第13話 勇者論
勇者、勇者、勇者。ずっと何処かでこの言葉が胸につっかえて離れなかった。どんな強敵も物怖じしない勇ましき者。国を救う英雄。他人から慕われ、尊敬される。誰もが羨む理想像。
この世界は灰の魔女の脅威にさらされている。年間8000万人の人間が灰の魔女によって殺されているらしい。
いつもの情報収集で小耳に挟む。灰の魔女関連の話題は大半がマイナスなものばかりだ。国を滅ぼしただの人攫いだの討伐隊が壊滅されただのその全てが良い情報ではなかった。
他人事と思えなかった。自分の置かれた状況。朧げに浮かぶ記憶。黒いドレスの金髪の女。顔までははっきりとわからない。自分がどう生まれたか、なぜここにいるのか、なぜありもしない罪で追われているのかわからなかった。
「灰の魔女」この言葉を何度も聞いたような気がする。記憶の断片を宛に灰の魔女を探す。それだけを目的にしていた。
それが今のミント。この名前も名前しかわからない。誰がいつつけたか全く憶えていないから。
灰の魔女を探す。その過程で出会った自称『勇者』名前は確かルド。自らの功績を鼻にかけている典型的な英雄気取り。
その根性を叩き直そうと彼の言う勝負に付き合ってあげた。
自分がドラゴンの住処についた時にはルドはいなかった。死んだのだろう。そう思った。ドラゴンの右目は潰れていた。それなりに善戦はしたらしい。
ルドとの戦いでかなり消耗していたのか、ドラゴンの動きはかなり悪く、その攻撃もなんなくかわすことができた。
攻撃の合間に斬撃をいれる。ドラゴンはさらに弱っていく。命を奪うまでもない。再起不能にする程度にしよう。そう思った矢先。
ルドが戻ってきた。ボロボロの状態で。鎧は損壊し、青いマントも原型をとどめていない。
そんな状態でも彼はミントに噛み付く。「俺だけでやれる、手を出すな。」そう言うのだ。
なぜその状態で啖呵を切れるのだろう。負けず嫌いにも程がある。本来だったら戦えない傷を背負って戦おうとする。その諦めの悪さに既視感を感じた。
「(前誰かが同じような言葉を言ってたような…)」
朧げだ。何も思い出せない。でもこんな無謀なチャレンジャーをどこかで見た気がするのだ。
ミントはルドを無視してドラゴンに飛びかかる。だがルドは妨害する。
尚もオウムのように邪魔するなと連呼する。
なぜこの戦いにこだわるのだろう。
勇者の信念がある。勇者として逃げずに目標を達成する。ルドはそう言うのだ。
彼にとって勇者というレッテルはそこまで大事なのか。身体を壊され、歩くのがやっとの状態でも意地を張れるくらいこの戦いに全てを懸けているのか。
ただ彼を引きずり降ろそうとしてた自分が馬鹿らしく感じた。こんなことに付き合っている暇なんてなかった。
ならば…
「僕は先に帰るよ。この戦いは君に譲ってあげる」
ミントは刀を置いた。ルドに背を向け下山した。
そこまで意固地になって自分の責務を全うしようというのなら、一人で戦えばいい。
森の中を抜け、崖を下る。いつのまにか雨は止んでいた。
「…」
ミントは後ろを振り向く。戻ってもいいが彼は納得しないだろう。もう日付は12時を回っている。この時間になってもドラゴンを倒せなければこの戦いは無効となる。やはり、やる必要のない賭けだったのだ。
───
「12時…」
スミレは広場の時計を見てそう呟いた。この時間になればドラゴン退治が終わるはずなのだが、二人が帰ってこないのだ。
「ルド…」
スミレは強烈な不安感に襲われる。もしかしたら彼の身に何か起こっているのかもしれない。12時を回ったら試合は無効にする。そのルールを提示したのは自分だ。
今からでも遅くない。勝負を止めなければならない。
「アンナちゃんはここで待ってて、私は山のほうに行くわ」
花を編んでいるアンナにそう告げるとスミレはほうきを呼び出し、それにまたがって山のほうに向かう。
「(ルド…どうか無事でいて…)」
そう願いながらはやる気持ちを抑える。
ほうきでホタテ山をまで飛んでいると、山道に見知った人間がいた。
名前は確か
「ジョニー…?」
どう見ても偽名にしか聞こえない名前をスミレは呟く。無傷で刀も持ってない。そして下山してる。もしかして彼がドラゴンを倒したのか?
スミレはほうきから降りてジョニーもといミントにたずねる。
「あなた、もしかしてドラゴンを…」
「いや、倒してないよ」
スミレの言葉をミントは遮ってそう返した。
「え、じゃあルドは…?」
「…」
ミントは何も答えない。全てを察してしまった。彼だけが無傷なのも刀がないのもこの木々のざわめきも…。
予想しうる最悪の事態が起きてしまった。
「彼が手を出すな。勇者としての使命を果たさなければとか言ってたから、彼が欲しがってた刀を渡して、僕はこの勝負を降りることにした。元々やる気がなかった僕が勝っても意味ないから」
「…言い訳なんか聞きたくないわ…」
スミレは俯きながらミントの横を通り過ぎる。
「アンナちゃんから聞いたわ。あなたは友達を助けてくれた。魔女警察も手を出せない状況でなんとか窮地を脱して、村を救ってくれたってね」
スミレはあたりを見渡す。きっとこの先の森を突っ切っていけばルドに会えるはずだ。
「でもあなたは自己中心的なその考えで勝負から逃げた。それは到底許せることじゃないわ…!」
「何の力も持たない一般市民と力を持った能力者を秤にかけられるの?手を出すなと言ったのは彼だし、そこまでいうなら自力で窮地を脱することができるでしょ?」
スミレは歯軋りをする。あまりにも身勝手な持論に憤りを感じた。
「勇者というのは常に孤独。誰とも関わりを持たずに、ただ己の使命だけを全うする。驕ってはならない。勝利に向かって突き進むだけ。彼が勇者なら自分一人で倒せるはずだよ」
「ふざけないで!」
乾いた音が響き渡る。ミントの口から血が流れる。
「勇者っていうのは常に弱きものの味方なの!確かに孤独かもしれない!でも仲間と守るべき人たちがいるおかげで勇者は強くなれるのよ!彼がどんな思いで勇者の道を志したか知らないくせに、適当なことばっかり言わないで!」
感情論なのはわかっている。正当性が欠片もないのはわかっている。でも自分が子供のように育ててきた少年が見殺しにされたのはどうしても我慢ならなかった。戦う人間は確かに孤独かもしれない。でも彼にはそんな思いをしてほしくないから。だからあの時誓いあったのだ。それを素性も知らない赤の他人にここまで言われるなんて、悔しかった。情けなかった。
スミレは血のついた手を布で拭く。
「…今回の勝負は無かったことにするわ。まずは人命の救助を優先する。あなたは帰ってなさい」
ミントはアザの残った右頬をおさえる。打たれたところだけ生暖かかった。この怒りの表現を以前誰かにされたような気がした。でもやはり誰だか思い出せない。
「それと、金輪際私たちの前に顔出さないで」
スミレは最後にそう言うと再びほうきに跨り森の中へ向かった。
自分は間違っているのだろうか。それとも向こうが間違っているのか?ミントは頭の中が混乱していた。怒られたんだな。ただその事実だけが、ミントの心に重くのしかかっていた