第29話 狂艶
もう一度あなたと出会えるなら、あなたにごめんねが言いたい。
貴方を頼らなくてごめんなさい。
それを言う機会はいくらでもあったはずなのに、取り返しがつかなくなってから大事な存在に気づく。
自分が撒いた水はもう返ってこない。
滴った涙の雫と後ろに流れる海を余所に、黄色い泉に私は招かれる。
「ん、んー。ここ、どこ?」
照明が目を刺し、意識が覚醒へと向かう。3回ほどの瞬きの後、体を起こして辺りを見渡す。
窓のそばにある赤い机、壁には濁って茶色と化した血文字、テーブルにはワインとパン、その側には鍵のかかった分厚い日記が置いてあった。
「………?」
そして自分の姿を見る。白いシャツと白いズボン。首には鉄製の首輪がはめられていた。その様はまるで囚人のようだった。
少し前の記憶が蘇る。そうだ、自分は同級生への復讐を無理やりさせられ、その後眠らされた。鮮明になっていくほど、頭が軋んでいく。
ドアを開ける音が聞こえる。
「あ、起きた?可愛い寝顔見せてくれてありがとう」
声の主はそう言って毛布にくるまっているアンナに笑顔で話しかける。
血がついた服や身体を洗い流していたのか、女は黒い下着だけの無防備な姿だった。
「そんな怖い顔しないで?アンナの服も洗ってあげたからさ」
女はベッドに腰掛ける。
「まあ、逃げられないようにお手製の首輪つけさせてもらったけど」
アンナは首輪を見る。緑のライトが命運を握るかのように爛々と輝いていた。
「アンナを、どうするつもりなの……?」
目を鋭くさせ女に問う。女は右腕の横一文字に多数刻まれた傷跡を包帯で覆いながらその問いに答える。
「私のために死んでもらう」
本性を表してからこの女の異常性は留まるところを知らない。理解の範疇というものを容易に超えてくる。そんな言葉に絶句しながら続け様に質問をした。
「あなたは一体なにを企んでるの?」
アンナはベッドから離れバスローブを羽織るとアンナの手を引く。
「いいもの見せてあげる。ついてきて?」
招かれた場所は薄暗い廊下。そしてその横には無数の部屋が並んでいた。
ドアは建てつけが悪くかすれた数字が浮かぶだけ。質素なんてものを通り越した劣悪な環境だ。
「ここには私が集めたアンナと同じ歳くらいの可愛い女の子が沢山いる。一人一人に番号を割り振って部屋に閉じ込めてるの。身体の中に追跡石を仕込んでるし、逆らったらその首輪の爆弾でいつでもお仕置きできる。仮に外に出られたとしても結界魔法で他の場所には行けないようにしてるの」
明かしても問題ないと思ったのだろう。女はペラペラと話し出す。
「アンナみたいな小さい子を甘い言葉で騙してこうやって閉じ込めてるの……?なんでそんなことを……」
「好きな子は閉じ込めたくなるものでしょ?」
やはり理解ができない。
遠くからドアを叩く音が聞こえる。部屋番号は497番。泣きながら「お家に帰して!」と涙ながらに訴えているのが聞こえた。
声の感じからして、自分より幼いのだろうとアンナは感じた。
「………また騒いでるな」
女はそう呟くとその部屋に入っていく。ゆっくりとドアが閉まった瞬間、壁に叩きつける音が廊下に響き渡る。
部屋主の叫び声と謝罪の言葉が聞こえる。1分近く部屋の中で暴力が行われた後、ドアがゆっくりと開かれる。
「次騒いだらこれだけじゃ済まさないから」
そう言ってドアを閉める女の右拳には夥しい量の血と殴打で剥けた皮がこぼれ落ちていた。
涼しい顔でアンナの元に戻る女にアンナは引き攣った表情で話しかける。
「あの子、アンナより年下だよね?そんな子にあんな事するなんて……。心とかないの?」
血のついた指を舐め取りながら女は蛇のような眼差しでアンナを見る。
「いうこと聞かない子は暴力で黙らせないとダメでしょ?振るったらやらなくなるんだから」
素足で冷たい廊下をゆっくりと歩く。アンナの方は振り向かず女は話を続ける。
「無駄話はやめようよ。早く目的の場所へ行こう。アンナが今疑問に思ってること。私が全て説明してあげるから」
部屋が並ぶ廊下を抜けると、そこは大きな食卓の置かれた食堂だった。
その周りを虚な目をしたメイド姿の幼児たちが囲っている。
煌びやかな椅子に女は座り、置かれてあったワインを飲み干す。突っ立ているアンナを見ると対角線にある椅子に座るよう命令した。
「その料理、全部この子達が作ってくれたんだ。味は微妙だけど、作ってくれただけで嬉しいから我慢してる。アンナの口には合うんじゃない?」
そう言われても食べる気にはならない。ナイフとフォークを自在に動かしハンバーグを食べる女にアンナはたずねる。
「なんでこんなところに連れてきたの?アンナたちを使ってなにをする気なの?全部答えてくれるんでしょ?」
女は黙々とハンバーグを食べる。そしてある程度量が減ったところで口を拭き、問いに答える。
