第四話「あの頃と今②」
ひだまりの丘は電車で2時間ほどの場所にあった。
無人駅に着いてからは歩いて15分ほど。
ずっと母さんのことで頭がいっぱいで、気付いたら施設に着いてしまった。
名前の通り、小さな丘の上に建物が見える。
2階建ての保育園のような四角い建物だ。
俺はここまで歩いてきたのと、緊張をほぐすように額の汗を拭った。
施設の受付に行き、警察からの連絡で訪れたと伝える。
人当たりが良い優しそうなおばさんだな、と思った。
「あ!みどりさんの!?お待ちしていました。こんなところまで遠かったでしょう」
たわいもない世間話を二、三言交わした後、母さんのところへ案内してもらった。
二階に上がる階段一つ一つが重たい。
やっぱり俺は不安なんだ。と自覚した。
「みどりさんですがね…。」
おばさんが言いづらそうに話しかけてくる。
「実は記憶を無くしていて、身元不明で5年前からこちらの施設に入られてまして。ただ先週の日曜日に、急に人が変わったようになってね…。
私の名前はひとみで、タクミ〜、タクミ〜、私のタクミはどこだい?
ってずっと言っていて…それで警察の方へ失踪者でいないか調べてもらったんです」
私はふいに立ち止まってしまう。
「タクミさん?」
手を振って大丈夫ですよと伝える。
何となく予想はしていたが、本当にそうだったとは。
果たして今の俺が会ったらどうなるのだろうか?
「タクミさん」
話しかけられてビクッとする。
「実はお医者さんに診て貰ったんですが、詳しいことは検査をしないと。とは言われたんですけど、解離性同一障害じゃないかって。過去のトラウマとかが原因じゃないかって」
解離性同一障害…
昔にテレビの特番を見ていたことを思い出す
たしか以前は多重人格と呼ばれていたもので、過去のトラウマなどが原因で人格が入れ替わってしまうことだったはずだ。
それが原因で今まで失踪してしまっていた…?
もう少し状況を詳しく聞いてみる事にした。
「そうね…。前はすごい大人しい物静かな方だったわ。ただずっと記憶がなかったみたいで、一日中部屋で過ごすことが多い人だったわね。
ところが、先週の日曜日に施設内で催しがあってね。みんなそれぞれで料理を作って食べ合うっていうのだったのだけどね、ある施設の方がつまづいた拍子にみどりさんの腕にフォークが当たってしまって…
幸い怪我はなかったんだけど、当たった箇所をずっとさすっていたかと思ったら、それから様子がおかしくなってしまってね。
怪我はしていないはずなのに、痛い、痛いって…
そしたら走って自分の部屋に行ってしまったの。
急なことだったから、ショックだったかもしれないわね。申し訳なく思っているの」
そうだったんですか…
としか返す事が出来なかった。
昔の母さんを知っている自分からすると、今の状況は想像したくない。
したくないが、だからこそ、会って話さなければいけない。と強く思う。
施設二階の突き当たりの部屋。
そこに表札に「みどり」と書いてある。
おばさんが3回ノックをしてドアを開けた。
みどりさん
いや、
ひとみさん
違う、
母さんが
あの頃から変わらぬ雰囲気の母さんが、椅子に座って目をつぶっていた。
おばさんが話しかける。
「こんばんは、具合はいかがかしら?」
反応はない。
「ほら、息子のタクミさんか会いに来てくれたわよ」
「タクミ…?」
「そうよ、息子のタクミさんがわざわざ遠くから…」
すると急に母さんが立ち上がった!
「ねえ!タクミは?わたしのタクミはどこにいるの?」
おばさんは驚いて腰を抜かしている。
俺は何一つ反応出来なかった。
すると、最も恐れていた言葉を聞いてしまう。
「ねえ、あなたタクミを知らない?まだ小学生六年生で来年に中学生になるの。私のかわいいかわいい息子なのよ!」
俺は…何も言えなかった。
覚悟していたはずなのに、現実を受け止めれない。
きっと母さんではないんだ!そんな誤魔化しすら考えをめぐり出す。
情けさなのか、悔しさなのか、悲しさなのか、涙が溢れてくる。
俺はあの瞬間、まるで時間が止まったように感じた。母さんが俺を覚えていない。わかっていたはずなのに、心のどこかで期待していた。けれど、その期待はあっけなく崩れ去った。
すると母さんは急に椅子に座って何も話さなくなってしまった…。
まるで魂が抜けてしまったかのように脱力していた。
俺はその日以降、都合が付く限り施設に通う事になる。
とても今の状況では一緒に暮らせない。
また医師からは正式に解離性同一障害だということを告げられた。原因は不明とのことだ。
ただ、施設の催しでの出来事がトリガーとなったのではないか。という事は聞かされたが、今後どう治療していくべきかは様子を見ながらとなった。
ズキン…!
ズキン…!
ズキン…!
ここまでを走馬灯のように思い出した俺は、また謎の頭痛に襲われた。
神様っているのだろうか…こんな…辛い事を思い出させるなんて…
頭痛に加えてさっきまでの熱が酷くなってきたらしい
母さんの笑顔が一瞬頭をよぎり、ぷつんと意識がホワイトアウトした。