第19話 過去の記憶その2
その夜、ミントはベッドに横たわり物思いに耽る。
「リリー……」
今日の昼に会ったあの青がみの少女が忘れられなかったのだ。あの温度、あの香り、あの声。全てが生きてる人間のものだった。死人は冷たく臭く声も出さなかったがリリーは違った。彼女は生きてる。それだけで全てが愛おしかった。
「また、話してくれるんだよね……」
最後の言葉が忘れられない。「また話そ!」そう言ってくれただけで嬉しかった。人生でそんな経験ができるなんて思いもしなかった。
「ふふ!」
笑いが込み上げてくる。楽しみで仕方がない。リリーの顔がまた見れて、今度は本を読んで、カードゲームをして、おもちゃで遊んで、そんなことをしたい。こんなにも色々な妄想が膨らむのも初めてだった。
ミントは毛布に潜り込む。
「お母様は遠出のはず……。だから3日は帰ってこないだからリリーと話し放題だ!ふふふ……楽しみだなぁ!」
明日は絶対早起きしようと目を瞑ったが、なかなか眠れなかった。頭の中で羊を数えながら、ミントは夢の中へ入っていった。
次の朝、昨日と続いて雨が降っていた。水の滴る音が地下世界にもこだまする。
「リリー……きてくれるかなぁ」
ミントは机に頬杖をつきながら気長に待っていた。来る確証はないが来ると信じていた。あの瞳に嘘偽りがないと感じたから、日が暮れるまで待ち続ける覚悟でいた。
「道に迷ってるのかな……?」
心配だった。ずっと前に母親からここは森の奥の地下室と教えられたことがある。自分は外の世界を見たことがないので実際はどういう森かはわからない。だが初めて会った時のリリーは全身がびしょ濡れで服も肌も汚れていた。
「僕じゃ道わかんないよ……」
外の世界は危険だと教えられてきた。魔獣という凶暴な動物もいるらしい。子供である自分が一人で外に出たら悪い大人に連れ去られるかもしれない。そう何度も母親に釘を刺された。
「でも約束したから……」
それを破るわけにはいかない。どんなに怖くても行くしかない。
ミントは意を決して外につながる階段に登り、ドアをこじ開けた。
途端に風が吹き、前方に雨粒を浴び、びしょ濡れになる。腕で雨を防ぎながらミントは前へ進む。
「どっちに進めばいいんだ……?」
勘で右に進む。音を立てて吹く風に押されながらも足を止めず前へ前へ進み続ける。
「リリー!」
名前を呼ぶ声も雨風でかき消される。
「どこなんだよぉ」
もしかして死んでいるんじゃないか。不安が頭をよぎる。こんなに強い雨だ。吹き飛ばされるに決まっている。会おうとして風に飛ばされて木の下敷きになったらどうしよう。そう考えていた。
「せっかく仲良くなれたのに……やだよ……そんなの!」
無我夢中で走り続けた。もう道なんか関係ない。リリーが無事ならそれでいいのだ。
友達なんて本だけの存在だと思っていた。だから自分の中では都市伝説のような存在だった。だけどリリーと触れ合ったことでその存在の素晴らしさが少しわかった気がしたから、だから手放したくないのだ。
「手放したく……」
そう言いかけたところでミントはうつ伏せに倒れる。朦朧とした意識の中で誰かが自分を呼ぶ声がする。
それを最後に、ミントの意識は闇の中へ落ちた。
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「ミント!起きて!」
その声でミントは目を覚ました。そこは病院の一室。ポツンとついた電灯と白いベッド、そして横にはメガネをかけた白衣の壮年の男と、もう一人は───。
「リリー……?」
ミントの友達である青髪の少女、リリーだった。
「もう!心配したんだから!」
リリーはミントを強く抱きしめた。暖かく、心地がよかった。胸に響く心臓の音は、リリーが生きてる人間だということの証明だと思った。
「ごめんね……。リリーが来ないんじゃないかって不安で……」
リリーは首をブンブンと振ってその言葉を否定し、少し強い口調でこう言い放った!
