学校の恋(6)
「影路先生っ! 助けて下さい!!」
「えっと……助けて?」
確かこの子は、毎朝花壇に水を上げに来ている子だ。
最初はジョウロの貸し借りのやり取りしかしていなかったが、私が怪我をしてからとても親身に園芸の手伝いをしてくれるようになった。エディは朝が弱いのか登校が遅いので、園芸の手伝いはほぼしてもらえない。左手で草を抜いたり、肥料を撒いたり、水をやったりは、結構大変だったので、運ぶのだけでも手伝ってもらえるのは本当に助かっていた。
「影路先生は、佐久間先生と知り合いなんですよね!」
そういえば、以前佐久間と話している所を見られていたなと思い出す。
佐久間、何をやったんだろう。生徒から助けを求められるとはただ事ではない。
「そうだけど。佐久間は、少し短気だけど、良い人だよ?」
もしかして、誰かが佐久間を怒らせてしまったのだろうか? 怒っても佐久間はあまり能力で攻撃してくることはないけれど、確かに年上の男に怒鳴られたらすくみ上るのも分からなくはない。
「そうなんです。いい人すぎて……凄くいい人すぎて、泣きそうというか、死にそうというか。もう限界なんです」
「いい人だと悪いの?」
これは、佐久間先生を好きになってしまいそうなんですという話なのだろうか? それにしては、この女子生徒は顔を赤くするとか、そういうのがみられない。
ただ必死に現状の問題を訴えている。
「私、実はDクラスで……えっと。影路先生は、BクラスvsDクラスが行われようとしているのを知っていますか?」
「いえ……知らないけど」
何だそれ。
というか、どうしてそんな格差対決が起こってしまっているのだろう。普通に考えれば、Bクラスの圧倒的勝利しか結果がみえないのだけど。
そもそも、能力の種類が違うので、どういう対決をするつもりだというのもある。
「佐久間先生が、何故か打倒Bクラスといいだして、私たちの【能力開発】の授業を見てくれているんです。ものすごくありがたい話なんですが、Aクラスの先生が同じ空間にいるだけでも私たちには神々しいというか、死にそうというか、意味が分からないというかっ!!」
状況を全て理解したかとといえば微妙だが、彼女が混乱しているのだけは良く分かった。どうやら佐久間がDクラスの生徒をおかしなことに巻き込んでしまったらしい。
それにしても、どうしてそんな無謀な事を。
「私、まだ死にたくないです」
「……多分、そういう事はないようにしてくれると思うけど。ちなみに貴方はどんな能力なの?」
「【開花】の能力で、花を咲かせるだけの能力なんです」
確かに、通常は使わないタイプの能力だし、Dクラスに分類されそうな能力だ。ただ特定の職業によっては重宝されそうでもある。
「とにかく、影路先生! お願いします。佐久間先生の暴走を止めて下さい」
あまりにも必死な様子に、いいですよと二つ返事で答えてあげたいところだが、佐久間の思惑が分からないので、中々そういうわけにもいかない。
「話してみるのはいいけれど。授業を考えるのは佐久間の仕事だから……」
「ありがとうございます、影路先生。Dクラスで頼れるのは影路先生だけなんです!」
「ただ。あまり期待されても困る。他の先生にも相談してみた方がいいかも」
DクラスだとDクラスに話かけやすいのは分かる。
しかし、学校の問題は用務員ではなく教師に相談するのが一番だ。勿論Dクラスの話なんて聞いてくれない先生も中にはいるが、世の中そうとも限らない。公平な先生は必ずいる。
「分かってるんですけど……実は、私。違うクラスの人と話すのが苦手で……どうしても緊張してしまうというか、恐れ多いというか……。以前、Bクラスの【念力】の能力者の生徒会長に声をかけられた時なんて、心臓が飛び出て死んでしまうかと思いましたし」
その感覚は分からないわけではない。
私もAクラスと話してはいけないと思っていた時期があった。彼らと私は別の世界の人間なのだと。実際、佐久間はこの世界の主役だと思う。でも私は決して別世界にいるのではなくて、同じ世界の登場人物ではあるのだ。
「心臓が飛び出るって、もしかして、その人の事が好きなの?」
「すすす、好き?! 好きなんてとんでもないです。……ただ、憧れなんです。Dクラスの私にも、分け隔てなく優しくしてくれたから」
顔を真っ赤にしながら女子生徒は喋る。なるほど。好きなのか。
アイドルみたいとかなんとか、いっぱい言い訳をしてくれているが、まぎれもなく、好きだと言っているようにしか聞こえない。
「とにかくただ、見ているだけで十分なんです」
「……そういうのは、分かる。でも、後悔はしないようにした方がいいと思う。それと他のクラスだから話せないというのは、学校を卒業してから困ると思うから、克服しておいた方がいい」
まあなるようになるので、生きていく上で必要に迫られれば、事務的なことぐらいは喋れるようになるものだけれど。それでも、ある程度学生時代に慣れておいて損はない。
同級生がハードルが高いなら、面倒見がいい教師でもいいとは思う。この世界で、Dクラスなんてかなり数が少ないのだ。どう頑張っても、社会に出たら他のクラスとも喋るしかない。
「ですよねぇ……。分かるんですけど。影路先生が来る前の先生とは話せたんですけど、その先生もDクラスの方だったので」
