第十三話
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庭園が夕暮れで赤く染まり始める頃、レシアーノは未だに大きな獣に抱き込まれていた。
かれこれ三十分は、髪を梳いたり髪をくるくるしたりと弄ばれている。時折、骨ばった指先に掬い上げられた一房の髪には、口付けが落とされた。
その度に心臓がドキッと大きな音を立てて、落ち着かない状況で見守っていた。
これは何時になったら終わるのかとそわそわと見守るも、当の本人は満足げに口元を緩めていて、終わらせる気は全くない様子だ。
ここまで髪を熱心に愛られると、もはや髪だけが好きなのではないかと思えてくる。
『レシアーノが好き』ではなく、『レシアーノの髪が好き』なのではなかろうか。そう思えてならなかった。
家出をする時に荷物に詰めた花の香りのヘアオイルを毎日使っている。きっと、その香りがファーゼスの好みの香りなのだろうと納得した。
よくよく見れば、髪に口付けをする彼の仕草も、大きな獣に毛繕いをされているようにも思えてくる。
そこまで考えが及ぶと、途端に今の状況がおかしく思えて自然と笑みを溢していた。
「ふふっ…………」
大人しくしていたレシアーノから不意に笑い声が溢れてきて、ファーゼスは手を止めた。
それでも笑いを堪えられずにいると、不思議そうな顔をしたファーゼスと目が合った。
「なんだ……?」
「いや、その…」
「…………………くすぐったい、のか?」
「それもあるんですけど…」
「……それ以外は、なにがあるんだ?」
「ファーゼス様がなんだか大きな獣みたいだなって、思ってしまって」
「………………は?」
ファーゼスは驚きに一瞬だけ目を見開く。それから思い出したかのように、止めていた手元に視線を移し、髪を丁寧に手先から降ろした。
その手がレシアーノの顔の前まで移動したかと思えば、風が吹いて顔にかかっていた一本の髪の毛にそっと触れられ、耳にかけられていた。
突然近くなった顔の距離に緊張し、笑っていた口は無意識に閉じていた。
強く真剣な眼差しが、レシアーノを捉えた。怒っている様子では無い、それなのに逃がさないと言われているような鋭い視線に、目が離せなくなっていた。
そして、顔を近づけたままファーゼスは口を開いた。
「間違っては、いないが…」
言葉が途中で止まった。続きの言葉を静かに待つと、近くにあったファーゼスの顔が動いた。
また肩口に顔を埋められるのだろうかと予想していると、それは呆気なく裏切られた。
ファーゼスの顔が真っ直ぐにレシアーノの顔へと接近すると、唇をぬるっとした温かい感触になぞられた。
その後に、ファーゼスの顔が耳元に移動し、途中だった言葉の続きを囁かれた。
「男として、見ろ」
確かにそう聞こえた。しかし、レシアーノの脳内は急展開に理解が追いつかず、一言も言葉を返せずにいた。
今、何をされた……?
温かくぬるっとしたもの…、それって……、舌!?
(今、ファーゼス様に唇を舌で舐められたの!?)
