学校の恋(4)
「失礼します。電球取り替えます」
職員室の入口でお辞儀をした私は、脚立を持ちながら中に入る。しかし誰一人私を気にする者はいない。なぜならば、私は今【無関心】の能力を発動させて職員室の中にいるからだ。
冷静に、冷静にと自分自身の気持ちを落ち着かせながら進んでいく。
1年生の主任の能力が【読み取り】だから触ってはいけないと言われたので、このパソコンは駄目と目視でその席を確認する。
……でも、もしも私が能力を発動中だった場合、どの程度まで読み取られてしまうんだろう。
【無関心】は消えるわけではないので、行動履歴は残る。となれば読み取りは可能だ。でも、その情報を次の段階に進める時にどういう反応に――。
「今日は止めよう」
最近自分の能力の使い方について考えるようになったので、少し気になるところではあった。
しかしここでミスを犯せば佐久間達に迷惑をかけてしまう。我慢我慢。謙虚堅実モットーにと心の中で念仏のように唱えながら、空いているパソコンを探す。
ある程度中まで進んだところで、窓際に使われていないパソコンを見つけた。
私はそのパソコンの近くへ移動すると、まず最初に脚立を組み立てた。
こうしておけばもしも【無関心】の能力が無効化してしまった時に、電球を替えに来たと誤魔化せるからだ。幸いな事に職員室の電球は1つ切れかけて点滅している。さらに誤魔化す為の道具として窓拭きの道具も準備したので、窓側というのは場所的にとてもいい。ただ窓ガラスが割れたばかりなのか、ガムテープが貼られているので、あまり窓拭きはしない方が良いかもしれないけれど。
一通りのもしもの為の小細工を施した後に、私は心を落ち着かせながらパソコンの電源を入れた。
電源が入ったパソコンに、Ctrl+Alt+Deleteキーを押すとパスワードを打ち込む画面が表示される。ここまではエディに事前に聞いた通りだ。
ゆっくりと確実にキーボードを押し、マウスでクリックする。突然パソコンが想定外の動きをした時に動揺してしまうといけないので、間違えは最低限にしなければいけない。パソコンに不慣れなのもあって、どうしても作業がゆっくりになるが、ウイルスさえ感染させてしまえば、後はエディがシャットダウンまですべてやってくれる手筈。だから私が行うのは、立ち上げたパソコンにフラッシュメモリーを挿して、ファイルをクリックし、終わり次第抜くという作業だけ。
作業は素人でもできる単純なものだ。
大丈夫、大丈夫と自分に対して心の中でなんども言い聞かせる。慣れない機械というのは、正直失敗しそうで怖い。
パソコンが立ち上がった事を確認した私は、エディから渡されたフラッシュメモリーをパソコンに差し込む。自動起動の表示が出たので、そのままファイルを開くを選びクリックした。
するとダウンロード開始の文字と、砂時計のマークが現れる。後はこれが100%になったら抜き取るだけだ。
私は少し時間がかかりそうなパソコンをそのままにしておき、脚立に上ると、電球を入れ替える事にした。実際に仕事をしておかなければ、何かあった時に不審がられてしまう。
その時だった。
唐突に大きな割れる音が鳴り、自分の方へガラスが飛んできたのは。とっさに体をよじり顔や頭を守るようにしたが、おかげでバランスを崩す。
ガシャンと大きな音を立てて私は脚立と一緒に地面に倒れ込んだ。
「えっ?! 大丈夫ですか?」
まずい。
叫ばずに床に倒れ込む事は出来たが、今ので動揺してしまい【無関心】の能力が一時的に無効化してしまったようだ。音と共に私の姿を確認した先生が、慌てて私の方へ寄って来る。
どうしよう。まだ、フラッシュメモリーを抜いていない。
パソコンの画面の方はどうだろう。ダウンロードはどこまで終わったのだろう。今、抜いてしまっても大丈夫なものなのだろうか? 分からない。
顔を上げて確認する時間がない。
どうする――。
「……大丈夫です。少し手を切ってしまったみたいですが」
「それはいけない。ここは片づけておきますから、保健室行って下さい」
「どうした? 一体何で窓が割れたんだ?」
「またですか? 最近は生徒の悪戯が度を超えていますよね」
私に気が付いた先生と一緒に、ガヤガヤと他の先生も集まって来て窓の外を確認したりする。
「大丈夫ですか?!」
その中で目の前に教師とは違う、学生の上靴が見え、視線をあげた。靴のラインが緑色なので、3年生のものだ。
「今廊下で、職員室に石を投げている生徒が見えたので急いできたんですが」
