脇役の恋(6)
目を丸くしている佐久間を見ながら、もう少し気の利いた挨拶をするべきだったかなと思う。しかし、久し振り以外の声のかけ方が思い浮かばなかったのだから仕方がない。最後に別れた時のことを思うと、謝罪などでも良かったのかもしれないけれど、何かを許してもらいたいというのとも違うので、結局は無難な挨拶になってしまった。
別に今までにこれぐらいの期間会わない事なんて良くあったけれど、状況が状況だ。色々気まずくても仕方がない。本来なら色々居心地が悪いはずの状況。でも不思議と私はすんなりその場に留まれた。それどころか、驚いた顔をした佐久間の顔を見て、ほっとしている私が居る。情けないけれど佐久間が居るなら、きっと大丈夫だと、何とかなると、理由なく思ってしまう。
家族でも何でもない、そもそも1年前には名前も存在も、何も知らなかった関係なのに可笑しなものだ。私の仕事は掃除の派遣で、佐久間は組織のエイジェント。私は高卒で、佐久間は現役大学生。私はDクラスで、佐久間はAクラス……今は法律上その差はなくなっているけれど、佐久間と私は色々違う。
ある意味真逆と言ってもいいぐらい違って、本当なら佐久間との接点なんて出来るはずもなかった。あの時、佐久間が偶然私の働いていたデパートに落ちて来なければ。
それでもその偶然から始まった関係だけれど、私は佐久間が好きで、信頼している。だからもしも私が本当に困っているならば、例え私の事を嫌いになったとしても、きっと手を差し伸べてくれると分かっていた。
「何で、影路――」
「できれば、大きな声は出さないで欲しい。本来なら出てきてしまってはいけないはずだから。一応無関心の能力の範囲を広くしているけれど、元々それほど強い能力ではないし」
私は咄嗟に、佐久間の口を押える。
口を押えられた佐久間は、私をマジマジと見つめた。私がここに居る事が信じられないという顔をしている。
佐久間と最後に別れたのは箱庭で、さらに湧についていったという裏切りとも取られない状況だったので、突然私が出てきたら驚くのは当たり前だ。それでも、今パニックになられるのは困る。
何と言ったら、私の話を聞く気になってくれるか、考えながら私も佐久間を見つめていると、佐久間の顔がだんだん赤くなってきた。
えっと。押えているのは口だけだし、そんな苦しくなるほど押えているつもりはない。という事は、真っ赤になっている理由は――。
「えっと……」
別に変な事をしているわけではないけれど、不意に佐久間が私に対して告白してきた事が頭に浮かんで、カッと顔が熱くなる。……もしかして、この距離は近すぎる?
えっと。いや。そんな事を気にしている場合じゃないし。そもそも私の能力は広がっているけれど、動揺に弱いのは変わらないのだから、落ち着かないとで――。
「あの……」
「佐久間ぁ、何考えてるわけー。ほらほら、影路ちゃん、こっちに座って」
佐久間より先に声をかけたエディが私を呼んでくれて、少しほっとしながら、佐久間の口から手を離すとエディの隣に座った。佐久間の事を意識してしまうと、中々平常心保てない私はまだまだだなと思う。
「佐久間に触ってると、ムッツリがうつっちゃうよ」
「俺はムッツリじゃない」
「なら、オープンスケベなんだー」
エディは笑いながら、佐久間をいじる。佐久間には悪いが、エディのおかげで先ほどまでの微妙な空気が霧散してホッとした。
「綾、どうしてここに居るの? 体の調子は大丈夫なの?」
流石に佐久間の声が大きかったらしく、明日香も私の存在に気が付いてしまったようだ。
「感染はしていないと思うから大丈夫」
色々言いたい事もあるだろうに、真っ先に体の心配をしてくれた明日香の優しさに嬉しくなる。
「迷惑をかけてごめん。でも、助けて欲しくて、その説明がしたくてここまで出てきたの」
そしてそんな明日香のやさしさに付け入ろうとしている。
申し訳ないという気持ちはある。でも時間もなくて、私一人ではどうしようもなくて、だから助けを求めるしかない。最終的に私は罰を受ける事になるだろうけれど、でも罰を受けてでも、この先の時間を自分の求める方向へ進めたいのだ。
だから深々と頭を下げる。
「お願いします。助けて下さい」
明日香だけでなく、佐久間も優しいから、頭を下げればきっと話だけでも聞いてくれるはずだ。
そんな風に思っていると、くいっと顎を掴まれ、顔だけ上げさせられた。その近くには、明日香の真剣な顔がある。どことなく怒っている様に見えるのは、私が我儘に動きすぎている所為だろう。
