第37話 狂人の愛
『明日の朝王都に突撃しようと思うんだけど、最期に全員で最期の食事会をしようか?今日は自由に行動していいよ?色んな子と話していいし、私に話しかけてもいい。敷地内に出入りしてもいい。最期の日だから思う存分楽しもう!』
それは突然のアナウンスだった。屋敷全体に声が響き渡る。
リーシャは筆を止め、そのアナウンスを一言一句逃さずに耳に入れるとすぐさま部屋を飛び出した。
「(これが嘘じゃなければ………。明日にはここを脱出できるかもしれない)」
信憑性はともかくとしてこれは最大のチャンス。
リーシャはアンナの部屋をこじ開け声をかける。
「今のアナウンス聞いた!?」
アンナも部屋を飛び出そうとしたのだろう。リーシャとぶつかって尻餅をつく。
「いてて………。聞いたよ。リーシャちゃん?だったよね?今日だけは自由に出入りしていいって、監視しないって言ってたよね?」
アンナは立ち上がりながらそう問う。文通はしていたが会って話すのは初めてだった。黄緑色の瞳と薄緑の髪色。髪を一纏めにした。目が鋭く。でも奥に優しさを秘めてる女の子をまじまじと見つめる。
「あっ。そういえばこうやって話したのははじめてだったね」
それどころではないと思いながらもお互い一応軽く自己紹介はしとく。ブルグマンシアの言った通りの茶髪でハートの瞳を持っている可愛らしい女の子だった。すれ違ったことは何度かあってもこうして顔を見たのは初めてだった。2人は地べたに座り本題に入る。
「今が絶好のチャンスなんだ。この屋敷の出口はわかった。追跡石も今は止まってる。みんなで逃げるにはあとは起爆装置を壊すだけ。あたしにいい考えがあるんだ」
リーシャはそう言ってアンナに作戦を説明する。
「アンナはあいつの部屋に入って起爆装置を探して。あたしはあいつの飲む紅茶に毒を仕込む。そしてあいつが倒れてる時にみんなで逃げ出すの。もう意識を奪われちゃった子は助けられないけど、今いる子達は全員助ける。そして脱出したら近くの魔女警察に駆け込んで倒してもらおう!」
リーシャはアンナの手を握る。その目はアンナを疑ってなどいない真っ直ぐな目だった。アンナも力強く頷く。
「決まりだね!今あいつは部屋にいるはず。なんとかあいつの懐に入って話を聞き出して!その間にあたしは毒を作ってくるから!」
「毒を作る?」
リーシャの言葉にアンナは首を捻る。
「ここの人口植物、あいつの趣味かはわかんないけど全部毒草なんだ。やったことはないけどそれをうまく調合すればあいつにも効く毒を作れるんじゃないかって思って」
「そうなんだ」
リーシャはここにいて長いのは知っていた。今まで監視下にいながらここまで構造を調べ尽くしていることに感心した。隅々まで見渡して脱出の機会を練っていたのだ。なぜリーシャがここまでしてここから抜け出したいのか知りたくなった。
「リーシャちゃんはなんでここを抜け出したいの?」
その問いを受けて、リーシャは静かに口を開いた。
「あたし自身が罪を償うために生きなくちゃいけないの」
「罪?」
「あたし、ブルグマンシアに操られてお父さんとお母さんを殺したんだ」
言葉を失ってしまった。
「お父さんがお酒好きで、お酒飲んだら暴れてあたしに暴力を振るうの。何度も飲まないでって言ったけどやめなくて、お母さんもそんなお父さんに逆らえなくて、嫌になって家出した時にあいつに会ったの。あたしに初めて優しくしてくれたからすぐ好きになっちゃって………それで………」
そこまで言った後にリーシャは言葉を詰まらせる。顔をしかめ、唾を飲み込むその姿を見て、アンナはあえて最後まで聞かなかった。
「あいつに渡されたナタでお父さんとお母さんの首をきったあの感触が今でも忘れられないの。生暖かい血と、命が抜けていくあの感じ、人を殺したあの時、あたしの時計の針はあそこで止まっちゃったの」
リーシャから見た自分の手はひどく汚れているように感じるのだろう。自分だってそうだった。あの日あの時、憎い人間に復讐したのに爽快感なんてものは一切なかった。あったのは気持ち悪いあの血の温度と、罪を犯した後悔のみ。カルマを背負わせたのは他でもないブルグマンシアだ。だが実行したのは自分達。これから先幸せに生きれたとて忘れられないだろう。そう思った。
