第1話:要約された思想
文章を書くことに意味があるのか、それとも“伝わる”ってことだけが重要なのか。
そんなことを考え始めたのは、たぶん、AIが「俺の思想」を3秒で要約しはじめた頃から。
この話は、2043年のある朝。
思想とAIと、“俺”の話。いや、もっと言えば、「言葉は誰のものか」って話かもしれない。
まぁ、コーヒーでも飲みながら読んでくれたらうれしい。
難しいことは言わない。……いや、言ってるかもしれないけど、気にせず行こう。
時は2043年。
かつて“論壇の暴れ牛”と呼ばれた僕は、午前9時のログイン画面の前でため息をついていた。
タブレットの通知バッジが1つ光っている。
送信元は「AI思想要約プラットフォーム:思想AI-MISAKIβ」──皮肉なことに、それは僕自身の思想データを元に作られたAIだった。
> 「三崎恒哉氏の思想をもとに、現代の文脈で再構築した要約がこちらです。」
ワンクリックで出てきたのは、淡々と整った、完璧に構造化された4行の箇条書き。
余計な修辞も、迷いも、感情の揺らぎもなかった。
1. 社会とは構造化された物語である。
2. 物語とは、信じる者の数によって現実となる。
3. 信じる者を生むのは、教育と演出である。
4. ゆえに思想は、物語の演出者でなければならない。
僕は思わず、口の中で苦笑いを漏らした。
> 「……俺が30年かけて積み上げた言葉を……たった3秒で要約するなよ……」
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スクリーンに映る“自分の言葉”は、誰かのフィルターを通った残り香のようで、
それでも若者たちは、そこに「わかりやすさ」と「効率」を見出すのだという。
“先生、AIのほうが本質を捉えてますよね”──
そんなDMが来たのは、もう3回目だった。
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僕は手元の紙のノートを開く。
万年筆のインクがにじんだページに、読み返すのも億劫なほど難解な文章が並んでいる。
「この問いに答えるにはまず、前提となる言語的構造について整理せねばならない。
我々が“社会”と呼称するものの輪郭は、それ自体が定義の産物であり……」
書き始めたのは二十代の終わり。
そのときの自分は、“誰にも読まれなくてもいい、伝えるためではなく、考えるために書くんだ”と本気で信じていた。
でも今、そのページをAIにスキャンさせれば、おそらく3秒で要約されるのだろう。
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僕の30年は、「伝える」ための試行錯誤であり、
AIの3秒は、「伝わる」ことだけを目的にした冷静な刃だった。
そして、たぶん今の時代には、その刃のほうが正しい。
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つづく?
最後まで読んでくれてありがとう。
AIが俺の言葉を再構成してくるのって、ある意味で“自分を引用される”感覚に近い。
でも、妙にスッキリしてる分だけ、どこか他人事みたいなんだよな。
30年かけて考えたことを、3秒で“まとめ”られる。
その悔しさと、ちょっとだけの納得。
そして、それでもまだ言葉を書きたくなる矛盾。
きっと、書くって行為は“非効率”だからこそ、人間的なんだろうね。
そんなことを思いつつ、この文章もきっと、どこかの誰かに3秒で要約されるんだろう。
でも、まあ、それはそれでいいか。
じゃ、また。