第28話 動き出そう。大切なあの子のためにも
15時、16時、17時を回っても帰ってこない。
部屋の周りを歩き回り、時が経つのを待てどアンナは帰ってこない。
明らかに焦っている様子のチロルをよそに、ミントは窓から見える空を眺めていた。
赤くなり、帰りを誘うかの様に日は沈んでいく。カラスが鳴き、17時をつげるチャイムが鳴り響く。
テーブルの上には数十件の不在着信が残されたチロルの通信石が置いてあった。独り言を呟くチロルにミントが告げる。
「僕がアンナを探してくるよ」
そう言って立ち上がった瞬間、チロルはミントに声をかける。
「僕も行くよ。アンナが心配だから」
2人は家を出た。焦った表情で走り出すチロルを後ろから追いかける。ミント、周囲の様子に気を配りながらもいつもの街へ聞き込みを行った。
チロルは知り合いに聞いてまわった。だが返ってくるのは「知らない」の4文字のみ。時間が過ぎていく中、かなり遠いとこまで来てしまった。
「チロル、あれ……」
ミントが指差した方向に目を向けるとそこには大きな小屋とそれを取り囲む野次馬。わずかな隙間に見えるのは白い馬車と数人の魔女警察だった。
「なんだろう……」
チロルは嫌な予感がした。何故だか動悸がおさまらなかった。その現場に向かうと、担架に乗せられた女子を見て驚愕する。
「あの子、アンナと同じクラスの……」
確かレイナという名前だった。成績の良い優等生って噂を聞いただけだが名前だけは覚えていた。一度会話したこともあった。他愛もない話をしただけだが濁った瞳が印象的な、どこか嫌な感じのする人間だった。
野次馬たちの隙間に入り込み、その現場を間近で見る。近くで見たレイナは顔と体に痣をつけ、左肩は欠損していた。顔も白く生きているかも怪しい。
ミントは周りを見渡す。すると、捜査をしている魔女の中に見慣れた顔があった。
「デルフィニウムさん……?」
金髪の青い瞳をした拙い敬語を話す、自分が唯一連絡先を交換してる魔女だ。
彼女もミントたちの存在に気づいたのか駆け寄ってくる。
「ジョニーさん、来てたですか」
「デルフィニウムさんお疲れ様。一体何があったの?」
ミントがたずねるとデルフィニウムは少し俯き説明する。
「ジャスミン小学校の生徒が何者かに襲われて意識不明の重体になったと……。犯人はいまだにわかってないみたいです」
目を泳がせながらデルフィニウムはそう説明する。
ミントはチロルに目をやる。チロルは震えていた。眼に焦ると恐怖が宿っていた。とても話せる状態ではないので自分が話を切り出した。
「その女の子、この子の妹と同級生みたいなんだよ。そしてその妹は今帰ってきてない。何か知ってることある?」
「………妹さんの名前をお聞きしてもよろしいです?」
「アンナ、っていうの」
その名前を聞いたデルフィニウムの目つきが鋭くなる。
「少し場所を移すです。お兄様には申し上げにくいのですが、真実を知ってもらう必要があるので、一緒に来てもらうです」
デルフィニウムは2人を現場から少し離れた場所にある小さな公園に連れていき、事情を話す。
「そのアンナちゃんですが、事件現場にその子のものと思わしき通信石と、髪飾りが発見されたです」
そう言ってポッケから取り出したのは、血のついたピンクの通信石と、黄色い特徴的な髪飾りの入った透明な袋だった。
「その通信石……アンナのだ!」
チロルは指差してそう言った。
「間違いないみたいですね」
チロルは続けてデルフィニウムに質問する。
「何回も電話したけど繋がらなくて、何か怪しいメッセージとかなかったですか?」
その質問にデルフィニウムはこう答えた。
「前日にスピカって方に「助けて」という連絡があったです」
「スピカ」その言葉を聞いた瞬間、俯いていたミントはデルフィニウムの顔を見る。
「スピカ……。前アンナが友達って言ってた女の人だ」
そう呟くミントにチロルが疑問をぶつける。
「友達がいるとは聞いたけど、名前は言ってくれなかった。なんで?」
答えられなかった。友達の名前を言うくらいはアンナにはできたはずなのにそれができなかったのは確かに疑問が残る。
「それに助けてって一体何?なんで僕じゃなくてその人に助けてって言ったの?ジョニーさんは何か知ってるの?」
ミントは重い口をゆっくり開く。
「詳細は言ってくれなかったけど、いじめられてたって、いじめた子と話し合いがするって言ってた」
チロルは自分が今まで知らなかった事実に頭がうまく回らない。返答を聞き返し、汗を吹き出しながらミントに詰め寄る。
「いじめられてたって、なんでアンナも、ジョニーさんも言ってくれなかったの?いつも学校行くの楽しいって言ってたのに、なんで?」
「…………」
「ねえなんで!」
うわずった声でミントに返答を求める。
「誰にも言うなって言ってたから」
ミントはそう答えるしかなかった。
「疑問に思わなかったの?止めなかったの?僕じゃなくて赤の他人に相談するなんて怪しいじゃん!なんで止めてくれなかったんだよ!」
涙が自然と溢れ出る。アンナもそうだが、知っていたのに自分に伝えることも、アンナを止めることもしなかったミントになによりも腹が立った。
「ねえ、黙ってないで答えてよ?ジョニーさんなら助けられたでしょ?怪しいって思ったでしょ?ねえ?答えろって言ってんだよ!」
「ごめん」
ようやく出た返答は謝罪だった。
「……………」
チロルは何も言えなかった。言っても無駄だと思った。何故こんな人をあの時助けたのか。やはり匿うべきじゃなかったのかもしれない。今目の前に魔女警察がいるなら、この人を今すぐ突き出すべきかもしれない。
───
そんなことして何になるのか?