「あたしがやったことは変わらないの。あたしは人殺し。死のうと思ったこともある。でも死んだらあたしは罪から逃げたことになる。だから償うの。お父さんお母さんの年齢を追い越すまで生きて、一生罪を背負うの。だからここから抜け出すの」
自分に暴力を振るったって、自分に生を与えた人間のことは嫌いになれないのだろう。
その繋がりを突然断ち切られ、人殺しの汚名を背負うことになってもこの言葉を言えるリーシャにアンナは少し羨望の眼差しを向けていた。
「リーシャちゃん、強いね」
「そんなことないよ。生き残れる保証なんてないし今も怖い。でもアンナを見たらわかる」
リーシャは再度アンナの手を握る。まるで何かを確かめるようにぎゅっと握りしめる。
「アンナとなら上手くできそう」
リーシャはアンナの耳元に顔を近づける。小声で何かを呟くと、顔を見つめはにかむ。
「わかった?頼んだよ」
聞き取ったつもりだ。だがわからなかった。自分にその役目が務まるのか。なぜそこまで自分を信用してるのか。アンナは理解できなかった。
─────
「いらっしゃいアンナ。珍しいね?アンナから私のところに来るなんて」
ブルグマンシアは椅子に腰掛けアンナを出迎える。
「スピカちゃんと話したくなっちゃったの!最期にいろんな話がしたくなっちゃって!」
アンナは笑顔を作りそう答える。ブルグマンシアは手に持ってたペンを置き微笑む。
「そうだね。私とアンナが話せるのも明日で最後だもんね。ここの生活楽しいでしょ。豚小屋と違って自由があるし無駄な作業もする必要もない。みんなが平等に生きれる素敵な場所でしょ?」
「うん!」
相槌を打ち、視線を泳がす。ノートの横にある赤い円形の物体を眼がとらえる。間違いない。あれが起爆装置だ。
「アンナはここで友達ができた?いっつもお部屋にこもって紙になんか書いてたけど」
ブルグマンシアは目を細めそうたずねる。アンナはわずかに震える口を開く。
「うん!すっごく優しい女の子なの!当ててみてー!」
「えー誰だろう。アンナと年齢が近い人だよね多分。んー、リーシャ?ミレイ?リオ?」
「正解はリーシャちゃん!お姉さんみたいに頼もしくて優しい子だよ!」
「へぇーそうなの。アンナがリーシャを好きになるなんて、ちょっと嫉妬しちゃうなぁ?」
相変わらず心が読めない女だ。平然と受け答えをし、アンナから目を離さない。隙を作ることはできないし、チャンスすらも生ませてくれない。
しばらく話していると、ブルグマンシアは椅子から立ち上がり、アンナをベッドに連れていく。「ああ、いつものあれか」とアンナは半ば諦めたような表情でベッドに身を預ける。
「アンナの可愛いお顔、最後まで見たかったな」
明日殺す予定の人間に憐れみの表情を向けるブルグマンシア。
「アンナも、もっとここで暮らしたかった」
アンナはブルグマンシアの首に腕を回す。
「お兄ちゃんと離れ離れになって寂しくない?」
「うん」
「思い残すことはない?」
「ないよ」
嘘をつく人間にはなりたくなかった。だがこの女にはいくら嘘をついてもいい。この女自体嘘も権化のような生き物だ。そんなやつにいくら嘘をついても良心は痛まない。
むしろ、やっとこいつから解放されると思うと安心する。
「大好きだよ。アンナ」
「アンナも大好き」
捉えていた。起爆装置を。ずっと脳を動かした。奴の行動パターンを予測していた。ずっと。
頭が悪い自分にもわかることがあった。ブルグマンシアはあえて余裕を見せる。あえて弱点を見せる。自分にかなうものはいないと慢心する。ならば導き出せる答えは一つのみだ。
こいつは明日の朝、起爆装置を持ってくる。
アンナはそう確信した。
─────
迎えた朝。屋敷の全員が食堂に集まり、人生最後の食事会が行われた。
起爆装置を見せびらかすようにテーブルに置き、椅子に座ったブルグマンシアがあることに気づく。
「あれ?ミカがいないね?」
ミカは6歳でここに連れてこられたこの中では最年少の女の子だ。幼さゆえにいつも泣いていて、その度にブルグマンシアから暴力を振るわれていた。
「はぁー、最後の最後まで困った子だなぁ」
ため息をつくと、ブルグマンシアは人差し指で起爆装置を押す。
