第2話 その兄、信頼を得る
昼食にまでは城に戻れるだろう。食欲の湧く、色々な食材が混ざった香りが漂う大通りを歩く。その後、周囲を警戒しながら回り道をして、城壁の下を見定める。
城壁に一箇所だけ、人一人がやっと通れる程の穴が空いているのだ。
穴を潜り、誰も居ないのを確かめてから颯爽と庭を走る。
「セレート殿下、此方です!」
ローラ一家の情報提供を促した侍女に見張りを頼んでおいたのだ。
偶然なのか、意図的だったのか、侍女の隣には第一王子――兄の姿がある。
拙い事になった。顔を顰め、兄を見た。
兄は真っ直ぐに俺を覗き込み、視線を逸らそうとはしない。俺を窘める腹積もりなのだろうか。訝りながら、鼓動を速める胸に手を当てた。
「兄上」
一階のベランダから城へと戻るなり、焦りと緊張で俯いてしまった。
「セレート、何か勘違いをしてないか?」
「えっ? 何を?」
「俺はお前を責めるつもりは無い。寧ろ、誇りに思うよ。父上の命より、自分の気持ちを優先出来る勇敢さが身に着いたんだからな」
そう、なのだろうか。父への反発や兄への羨望が俺を突き動かしただけなのに。
小首を傾げると、兄は朗らかに笑う。緊張して損をした気分だ。味方になってくれるなら、これ以上頼れる人は居ないのだから。
「ご令嬢には会えたのか?」
「それが……」
会えたのは会えたが、良い進展はなかった。
再び俯くと、兄も察してくれたようだ。
「何かあったのか? 話してくれないか?」
「はい……。どうやら彼女の父が爵位を剥奪されるみたいで」
それだけを聞くと、兄は表情を一変させた。
「爵位の剥奪? 滅多な事では剥奪されない筈だが」
「でも、嘘とは思えません。幼馴染に相談しても、解決しなかったらしくて。『王命に背いた』と、彼女は言っていましたが……」
「王命なんてあったか……?」
兄は考え込んだが、眉を顰めるばかりだった。
王命を下す時には、必ず臣下や兄に相談をしている。兄が知らないなんて不自然だ。
「やはり、思い当たらない。何か胸騒ぎがする」
父上が密かにローラ一家の転覆を――いや、こうは考えられないだろうか。
イリアが関わっていると。
あの傲慢で嫉妬深い性格だ。婚約発表での俺の顔色の変化を瞬時に察していたのかもしれない。そして、俺が目で追っていたローラの存在に気付いていたのなら――先回りされた可能性はある。
「兄上」
「どうした?」
「イリアを調べて下さい。可能性はあります」
「イリアか……。あまり考えたくはないが」
苦い顔をしながらも、兄は頷いてくれた。
「調べてはみる。だが、男爵の爵位維持は叶わないかもしれない」
「それは分かっています」
国のシステム上、爵位の剥奪は簡単であっても、剥奪されたものを取り返すには手続きに何十年も、何百年もかかってしまうだろう。ローラが待てる時間ではない。
「兄上、お願いします」
「分かった」
兄は最後に力強く微笑むと、踵を返した。遠ざかっていくその背中が、やけに大きく、頼もしく感じた。
その後、調査には何日、何十日と時間を要した。兄が逐一報告してくれるのだが、状況が良いとは言えなかった。
ただ分かったのは、イリアの父が『何かを隠蔽している』という事実だ。
それだけ分かれば良い方なのだろうか。
今日はローラに報告も兼ねて会うために、また大通りを歩いている。父にはまだ秘密だが、兄の協力を得た今となっては城からの逃走などお手の物だ。
ローラには手紙で会う約束を取り付けている。返事は貰えないが、見てもらえるならそれで良い。
男爵家の近くに聳える一本の百年樹、そこで待ち合わせをしている。
俺が到着するのを待っていたかのように、ローラは木の下で手を振ってくれた。
「セレスト様!」
恋人同士では無いので、熱い抱擁は出来ない。しかし、その笑顔を見られるだけで嬉しかった。
「ローラ、お父様の様子は?」
「まだ、気落ちしたままで」
「そっか……」
爵位を剥奪されるのだ。ましてや味方も居ないだろう。その心中を察すると、やり切れなくなる。
「今日はローラに報告があるんだ」
「もしかして……良い報告ですか?」
「うん」
目を伏せて、イリアの顔を思い浮かべる。
そこまでして俺からの愛が欲しいのか。悔しさと怒りが込み上げてくる。
「お父様を追い込んだ犯人が分かりそうだ」
「本当ですか!?」
「うん。ただ、爵位は取り戻せないかもしれない」
「それは承知の上です。覚悟は出来ています」
ローラの瞳には、闘志に燃える決意が滲んでいた。
思っていた以上に彼女は強いらしい。
「住まいだって、もしかしたら食べるものだって無くなるかもしれない」
「分かっています」
「俺はローラがそんな目に遭うのは耐えられない」
弱いのは俺の方だ。俯き、拳を握り締める。
その拳をローラが両手で包み込んだのだ。
「どうして、私たちの為に、そこまで……?」
「本当は言うべきじゃないのかもしれない。でも、俺はローラが好きなんだ」
こんな事を言っても迷惑なだけかもしれない。何しろ、俺には婚約者が居る。ローラを巻き込んでしまっている。
しかし、もう巻き込んでしまっているのなら、素直に本当の事を伝えたい。
想いが、感情が爆発する。
「俺の本名はセレート。この国の第二王子だ」
「まさか、似てるんじゃなくて、本当に、本物の王子様……?」
突然の告白に、ローラの瞳が揺らぐのを感じた。
数秒間、互いに何も言えず、緊張が走る。
「……私も殿下に一目惚れしました。でも、殿下には婚約者が――」
「そんなの、父上が勝手にやった事だ。兄上は応援してくれてる」
「第一王子殿下が……」
ローラは俯くと、何か伝えようとしてくれているのか唇が動く。だが、言葉になる事は無かった。
「イリアはローラを追い込んだ犯人だ。俺がどうにかしてみせるから。信じて欲しい」
力強く言い切ると、ローラは小さく頷いてくれた。