第26話
アンナの連絡を受けて、スピカはジャスミン小学校へと向かった。
校門から少し離れた先、そこに大きくそびえ立つ木の下でアンナは膝をついていた。スピカは慌てて駆け寄り声をかける。
「アンナ……?大丈夫?」
スピカはアンナに声をかける。自分が結んであげた髪はほつれ、衣服には血が滲んでいる。すすり泣く声が聞こえ、よだれが垂れ、虚な目でアンナはスピカを見る。
「スピカちゃん……」
アンナはこぼれ落ちる涙を拭いもせずに立ち上がりスピカに抱きつく。
「スピカちゃん……!」
自然と腕に力がこもっていた。スピカの黒い衣服が涙で汚れる。スピカはなにも言わずあんなを抱きしめてあげる。
「辛かったんだね……」
その言葉は慈愛に満ち溢れていた。スピカはアンナの頭を撫でる。甘い匂いが鼻腔を刺激する。アンナは堰を切ったように本音を吐露した。
「なんでアンナだけこんな目に遭うの……?なんでアンナだけこんな思いしなきゃいけないの?パパやママがいないなんてアンナが一番辛いのに、なんでそんな理由だけでこんなことされないといけないの?誰にも相談できないのに、笑顔でいなきゃいけないのに!こんなのおかしいよ!許せないよ!」
「わかるよ……。私も同じ目にあったことあるから、アンナの気持ちは痛いほどわかる」
スピカは腕を解き、アンナの肩に手を置く。目線を合わせ、真剣な眼差しでこう切り出す。
「アンナ、なにがあったか詳しく教えてほしい。私にできることがあるなら、力を貸すから」
この人にしか話せないとアンナは思った。この人なら信頼できると、だからアンナは洗いざらい自分の身に起きたことを話した。
話をじっくり聞いたスピカは立ち上がるとアンナの手を引く。
「わかった。私が何とかする。でもその前に、アンナの傷とその髪治すからおいで?」
スピカはそう言うと、街へ向かいこの前の小屋へとアンナを案内させた。
左腕をまくると十字の傷がざっくりと刻まれていた。血は止まっておらず衣服にも付着している。これを家族に見られたら心配されるだろう。
スピカはアンナに自分の予備の衣服を貸してあげると、血を洗い流すために洗濯し、アンナに刻まれた傷を治癒魔法で治してあげた。
治癒魔法は魔法においての必須スキル。水属性の魔法と繊細な細胞の結合を求められる。見た目と違い難易度は少し高い。だがこれくらいの傷ならとスピカは難なくそれをこなした。
それでも跡は少し残ったが血は止まった。それを見たアンナの顔に少し笑顔が戻る。
「スピカちゃんすごい……ありがとう!」
アンナの感謝にスピカは笑顔で返す。
「どういたしまして!やっぱりアンナは笑顔が似合うね!」
スピカはアンナの髪を結ぶ作業に入る。
「どんな髪型がいい?」
「ポニーテール!この前スピカちゃんがやってくれたやつ!」
注文に応えるためにスピカは自分のもの同じ、黄色い目のついた朝顔の髪飾りを取り出した。
アンナの髪を慣れた手つきで結んであげる。
「ほらできたよ!やっぱアンナはこっちの方が似合うね!」
そう言って鏡で見せてあげる。
「髪飾り……スピカちゃんとお揃いだ……」
嬉しかった。好きな女の子と同じ髪飾りでほんの少しだが自分が可愛くなれた気がした。
「アンナと私はずっと友達だからその意味も込めてこれにしたんだ!どう?気に入った?」
アンナはスピカの方を振り向きにっこりと笑ってみせた。
「うん!アンナずっとこの髪型にする!」
前の鈴蘭の髪飾りはどういう経緯でもらったのか、この時はすっかり忘れていた。
アンナが元気を取り戻したところで、スピカは椅子に座り本題に入る。
「アンナ、いじめた子のこと許せないよね?」
アンナは笑顔を真顔に変え答える。
「うん……」
「やめさせたい?」
「うん」
「アンナ明日予定空いてる?」
明日は休日だ。そして予定は入っている。チロルとお出かけすると言う大切な予定。毎日欠かさずにその日だけは2人だけでお出かけするのだ。
「………」
いじめっ子への仕返し、大切な兄との時間。頭の中で天秤が動く。刻まれた傷。肉親を侮辱された怒り。それに対する仕返しの機会もある。アンナは悩んだ。
「………空いてるよ」
義兄よりあって日も経ってない友人を優先した罪悪感が心臓を抉る。その痛みに耐え、アンナはそう答えた。
「私と一緒に、その子と話し合いしよう?話せばきっとわかってくれるよ!私がついてるから安心して?」
「うん……」
