EP.2 非文化廃人
数日後、黒乃は1人、家のパソコンでとあるサイトを開いていた。花柄の背景に、白い文字に室内の写真。
影星の面倒を見たという精神病院である。
画面をスクロールして電話番号を探し出すと、脇に置いたスマートフォンに手を伸ばし、番号を入力しプッシュした。
無色は未だ来ない。今日も回る予定のランクマッチは夜の18時頃からで、現在は午後13時30分になろうとしている。まだ暑さの残る外を、日差しが降り注ぐ中歩きたくないだろう。
カーテンで閉め切られた薄暗い部屋からでは、僅かに光が見えるだけだが、それでも十分に眩しい事は伝わってくる。
『四季音精神病院です』
5コール程で電話が取り上げられ、電話口から女性の声が聞こえてくる。新社会人だろうか、声は若々しい。
「急で悪いんですけど、医院長います?」
『……ご新規の患者様でしょうか?』
「あー?いや、そうじゃなくて……」
『診察ではない?』
声色に、少しずつ警戒の色が滲む。
黒乃は内心で舌打ちをした。
会話は苦手だ。
それも、このように全く知りもしない、どこかの職場の人間であれば、尚更。
彼のコミュニケーションの武器である、オーバーリアクションが使用できないという一点で。
「ちょっと聞きたいことが……あー、影星って奴、患者としていませんか」
『すみませんが、私は助手ですので、いらっしゃったとしても、患者様の個人情報をお教えする事は出来かねます』
「助手……?んじゃ、赤茶髪の8年前にそこに入院した奴の知り合い、って言ったら?」
その言葉に、息を飲んだのが分かった。
だが、黒乃も相手の言葉に衝撃を受けている。
電話の向こうにいる相手は助手なのだ。
影星の家を片付けたと思われる、あの。
『何故知っていらっしゃるのかを、お聞きしてもよろしいですか?』
「たまたま会ったから、です。そん時に、どこの精神病院にいたとかも教えてもらいました。影星って名前も、俺がつけたんです」
『…………もし、気のせいであれば申し訳ありませんが』
相手は、一呼吸おいて尋ねる。その質問は、黒乃にとってあまりにも予想外のものだった。
『黒髪の男性で、紫色の瞳では?』
「な……!?」
決して誇張表現でも、大袈裟なリアクションでもない。
彼は今、心底から驚嘆した。
黒髪の男性、それだけであれば一致する存在はどこにでもいる。
だが、その電話越しに髪色、瞳、性別、全てを的確に当てる事の出来る人間が、いったいどれだけいるのか。
「……なんで、分かったんですか」
『前に一度、ゲームショップで見ました。近くには、派手な髪色をした女の子もいらっしゃいましたよね?』
「女……あー、はい。俺もそいつも、影星の知り合いです』
無色が女子判定をされている事について、訂正するかどうかを考え、あの見た目では無理もないと割り切る。
『本当に、お知り合いなのですね。……ですが、個人情報をお教えするわけにはまいりませんので、住所や電話番号などは秘匿させていただきます』
「あー……えっとですね……」
本来であれば、家の住所を聞き出し、無色と共に家まで行って手掛かりを探す行動計画を立てていた。
しかし、この様子では、影星が行方不明だと言っても、教えてくれるかどうか。
感情に動かされるのであれば言うだろうが、ここで聞いて不審に思われないだろうか。
己のコミュニケーション不足のせいで、会話の流れや先、最適な問いと回答を得られない。
それでも、もし、伝えた事で、親友が失踪した事について、何か手がかりを得られるのならば。
「そいつ……行方不明なんですよ」
言わない選択肢は、なかった。
『……戦死、などではなく?』
「わかんないです。でも……」
黒乃は、影星と遊ぶ約束をしていた事、その日に来なかった事、それからゲームにもログインしていない事、メッセージを送っても既読がつかない事、等、経緯を全て話した。
これが少しでも、道になればいいと願って。
『でしたら、お教えいたします。但し、絶対に他言無用でお願いします』
「え……いいんですか」
『はい。嘘をついている様には感じませんでしたから』
きっぱりと告げ、電話の相手は影星の住所を読み上げる。それを、念の為パソコンではなく紙に書いて、ボールペンを降ろした。
「……ありがとう、ございます」
『いえ、見つかるといいですね』
「ほんとに。……あの、なんで影星の家、片付けたか訊いても」
これは、ただ黒乃が気になったから。深い意味はなく、強いて言えば、何故影星の記憶の復元を阻害するような真似をするのか、それに対する明確な答えが欲しかった。