やっとそこまで理解したレシアーノは、顔が急激に真っ赤に染まり熱くなるのを感じた。
間近にあるファーゼスの顔は、ぶすっとしていて明らかに不機嫌さが漂っていた。
そこで漸く、失言を口にしてしまったことに後悔をした。幾ら何でも王子様に対して『大きな獣』発言は、ファーゼスでなければ殺されても文句は言えないのではないかと、今更ながらに焦りを抱く。
ファーゼスの機嫌の取り方が分からず、そっと彼を見て様子を窺う。すると、その視線に気がついたファーゼスは、まだ不機嫌そうな顔で言葉を吐いた。
「あと、俺もしたい……」
「え?何をですか?」
「兄上だけでなく、俺にも」
「リブラミア様ですか?それが、どうしたのですか?」
「……………………」
「あの?……ファーゼス様?何をーーー」
ちゅっ…
『何をですか?』と問いかける声は、ファーゼスの唇に塞がれて途中で止まっていた。
初めての口付けよりもしっかりと唇が触れていた。甘えるようにくっついてきた唇は、やがて名残惜しそうに離れていった。
既に真っ赤になっていたレシアーノは、顔から火が出そうなほどに顔中が熱くなり、黙りこくった。
視線だけをファーゼスに向けると、彼もレシアーノに負けないくらい真っ赤な顔をしていた。
その姿を目にして、一方的に恥ずかしい思いばかりをさせられては納得がいかないと、レシアーノは小さな抵抗を見せた。
「なんでファーゼス様まで、顔が真っ赤なんですか!?」
「言わなくていいっ……。見るな!」
「見ます!」
「〜っ!…部屋に、戻るぞ!」
「あっ…………、待って下さいよ!ファーゼス様ー!」
ファーゼスは真っ赤な顔を背けると、レシアーノを置き去りにして庭園の出口へと歩き出した。慌ててファーゼスの後を追うレシアーノの顔もまだ真っ赤だった。
そんな二人を見守っていた夕日が頬を照らし、赤みを帯びた顔を隠し込んでくれるのであった。
***
部屋に戻るとまだリブラミアの姿は無く、夕食の準備が始まっていた。食堂は王子三人が荒らしてからまだ修復が完了しておらず、使用人が部屋まで料理を運んで来てくれている最中であった。
数人の使用人が部屋に入り、いそいそと料理をテーブルに並べている姿を見守っていた。
リブラミアであれば入室した使用人を睨みつけて追い出しかねないが、ファーゼスは無愛想な顔でお礼を言い黙ってソファーに座っていた。
庭園では逃げて行ったのに、部屋に着きソファーにレシアーノが座ると、真横にファーゼスも座ってきたのだった。不機嫌さは消え、使用人が居なくなったら真っ先にまた抱き込まれそうな雰囲気まで醸し出している。
二人で黙って見ているのも、何だか使用人に圧力をかけてしまいそうで、当たり障りない会話を投げかけてみた。
「ところで、ファーゼス様はいま何歳ですか?」
「十六歳だが…」
「精霊は十六歳が成人ですよね?もう成人されてるのですね」
「ああ……、そうだ。お前はまだ未成年だったな…」
「はい。わたしもあと一年で大人になるのですね」
「………不安か?」
「いえっ、実感が湧かないだけです…」
「そうか………」
「そういえば、ロランドール様は何人目の王子様なのですか?」
『ロランドール』の名前を出すと、無愛想な顔の眉間がぴくっと反応した。
その表情の変化は見なかったことにしてファーゼスから視線を逸らすと、使用人達が部屋から出ていくのが見えた。
少しの間があってから、無愛想な声で返答が返ってきた。
「あいつは第五王子だ。歳も一つ下だ」
「ロランドール様は、わたしと同い年なのですね!」
「…………………」
「あ、ごめんなさい。深い意味はないです…」
「……知っている」
「そうですよね……」
「……………。この前の件で、お前に話したい続きがある」
「パルム国のですか?」
「ああ……。だが、そろそろ兄上が来る」
ファーゼスはちらりと廊下の方に視線を移し、それからテーブルに並べられた食事に手をつけた。
「また話す……。それより、食事をしないか」
「そうですね!冷めてしまう前にいただきます!」
不器用な印象が強いファーゼスも、食事の最中の所作は綺麗だった。黙々と食べ進め、あっという間に一人分を平らげていた。
まだ二人前の料理がテーブルの上に残る中、ファーゼスは一度レシアーノを腕の中に抱き込むと、『また明日来る』と告げて早々に部屋を出て行ってしまった。
一人きりになりまた料理に手をつけ始めると、部屋の扉がノックされ知らない声がした。
「レシアーノ嬢に挨拶に来たのだが、入ってもいいかい?」
王子達よりも年上の少し掠れた声が、扉の向こう側から聞こえた。




