第32話 クズほど表面は分厚い
『この牢獄の構造がなんとなくわかった。多分ここは外の世界には繋がってない。どんなに離れたところに行っても必ず屋敷に戻ってくる。お星様も雲も見えない。雨も降らない。この世界はきっとミニチュア模型みたいなとこかも。Rちゃん今日あいつと話すんだよね?気をつけてね? A』
2日目の朝、アンナは今日もリーシャと密通する。手紙の内容を見られないように相手の名前を書くときは頭文字のみにすることを決め、文章も暗号のようにした。これはお互いに話し合って決めたものだ。この秘密の作戦がバレたら自分達ばかりか、他の子供たちも危ない。2人は慎重にことを進めていた。
───現時点で分かったことは牢獄の構造、囚人同士のコミュニケーションの制限、ブルグマンシアが牢獄を開ける頻度、そして出口だ。
基本囚人同士とのコミュニケーションは可能である。だがここは望まれない形で連れてこられた子供たちが大半で悠長に話なんてしてられないしする精神力もない。それに会話は全て盗聴されているので脱走の計画などを立てたらその時点で破滅の未来が待っている。脱走を計画したもの、ブルグマンシアを殺そうとしたものは脳みそを破壊され感情を奪われ死ぬまでブルグマンシアの召使いをさせられる。連れてこられた初日に見た虚な目のメイド達はブルグマンシアに逆らったものの成れの果てだとリーシャから聞いた。
ブルグマンシアは外出が多い、リーシャ曰く奴は「ドールズアイ」と呼ばれる存在といつも会話をしているらしい。「3日後の計画の遂行」それと関係あるのだろう。
そして出口だ。アンナは屋敷の四方八方を見渡してそれらしきものを確認した。肉眼では確認できなかったものの、ブルグマンシアが外出する時にその後をついていったリーシャ曰く、「空間から扉を出現させていた」とのこと。なんらかの方法で聞き出せば、活路を見出すことができそうだ。
あとは、ブルグマンシアの洗脳のメカニズムを知ることと、起爆装置の奪還。それさえできればあとはなんとかなる。そう思っていた。
「(リーシャちゃんがあいつから色々聞き出してくれれば、あとはアンナでもなんとかできるかも………)」
紙を折りたたみ部屋を出る。基本的に人の出入りが少ない屋敷の廊下を歩く。
その最中、前方からは自分と同じ歳くらいの少し背が大きい女の子が通った。目は鋭く、黄緑色の瞳と薄緑の髪色をした気の強そうな女の子だった。
お互い会話もせずすれ違う。手を後ろに回し手紙を受け渡しする。
アンナは少女の方を振り向く。
「…………」
何も言えなかった。身を案じる言葉も世間話も、全て聞かれている自由のない世界を抜け出す。お互いの利害の一致してるだけで仮に抜け出せても他人のままだろう。なら今は情なんて持たない方がいい。そう言い聞かせた。
──────
「いらっしゃいリーシャ。こうして話すのも久しぶりだね。こっちおいで?私と一緒にご飯たべよう」
意思を失くしたメイドを侍らせ、2人だけの食堂でブルグマンシアはリーシャの近くに自分の椅子を持ってくる。
リーシャはグラスに注がれたワインをちびちび飲む。この苦味を好んで飲むこの女の味覚を問いたくなる。思考が傾きつつも本来の目的を遂行するために黙ってワインを飲み女の言葉に耳を傾ける。
「いつ食べてもこのハンバーグは不味いな………。感情がこもってない。私への愛がこもっていればこんなに不味くはならない」
感情を奪ったのは自分なのにブルグマンシアは悪態をつく。棒のように立っているメイドに目をやるとピンクの瞳を鋭くさせ呟く。
「後でたくさんしつけてあげよっと」
冷たい錘がのしかかるようなそんな一言だった。ワインで口直しをするとブルグマンシアはリーシャに問いかける。
「おうちに帰りたい?」
リーシャは悪態を隠さずに答えた。
「………別に」
「…………そうだよね!」
その返答はブルグマンシアにとっては満点の解答だった。腕を大袈裟に広げ笑顔でリーシャに語りかける。
「リーシャは家に居場所がない捨てられた子供だもんね!毎日毎日お父さんからはいじめられてお母さんからは無視されて何もできない弱い子だった!だから私が助けた!あの頃の生活と今、どっちが幸せかリーシャが一番分かってるはずだよね!」
