった影路の腕を掴んで階段へ向かう。現在俺が入院している場所は屋上から2つ下の階だ。ここでエレベーターを待って1階へ降りて玄関へ向かうよりも、屋上に出た方が早い。
俺は影路を引っ張るように屋上へ駆け上がった。屋上へ出る非常扉のノブを回すが、鍵がかかっているようで開けられない。そりゃそうだ。自殺なんてされたらたまったものではないから、ドアに鍵だってかげるだろう。
俺は手の周りに風を集めて、そのままそれを扉に向かってぶっ放した。
ゴウッという音と共に、蝶番が壊れる音が聞こえ、扉はバタンと扉が前倒して倒れる。倒れた扉をよけながら俺は屋上へ出ると周りを見渡した。
俺の病室は西側だから――。
「佐久間、こっち」
影路に手を引かれながら今度は移動する。
特に遺書や靴は置いていない。俺たちはフェンスを掴み下をのぞき込む。
「……いない」
先に現状を言葉にしたのは影路だった。
下をのぞき込むが、外の様子はいたって穏やかだ。中庭を歩く人も特に何か変わった出来事が起こったような様子はない。
とても飛び降り自殺があったようには思えない様子からみても、俺らが見ている角度が悪くて自殺者がみえないわけではないと思う。
「とりあえず、降りるか」
「えっ?」
ここから眺めても状況は変わらなさそうだ。影路の事だから俺の病室がある方角を間違えたという事もなさそうだし。
俺はフェンスを乗り越え、影路を見る。
「ほら、影路も」
「えっと」
「大丈夫だって。俺が支えてるから。落ちても俺が風で受け止めるし」
流石にフェンスを乗り越えるのは勇気がいるようで、影路が躊躇していたので笑って手を差し出す。確かに俺みたいな能力がないと、怖いよな。
影路みたいに能力を他者に渡せたらいいのだけど、生憎と俺の【風使い】の能力はそれができない。というか、影路の能力が特殊で大抵の能力がそうなんだけど。
影路は意を決したようで、フェンスに手をかけるとよじ登り降りる。俺が手を差し出すと、珍しく積極的に俺の腕にしがみ付いた。
「やっぱり死体はないなぁ」
真下を見下ろすが、死体は見当たらない。
でも1人が見ただけではなく、たぶん窓ガラスの方を向いていた全員が見たのだから見間違いではないと思う。
「とりあえず下に降りるか……影路?」
ふとに隣にある影路の顔を見ると、その顔色は蒼白になっていた。しがみ付いてくる力も強い。胸が――などと不埒な事を考える余裕もないぐらいに。
そして俺の声掛けにも緩慢というか、聞こえていないというか……。
「もしかして、影路って高所恐怖症?」
反応がない。
でもその顔は恐怖で硬直していて、肯定している様なものだ。俺は影路を抱きかかえると風を使って飛び上った。ヒッと小さな悲鳴が聞こえて、俺は下へ降りるのではなく、フェンスの向こうへ戻る。
「影路」
「……あっ? えっ? 何で」
元の場所に戻った事に驚く影路のおでこを俺は小突く。忘れていた。影路は、かなり我慢強いのだ。怪我をしても痛いと言わない。
「嫌な事は早く言ってくれよ。俺はその、察するとか苦手だからさ」
「ごめん。大丈夫だから」
そう言う影路の顔色はやっぱり良くない。それでも大丈夫と言ってしまうのは、影路が仕事の手を抜かい性格だからだろう。そして手を抜かない理由は、自分なんて簡単に首を切られてしまうと思っているから。
……くそっ。
影路の性格は知っていたはずなのに。嫌な事を何度も強要してしまっていた自分が悔しい。
「影路。何でもできる人なんていないんだ。だから俺は影路に協力者を頼んでいて、影路を頼りにしてる。だから、影路も嫌な事は嫌だと言って欲しい。頼りないかもしれないけど、俺を頼ってくれ」
俺はそう伝えると、自分に苛立ちながら風を使って空を飛び、1人中庭へ降りた。