第44話 一歩踏み出す勇気
「ミント………。ミント!起きて!」
コンマ1秒で目を覚ます。掠れた景色が鮮明になる。暗い夜空、荒れ果てた中庭、そして自分を呼ぶ少女の声、脳がそれらを理解し、ミントは覚醒する。
「アンナ………?」
身体を起こし少女の名を呼ぶ。ミントの意識が戻ったことに気づいた少女は声をくぐもらせミントを抱きしめる。
「ミント………!目が覚めてよかった」
涙交じりに安堵の息をつく少女───アンナの頭を撫でる。そうか。自分は気を失っていたのか。身体中に痛みが走る。まだ目眩がする。それでも自分は生きていた。
ではあの灰の魔女はどうなったのか?
「ブルグマンシアは?」
「え、逃げたけど、リーシャちゃん達が待ち伏せしてやっつけたよ?」
あんな強大な魔女を倒したのか?ミントは驚愕の表情を浮かべる。
「え、あの魔女を、どうやって………?」
「少し説明が難しいけど、アンナの能力であいつの毒を解毒して、新しく毒を打ち込んで、それで………」
なるほど、だいたい理解できた。アンナは無意識のうちにライフウェポンが発現していたのだ。本人もどこで発現したかはわかっていないみたいだがそれはともかく、自分はアンナに助けられたようだ。
「アンナの能力で、僕にかかった術も解いたってことだよね?」
「うん」
「ありがとね。アンナ」
アンナを抱きしめる。心が一気に解放する。助かってよかった。無事でよかった。生きててよかった。
そう思うと、自然と涙が溢れてくる。
「ミント、ちょっと痛い」
「あ、ごめん」
慌ててアンナから手を離す。涙を拭うミントに今度はアンナが頭を撫でてあげる。
「アンナもミントに助けられた。あそこで来てくれなかったらアンナ死んじゃってたもん。だからありがと!」
ミントの手をとって立たせてあげる。アンナが笑顔で微笑みかける。この笑顔が見たかった。いつも元気なアンナが戻ってきてくれた。
「戻ろうアンナ。チロルが待ってる」
「うん!」
2人で手を繋ぎ、中庭を出る。ようやく平和が戻る。大切な人が待っている。はやる気持ちが抑え切れずアンナはミントの手を引っ張って走り出す。
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その後少女達は魔女警察に保護された。
故郷を失ったもの、家族を失ったもの、友人を失ったもの。そのショックは計り知れないだろう。
デルフィニウムはそんな少女達に無償で孤児院に住まわせてあげることにした。
そんなことで今回の事件のトラウマが消えるわけではない。だがどんな事象も背負うことしかできない。背負った上で前に進むことしかできない。
自分も同じだったのだから、自分より年齢を下回る少女達に苦労はさせたくなかった。
人数を確認する。名前はブルグマンシアの屋敷から押収した名簿で確認する。一人一人の名前を呼び上げる。その声に名前を呼ばれた少女達は反応する。
「この子で最後ですね………。リーシャ」
今回、ブルグマンシアの撃破に貢献した少女の名前を読み上げる。その声に、リーシャは反応する。
「揃ったみたいですね。あと1人の子はすぐに合流するはずです。あなた達はこの子達を馬車に乗せるです。ガンマ地区に大きな孤児院があるからそこに───」
「待って」
自分の部下に命令しようとしたデルフィニウムを制止し、リーシャは派遣された魔女達の前に進み出る。
「魔女さん………」
少し俯き、思考をまとめる。ここまで自分がなにを言おうとしたか、それらをまとめ、絡ませた両手をほどき、デルフィニウムの目を見つめる。
「魔女さん………。あたしを逮捕してください」
その言葉で少女達、そして魔女達がざわめく。デルフィニウムはリーシャの目をまじまじと見つめる。まっすぐな瞳だ。自分たちが到着するまで彼女も悩んでいたのだろう。
「あたし、パパとママを殺しちゃったの。操られたとはいえ自分の手でパパとママを手にかけた。あの時の生暖かい血の温度が頭から離れないの………。人を殺して、そのまま人生を真っ当に歩むなんて都合がいいの。あたしのパパとママをあたし自身で殺した。だから罪を償いたいの!」