何か含みがあるような言い方だった。こちらの行動がバレているのか?リーシャは動揺を隠す。この女は何を考えているかわからない。そして何を言っているかもわからない。出し抜くことは不可能に近い。だがリーシャは笑顔で取り繕いこう答えた。
「今の生活の方が幸せだよ?………スピカちゃん」
「スピカ」、女の名前はこう呼ばないとダメなのだ。ブルグマンシアなんて呼んではいけない。過去にそう呼んで何度もぶたれた人間がいたから。女の名前はスピカでなければならない。
「リーシャの笑顔は可愛いね。ずっと可愛いリーシャでいてね?泣いたり怒ったりしちゃダメ。それでも私は愛するけど、怒られたら怖いし泣いたら哀しいから」
ブルグマンシアは席を立つとメイドを下げさせ、食堂の大きな扉を開ける。
「可愛いリーシャのために私の秘密を教えてあげる。ついてきて?」
リーシャは唾をごくりと飲み込む。これはきっと脱出の手がかりになると自らの勘が言っていた。ブルグマンシアに連れられ、屋敷の外を出る。
木々をかきわけ、森の奥まで行ったころ、そこには赤いドアがあった。
「スピカちゃん、これは………?」
前にも見たことがあるドアだった。だがあえて何も知らない風を装う。
「屋敷の出口だよ」
リーシャは高鳴る胸とこぼれそうな笑みを隠しながら相槌を打つ。
「このドアを開ければ外に出れるの。バラッド王国から遮断されたこの屋敷から抜け出すことができる。出口の先は子供にはちょっと早い豪華なホテルの一室。そのホテルの従業員は私の知り合いだけどね。でも窓を突き破って助けを求めたら誰か来るはず。今まで逃げようとした子達が喉から手が出るほど欲しがってた情報だけど、特別にリーシャに教えてあげる。2人だけの秘密だよ?」
人差し指を立てそう誓いを立てる。
「わかった。スピカちゃん」
リーシャは機械のような返答をする。よかった。これで脱出の糸口が掴めた。
「もしかして、逃げようとか考えてないよね?」
ブルグマンシアの言葉に、リーシャは心臓に釘を刺されたような衝撃が走る。
「そ、そんなわけないじゃん!」
冷や汗を垂らしながらリーシャはその場を誤魔化す。
「そうだよね!」
ブルグマンシアはリーシャの肩に腕を回し、耳元で囁く。
「私に逆らった人間がどうなるか、リーシャが一番わかってるもんね?」
脚が震える。冷や汗をかきながらリーシャはその言葉に同意する。
「も、もちろんだよ?スピカちゃん」
屋敷に戻り、リーシャはブルグマンシアの自室に招かれた。
「最近アンナって子が入ったんだけど、リーシャ知ってる?」
ブルグマンシアは黒く分厚い本を片手にリーシャに問いかける。
「ま、まあ名前だけは」
なぜ今日に限ってこのような話題が出るのか、自分にカマをかけてるのか、リーシャはそう思った。あえて泳がせているのならこの女は相当性悪だ。今まで何人も脱走を試みて全員が失敗した。遊び感覚で他人の命を奪う集団の考えることはわからない。
「リーシャより年下のちっちゃな女の子なの!胸が大きくて、ほっぺがもちもちしてて、お目目がハートで、髪が綺麗なの!あんなに可愛い子見たことなかったな〜〜」
とろんとした、惚気話をしてる年頃の女性のようなそんな口調でブルグマンシアは語る。艶めかしい笑顔を貼り付けて、くつろぎながらブルグマンシアは話を続ける。
「アンナ、親がいなくて義理のお兄ちゃんと二人暮らしらしいの。そのことを同級生の子供に揶揄われて、いじめられて、腕に傷入れられたんだって」
「それはひどいね」
「でしょ!?」
指を差しリーシャの意見に相槌を打つブルグマンシア。悔しいがこの女と日常的に話す分にはすごく楽しい。何時間でも話していたい。そんな気分になる。本質を知っているのに同世代の友人のような感覚で話すことができるのがこの女の本当の危険性かもしれない。
「私いじめとか大っ嫌いなの。弱い子を馬鹿にして、暴力を振るって、自分のストレスを解消する。やり方が幼稚で汚いよね。可哀想だった。アンナ私に泣きながら助けを求めて、そんなことされたら私はアンナを助けるしかなかった」
「スピカちゃんは、いじめっ子にどんなことしたの?」
