影路綾の恋(8)
能力の影響とはいえ、やってしまったなぁ……。
ある程度のリスクは覚悟していたけれど、まさか飽食と言われる、この大和で飢え死にの危機に陥るなんて誰が想像しただろう。
「……何か食べ物買ってこないと」
病院から無事退院したというか、忘れかけられていたので、勝手に退院という事にしてアパートに戻った私は、冷蔵庫で使いないものを処分しながらため息をつく。
元々こんなに長くアパートを空ける予定はなかった。なので、中はモザイクが必要になるような状態になっている。
色々見たくないものをゴム手袋を使ってポイポイと市の指定ごみ袋に入れた私はため息をついた。
冷凍してあるものは、何とか食べられるとは思うけれど、生ものはアウトだ。そうすると、やはりどう考えても買い物に行かなければならない。
ぐうううっとお腹がなって、冷蔵庫の片づけもそこそこに、色々諦めた。とにかく、今は何か食べたい。
普段からお菓子など常備しておけばよかったと、間食の習慣がない私は後悔する。お腹が空いても、本当に食べられるものがないのだ。
「セルフレジがある所か……」
飢えたくない私は、車で行ける範囲でセルフレジが置いてある大型ショッピングモールを思い浮かべる。
あそこの商品は決して安いわけではない。
しかし背に腹は代えられない。今は、能力の関係上、無人でも購入できるような場所に行って食料を調達する必要があった。
できるだけ早めに対策しないととは思ったが、空腹に負け、上手く考えがまとまらない。人間食べなければ死んでしまう事を久々に思い出した。
「……いっそ厨房に忍び込んで、何か食べればよかった」
残念な事に、病院で食事の提供さえ忘れられた私は、昨日から何も食べていない。食事どころか、看護師も誰も来なかった事で、おかしいなと夜になってからようやく外に出た。一応病院が隔離施設であったので、気を使ってみたのだ。
結果、分かったのは、私の存在が見事に忘れられているという事だった。これならもっと早くに外に出れば良かったと後から思う。
一度外へ出てコンビニ向かったが、残念な事にレジの店員に気がついてもらえなかった。その為帰りに自動販売機でジュースを買い、病室に戻った。タクシーだと存在を忘れられて上手く乗れない気がしたので、電車が動き出す時間を待ったのだ。
盗みを働いても今は確実に気がつかれない自信がある。しかし能力を使って罪を犯す事は、長年の習慣の所為でどうしてもできず、空腹に耐えながから眠った。
その間考えたが、どうやら今の自分は、人よりも影が薄い存在になっているようだ。消えたわけではない。
機械はちゃんと反応している。自動ドアも動くし、自販機だって使える。ただ普段の生活では、誰もが私に対して無関心になっていた。
つまりは今まで意識して使っていた能力が、私の意志に関係なく勝手に、しかも強力な状態で発動し続けているという事だ。
「鏡男の事を考えれば想像はついたんだけど……」
鏡男というか、空間を繋ぐ能力が加わっている鏡に対して、『無関心』の能力を付与した後は、能力が継続していた為に鏡はその後もずっと私以外に認識されなくなってしまった。もっともアレは、存在自体が能力のようなものなので、同じように能力の付与を行った佐久間は大丈夫だと思う。もしも佐久間の存在感を薄れさせる状況があるとすれば、彼が能力を使っている時だろう。でも攻撃するならば強い感情を相手に向けるので、ほぼ無効化してしまうだろうし、話しかけていれば同じように無効化する。今までの私の能力と変わらないので、まず問題ないと思う。
むしろ問題は私の方だ。佐久間の能力を使って、この国中の認識を変えるという荒業をしたのだ。『私』=『能力階級』とした上で、それに対して無関心になるように。
結果は成功。