語気を強めて言う。口が震え、感情が抑え切れず、ぎゅっと服を握りしめる。
「………あなたの他にもそういう子がたくさんいるです。望んでいないことを無理やりやらされ罪の意識を植え付けられた。本当はやりたくない。殺したくない。できれば話し合いで解決したい。当人達はそう思っていたはずです。奴はその言葉を曲解して殺人という極端な方法でしか解決できなかった。あなたが頼み込んでいたとしても、実行してしまったとしても、奴の手駒として働かせられ、無理やり罪を犯したあなたを裁くことはできないです」
リーシャのことはブルグマンシア自身の日記で詳細に書かれていた。父親は酒乱で母親は言いなり。居場所がないリーシャが誰かに依存することは至極当然だ。不安定な精神で拠り所を見つけたい。だが親子の愛情は断ち切りたくない。共に住んでいれば良いところも悪いところもわかる。だから父親への暴力をやめさせる。リーシャはそれだけを望んでいたはず。
こんなに小さな子が罪の意識に苛まれ自首をするなんてことはあってはならない。だからこそ、新たな拠り所を見つけ、そこでケアすることが大事なのだ。
「それにあなたは私たちと共に闘ってくれたです。この地獄のような獄中生活の中で希望を捨てなかった。本来勝てなかったはずの敵も、あなたが突破口を見出し、撃破に貢献してくれたです。あなたの存在は他の子達にとっても光のようなものだったです。逮捕する理由なんて尚更見つからないです」
リーシャと目線を合わせ、しゃがみ込みながら感謝するデルフィニウム。リーシャはまだ何か言いたそうだった。
「運が良かっただけ。アンナのライフウェポンが発動してなかったら思いつかなかった方法なだけ。あたしはなにもしてないよ。むしろ怖かった。あいつに鉄砲玉にされて、パパとママに謝れずに死ぬって思ったら、怖くて怖くて仕方なかった。夢の中でパパとママがずっと出てくるの……。血を流して話しかけてきて……。あたしのやったことはこんなに重いことだったんだって………」
リーシャは溢れる涙を拭わず歯軋りをする。
「あたしを傷つけたりした。でも愛してもくれた。そんな存在をあたしが奪った。だからこの先一生パパとママに謝らなくちゃいけないの。だから捕まえてほしい。一生檻の中でいいから、罪を償わせてほしい………」
鼻水を垂らし、地面に手をつく。まだ幼き少女がここまでして懇願をしている。デルフィニウムにしてみればこの少女を逮捕する理由など見つからない。だが逮捕し、裁いてもらう方が楽なのか?その二つの思考が巡り合い衝突する。悩みざるを得ない。どれがこの子にとって正解なのか。
「話はお聞きしたにゃ〜」
沈黙を破ったのは1人の男だった。茶色いコートに黒いハット、マスクにサングラスという誰がどう見ても怪しく雰囲気を一瞬で壊す風貌の男がリーシャに語りかける。
「お前、罪を犯したから裁いてほしいって自己満足がすぎるにゃ」
低い声を無理やり作り出し、男はこの会話に水を差す。
「ちょっとロストマ………痛!」
制止しようと男の名前を呼ぼうとするデルフィニウムの足首を爪先で蹴って黙らせ、男───ロストマンはリーシャの顔を覗き込む。
「お前言ってることとやってることが矛盾してるにゃ。罪を償うんだったらブルグマンシアに鉄砲玉にされて死んだ方が償えるにゃろ?なのに脱出したがって解放されたら逮捕してほしいって、自己犠牲を盾にした自己満にすぎにゃいにゃ」
酷い物言いにリーシャは声を荒げる。
「違うの!あたしは生きて償いたいの!でも楽に生きてちゃいけないの!人の命を奪ったあたしが楽しい生き方をするなんて許されちゃいけないの!だから牢獄にいた方がいいの………。ずっと孤独に過ごした方がいいの………毎日毎日パパとママに謝って、毎日このことを忘れない………。死ぬ時も地獄でいいの!わかる!?こんなことをした時点で楽な道に行くことなんて許されないの!」