「その後は私と一緒にお出かけしよ!アンナのしたいこと全部叶えてあげる!」
心の底では謝罪を繰り返す。口では感謝を口にする。スピカのことは大好きだ。でも家族も好きだ。
「(だから、明日くらい友達と過ごしたっていいよね?)」
言い訳で罪悪感を覆い隠す。自分だって年頃の女の子なのだからこういう時間を優先したい。だからこれくらい許されたっていい。そうやって言い訳を並べて取り繕う。
「アンナ?」
スピカは不安げにアンナの名前を呼ぶ。
「え?ああうん!スピカちゃんありがとう!」
スピカはアンナの返答を聞くと満足げに微笑む。
「アンナってほんとかわいいね。守ってあげたくなる」
「そ、そう?」
顔が紅潮する。美形のスピカに言われると自信がつく。鼓動が速くなる感じがした。
「アンナのこともっと知りたいからさ、もうちょっとここにいよ?いっぱい2人で話したい」
甘えるような声でスピカは言う。アンナだってスピカのことをもっと知りたい。だからこれはいい機会だ。
「スピカちゃんにならなんでも話すよ!」
それからはお互いいろいろ話した。
自分の境遇。将来の夢。好きなこと。いろんなことを話した。
その中で共通することがあった。
スピカもアンナと同じでいじめにあっていたこと、親がいないこと。そして大切な存在がいることだった。
「だからほっとけないの。前も話したことあるけど私の妹もアンナみたいに元気いっぱいで、目に入れても痛くないくらい可愛くて守ってあげたくなっちゃう。だから私はそんな妹を守るために強くなりたいの」
そういってアンナの頭を自分の肩に置いてあげる。
「みんながみんな、幸せに暮らせれば争いごとなんてなくなるのにね」
スピカは悲しそうにそう呟いた。
「アンナもそう思う……」
アンナもそれに同意する。そしてふと疑問に思ったことを口にする。
「なんでスピカちゃんはアンナにここまでしてくれるの?」
その言葉を聞いたスピカはキョトンとした表情を浮かべる。そしてクスッと笑い出してこう答えた。
「決まってるじゃん!アンナが大好きだから!」
心臓がドキッとした。その笑顔に撃ち抜かれたようだった。
「好きなの……?」
「好きだよ!運命の人に出会えたような気分!」
「アンナも……」
一瞬言葉に詰まる。こういう時は緊張して声が出ない。それでも振り絞って声を出す。
「アンナもスピカちゃんのこと大好き!」
───「もう日も暮れるから帰ろう」と、スピカはアンナを見送った。
「これからもずっと友達だよ!」
そんな言葉を残してくれた。心が温かくなった。服も着替え、すっきりとした気分で帰路に着く。夕日が沈みかけ、鳥は飛び去り、カラスが鳴く。そんな風景をよそにステップでアンナは歩き出していた。
家につくとチロルとミントがいた。チロルは勉強をしていて、ミントは刀を研いでいた。
「遅かったね。その髪型どうしたの?」
チロルは帰ってきたアンナにそうたずねる。
「お友達が結んでくれたんだ!似合うでしょ!」
「うん、似合うよ」
チロルの返答はそっけないものだった。ミントは横目で見ただけでなにも言わなかった。
「やはり男の子にはわからないのか」とアンナは不満げに思った。
だがチロルは髪型よりも髪飾りの方が気になっていた。
「その髪飾りどうしたの?前の鈴蘭のやつは?」
アンナは言葉に詰まる。すっかり忘れていた。自分はこれからチロルに大切なことを言わないといけないのだった。
「あ、うん……。なくしちゃって……。ごめん」
「そうなんだ」
チロルは悲しそうな表情をした。鉛筆を思わず落としてしまう。その鉛筆をミントが拾う。
その表情を見てためらった。だが伝えなければならないとアンナは口を開く。
「チロル、明日なんだけど」
「うん」
「いけなくなっちゃった。友達との約束が入っちゃって」
チロルはなにも言わなかった。ミントは手を止めアンナの表情をじっと見据える。
「……なんの約束?」
1分にわたる沈黙の末、チロルはようやく口を開いた。
いじめのことなんて言えない。だからアンナは嘘をつくことにした。
「友達とお出かけ!ご飯食べたりお洋服買ったりするの……」
「そうなんだ」
チロルの返答はそれだけだった。ミントはアンナの答えを聞いた後再び刀を研いでいた。
「僕ちょっと散歩行ってくる」
チロルは逃げるように家を出た。こうなるのは予想していた。でもアンナは自分が間違っていると思えなかった。
取り残された空間の中で、ミントが口を開く。