おかげで、わざわざ廃止された過去の制度である。『能力階級』の話題を引っ張りだそうと考える人はいない。一度触れなければいけないという厄介な条件はあるが、能力を止めても認識の改変は続くという事は確認できている。なので、私が死ぬまではこの状態は維持されるだろう。
私がこれから五十年生き、その後能力の発動が止まったとしても、その頃にはずっと若い世代に変わっている。
五十年も前に廃止された能力階級についてぐだぐだ言う人はいないだろうし、もしいたとしても、影響力が薄い高齢者となっている。これから生まれてくる子供は、能力でクラス分けされる事がないのだから、その言葉すら知らずにすごすはずだ。
ただし、私は死ぬまでずっと能力が発動し続けているという事でもある。
誰もが私に対して【無関心】なのだ。
【予言】の能力が使われていたとはいえ、しっかりとした練習などをしていなかったのに、これだけの結果をもたらす事ができたなら、仕方がない犠牲だとも思えた。むしろかなり最小限に抑えられた犠牲だろう。下手をすれば、今回の騒動が火種となり、テロや内戦に発展し、最悪死ぬ可能性だってあったのだから。
空腹を何とかする為、私は車に乗り込むと大型ショッピングモールへと移動する。
「そうだ。後で、お母さん達にも相談しないと……」
やらなければいけない事を数えだしていると、自然と独り言として口から出てきてしまう。だが、こうやって独り言をつぶやいた方が良いかもしれない。これから会話をする人が激減すれば、喋る機能が衰える可能性も……。
「弱気は良くない。対策を考えないと。再就職も考えないといけないし」
元々月給もそれほど高くはなかったので、貯蓄はあまり多くない。だから働かなければいけない。そして働くためには、一時的にという形でもいいので能力を無効化する方法を考える必要がある。今まではあえて影を薄めるようにし、あまり関心を持たれないようにしていた。今度はその逆をするのだ。オートモードで使い続けている能力を、意志的にOFFにする。
私の能力なのだから、きっとできるはずだ。
「そうだ。携帯電話も買い換えないといけなかった……湧に取られたままだ」
痛い出費だ。でも、優と連絡が取れない以上、諦めるしかない。お金が足りるだろうか……。しらずしらずにため息が出てしまう。
「迷惑はかけたくないけれど、誰かに携帯電話のショップについて来てもらわないと」
私だけでは、上手く受付が出来ても、その後待ち時間中に忘れられそうだ。
頼むとしたら家族になる。……というか、家族しかいない。友人は……関心のない私に対して、そこまでしてくれるとは思えない。薄情という意味ではなく、能力的な問題だ。別に嫌われたわけではない。……そもそも無関心は嫌いという強い想いすらないもので――駄目だ。
お腹が空いている所為もあって、考えていると暗くなってしまう。
「とにかくご飯。何でもいいから食べよう」
しばらく車を走らせ、ショッピングモールの駐車場についた私は、エディから借りたままになっている携帯電話を取り出した。ふと、機械越しだと、能力が薄れるという事を思い出したからだ。
電話で家族に連絡をして、その後の動きを考えよと思った所で、取り出した携帯電話のアンテナが圏外になっていた。
それを見た瞬間、どっと疲れがこみ上げ、私は車のハンドルに頭をつけた。
「真っ先に、エディにお願いをしておくべきだった……」
駐車場はどう考えても圏外になるような場所ではない。つまりは、解約されているという事だ。エディの記憶から私が消えたわけではないが、積極的に思い出したりはしないだろう。沢山ある携帯のうち、手元になくなっている携帯があれば、深く考えずとりあえず使用停止を申し込んでもおかしくない。
……公衆電話、あるかなぁ。
実家の電話番号は覚えているので、電話さえ見つかればなんとかなる。くじけそうになるが、とにかく食料をと思い、車外に出る。
「とにかく、まずは食料。後は食べてから考えよう……」