「デルフィニウムさん、それで、犯人の素性はわかったんですか?」
「…………………」
チロルの問いにデルフィニウムは神妙な表情で口を真一文字に縛る。
「知ってる限りでいいです。教えてください。なんでもします。アンナを助けるためなら」
「事件現場に、灰の魔女の残り香がありました」
ミントはピクっと反応する。そしてチロルの表情は絶望に染まる。
「灰の魔女………?あの犯罪者集団の?だとしたら、アンナの友達は……」
「…………その可能性は高いです。犯行の手口を見るに……」
そう言いかけたところでデルフィニウムは口籠る。
「犯行の手口を見るに………?」
「…………毒炎の十花、ブルグマンシアの可能性が高いです」
チロルは目の前が真っ暗になった。
─────『毒炎の十花』
灰の魔女には幾つもの派閥がある。その中で比較的年齢が若く、かつ凶暴性と異常性が高い10人の集団が毒炎の十花だ。
実質的なリーダーはドールズアイ。多くの国を壊滅状態に陥らせ、各国で指名手配されている永久対象。
奴らは一般社会に溶け込んでは無垢な国民を貶め、洗脳し、内側から破壊していく。このような法則性がある灰の魔女は毒炎の十花の可能性が高く、魔女警察からマークされている。
───ブルグマンシアは、その毒炎の十花の中でもかなりの異常性と危険性を持っており、捜査が進められているものの、逮捕はおろか素顔を特定することすらできていない。
「よかった、目が覚めて」
暗い空と水色の瞳が、チロルの視界に入った。
身体を起こして辺りを見渡すと、そこは先ほどの公園だった。
自分はベンチに座っている。隣にはミントとデルフィニウムがいる。そこで気づいた。自分はショックのあまり気を失っていたのだと。
「チロル、大丈夫?怪我してない?」
ミントが心配そうにたずねる。チロルはミントの顔を見るとすぐにそっぽを向く。
「………大丈夫だよ。ごめんね。冷静さを失っちゃって。ジョニーさんは悪くないのに」
「………いや、僕もごめんなさい。アンナのことを止めてあげられたらこんなことは起きなかった。僕のせいなのは確かにそうだから」
「自分に特殊能力があれば、ミントがいなくてもアンナを助けられるのに」とチロルは己を責めるしかなかった。力がないせいで大事な人を守ることができない。唇を噛む。力がないせいで、自分の好きな人が居なくなってしまった。
「チロルくんも、ジョニーさんも悪くないです。もちろんアンナちゃんも。己を責めていても事態は進展しないです。先ずは目の前のこの困難に立ち向かうことが大事です」
悩むチロルにデルフィニウムはそう慰めてくれた。
「立ち向かうって言っても、居場所とかはどうやって探し出すの?」
ミントはデルフィニウムにそう問うと、デルフィニウムは顎に指を当て思考を巡らせる。
「奴らは巧みに入り込み、根城を隠す。その根城は厳重な結界魔法により張り巡らされ、一般人では到底辿り着けない領域にまできているです」
そう語り終えると顎につけていた指を掲げこう言った。
「この手の結界魔法に詳しい人間を雇うだけです。この22年間、私はいろいろなところで人脈を築いてきたです。それを発揮するところです」
「でも」とデルフィニウムはなにかを言いかけたミントを静止してこう言い放つ。
「こればかりは私と、このデルタ地区を管轄する魔女警察の役目です。犯人が灰の魔女であれば、5人のエリート魔女が来たとしても全滅は免れない。魔女本部、果ては騎士の援護。そこまでしてようやく対等に戦える相手ですから」
「だから今回はあなたにきてもらう必要はないです」とデルフィニウムはミントを突っぱねた。
ミントはチロルの方に目をやる。兄として、妹の安否が心配になるのは当然だ。そして、魔女警察に頼りきれない部分があるのも確か。自分には明かせなかった秘密。最後に交わした会話。それら全てを切り取っても後悔と未練しか残らないだろう。