「なんでチロルとの約束を破ったの?」
アンナは少し苛立ったような口調で答える。
「さっきも言ったじゃん。友達との約束ができたんだって」
「その友達ってスピカさん?チロルとの約束を破ってまで優先することなの?」
ミントは淡々と質問を続ける。
「当たり前じゃん。その日しか時間がないの」
「日にちを伸ばせなかったの?」
「スピカちゃんの都合も考えてよ。ミントと違って暇じゃないんだから」
思わず口走る失言を無視してミントは続ける。
「家族との時間より出会って間もない他人との時間の方が大切なんだね」
このなんでも見透かしてるような発言にアンナは腹が立った。
「あのね、友達もいないミントにはわかんないと思うけど、アンナにとって友達と家族は同じくらい大事なの!それにスピカちゃんはいつもアンナに寄り添ってくれてるし、アンナのこといっつも褒めてくれるの!たまには友達と遊んだっていいじゃん!」
ミントは手を止める。そして刀を鞘に収めてアンナの方へ視線を移す。
「チロルはいつもアンナのことを思ってるよ。アンナが知らないだけで」
「知ってるよ!アンナだって破りたくなかった。でもしょうがないの!」
「そうまでしてスピカさんとの約束を優先する理由はなに?」
「……」
「何か隠してるでしょ」
いじめられてるなんて言えない。ミントに言ったら今すぐにでもレイナのところへ行って斬り殺してしまいそうだから。でもそこまで聞かれてはぐらかしようもないことも確かだ。
「誰にも言わないしその子に危害加えないって約束して」
「うん」
「ちょっといじめられてて、その子と話し合いするの」
ちょっとどころではない。だが傷付けられたと聞いたらミントは何をするかわからない。だから少し濁した。
「スピカちゃんが話し合いの場を設けるって。チロルに言えないのは心配させちゃうから。アンナはその子とも仲良くしたいから話し合いするの」
「…………それだけで終わるといいね」
ため息混じりにそう答えるとミントは刀を持ち自室へと戻っていった。
「なんなの……」
せっかく気分がよかったのに台無しだった。自分の過去すらわからない人間になにがわかるのだろうと、そう思った。
「こう言う時ばっかり口出しして…………何もしてくれないくせに」
アンナは不貞腐れたように頬杖を突きそう呟いた。
────その頃チロルは公園の池を見ながら心を落ち着かせていた。
2人だけの記念日、その日は一度たりとも忘れたことなどなかった。そしてその約束を破ったこともなかった。
「…………」
なのに、今日は破られた。アンナの口からはじめて「友達」と言う言葉が出た。元々一つ年上のキャロルとも仲が良かったが、知人くらいの面識しかなかった。だから友達とは呼んではいなかった。アンナが約束を破ってまでこだわるその「友達」に興味を持った。
「そうだよね……アンナも女の子だもんね。友達との時間を優先したいもんね」
そう言って自分を保つしかなかった。
「あの髪飾り、アンナの10歳の誕生日プレゼントだったのにな」
アンナが幸せになってほしいと言う思いを込めてチロルが買った鈴蘭の髪飾り。あれは2人の結束の証だった。なのに無くすなんて。また買えばいいかもしれない。でも代用したところで元の髪飾りの思い出を上書きすることはできない。
「仕方ないのかな」
チロルは空を見上げてそう呟いた。
日付が変わった。本来記念日だったはずの約束。でも今日は違った。
「待ち合わせ場所、ここでいいのかな」
洋服屋の前でアンナはスピカを待っていた。時間は9時。集合は9時30分。連絡は送信済みだ。
しばらく待っているとスピカがやってきた。でもレイナはまだきていない。
「待たせちゃってごめんね?」
スピカは詫びを入れるがまだ9時20分。10分前だ。
「ううん、大丈夫。レイナちゃんは?」
「もうついてるみたい」
いつもの小屋へ2人は向かう。その道中、スピカは唐突に話を切り出した。
「人ってなんで罪を犯すんだろうね。怪我させたり、物を盗んだり、迷惑をかけたり、殺したり。なんでそんなことをするんだろうね」
突然の話題にアンナはキョトンとした。
「全部自分の欲求のため………だとは思うんだ。でも欲求を満たすのってそれだけじゃないでしょ?美味しいご飯を食べたり、好きな物を買ったり、好きな人と話したり。誰かに褒められたり。それだけで自分の欲求は満たせるんだよ」
