影路綾の恋(2)
「私と一緒に病室に来て」
これから世界をほんの少しだけ変える為に皆が協力してくれる事になった私は、能力の合わせ技の練習をする為に佐久間を病室に誘った。少しでも早く練習に入りたいのと、私がここに居た方が逆に何の詮索もされず計画を実行に移せると考えたからだ。
「ミャーミャーミャー」
「うん。貴方も一緒においで」
パンダが足元で鳴いて自己主張をしたので、私は彼女も誘う。パンダの目的は分からないが、特に邪魔をする事もなく私の後をついて来ているので、今更来るなというのもなんだかおかしな気がする。
「……うん。そうだと思った」
「えっ? 何が?」
「いや、こっちの事。気にしないでくれ」
佐久間の目が死んだ魚のようになっている気がする。もしかしたら行動派の佐久間は、能力の練習よりも協力者を集める方にまわりたいのかもしれない。しかし今回だけは、申し訳ないが私が上手くやれるか不安だというのもあり、一緒に練習してもらうしかなかった。
「実行に当たって、私との練習が中心になってしまって申し訳ないけれど……」
「いや。いい。そこは全然いいんだ」
佐久間は慌てた様に否定する。Aクラスの佐久間は、能力を制御するための訓練を受けてきているので、練習の大切さは分かってくれているようだ。だとしたら――。
「あっ。たぶんこの病院に幽霊はいないから。えっと。トイレは部屋の中にあるから夜でも大丈夫だし、もしも夜目が覚めて怖かったら私を起こしてくれれば――」
「影路ちゃん。流石に、佐久間が憐れになってきたから、止めてあげて」
ポンとエディに肩を叩かれ、私も成人男性に何を言っているんだろうといたたまれなくなる。馬鹿にする気はなかったけれど、これではそう取られてもおかしくない。
「それよりさ……能力に能力を加えるというのは、大丈夫なんだよね?」
エディが小声で私に囁いた。
大丈夫というのは、本当にできるんだよねと言われていると捕える事もできるけれど、多分違うだろう。きっとエディは鋭いから、私の寿命についてたずねているのだと思う。
私だって、何度も成功させたわけではないので、どんな風になるかなんてわからない。ただそれは明らかに今までの使い方とは違うもので、意識して行うとなればかなり負担がかかるだろうと予想している。
「結構前にも言った事があったと思うけど、僕は自分の事を後回しにして奴隷精神で人に尽くすとか嫌いなんだよねー。だからさ、……自分も大切にしてよね。お願いだから」
「うん」
私はエディの言葉に頷く。
自己犠牲を双子の兄にされて、その行為がどれだけ迷惑なのかを私は身をもって知っている。だから私は、私の為に能力を使うのだ。もしかしたら多少命を削ってしまうかもしれない。それでも、私の為なのだから、自分が壊れてしまうまで頑張る気はない。
「後、佐久間の事は気にしなくてもいいから。ちょうど頭も冷えて良かっただろうし。本当に馬鹿は呑気で困るよねー」
「えっと」
「あっ、そうだ。この携帯電話を渡しておくから、具体的な実行タイミングとかはメールでやり取りしよう。さてと、じゃあエディさんも、ちょっと真面目に仕事をしようかなー」
言うだけ言うと、エディは立ち上がり出口へ向かう。
「ほらほら、明日香姉さんが居ないと、運転できないんだから早くー。パンダセコムがあれば、影路ちゃんが大人の階段上る事もないからさー」
……大人の階段――あっ。
今更がならに、病室で佐久間と二人っきりになる事に気が付いた。皆別々にやる事があるのだから当たり前である。
いくらやる事がいっぱいでテンパっていたとはいえ、告白されている相手に対して、この盛大なスルーは申し訳なさすぎる。告白の返事もまともにできていないというのに……。
「ほら、夢美も」
エディが夢美ちゃんの手を握り、その場を立ち去ってく。
急がなければいけないのだから、待ってとは言えないけれど、言いたくなるこの状況。気まずすぎる。
「……佐久間。えっと」
「ったく。アイツは余計な事ばかり言って。大丈夫、ちゃんと目の前の事に集中するから。パンダセコムもあるし、誓って何もしないさから。それより、血を付けないとやっぱり見つかりやすいよな」