『家族を殺してしまった事がフラッシュバックして、再発してしまう可能性を考慮した上の行動です。被害が発生するより、先に手を打っておこうと、医院長と話し合った結果です』
「そうですか。……ありがとうございました」
通話を切り、ゲーミングチェアに深く凭れかかる。
「あいつ来るまでゲームでも……」
そんな独り言が、知らない間に零れ落ちる。
それを、コンマ数秒遅れで拾い上げて思わず苦笑した。
血は争えないとは、よく言ったものだ、と。
黒乃は、母親の顔を写真でしか見た事がない。死産、だったからだ。
男手1つで育てられていたが、その父親はネットゲームばかりで、子供の方など見向きもしない。
少なくとも、物心着いた時から、あの日までずっと。
仕事もせず、母親の遺産と親からの仕送り、父親の貯金で生活していた。
やがて、黒乃が小学生になった頃、近くの小学校へ通う事になった。
流石に自重したのか、廃課金をする事は少なくなり、学費や給食代の未払いが起きた事はなかったが、授業参観や運動会など、皆の親が来るような行事には一切顔を出さなかった。
更に、追い討ちの様にかけられる言葉の数々。
「ねえ、下の名前なんて言うんだっけ?岸田だっけ?」
「やめたげてよ〜!きしだんくんかわいそう〜!」
「あーあ、きしだんくん泣きそうじゃーん」
「そいつがきしだんってやつ?うわ、変な名前」
「ノリ悪いなこいつ、ずっと黙ってるし」
「お前また親来ねぇの、それとも親いねぇの?かわいそ」
「きしだんは親無しなんだろうね」
黒乃は所謂『キラキラネーム』だ。
本名、黒乃 岸田。
それを理由にクラスメイトから揶揄われたり、わざわざ他クラスの生徒や上級生が、どんな人物かを見に来る事があった。
親が行事に来ない事で、親がいないと憐れまれた、蔑まれた事もあった。
次第に、黒乃は学校に行きたく無くなって、家の中に閉じこもってばかりになった。
父親は、そんな黒乃の事を鬱陶しく思っていた様で、話しかけるような事はしなかったし、食事を用意することも無く。
行かないのであれば金の無駄だという理由で退学をした後は、反動か以前よりも課金額が増し、生活苦になる一方。
黒乃は、親に構ってもらう経験も、楽しいという感情も得られずに、孤独を過ごしていた。
黒乃が13歳になった頃に、それは起きた。
父親が、心臓発作で死亡した。
椅子にぐったりと寄りかかった父親を見て、黒乃は激しく取り乱し、錯乱状態で、助けを求める為に外に飛び出して2、3歩行ったところで気を失い、次に目が覚めた時には病院だった。
そこで、父親の死を知ったのだ。
家に戻ると、既に死体は運び出されていた。事件性無しと判断されたのか、家に戻る事は出来たが、正真正銘孤独となった黒乃は、何をするやる気も起きなかった。
ただ心中に渦巻くのは、寂しいという感情ばかり。
部屋の中に戻ろうとして、足先にコードが引っかかってしまい、その拍子に暗い部屋で、ディスプレイが光った。
黒乃の視線は、自然とそれに向かって引き寄せられる。
寂しさなら、あれで癒せるかもしれない。
父親がそうしていた様に、自分も。
吸い寄せられる様に椅子に座る。慣れない光の明るさに、目を眇めながら何とか照明操作キーを探し出して明かりを落とす。
1つキーを叩くと、ロックを解除する番号を求められた。
少し、手をキーの上で彷徨わせ、自身の誕生日4桁を入力する。
すっと画面が切り替わり、父親がやっていたであろうゲーム画面が表示された。
吹き出しのマークに、赤い感嘆符が着いていることに気が付いて、見様見真似の覚束無い手でマウスを動かし、クリックする。
『昨日ravenいた?』
『チャット送ったけど返事無かったよ』
『何やってんだろ』
『イベント参加しないの?』
様々な文章が目に映る。
ここなら、きっと。
そうして、埋めきれない寂しさはゲームで埋めている。
最近は、影星や無色と一緒にプレイする事も増えてきてはいるが、未だに仮想世界に逃避する癖は抜けないまま。
生活リズムも、余りいいとは言えない。取り柄はゲームとハッキング、それと(写真を見る限りは)母親の血を濃く受け継いだ、整った容姿のみ。
21年間の人生、その内の8年はゲームに費やしてきた。
けれど、彼は唯一、ずっと心に決めてきた事がある。
自分が幼い頃、周囲から心無い言葉を投げられたからこそ。
困っている人を、見て見ぬふりは絶対にしない、と。




