第3話:思想が無職になる日
こんにちは、またはおつかれさまです。
このお話は、ちょっとだけ老けた“元・思想家”の、
久しぶりの再会と、ちょっとした会話の記録です。
AIが完璧な答えを出す時代に、
“あえて揺らいでる言葉”って、まだ意味あるの?って話でもあります。
肩肘張らず、コーヒーでも飲みながら、
「こんな先生、いたかもなあ」と思って読んでもらえたら嬉しいです。
その日、メールが1件だけ届いていた。
件名:「お久しぶりです。三崎先生、覚えていますか?」
差出人は、かつて僕のゼミにいた教え子の一人。
論文の主張は甘かったが、質問にはいつも目の奥に火を灯した奴だった。
今は“思想AIアレルギー”を拗らせて、地方でコミュニティづくりをしているらしい。
> 「先生の授業を思い出すことがあります。あれって、“理解する”というより、“疑っていい空気”を作ってくれてたんですね。
最近、AIは完璧な正しさをくれるけど、正しすぎて、どこか苦しいんです」
なんだよ、それ。
もう一回“先生”って呼ばれて、泣きそうになったじゃないか。
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彼に会うことにした。小さな古書店を兼ねた喫茶店で、
懐かしい顔が、少しだけ年を取ってそこにいた。
「先生……髪、白くなりましたね」
「お前も、立派な“社会”になったな。そろそろ解体したほうがいいぞ」
──気取った冗談も、笑って返してくれる相手がいると、急に言葉は暖かくなる。
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彼は言った。
> 「AIの言葉って、“正しい”けど、“揺らぎ”がないんです。
でも、先生の言葉は、どこか引っかかる。“納得できない余白”があって、考えさせられる。
たぶんそれが、僕にとっての思想でした」
思わず、コーヒーが苦くなった。
さっきまで「俺の思想、安売りされすぎだ」と愚痴ってた男が、
今は“思想ってまだ必要なんだ”と思ってる。
こんなに都合よく心が動くのもまた、人間だ。
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「なあ……俺、無職になったんだよ、思想で」
「え?」
「思想ってさ、仕事だったんだな。“役立つ限りのもの”だった。
で、今は役に立たないから、失業した。AIにその職、奪われてさ」
> それでも、君みたいな若い人間が、まだ“揺らぎ”を必要としてくれるなら——
俺は、揺れたままの言葉で、まだどこかに残れる気がした。
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彼は言った。「先生、また話してくださいよ。誰も要約できない、あのまどろっこしいやつを」
僕は笑って、手帳を開いた。
つづく?
ここまで読んでくれて、ありがとう。
思想って、ちゃんと定義しようとすると難しいけど、
たぶん「この違和感、言葉にしたいな」って気持ちが、その芽なんじゃないかなと最近思ってます。
AIには完璧な“正解”があるけど、
人間にはたぶん“まどろっこしい余白”がある。
でもその余白が、誰かと話したくなる理由だったりもするんだよね。
またこの“先生”、どこかに出てくるかもしれません。
そのときはまた、ふらっと立ち寄ってみてください。