「そうか。よし、俺は外を見てくるから、天野君は影路さんをお願いできるか?」
「私は大丈夫で――っ」
今はまだ【無関心】の能力を使ったままなので、このまましゃべららないとおかしな事になりかねない。その為私は慌てて伝えたが、どうやら変な体勢で倒れてうっかり手を先についてしまったようで、体を起こした瞬間、切り傷とは別の部分にズキリと痛みが走った。
「無理はしないで下さい。一緒に行きましょう」
私が声を出したため存在に気がついたようだ。若干驚いたような顔をした男子生徒が私の肩を支える。年下なのだがさすが高校3年生。立ち上がると、私より背丈は大きかった。
「肩は支えても大丈夫ですか?」
「ええ。手首を痛めたみたい」
幸いなことに足などにも痛みはない。脈打つような痛みを感じるのは手首だけだ。
「もしかしたら骨が折れているかもしれません。保健室の先生に見てもらった後に病院へ行った方がいいかもしれませんね」
天野と呼ばれた生徒に付き添われながら私は廊下に出た。
確かに痛いのでこのままにしておくのは嫌だが、このままパソコンにフラッシュメモリーを残したままにしておくのも問題だ。
不慮の事故であったが失敗をしてしまったには変わりない。なんとか尻拭いは自分でしなければと考えながら、保健室に向かって私は廊下を歩いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「仕事なんて適当に手を抜いたってバレやしないんだから、今すぐ病院に行けばいいのに」
「いえ。テーピングしてもらえて、少し落ち着いたので大丈夫です。早退するにしてもせめて、先生方に挨拶をしてからにします。ありがとうございました」
保健室の先生は女の先生でだった。ぐるぐるっと手早くテーピングをしてくれた先生は、こんなのはただの応急処置なんだからねと何度も私に伝える。
私だって、いつまでもいたいのは嫌だし、本当に骨が折れていた場合、変なくっつき方をして手が上手く動かないなんていうのも困る。だから、ちゃんと病院には行くつもりだ。
「影路さんって、本当に真面目なのねぇ」
「本当だよね、先生」
「エディ、貴方は少し見ならないなさい。そして影路さんはここに居るエディを見習うといいわ。彼、本当に怠け者なのよ」
どうやら、エディは保健室の先生と仲良くなったようだ。結構、喋り方がお互い砕けている気がする。
「先生酷いよー。僕は繊細なんだ。だから一日に10時間以上は横になっていないといけないんだよー」
そう言ってパンダ姿でベッドを1つ占領していたエディが着ぐるみに包まれた足をジタバタと動かした。普通なら駄々っ子みたいという表現をするところなんだろうが、頭が大きすぎて上手く動けなくてもがいているかのように見える。
顔を隠すにしても、もう少し何かあっただろうに。……いや、下手な助言は止めよう。何となくだが、今度は、アメリカ人の血はハンバーガーでできているのさーと言ってどこかのハンバーガー屋さんの紙袋を頭に被って来かねない。
パンダは【可愛いは正義】で許されても、紙袋をかぶった男はただの変質者だ。
「でも、影路ちゃんの手伝いなら少しやろうかなぁ。僕は優しいからねー」
「あら。偉いわね。じゃあ、影路さんはエディの事を自分の手だと思ってこき使っていいわよ」
「酷いよ、先生ー。じゃあ、影路ちゃん行こうか」
ぴょんとベッドの上からエディは降りると、てくてくと歩きドアを開けた。……仕方がない。エディには正直に現状を伝えようと思い私も後に続く。
既に放課後の為、廊下には誰もいなかった。遠くの方から、吹奏楽部の演奏の音が良く聞こえる。
「エディ、あのね……」
「影路ちゃんってば、何でそんなに頑張るのー?」
エディに声をかけようすると、先にエディに質問をされ、説明をしそびれる。
「何でって、仕事だから」
「影路ちゃんの仕事は用務員でしょ? あのさ、今ものすごーく痛いでしょ? 僕、痛いの嫌いだから良く分かるんだよねー。たぶん手は折れてるか、少なくともヒビは入ってると思うなぁ。なのに、どうしてまだ頑張るの?」
バレていたか。
実は痛みは、最初に手をついた時よりもどんどん酷くなっている。正直に言えば痛すぎて、冷汗が出ていた。
「佐久間の為? Dクラスの子ってさー、1回でも優しくされちゃうと、とことんまでつくしちゃうというか、奴隷精神的な? 僕、影路ちゃんのそう言う所嫌いなんだよねー」
エディ、キツイなぁ。