そう言って、溜息をついた。まあ、中々こういうのは一歩踏み出せないというのも分かる。安定してしまっていると、その日常を壊すにはとても勇気がいるのだ。
「そう。だとしたら、佐久間のやろうとしている事は、いい荒療治にはなるかも」
「えぇぇぇっ。そういう事言いますか?! Bクラスと対決なんて無理です」
「うん。でも、Aクラスの佐久間とは話せるようになるから」
少なくても、Dクラスとしか話せませんなんて状況からは脱却できるとは思う。それだけでも価値はある。最高ランクであるAクラスと話せるようになると、ああ、こんなものかと他のクラスとも話せるようになるはずだ。
「いきなりAクラスはハードルが高すぎます」
「なら、Bクラスの生徒会長と話す?」
「あうぅぅぅ。影路先生、意地悪です」
頭を抱えて、ぶんぶんと首を振る。
何というか、恋する女の子というのは凄く可愛い。
「あっ、とにかくそろそろ授業に行かないとなので、失礼します」
そう言って、女子生徒は走り去っていった。何というか、本当に――。
「影路ちゃん、今、可愛いなぁと思ってるでしょ」
「……エディ。来たなら、途中で声をかけてくれてもいいのに」
振り向けばパンダ。
今日も今日とて重役出勤ならぬ、重役登校のようだ。すでに昼休みも終わろうとしている。エディの場合、アメリカで大学は卒業しているので、授業など出なくても問題ないのかもしれないけれど。でも、潜入任務としてはどうなんだろう。
「えー。僕は、可愛いパンダさんだけどー、可愛らしいJK恋バナに参加はできないよー。てへぺろ?」
「エディは私より十分可愛いから大丈夫だと思う」
てへぺろと言って似合うのは、多分エディのキャラだからだ。
「そんな事ないよ? 影路ちゃんも可愛いから。二次元としてはまずまずのルックスだと思うよ?」
「夏目ちゃんに似てるから?」
「そうそう。あのコスプレが似合いそうな人ってなかなか居ないんだよねー」
コスプレが似合うと言われて喜んでいいのかどうなのか分からないけれど、エディ的には最高の褒め言葉なのだろう。
「それで、佐久間の授業に参加するのー?」
「仕事中だから、できれば、時間外で佐久間には声をかけてみようとは思うけれど……」
「えー、でもさ、授業に参加しないと、あの愛梨ちゃんの言ってる事が正しいのか、佐久間がやってるのが正しいのか分からないよね?」
「名前、知ってるんだ」
知り合い……という事はないだろう。学校でしばらく、エディを見ていて気が付いたのだが、エディは同い年の生徒には絶対話しかけない。教師ぐらい年齢が離れていれば問題ないようだが、同じぐらいというのは、彼の中では警戒対象なようだ。
だとするとそれでも名前を知っているのは流石、エディの情報網という所だろうか。
「影路ちゃんが怪しいと言っている生徒会長と接点がある子だからねー。ばっちり個人情報は握っているよ。花園愛梨、高校3年生。園芸部部長。といっても、部員は全員ユーレイだから、実質活動してるのは彼女だけ。部長は部長会に出席しなくちゃいけないからね」
なるほど。園芸部だったのか。どおりで、毎朝水をあげに来てくれるわけだ。
「にしても、何で生徒会長が怪しいの? もう教師のパソコンから、ホームページへのアクセス情報とデータは見つけられたのにぃ」
そうなのだ。
実を言うと、すでに教師のパソコンの中にホームページの情報があったと、エディから病院で聞いた。それを佐久間と明日香にしばらく内緒にしてほしいとお願いしたのは私だ。
「エディに聞いたアクセス時間は、私があそこの場所に入った時間とそれほど変わらなかったから」
「別にそう言う偶然があってもおかしくはないんじゃない?」
「あの時間、職員室にはかなり教師がいたの。生徒なら放課後に学校に残れる時間が限られているから、あれぐらいの時間になるかもだけど、教師ならもっと人がいない時間を狙うと思う。例えば、授業中で人が少なくなった時間、もしくは放課後でももっと遅い時間」
人間の心理的に疚しい事をするならこそこそと行うものだ。いつ背後に人が立つか分からない状態で、堂々とパソコンで私用の事は出来ない。
「まあ、用意されすぎかなって思ったけどね。じゃあ、何で生徒会長が怪しいと思うんだい?」
「エディ、窓ガラスはガムテープの貼られた場所から割れていたって教えてくれたよね」
「そうそう。あそこを狙って石が投げられて割れたって先生が言っていたかな。元々割れていた窓ガラスだから、余計に派手に割れたみたいになったんじゃないかって。実際、ガムテープは取れてしまっていたし」
私はあの時何かが飛んできたのかどうかも確認できなかったから何とも言えない。
でも、もしも本当にガムテープの部分に石が当たったなら変なのだ。
「あの時、大きな割れた音がしたの」
「割れた音?」
話をしていると授業が始まるチャイムの音がした。
見渡せば、もう誰も生徒が校庭には居ない。
「とりあえず、佐久間の授業に潜入準備が先かな? まあ、これだけ調べたんだしー、組織も文句はないと思うんだよねー」
えっと。どうなんだろう。
あまり中途半端な報告だと怒られたりしないのだろうか? まだ絶対の答えは得ていない。
「というわけで、佐久間の授業への潜入方法を僕が考えたから。さあ、行こうよ! 影路ちゃんの仕事も休憩、休憩」
「エディ、もしかして佐久間のしている事、楽しんでる?」
「当然さ!」
エディは何かに臆することなく、堂々と言い放った。