「みんなも真っ当に死にたいならミカみたいなことはしないでね」
笑顔でそう告げるとブルグマンシアは手を合わせる。
「みんな今日でお別れになっちゃうけど、私はみんなのことを忘れないよ。みんなのこと愛してるから少し寂しいけど、でもこれが私なりの愛し方なの。先に言っておくよ。私のために死んでくれて、ありがとう………」
目を閉じてブルグマンシアはそう答える。ここにいる全員がこう思ったことだろう。
『狂人』だと。異常者だと。だがこれが愛だと信じてやまないその姿はあまりにも盲目で哀れみすら感じる。
リーシャが席を立つとブルグマンシアに話しかける。
「今日はあたしがスピカちゃんの紅茶入れてあげる」
そう言ってリーシャは台所に向かった。
「気が利くね。リーシャは。他の子もリーシャくらい要領が良かったらいいのに」
洗脳しているメイド達や他の子に愚痴をこぼしながらブルグマンシアはリーシャを待つ。
作戦通りだ。リーシャは事前に用意した毒の粉を紅茶に入れる。そして匂いがしないようにかき混ぜる。
笑みが溢れてしまう。これが成功すれば、自分たちはここから抜け出せる。
準備を終えるとリーシャは紅茶をブルグマンシアの席に置く。
「遅くなっちゃってごめんね!スピカちゃんのために丹精こめて作っちゃった。はいどうぞ!」
「ありがとうね。リーシャ」
ブルグマンシアはマグカップを手に取る。そして少し匂いを嗅ぐ。
「………これ、私の好きな味じゃないかも」
顔をしかめブルグマンシアはリーシャに不満を漏らす。
「バレたのか?」一瞬そう思った。だが平静を装いリーシャは返答する。
「そんなことないよ。イプシロン地区産のレモンティーだよ?」
「そうなの?いやでも今日はハーブティーの気分だったなぁ」
「は、ハーブティーはなかったから!」
「はぁ」とブルグマンシアはため息をつこき、リーシャを睨む。
「こんな時に都合よくハーブティーってなくなるもんなんだね?」
リーシャの目の奥を、ブルグマンシアはじっと見つめる。
「きょ、きょうはスピカちゃんに感謝を込めてレモンティーにしたの!」
「そう?それがリーシャの愛?」
「う、うん!あたしの、スピカちゃんへの愛!」
ブルグマンシアはニヤリと笑うと、カップを揺らしながら呟く。
「そう、じゃあありがたく受け取っちゃおうかな」
そう言ってレモンティーを口に含む。飲み込むまでの時間が異様に長く感じた。汗が滴り落ちる。早く飲み終われと願う。ゴクっと、喉がなる音が聞こえた。
「やった」と心の中で勝ち名乗りをあげる。
「う!ああ………う…あ……」
突然苦しみ出すブルグマンシアを見て、他の子達からはどよめきが走る。喉を掻きむしり、水を求め、テーブルを爪で引っ掻く。
椅子から転げ落ちるブルグマンシアを見て、アンナが声を張り上げる!
「みんな聞いて!この屋敷の森の奥に赤い扉があるの!そこが出口なの!だからみんな、アンナ達を放って外に出て!みんないますぐ逃げて!」
その声を聞いて女の子達が一斉に走り出す。突然のことに動揺し動かなくなる子、我先にと逃げ出そうとする子、他の子に揉まれて怪我をする子など、群集心理が現れ出した頃、リーシャは次の作戦を実行する。
それは起爆装置の破壊だ。
仮に逃げることができたとしても、これがあればいつでも爆殺できるのだ。だから壊す。リーシャは起爆装置に手を伸ばそうとした。
これでようやく終わる。リーシャは心の中で安堵した。
だが─────。
「……………この程度で死んだと思った?」
リーシャの伸ばした手はフォークで刺され、起爆装置は取り返されたしまった。
「───!!」
手の甲に激痛が走り、慌てて引っ込める。
と同時に、奥から怒号が聞こえる。
「開かない!!!屋敷の出口が開かないの!!!!」
リーシャとアンナは立ちすくむ。まだ食堂にいた女の子達の動きも止まった。
「な、なんで………魔獣ですら死ぬ毒を作ったのに」
声の主はゆっくりと立ち上がる。
「灰の魔女について説明しようか?私たちには体内に毒がある。血や息、毛の一つ一つが全て毒で覆われている。その毒はどんな毒も打ち消す力を持っている。────つまり、リーシャが頑張って作った毒もものの数十秒で解毒できちゃうの」