痛い所為か、余計に気分を落ち込ませる。もしかしたら暗に、仕事なんて止めて病院に行きなよと、エディなりの気遣いかもしれない。
まあ、そんなのは本人しか分からないのだけど。
「佐久間の為でもあるけど、私の為でもあるから」
「別に影路ちゃんが少しぐらい仕事の手を抜いたって、必要ないって簡単には影路ちゃんの首を切らないと思うよ?」
「そうじゃなくて、私は頑張りたいの。……学生時代私は頑張らなかったから」
エディならば言ってもいいかと、私は学生の頃の自分を思い出す。
「頑張らなかった? でも影路ちゃんは、佐久間とか明日香先輩よりはちゃんと勉強していた感じがするけど?」
また卑屈精神? と言いたげなエディに、私は説明をつけたす。自分の駄目なところを言うというのは、やはり勇気がいるものだなと思いながら。
「学校は勉強するだけの場所じゃないから。でも私は勉強しかしなかった。イジメられるのが怖くて、良く【無関心】の能力を使って存在を消して生活していたの」
小学校の時にDクラスを理由に仲間外れにされてから、私は【無関心】の能力を多用するようになった。【無関心】の能力を使っている間は、皆が私に対して無関心なので、苛められる事はない。
「私は何も頑張らなかった。楽な方へ逃げたの。でも佐久間に会って、もう少し頑張って話してみればよかったと思った。誰も私なんかと友達になってなんてくれないなんて、どうして思ったのだろうって」
逃げるのは簡単だ。
ずっと怖いものから逃げて、清掃員だけをしていた時はとても楽だったのだと思う。寂しかったけれど、それだけだ。
「だから、自分ができる事は頑張りたい。その先に、まだ知らなかった何かを知れるかもしれないから。簡単に諦めたくない」
それを教えてくれた佐久間には、感謝してもしきれない。
「……影路ちゃんてさ、佐久間とは正反対だと思ったけれど、かなりそっくりで真っ直ぐだよねー」
似てる……かな?
私には佐久間の様に人を集めるような魅力はなし、明るさもない。思い浮かべるが、やはり正反対な気がする。
「とりあえず、頑張るのはいいけど頑張りすぎて倒れたら意味ないと思うなー。先生に挨拶をしたら、今日は帰りなよ」
「あ、それなんだけど。実はフラッシュメモリーを挿したままだからとってこないといけなくて」
「えっ? じゃあ、今頃見つけられてるんじゃないの?」
「それは大丈夫だと思う。私の血をとっさに付けて、ずっと【無関心】の能力を発動してるから」
私は今まで他人に【無関心】の能力を付与した事はあったが、物に対してはやった事がなかった。しかし、私が車に乗って【無関心】を発動すれば車ごと存在感が薄くなる。エディの着ぐるみに唾液をつけた時は、着ぐるみごと【無関心】は発動した。そこから、物にも【無関心】の能力を付与できると思ったのだ。
たぶんあのフラッシュメモリーはもしも存在が確認されても、ただあると思うだけで、それに対して誰かが関心を持つ事はない。
「なら、それをとってこれば帰れるんだねー」
「そう。だから職員室には、私1人で行こうと思う」
「そんな手じゃ、フラッシュメモリーを抜くなんて無理無理」
そう言って、エディは着ぐるみの手の部分を自分で引き抜いた。手の部分を抜くのは最後の手段と言っていたのにいいのだろうか? というか、自分で抜けるんだ。
「ある時は天才ハッカー、またある時は可愛いパンダさん、その正体は――な、僕がとってきてあげるよ」
「えっ? どうやって?」
「影路ちゃんの【無関心】の能力でに決まってるじゃん。影路ちゃんが先生に手当てされる前に、ちょっと血をもらってつけておいたんだよねー。というわけだから、可愛い可愛いパンダさんの僕が帰って来る前に気を失わないで、頑張ってよ。あ、僕まで頑張ってて言っちゃった。まあ僕も頑張ってみるからさ」
そう言って、ひらひらと手を振るとエディは一人で職員室の中に入って言った。
止める間もなく入ってしまったので、私はどうしようと戸惑いながら廊下で待つ。大丈夫だろうかと不安になるが、心を落ち着かせなければ能力が途切れてしまう。
すでに痛みでかなり能力に集中して心を無にしなければ危険なのだ。さっきまではエディと話していたので、気が紛れていたが、会話が途絶えてしまったので、傷みばかりが押し寄せる。
「お待たせー。って、影路ちゃん。凄い汗だよ? ねえ、影路ちゃん。もう能力止めて大丈夫だから!」
「……エディ?」
ああ。良かった。ちゃんと私の能力は効いていた。
ふっと力を抜いた瞬間、そのまま目の前がブラックアウトした。