「まず私の素性から話そうか。東のリーカス共和国。北のハルトゥー諸島。バラッドに繋がる国を滅ぼした灰の魔女。この国の結界魔術を破壊し、経済状況、軍事力、そして魔女警察上層部や貴族たちしか知らない内部情報を一応の主君、ドールズアイに渡した。今この国で多額の懸賞金がかけられている灰の魔女、慈愛の使徒ブルグマンシア。それが私」
女は、いや─────灰の魔女ブルグマンシアは微笑みながら自分の名前を告白する。
「スピカって名前は遠い昔にいた知り合いの名前を借りただけ。もう記憶は朧げだけど、沢山の愛を私の心と身体に与えた愛おしい人だった」
そしてブルグマンシアはタバコに火をつけ、リーカス共和国滅亡の真意を明かす。
「私たちの目的は地上の王の復活。そして世界の征服。その上で列強諸国やその下にいる植民地は滅ぼす必要性があった。リーカス共和国は宝石の宝庫。人々は宝石の神を崇め讃え、窮地の時は神に守ってもらった。そんな国は邪魔にしかならない」
盛り付けられたサラダを上品に食べ、少し目を瞑る。
「リーカスの王は名君だった。人々の安寧を第一に考えるほどの慈愛に溢れた存在だった。悪く言えば優しさしか取り柄がなかった。だから私はこうしたの。リーカスにいる女の子を100人集めて、人間爆弾にして、王都に突撃させる。国民を手にかけることのできなかった王はなすすべなく死亡したよ。1日もかからなかった。宝石の国はたったの4時間で、私1人に滅ぼされた」
クスクスと笑う。一つの王国を滅ぼした話を嬉々として話す姿に狂気を感じた。
「じゃあ今回アンナたちをさらったのも………」
「バラッド王国の王都にこの子達を突っ込ませる。私が愛した子達だから私のために死ぬのは当たり前。死んで初めて私の愛は無駄じゃなかったって実感できるの」
恍惚とした表情を浮かべてブルグマンシアは笑う。発言の一つ一つどれをとっても意味不明だ。
「(なんでアンナはこんな人を信用してしたんだろう……。この人の言葉を聞くと安心する……。甘くて頭がとろけちゃう。こんなの悪い人だってわかるのに、わかっても実感がわかない)」
ブルグマンシアは頬杖をつき、鉄の棒でグラスをかき混ぜる。周りの侍女を全員下がらせると椅子から立ち上がりアンナの方に近づく。
「ねえアンナ、私ね、12歳以下の女の子を見るとお腹が熱くなっちゃうんだ……」
頬を赤く染め、アンナの耳元でそう囁く。色っぽく吐息を吐く姿に嫌悪と興奮の両方がくる。
「人って成長したら醜くなるの。色んな人と関わって、色んな人の影響を受けて他人との距離感とか、他人の気持ちとか、本当の愛とか、自然とわかっていくの。でも同時に、嘘をついたり、悪いことをしたり、ルールを破ったり、そんなことも覚えちゃうの」
アンナの指を絡めていく。なすすべない。されるがまま。脳みそだけが動く思考回路で辿り着いた結論はこの安心する声色も吐息も、ななすべなく蹂躙される状況も、いうことを聞かない体も、全て奴の特殊能力によるものだということ。
「アンナが大好きだから、小動物みたいな愛らしさを持ってるアンナを守りたいからアンナを殺すの……。アンナを汚れた世界に一人ぼっちにさせたくないの………。アンナのこの白い肌も、この綺麗な瞳も、透き通った茶色の髪も、少し大きい胸も、大人になれば全て汚される。だから私のために、私のアンナになって!そして、私に愛を伝えて、幸せに死んで!」
眠気が自分を招く、この女に意識をもっていかれるのか。夢がアンナを誘う。気持ちいいくらいの高揚感を招く。
また手を引かれる。どこに連れていかれるのか。なにをされるのか。わからない。
ただいまはこの現実から逃げたい。それだけだった。
130番、それがアンナの部屋だった。閉鎖感を感じる、ベッドとトイレがあるだけの部屋だった。心地良くないベッドで、アンナは大の字で倒れ込んでいた。
「…………」
自由時間は設けられている。全てがブルグマンシアの監視下にあるので行動は限られるが。
手首を見る。そこには自分の部屋番号と同じ番号が刻まれていた。そして腹の中には追跡石が入っている。
「そうか、さっきのって私の身体に細工するための作業だったんだね」
そう呟く。それ以外は何されたかはわからない。
こうやって自分の素性を告白した後、身体に何かを埋め込んで行動を制限させるのだろう。
抜け目がないと感じた。
ドアのノックが聞こえる。鉄格子越しに遠目で見るとそれは自分より少し年上の少女だった。
「なぁーに?」
アンナの問いかけに少女は答えずただ一枚の紙切れを部屋の中に入れただけだった。
そのまま少女は去っていった。その行動に首を捻る。
ベッドから立ち上がりその紙切れを手に取って広げてみる。
その内容を見てアンナは絶句した。
『今日入ってきた子でしょ?私の名前はリーシャ。会話はブルグマンシアに聞こえるから私たちは文章で会話しましょう?さっそくだけど私と一緒にここから抜け出さない?やり方はわかるの。この手紙を読んだなら返事が欲しい。』