「お前の言ってることって今ここにいる人たち全員に失礼じゃにゃいかな?」
ロストマンのため息交じりの言葉にリーシャは顔をあげる。
「失礼………?」
「うん、失礼」
「なにが失礼っていうのよ………」
「罪を背負っているのはお前だけにゃいにゃ。ブルグマンシアに支配された子供達も、ここにいる偉そうな顔してる魔女どもも、みんな大小問わず後ろめたい過去があるにゃ。脛に傷を持ってるやつにゃんていない方がおかしいにゃ。お前だけがこんな想いをしているわけじゃにゃい。お前言ったよにゃ?苦しい想いをしたけど前を向いて歩こうって。その言葉で勇気づけられたやつもいるはずにゃのにそいつらのことをなんとも思ってない。可哀想な自分に酔ってるだけの偽善者だにゃ」
「もう一度自分の言葉を思い返してみろ」と一言付け足し、ロストマンは立ち上がりリーシャを見下ろす。
「みんなは………ちゃんと前を向いて歩いてほしいの………。でもあたしだけはダメなの…………」
「最後尾でずっと後ろ向いてるだけでいいのか?」
「あたしがここから出たかったのは、あたしの罪を償うためなの………」
「じゃあにゃんで周りを巻き込んだ?」
「ひとりで脱出なんてだめなの…………。みんなで逃げ出して…………」
「それを独善的だって言ってるにゃ」
ピシャリと言いつける。冷徹な眼差しで、夜の光に当てられ丸くなっている大きな瞳がリーシャを捉える。
「お前は自分のことしか考えてない。ブルグマンシアにトドメを刺したのはにゃんで?脱出を扇動したのはにゃんで?アンニャと計画を立てたのはにゃんで?それで自分だけは勝手に償う気でいるのはにゃんで?説明できるかにゃ?お前は過去に自分から縛られようとしてるだけだにゃ。他の子達だって、お前と一緒で一生消えない過去の傷ができたにゃ。でもその子達の顔を見てみろよ」
促され、項垂れた顔をあげ、他の少女達の顔を見る。
「…………あ」
一人一人の顔をまじまじと見つめる。
「……………」
まっすぐだった。直視できないほどに。未来を見据え、これからも歩んでいきたい。そんな思いが見えるほどに。
「お前の言葉で変われた子達だにゃ」
再度頭を下げる。自分があの屋敷で考えていた思いが浅く感じるほどに。
「過去はお前にしがみついて離れにゃい。無論消すこともできにゃい。うじうじ昔はどうとかほざくやつもいる。でもお前は今を生きてるはずだろ?お前がやることは償うことではにゃく、こんな事件を二度と起こさないように後世に繋ぐことだにゃ。大きな傷を残しながらも前に進まないといけない。変えることができるのは今と未来だけ。そして過ちは墓場まで持っていって二度と繰り返さないと誓うだけ。それが強いやつの責務だと思うにゃ」
リーシャはようやく立ち上がった。そして涙を拭い深く頷く。
「まあ、お前がどうにゃろうが知ったこっちゃにゃいけど」
ロストマンは肩をすくめ、わざとらしく紙をリーシャの足元に落とす。
「おいらはそこの金髪とバディを組んでるストローキャットだにゃ。ご依頼があれば魔女の皆様方にも協力する予定にゃんで、寝起き以外はいつでも対応できる。だから気ままに連絡してくれ〜」
ポケットに手を突っ込み現場を後にした。その紙を拾い上げ、リーシャはまじまじとそれを見つめる。
「ストローキャットさん…………コハク町に住んでるのか………」
『サバ一つで相談を受けるので勝手に来い』と書かれた紙を見つめ、リーシャはようやく笑顔を取り戻す。
その表情にデルフィニウムは安堵の息を漏らす。
「決まりですね。クローバー!この子達をガンマ地区まで送ってください」
クローバーと呼ばれた魔女は敬礼をし少女達を馬車まで案内する。
「デルフィニウム様はどちらへ?」
クローバーがデルフィニウムにそうたずねるとデルフィニウムは答える。
「スイレン様が屋敷を捜査しているみたいなので、会いにいってくるです」
それだけじゃない。屋敷にはまだミントとアンナがいる。妙に嫌な予感もする。その思いを抑えながら、デルフィニウムは屋敷へ向かった。