佐久間は苦笑いして、話を変えてくれる。
能力維持に動揺は禁物。ありがたい心遣いだけど――。
「佐久間、私も佐久間の事が好きだよ。だから、早くこの騒ぎを終わらせよう。ちょっと待って。どこかに針とかないか探してくるから」
私は佐久間に自分の気持ちをちゃんと伝えて一度その場を離れた。
◇◆◇◆◇◆
病院の事務所でいい感じの名札クリップを見つけた私は、少しの間だけとお借りして再び待合室に戻った。
そこには、椅子に座り込み顔を手で押さえ体を丸める佐久間が居た。具合でも悪いのだろうか。
「佐久間?」
「うわっ――」
いきなり叫ばれそうになり、私は咄嗟に佐久間の口を手で押さえた。無関心の能力は私が感情を揺らす事で効果が薄れるが、流石に目の前で騒がれたら気が付かれない保証はない。
「驚かせてごめん。でも、もう少し小さな声でお願い」
能力を維持し続けているので、いきなり現れたように感じて佐久間も驚いたのだろう。私の願いを聞き入れた佐久間が首を縦に振ったので、口から手を離す。
「悪い。色々不意打ち過ぎてちょっと気が動転して。夢か現実か分からなくなって……えっと、さっきの言葉をもう一度言ってくれると嬉しいなと思いましてですね。はい」
「……どこかに針とかないか探してくるから? あっ、名札クリップ借りてきたよ」
私が名札クリップを見せると、再び佐久間が死んだ魚のような目になった。うん。今回は、私もわざと言っている節があるので、これはあまり佐久間を責められない。
動揺する事は避けなければいけないので、できたらスルーした方がいいのだけれど、夢か現実かと言われるのも少々悲しい。私なりの精一杯の告白を白昼夢、もしくは聞き間違いで終わらせたくない。
なのでできる限り気持ちを揺らさないようにして、もう一度口を開く。
「佐久間、私も佐久間の事が好きだよ。だから、早くこの騒ぎを終わらせよう」
「か、影路?!」
「あっ、でも過剰なスキンシップはなしで。これが終わるまでは、今まで通り友達のままで」
今すぐにでも抱き付きたそうなキラキラとした眼差しをした佐久間に、私は手を上げて宣言した。両思いだから付き合わなければいけないという法律なんてない。
「影路……」
犬のしっぽが生えていたらシュンと下がっていそうな様子に、何だか可愛いなぁと思う。成人男性に思うような事でもないけれど。
「たぶんこれ以上佐久間に近づきすぎたら、私は浮かれてしまって上手く能力を使えなと思う。だけどやっぱり私も佐久間に気持ちを伝えたかったから。勝手な判断で告白してしまって佐久間を動揺させてしまってごめん」
「いや。うん。返事を貰えて俺も嬉しいし。とにかく、早くこの問題を解決させて遊園地でデートしよう」
「うん」
佐久間の言葉に頷いて、私は親指に針を突き刺す。
針を抜けばぷっくりと小さな赤い球が浮き出た。その手を佐久間のおでこにつける。
「これで大丈夫。私の病室に案内する」
「みゃあ」
「うん。一緒に来て」
空気を読んだかのように静かだったパンダが鳴いて主張したので、私は彼女も誘う。エレベーターに向かって歩き出すと、パンダも一緒に歩き出した。言葉は分からないけれど、やっぱり、私と一緒にいたいと言っているので正解のようだ。
「そういえば、【無関心】の能力を相手に渡す時は血を使っているけれど、能力に加えるのは具体的にどうやろうと考えているんだ?」
佐久間に聞かれて、少しだけ動揺してしまったが、慌てて平常心を心がける。大丈夫。これは能力を使う上で仕方がない事で、恥ずかしがることではない。
「引くかもしれないけれど……今回は協力して欲しい」
「引く? いや。大丈夫。どんなけ大変でも絶対成功させて見せるから」
私も佐久間の能力に関して不安に思っているわけではないのだ。ただ実際に口にするとなると、それなりにためらいがある。たぶん、相手が好きな人だからだろう。
でもだからといって、いつまでも秘密にはできない。だから、私は意を決して口を開いた。
「私が佐久間に対してキスをして受け渡す方法が一番有効じゃないかと考えてる――佐久間?」
ゴンッ。
隣で佐久間が壁にぶつかった。