空腹すぎて頭が回らない。
歩いている途中でお腹が鳴るが、誰も気にしないので、自分も気にしない事にする。
まっすぐと総菜パンのコーナに向かい、何点か見繕うと、そのままレジに行った。家に買っていく食料品は後だ。セルフレジを通し、そのままエレベーター前にある休憩スペースに向かう。
とにかく食べたい。
空いている椅子に座ると、早速封を切りかぶりついた。
「……美味しい」
ハムと野菜、それにエビがたっぷり挟まれたパンは空腹のお腹にとても染みた。
サンドウィッチを全て食べ、メロンパン、チーズとベーコンがのったパンまで食べ、さらにカバンに入れてあったミネラルウォーターを取りだし、一気に飲み干す。
そこまできて、ようやく人心地ついた。まだ買ったパンはあるが、これは明日の朝ごはんにまわす事にする。
「ごちそうさまでした」
空腹から脱出できた私は、ごみを片付けながら、自分の状況整理をする。お腹も膨れた事で先ほどよりはマシな案が出せそうな気がした。
今のところ、自分の能力が無効化状況にあるのをパンダだけ確認できている。
それはパンダの能力が関係しているのか、それとも別の要因か。分からないが、能力階級に対して無関心にしたあの日以降も、彼女だけはずっと私について来てくれていた。
だけどパンダの能力は【発火】のはずで、普通に考えれば、能力は関係ないはずだ。今はお腹が空いたのか、どこかへ出かけているけれど、これまでの事を考えると、ふらっとまた戻って来るだろう。……でもパンダのご飯って何処で手に入るのだろう。
そもそも、今までずっと何を食べていたのか。考え始めると、謎が尽きない存在だ。
明日香とパンダの中身が一度交換された時も、そもそも何故パンダが巻き込まれたのか謎だし、私が移動しても必ず私の所まで戻ってこれるのも謎だ。
考え始めると、パンダは色々不思議な点が多い存在だ。
「不思議な事には変わりないけれど、【無関心】が利かないのには理由があるはず」
最初は、別の能力を事前かけられていたから。でも途中からは? ずっと私から目を離さなかったなんて事はあるはずがない。
「あっ。能力の付与?」
私が血を付けると、血を付けた相手に私の能力は利かなくなる。結局のところ、自分が自分に対して無関心でいる事はできないからだ。
でも今は血を付けていない。だから考えられるのは付与の方だ。
実際には明日香ボディの中にパンダ魂が入っている状態で、キスをすることになったので、能力が魂に宿っているとすれば、パンダの能力に付与されているという事になる。
「とりあえず、電話しに行こう」
色々パンダの事は気になるけれど、このまま考えていた所で答えが見つかるとも思えない。食事ができる場所へ移動している途中、公衆電話を見つけた私は、早速移動する事にする。
移動した公衆電話は誰も使ってないかった。私は財布から小銭を取り出すと、電話番号を押す。
電話なら気がついてもらえると思っても、なんだか緊張してしまう。
『もしもし』
「あっ、お母さん?」
全く焦らされる事なく、電話口から女性の声が聞こえてきて、少し慌てながら相手の名前を呼ぶ。もう少し心構えしてから電話をすれば良かったかなと思たの瞬間だった。私は受話器から発せられた声の音量に驚き耳を遠ざける。
『ちょっと、綾なの⁈ 今、何処にいるのよ!!』
「えっ。お姉ちゃん?」
女性の声だから母だと思えば、口調からすぐに姉だと分かる。でも、どうして姉がこんな時間に、実家にいるのだろう。
今日は偶々仕事が休みだったのだろうか。
『そうよ。まったく、どれだけ心配したと思っているのよ。家に行ってもいないし、電話は繋がらないしっ。何の為の携帯電話だと思っているのよ!! とにかく、今、何処にいるの」
ん? あれ? 何かおかしいような?
大声で矢継ぎ早に姉に話された私は、受話器から少し耳を離し、目を瞬かせた。