自分にだって責任はある。事情を知ったのに、奴の存在を知っていたのに、防ぐことは愚か見向きもしなかった。奴から違和感を感じていた。にも関わらず油断していた。ならばこの兄妹にお世話になっている以上やるべきことはやらねばならない。
「いや、僕も行くよ。そして、アンナを助けるんだ」
───自分の蒔いた種は自分で刈り取る。それが己のできる最善の手だ。
「────勇気と無謀を履き違える気です?盗賊を倒した。バラドンガを倒した。だから灰の魔女にも勝てるはず。そう思ってるならやめたほうがいいです。実力を過信する人間ほど、躓いて命を狩られるです。ただ狩られるだけならいいですが、顔の皮を剥がれ、理性と人格を失い、ただ命令だけを聞くゾンビ『灰の従者』になる可能性だってある。あなたのみのためですよ?チロルくんと一緒に大人しく家にこもって続報を待ったほうが身のためです」
冷たくデルフィニウムは告げる。だがミントは近くの時計塔を見上げ、こう告げる。
「本部に連絡して、国に連絡して、結界を破って、人質を解放させつつ灰の魔女を倒す。どれだけの労力と時間がかかるだろうね?そんな事をしているうちに相手は本来の目的を成し遂げているはずだよ?それに国ひとつ滅ぼせる人間だ。人質を盾にする可能性だってある。そうなったら、アンナは死んでしまう。死んでしまったら、チロルの、この子の怨みはどこにぶつければいいの?」
憎しみの連鎖を生み出して、一生戻れなくなる。そうなってしまったら、チロルは全世界を憎む。ミントはそれを危惧した。
「まだ幼い子供を手にかけたやつを許せない。だからこそその手で倒す。それが力ある人間の責務だよ。僕のこの力は人を守るためにある。それを今振るわないでどこに振るえばいいの?」
続け様にこう言った。ミントの刀は正義の刃。そして何より、自分を好きになってくれる人間を守り続ける。そして彼らの笑顔を後世にまで残す。それが自分の役目だ。これだけは声を大にして言えるのだ。
デルフィニウムはため息をつく、その双眸をミントに向け、口を開く。
「あなたの覚悟は伝わったです。でも条件があるです。付き添うのはあなただけです。そして魔女警察にはあくまで捜査協力としての契約をする事。そして────」
軽く深呼吸をして、デルフィニウムはこう告げる。
「遺言を書いてください。灰の魔女と闘う人間は必ず死ぬです。だから騎士や義勇兵、そして他の魔女たちも、闘う時は遺言書を書くです。あなたもそれを書いて、いつ死んでもおかしくないよう準備を整えてください」
ミントはそれを全て呑んだ。だがチロルはその条件に不服そうな表情をしていた。
「僕もアンナのことを助けたいよ………。わがままなのはわかってる。でも、アンナに会いたいよ。一刻も早く」
ミントはチロルの頭をそっと撫でる。
「わかるよ。心配だもんね。でも今回は僕とデルフィニウムさんに任せて?チロルの身に何かあったらお母さんが悲しむから」
「でも……」
「僕は絶対に負けない。約束するよ。それにアンナも絶対死なない。これも約束する。3人で笑い合って美味しいご飯を食べて、楽しい夢を見る。そんな幸せな生活にまた戻してあげる!」
ミントは笑った。辛い時だからこそ笑って見せた。
「任せて大丈夫なのか」という不安はある。でもこの人に任せたほうがいいとも思う。そんな感情が入り混じりチロルはどう答えればいいか迷ってしまう。
「ジョニーさん……」
「なに?」
「……………」
詰まる言葉を必死に紡ぐ。
「アンナのこと、お願いします」
「うん!」
重い決断だった。だが力がない以上、誰かに委ねるしかなかった。目の前の指名手配犯に任せる。それが最善の策だった。
「決まりです。一刻も早く対策を練るです。ジョニーさんは今日は私の家で住み込みで作戦会議するです」
「チロルも連れってっていい?1人だと寂しいだろうから」
「それは構わないです」
デルフィニウムから了承を得たミントはチロルを連れて公園から立ち去る。
「(待っててねアンナ、今から助けるから。だからどうか生きててほしい)」
ミントは胸に熱い思いを秘め、大地を一歩ずつ大きく踏みしめていく。