「あのね。そういう堅苦しいのは止めてくれない? 馬鹿にしてるの?」
「してないよ」
「してないなら、親友相手には相談に乗って欲しいって一言言えばいいだけなの。分かった?」
えっと。勝手な事を言って怒っているわけじゃないのかな? 顔を赤くして怒る明日香は、年上なのだけれど可愛いなぁと思ってしまう。
「うん。ありがとう」
「俺も影路の力になるから」
「うん」
「あーあー。二番煎じ」
「エディ煩い」
別れ方はどちらかというと最悪で、更に久し振りに会った状況だというのに、いつも通りになれるこの状況は不思議であると同時に、彼らがとても優しい人達だと改めて思う。彼らに助けを求めようと決めた以上、やっぱりなしにはできないけれど、でも自分の我儘で振り回してしまっている状況に心ぐるしさを感じる。
「仲良く再会している所悪いんですけど、のんびりしていていいんですか?」
「えっと」
「今回の病気、お兄ちゃんが関係しているんですよね? 佐久間さん達に会いに来たって事は、お兄ちゃんを助ける為じゃないんですか?」
強めの口調で、一度も染めた事のなさそうな黒髪の女の子に声をかけられ、私はたじろいた。佐久間達と一緒に居るという事は組織の人の可能性が高い。見覚えはあるけれど、誰だっただろうかと考える。
「夢美が質問連発したら影路ちゃんが喋れないと思うんですけどー」
「うっ」
夢美と呼ばれた少女は私の襟首を掴まんばかりの勢いだったが、エディの言葉で動きを止めた。
「でも、僕も質問。影路ちゃんは、僕たちがここに居ると思って病室から抜け出てきたの? それとも、ここで会えたのは偶々?」
「居るというか、ここへ向かっている事を知っていたから出てきたの。佐久間達より前に来た組織の人が、佐久間達がこの病院に向かっているって電話を受けていたから」
立ち聞きをしたわけなのであまり褒められた事ではないけれど、聞いてしまったのは偶然だったので仕方がないと割り切る。
「土方さんに会ったのか?」
「会ったというか、近藤さんの奥さんと私が話している最中に病室へ入ってきたから、無関心の能力を使って会話を聞いていたの。直接話はしていない」
どういう理由で来たのか分からなかった事と、本来なら病気を発症している近藤さんの奥さんに近づくのは駄目な事であると分かっていたので、とっさに能力を使ったのだ。
おかげで、私が傍で拝聴している事を気にするそぶりはまったくなかった。
「ああ。土方さんは近藤さんの欠勤について調べていたみたいだからな。だから今回は近藤さんの奥さん以外とは話す予定もなかったようだし。タイミングが良かったな。しかも俺らのやる事はないって追い返されてた状態だし」
「えっと……それだけど」
佐久間は偶然だと思っているようだけれど、偶然ではない部分がある。
言っておかなければ、後々ややっこしい事になるかもしれない。それに、今後の事で佐久間達に協力を求めるならば、なおの事伝えるべきだろう。
「何かあるのか?」
「土方さん達は、私の能力で、店内に居た人に対して無関心になっているから、できればあまり刺激しないで居てくれた方が助かる」
「は?」
「正確に言えば、【私】というカテゴリーを【あの時店内に居た人】と位置付けて意識して【無関心】の能力を使っているの。近藤さんに関しては、既に話していて認識をしていたから能力を使う事は出来なかったけれど、私を含めた他の人に関しては近藤さんと話している時にずっと頭に浮かべているわけではないから、土方さん達は特に関心がなくなっている状況」
「ちょっと待って、どう言う事?」
佐久間だけではなく、明日香もギョッとした様子でたずねてくる。
今までとは、明らかに能力の使い方が違う上に、似たような能力もない為、説明が難しい。
「えっと、私の能力は【私】に対して【無関心】になるようにするというもので、【私】というのは【影路綾】だけではなくて、私が自分だと認識しているものに対するものなの。それで、えっと、私が上手く自分という認識範囲を【あの時店内に居た人】にできたから土方さん達は調査をせずに帰ってくれて……えっと。佐久間、明日香? 大丈夫?」
出来るだけ分かるように説明をしたつもりだったが、徐々に二人の顔が険しくなっていく。頭からぷすぷすと煙が出てきそうな様子だ。
色々助けてもらうなら隠し事は良くないし、能力についてはちゃんと伝えるべきなのだけれど――。出だしから躓いている気がしてならない状況に、私は助けを求められないかとエディの方を見た。