垂れた涎を腕で拭い、ブルグマンシアは醜悪に顔を歪める。
「がっかりした?でも上手かったでしょ?私の演技」
リーシャは歯軋りを鳴らし、テーブルに置いてあったフォークを投げつける。
だがブルグマンシアはそれを払い飛ばし、リーシャの頬を強く叩く。
「前々から何か企んでることは知ってたよ?だから泳がせてた。自由に行動していいって言ったら、リーシャみたいな子はすぐに動くかと思ってね?」
リーシャの小さな顔を足で踏み躙る。
「リーシャ、なんで私を裏切ったの?私リーシャになんかした?リーシャへの愛が足りなかった?」
リーシャは下からブルグマンシアを睨みつける。
「……………かえせ」
「ん?」
「………………あたしの、パパとママを、かえせ…………」
涙で床を濡らしながらリーシャはそう言った。
「リーシャが殺したのにそんなこと言わないでよ」
ブルグマンシアはリーシャから足をどけ、屋敷の玄関に向かおうとする。だがその足をリーシャは必死に掴む。
「どうしたの?もうリーシャにはお仕置きしたから離れてよ。次はあの子達をしつけてあげないと」
「あんな………やって………」
「ん?」
ブルグマンシアはアンナのいた方角を向く。だがそこにアンナの姿はなかった。もう既にブルグマンシアの懐に入っていた。
「やああああああ!!!!」
隠し持っていたナイフで、アンナがブルグマンシアの腹を深々と刺す!!!
「…………リーシャ、もしかしてこれが最後の切り札?」
刺されたブルグマンシアは吐血すらしなかった。滲んだ血がアンナの手を焼く。顔をしかめながらアンナが腹を抉る。
「アンナ、本当に殺すつもりならもっと力入れないと」
アドバイスすると同時にブルグマンシアはアンナの腹に拳を入れる。大きく吹っ飛び、アンナはテーブルを巻き込んで壁に頭を打ちつける。
「が、がは……」
「2人で頑張って考えたんだね。こんなに小さな体で、私を出し抜こうとしたんだね。でも、子供2人で考えた作戦なんてこんなにお粗末なんだよ?」
ブルグマンシアはリーシャを引き離すと、左手に持った起爆装置を掲げる。
「連帯責任!アンナとリーシャが逆らったので!今から屋敷の玄関にいる子達を4人殺します!」
そういうと、ブルグマンシアは起爆装置のスイッチを勢いよく押した。
大きな爆発音が屋敷中に響く。
血生臭い匂いが漂う。外からは悲鳴がと泣き声がこだまし、ブルグマンシアの笑い声が混ざる阿鼻叫喚の地獄となった。
「アンナ!リーシャ!今どんな気持ち!?アンナとリーシャが殺したんだよ!?無関係の子達を巻き込んで身勝手な行動を起こした!アンナとリーシャが悪いんだよ!?ねぇ!!ねぇ!?」
リーシャは悔し涙を流す。床を拳で殴り、自責の言葉を呟く。
ブルグマンシアは食堂にいる女の子達に視線を向けると、こう問いかけた。
「みんなはどうする?逆らう?従う?」
その言葉に全員が従うと答えた。その答えを待っていたのだろう。ブルグマンシアは満足げに微笑んだ。
「じゃあ!今からアンナをみんなで殺して!食堂のナイフ使っていいから!裏切り者はみんなで殺せばその言葉信じるから!」
その言葉を聞いて、リーシャを除く全員がナイフを持った。そしてアンナを囲む。
「ごめんね、私死にたくないの」
「あなたが悪いんだよ」
「わたしはここから逃げたくない」
口々にアンナを責める。薄れゆく意識の中でアンナは悟った。
助けなんて、来ないのだと。
ダメだ。抵抗する気力を失った。チロルとミントに合わせる顔はどこにあるのか、この後悔はどこに立てればいいのか。
その問いに答えてくれるものはいない。
全員が襲いかかる。覚悟した。自分の終わりはここなのだと。
目を閉じた。せめて痛みを和らげて死にたい。そう思った。
─────次の瞬間だった。
食堂のガラスを破る音が聞こえた。
現れた影はアンナを抱き抱えると大きく飛び上がり、その攻撃を回避する。
そしてブルグマンシアの手元を蹴り上げ、抜いた刀で起爆装置を真っ二つに切り落とす。
着地し、男は安堵の息をつく。
アンナは男の名前を知っていた。
「ミント………?」
自然と涙が溢れた。もう助からないと思っていたのだから。
名を呼ばれた男はアンナを見て静かに微笑む。
「間に合ってよかった………」