何気なく聞いてみた。ブルグマンシアはその返答に邪悪な笑みを浮かべこう答えた。
「その子の腕をアンナに斬らせた」
やはり危険な女だった。目には目を歯には歯をなんて言うが暴力には暴力で返す女だったことを思い出させられた。確かにそうだ。この女が危険じゃなかったら、リーシャの家族は死んでないのだから。
「おしっこ出して泣いて謝ってたよ。聞くはずないけど。泣きたいのはアンナだもん。涙はいじめっ子には不必要だよ。人を傷つける人間なんて傷ついて当然だし死んで当然。これじゃ足りないくらい」
さも当然かのようにそう答えるブルグマンシアにリーシャは恐怖を覚える。怯えているのがわかったのか、ブルグマンシアはリーシャをベッドに座らせる。
「リーシャもそう思うでしょ?」
ブルグマンシアは右腕をリーシャの腰に回す。そしてその頭を自分の肩に置き、リーシャの太ももを左手の人差し指でなぞる。
安心感を覚えてしまった。この女に自然と身を預けてしまう。言葉だけでこの女は人を惹きつけることができてしまう。ここから脱出するなんて無理と思えてしまうくらい、ここで一生暮らしたくなるくらい、この女は人を好きにさせる力がある。
「ここの女の子達はリーシャ含めその小さい身体に数々の傷を刻まれてきた。二度と忘れることのない深い傷をね。そんな可哀想な子供達を助けてあげてるの。二度とこんな不幸を起こさないように幸せにしてあげてる。リーシャの可愛い寝顔も、可愛い笑顔も、小さな手も小さな足も小さな身体も、全部守ってあげたいの」
ブルグマンシアはリーシャの顎を指であげるとその瞳をまじまじと見つめる。
「愛してるよリーシャ。誰よりも。誰よりも」
──────
酒を飲むと手がつけられない粗暴な父親だった。こんな人間と自分は本当に血が繋がっているのか甚だ疑問だった。
何度も殴られた。母親は何もしてくれなかった。ただ黙って怯えるだけだった。
膨れ上がった顔を鏡で見るたびに「なんてブサイクなんだろう」と笑っていた。
酒を買いに行かされていた時、偶然すれ違った美女と仲良くなった。黒とピンクのグラデーションが素敵だった。
彼女は自分の顔を見て泣いていた。
「リーシャの可愛い顔をこんな風にするなんて」と泣いていた。
自分のブサイクな顔を魔法で治してくれた。鏡で見たその顔は本当に自分なのかと思うほど綺麗だった。
気を許した。自分を理解してくれる同世代の子に出会えて幸せだった。
自分の思いを打ち明けてみた。
「パパから暴力を振るわれてる。ママは助けてくれない。こんな家族いらない」
彼女はこう言ってくれた。
「私が何とかする」
頼もしかった。この人だったら何でも任せていいと思った。
安心して学校に行った。もうあんな家族と会わなくていい。きっとあの人が懲らしめてくれてる。
ステップしながら歩く帰り道、自分の家のドアを開けた。
開けた途端、身体の自由がきかなくなった。
無理矢理居間に案内されてみたものは全裸にされたくさんの傷を刻まれた自分の父と母だった。
そしてあの時自分が頼りにしていたあの子もそこにいた。
「今度はリーシャがやる番だよ?こんなクズ達思いっきり殺しちゃおう」
そう言われ持たされたナタを振るった。息絶えるまで何度も振るった。返り血がついても気にしなかった。繋がった血を自ら断ち切る感覚はこうも気分の悪いものかと、そう思った。
「リーシャのこと、世界で一番愛してるよ」
────
嫌な夢を見て飛び起きた。頭と腰が痛い。散りばめられた記憶のかけらをかき集める。
「確か、出口の話をして、ベッドに連れていかれて、それから」
あぁ、いつものことかと、リーシャはベッドから立ち上がりペンをとる。
「思い出せ思い出せ、脱出の手がかりを………」
あの女の口から出された手がかりを書くのだ。それが罠だったとしてもなりふり構ってはいられない。
痛みに耐えながらそう自分に言い聞かせ、リーシャは筆を走らせる。
『あいつが出口のことを話してくれた。この森の奥、赤い扉がホテルと繋がってるみたい。起爆装置を壊して窓を破れば脱出できるはず。今日一緒に段取りを組もう R』
─────
「ああ言い忘れてた。ドアを開けるには暗証番号入力しないといけないんだった」




