第一話╋転生の儀式
全然進んでおりません。
◇◇◇
真っ白い空間があった。
白以外、何も無い。
地平線の彼方までもが、白一色だ。
その空間に、人の形をした影が二つあった。
「お、お母様…。ごめんなさい!」
まだ十にも満たない位の外見をした少女は、背を向けて微動だにしない女性に、頭を下げた。
「お兄ちゃ……あの少年を助ける事が出来ませんでした――」
少女は、涙を流していた。それ程までに、悲しい事があったのだ。
背の高い女性は、肩まで伸びた髪を揺らし、顔だけを少女に向ける。
その瞳は、とても冷たかった。
「顔を上げなさい」
「………っ!」
少女は、女性のその瞳を見て大きく肩を揺らす。
「貴方が謝るべき相手はあの少年ではなくて?」
「で、ですが」
「口を慎みなさい。
私達は、世界を均衡に保つ為に生まれた、神なのです。私達が、世界を調和する役目を負っています。それは、ずっと今まで言い聞かせてきたはずでしょう?」
女性は怒鳴ったりはしない。だけど、静かに、威厳を持った声で怒る。
それは、とても怖いものだと少女は知っている。
「私達"神"は、失敗は許されない。あの世界には、地球には、あの少年のような人が必要でした。だから、少年を助けるために、彼が十七歳という若さで死ぬという運命を回避させるために、貴方を送り込んだのです」
女性は一旦口を止め、体を前に向き直す。
「……"妹"という、一番近い関係上に送ったというのに。貴方、途中で自分の任務を忘れかけていたでしょう」
その言葉を聞き、図星とでもいうかのように、少女の体がピクリと反応した。
「彼の強さと優しさに、溺れかけていたようね。
……これは、遊びではないのですよ」
今までも低かった声が、さらに低く、無機質になった。
少女はその声音に、冷や汗をかいた。
この女性が、母親が、こんなにも怒っているのは初めてだ。
「お母様……」
「涙を拭きなさい」
「……ぅん……」
母親の言う通りに、少女はゴシゴシと目を擦って、涙を拭いた。
女性は、チラリと少女を一瞥した後、徐に右手をふわりと上に上げる。
すると、彼女の手の平に、黒く光る、炎のようなものが現れた。
「それは……!」
少女は、それが放つ鼓動を察知し、正体を見極めた。
「そう。これは、あの少年の魂です。天に還る前に、引き留めておきました。……最後があんなのだったので、本来は白い魂が、黒く染まってしまいましたが」
女性は、少女にその魂を渡した。
少女は割れ物を扱うように、そっと両手で包む。
「お兄ちゃん……」
少女が泣くようにそう呟くと、一度だけドクンと、魂が脈打った。
それに、少女は本当に泣きそうになる。
あの少年は、死して尚、自分の声に反応してくれたのだ。彼を救えなかった、この私を。
「………"優奈"。だったかしら?」
「?」
女性の声音は、元に戻っている。でも、まだ許された訳ではない。
それ程に、少女が失敗した任務は大事なものだった。
"あの少年は、地球に良い風を吹き込ませる。"
女性の予言では、そう語っていたのだ。
「少年がつけてくれた、貴方の名前よ」
「はい……"優奈"です」
「…大事になさい」
元々、神には名が無い。
名前を与えられる事は、神にとって、とても喜ばしい事であり、名誉な事でもあった。
「さて……」
女性は、一瞬にして雰囲気を変えた。
とても真剣な眼差しだ。
「優奈。貴方なら、この魂をどうしますか?」
「え?えっとですね……極楽浄土に導きます…」
「……それで、いいのですね?」
「なにか、間違っていますか……?」
女性の、意味ありげな聞き返しに、少女は疑問を浮かべる。
対する女性は、少年の魂を見やり、目を細めた。
「果たして少年は、幸せでしたでしょうか?」
「幸せ……ではありませんでしたよ」
「そうね。それは貴方が一番知っているわ」
周りに疫病神扱いされて、虐げられて。
どれだけの苦痛が、彼を苦しめたのだろう。
それを想像するだけで少女は、優奈は、胸が痛んだ。
優奈の無意識に歪んだ顔を、女性は優しい瞳で見つめた。
「世界の均衡を保つために生まれたのが、私達神です」
女性は、まるで語るように繰り返した。
「そのために生かすべき人を、亡くしてしまいました。それは私達の失敗です。私達は少年に、償わなければなりません」
「ま、まさか」
優奈は、女性が言おうとする事を悟って、驚愕の声を上げた。
「同じ世界には不可能ですが、違う世界には可能ですし……転生させましょうか」
「ちょっ……それは七十年前から禁止になったはずです!!大神様に見つかったら、世界管理職を解任させられるし、それだけでは済まないかもしれませんよ!?」
「……あら、そう言えば言ってなかったかしら」
声を荒げる優奈に対して女性は穏やかだ。
そして、女性は爆弾を投下する。
「大神は私の夫。つまり優奈にとっては父親ね。だから、別に転生くらいさせたってどうって事ないわ」
「…………は?」
「例え、私達を職からおろすと言うのであれば、ちゃーんと私が躾直してあげるから。ね?」
「……もういいです。私はなんにも聞かなかった事にしますから」
「じゃあ、転生の儀式の準備をしましょうか」
優奈は、ニコニコと笑う女性を一瞥して、ため息を吐いた。
◇◇◇
優奈は、少年の黒い魂を持って立っていた。
今から、この魂を転生させる。
優奈が気に入っている、世界『ゼオライト』へ。
「お兄ちゃん……あっちでは元気でね」
優奈は聖書を顕現させ、転生のための詠唱の言葉を紡ぎ始めた。
「#£ΦλδδψЭ#ζжЭΩζΦΦж」
神にしか分からないその言葉は、強い力を宿し、少年の魂を包み込む。
優奈はその様子を感じながら、詠唱を続ける。
数分経った頃、儀式は終盤にさしかかっていた。
「ξρ£ΦΩ£ξδλЭж##ψ#!!!」
最後の詠唱を力を込めて叫ぶと、少年の黒い魂は一瞬赤い光を放った後、すぅっと溶けるように消えていった。
「やった☆成功!」
優奈は、初めての転生の儀式に心置きなくハシャいだ。
しかし………、
「優奈ーーーー!!」
「はい、何でしょうお母様!」
「詠唱が一文字間違えていたわよ!?人間に転生してないわ!」
「うえ?ではなにに…」
「"精霊"よ」
拝啓 お兄ちゃん。
誠に申し訳ありませんでした。
もうアナタは人間では無くなってしまいました。
ああ、でも精霊は人間より神に近い存在だから、私的には嬉し……………ごめんなさい、お母様が凄くお怒りなご様子。
また、修行でしょうか?
私は、耐えきれそうになさそうです。
◇◇◇
「……うっ、」
暗い暗い、真っ黒な暗黒世界に、人の形を象る赤い影があった。
赤黒い、血のような深紅の瞳と短い髪。
左右のサイドだけが、肩口まで伸びている。
だが、人間でいう白目の部分が黒く、大きな尖った耳も漆黒で、彼が人間ではない事を物語っていた。
「優奈は……いないか、ここはどこだ?」
周りを見渡す。
しかし、何も無い。
ただ、暗闇だけがここに存在していた。
……だとしたら、
「……地獄、かな」
疫病神は、天国になど行けるはずもなかろう。
"少年"だった彼は、赤い影を揺らしながら暗闇の中へと歩き出した。
彼が通った後には、小さな炎達が、遊ぶように踊っている。
その事に、彼は気付かないまま闇へと消えていった。
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