スピカは淡々と語る。アンナは相槌を打つ。アンナにとってスピカと話すこと。スピカとの約束を守ることは自分の欲求に素直に従っている。健全な欲求の満たし方なのだろう。
「でもそれだけじゃ足りないの。だから人は刺激を求める。危険な刺激をね。だから過激なことをやってみせたり、誰かを傷つけたりする。おかしい存在だよね」
レイナのことを言っているのだろうか。確かにそうかもしれない。レイナにとっての欲求の満たし方は不健全だが、本人はそういう方法でしか満たせなかったのだろう。そう考えたらアンナは少しかわいそうに感じた。
「悪いことだって心の底では理解してるのにやめられない。加害っていうのは麻薬みたいな物で、一度やると止められないの。止め方がわからなくなるの」
小屋についた。その中にレイナがいるらしいが、中は椅子を動かしたような奇妙な音しか聞こえない。
少しだけ違和感があった。
「その欲求の止め方。そしてアンナと私の新しい欲求の満たし方はこれしかないと思ったの」
そう言ってスピカは扉を開ける。その違和感の正体に、アンナは目を見開いた。
その眼に映っていたものは──────
「じゃーん!アンナのことをいじめた犯罪者を捕まえてみましたー!!!」
満面の笑みでそういうスピカの隣には、目を塞がれ口を塞がれ、椅子に縛り付けられたレイナの姿だった。
「……………?」
理解が追いつかなかった。椅子の下には錆びたマチェーテが置かれているが、これは話し合いのはずだが……?
「びっくりした?昨日この子の家に行って軽くお仕置きしてから捕まえたの!アンナの怨みをのせて少し力込めちゃったから跡が残っちゃったけど」
それを裏付けるかのように、声にならない唸り声をあげるレイナの身体には無数の打撲痕と切り傷があった。特に右の太ももにはアンナに刻まれたものと同じ十字のマークが刻まれていた。
「え、スピカちゃん……?これは、一体……?」
やっと出た言葉はこれだった。
「この子と話し合いしても無駄だと思ったの。だからこういう目にあわせた。私わかるの。この子はアンナを人として見てない。アンナのことをおもちゃだと思ってる。そして大人になってアンナをいじめたことを忘れて、のうのうと生き続けるの。楽な人生を歩いて幸せに死んでいくの」
スピカは嬉々として話し始める。その振る舞いはいつものスピカとなんら変わりなかったが、状況と相まって狂気を感じた。
「だから殺すんだよ。アンナ自身の手で。復讐するんだよ」
スピカは椅子の下にあるマチェーテをアンナに向けそう言った。
「なんで………。殺したくないよ?アンナはただレイちゃんと話したいだけ……」
「話しても無駄なんだって。そもそも話す気なんてないの。むしろ話し合いしても悪化するだけだと思った。この子はそういう子なの。だから殺しちゃおう」
「そんなことしたら………。アンナ犯罪者になっちゃう………」
「なってもいいじゃん。ここから逃げて私と一生暮らせばいいだけ」
「アンナは家族がいるんだよ………?アンナがそんなことしたら家族はどうなっちゃうの?」
「一生世間に後ろ指刺されるだろうね。でも大丈夫。アンナを理解できるのは私だけだから!」
スピカは明るい声色を一切変えずアンナの質問に答え続ける。レイナは股を濡らし涙を流して唸り声をあげている。それに少し苛立ったのかスピカはレイナの鳩尾に蹴りを入れる。
「少し黙ってて、今アンナと話してるんだから」
収まったところで再びスピカが切り出す。
「家族のこと馬鹿にされて、容姿をいじられて、暴力を振るわれた。許せないよね?アンナも言ってたじゃん。許せないって。アンナの怒りは私の怒りなの。だから、私はアンナがこの子を殺さない限り一生この苦しみから抜け出せないと思った。生きてる内は一生この子のしがらみから逃れられないの。だから、この罪人を殺して、バラバラにして、証拠すら消して私たちは遠い島に逃げて2人だけで幸せに暮らそう!それがアンナの幸せだから」
何度も息を吐く。酸素が抜けるようだった。眩暈がする。
───でもなぜだろう。今殺さないといけない気がした。
なぜ彼女の言葉はここまで説得力があるのだろう。なぜここまで惹きつけるのだろう。その疑問は混乱する頭の中に埋もれていった。
そしてアンナはマチェーテを手に取る。
その姿を見てスピカが醜悪に笑った。
「これでもう私のものだね。アンナ」
『第26話 手に取った凶器の言い訳をどうぞ』