「僕は約束は絶対に守るよ!ミントのところに行こうとして、雨降ってたから雨宿りしながらいってたんだけど、少し小雨になった時に進み始めてたらミント倒れてたから」
「覚えててくれたんだ……」
「当たり前でしょ!」
「嬉しい……」
ミントはシーツで口元を隠す。忘れていると思っていたからリリーが来ようとしてくれたという事実だけでも嬉しかった。
「先生、ミントの体調は大丈夫なんですよね?」
リリーが先生に話しかけると先生は紙に目を通しながら笑顔でこう言った。
「問題ないです。ちょっとした風邪ですので今日1日休んだら元通りになると思います」
「よかった……」
リリーはその言葉に安堵し、ミントの頭を撫でる。
「ミント、リンゴ食べる?切ってあげるよ」
「りんご……?」
ミントは首を傾げる。リンゴというと、あの赤い果実のことだったか、前見た本ではそれで姫が死んだ話があったのを思い出した。
「だめだよ。それ食べたら僕死んじゃう」
「そんな、毒なんか入ってないよ〜」
ミントの言葉を笑い飛ばしながらリリーはリンゴの皮を剥き話を続ける。
「最近雨続きで嫌になるね〜」
ポツポツと降る小雨を窓越しに眺めながらリリーは言う。
「雨ってなんで起きちゃうの……?」
ミントが質問する。
「僕の住んでいる地域では水の神様の涙が雨になってるんだって、嘘くさいよね。実際は雲さんが溜めた雨が放出してるだけだと思う」
「それであんなに濡れちゃうんだね」
リリーは器用にリンゴを刻んでいく。
「最近嫌な出来事ばっかなんだよね。どっかの国の王様が急死したとか、能力者同士で戦争が起きたとか、魔女警察が反乱を起こしたとか。耳を塞ぎたくなる内容ばっかりだよ」
能力者、魔女警察。母親に少しだけ聞いたことがある。能力者はある一定の条件を満たすとなれる者のことで魔女警察は魔女の自警団とのこと。どちらも凡人が持つに相応しくない物だと言っていたが。
「僕、みんなを笑顔にしたいんだ。例えば誰かを僕が助けたとして、その子が僕のおかげで一歩進むことができたら僕はとても嬉しい。悩んでる人たちの希望になれるようになりたいから、災害も、戦争も、喧嘩も裏切りも、人を困らせるものは全て止めたいの」
リリーは切り終えたリンゴを皿に置きミントに差し出す。
「だから今、強くなるために魔女警察の学校に通ってるんだ!元々能力はあるけどそれを伸ばすために魔法も学ぶの!はい、どーぞ!」
机に乗せられたリンゴをミントはフォークで刺す。みずみずしく甘い香りがするこの果実を実物で見るのは初めてだった。ミントはリンゴを口に運ぶ。
「!!!!!美味しい!」
毒なんかなかった。いやある意味では毒か。シャリシャリとした食感と口にとろける甘い味が胃を刺激する。ミントは今までこんなに美味しいものを食べたことがなかった。
「ミント、泣いてるの……?」
リリーにそう聞かれた時に自分が涙を流したことに気づいた。
「え……?」
「泣いちゃうくらい美味しかったんだ〜」
リリーが悪戯っぽく微笑む。ミントは慌てて袖で目を拭う。
「ご、ごめん。すっごく美味しかったから……」
ミントは俯く。外の世界はまだ何も知らない。こんな部屋があることも。雨が降ることも。リンゴがあることも知らなかった。自分が世間知らずなのが情けなくなった。
「このリンゴよりも美味しいご飯って、まだある?」
「勿論!ハンバーグとか、スパゲッティとか、ステーキとかたくさんの美味しいご飯があるんだよ!」
リリーは手を広げながら嬉しそうにそう語る。
「外の世界は、危険なとこじゃない……?」
「場所によるかな?少なくともここは安全だよ!」
リリーはミントの言おうとしていることを察した。
「お家に、戻りたくないの?」
ミントは力なくこくりと頷く。
「お母さんは厳しいし、毎日が退屈だし、毎日怒られるからあそこにいたくない。リリーは優しくて、可愛くて、信用できるから、一緒にいたい」
リリーはミントのその言葉を聞くとミントの両手を握ってこう言った。いやこう言ってくれたのだ。
「じゃあ抜け出しちゃおうよ!」
「え……?」
リリーは困惑するミントを見て、意地悪そうな顔で笑った。




