国外追放じゃなくて異世界追放! って、それをして困るのはそちらではないですか?
「ロレイン・レサリアス。私はお前との婚約を破棄する!」
この国の国王、王妃をはじめとして、国中の貴族が集まる祭典後のパーティーの場にて、王太子であるアーク・シュトロンが声を張り上げて高らかに告げた。
会場はシーンと静まり返った。
来賓である各国の大使や、たまたまこの国に来ていて招かれた他国の貴族たちは、王太子が告げた言葉にギョッとした顔を二人へと向けた。
この国の貴族たちは突然の宣言に一瞬目を見開いたが、すぐに得心顔で頷いた。中にはニヤニヤと人の悪い笑いを浮かべている者もいた。
会場にはロレインの両親であるレサリアス公爵夫妻もいるのだが、自分の娘が婚約破棄されようとしているのに、庇う様子を見せないことに、他国の者は話がついていることなのだと察して、高みの見物をすることに決めた。
「それはどういうことですの」
王太子と相対する令嬢は、一瞬眉をひそめてから真顔に戻り問いかけた。
「はっ! 厚顔も甚だしいとは、このことだな。これまでにお前がしてきたことを思い起こせば、婚約破棄が妥当であろう」
王太子の言葉に令嬢ことロレインは、尚更困惑をした。その様子に王太子はもっと苛立たしい様子で言い募った。
「お前は神から言われたという妄想を、国民に広げ混乱をまき散らしたではないか。そんな虚言に惑わされて、身を持ち崩した者がどれだけいると思っているのだ!」
「殿下、あのことには訳があるのでございます」
「はっ! 今更言い訳か? そんな保身のための言い訳など聞く耳などないわ!」
言い訳ではなく説明……そう、やっと詳しい話をしていいと、神から許可が下りたので、そのことを話そうと口を開いたロレインは、聞く耳はないと言われてしまい困惑の眼差しを王太子へと向けた。
(これでは説明をするどころではないわね。ここはこの世界の管理者である精霊様たちに来ていただいた方がいいかしら)
そんなことを思案していると、王太子が再度話しだした。
「それに何が神だ。この世界は精霊様が守ってくれているではないか。精霊様を敬わないお前など、この世界に必要ないわ!」
王太子の宣言に学園での同級生で王太子の側近であり、魔術師長の息子で天才の名をほしいままにしているキース・ラクトルが進み出て王太子の隣に並んだ。
「殿下、私は精霊様を敬っております」
「どこがだ。本当に敬っているのであれば、いるのかいないのかわからない神のことを話すはずはないだろう!」
「ですから殿下、神様は本当にいるのです。この世界の管理を精霊様方にお命じになれたのが、神様なのです」
真剣に話すロレインの言葉を「はっ!」と王太子は鼻で嗤った。
「もういい! これ以上不快な言葉を聞き続けるなど、無駄な時間でしかないわ。キース、やってしまえ!」
「はい」
キースは杖を構えると、詠唱を始めた。魔法陣が構築され、ロレインの足元で光だす。ロレインは眉根を寄せると、キースが発動させようとしている魔法陣を読み解こうと耳を澄ませた。
「ははは! 国外追放は生ぬるいからな。これからは不快な思いをしなくていいように、この世界から追い出してやる!」
「なんですって! そんなことをすれば、困ることになりますわよ」
王子の高笑いと共に言われた言葉に、ロレインは事実を告げるが王子はバカにしたように笑うだけだった。その様を見てロレインは魔法陣を打ち消そうと呪文を唱えだした。
「……アーギュ レーター! 異界の門よ 我が呼びかけに開かれん! この者を彼の地へと誘わん!」
詠唱の最後の言葉を聞いて、ロレインは間に合わないことを悟った。呪文を紡ぐのをやめ、心の中に謝罪の言葉を浮かべた。
(女神様、ご期待に添えず申し訳ございませんでした)
魔法陣は完成し、輝きを増すと、ロレインを飲み込んで光は消えた。
しばらく誰も動かなかった。ロレインが居たところだけ、ぽっかりと穴が開いたように何も無くなっていた。
「はっ、ははは。これで精霊様を冒涜していた、不快な女はいなくなったぞ。何が、神に言われたことだ! 空を飛ぶ船どころか、夜空を彼方まで行く船を造るなどと、正気の沙汰ではないわ!」
「全くです! 我が娘ながら、どこからあのような考えをするようになったのか。悪魔にでも唆されたのでしょう」
王太子の言葉にレサリアス公爵も不快感を顕わにしながら言った。
その時、急に濃密な魔力が近づいてくるのを感じ、広間にいる者たちは再度口を噤んで緊張しながら辺りを窺った。
キーン
硬質な音と共に現れたモノ達に、広間に居る人々は驚きに目を見開いた後、深々と頭を下げた。
「これは精霊様方、よくぞいらしてくださいました。して、どのようなご用でいらしたので、ございましょうか」
皆を代表して国王が言った。表情を引き締めて真面目な顔をしているが、目はキラキラと輝いていた。広間に居る他の者達も、滅多に会えない精霊たちーーそれも四大精霊が揃っていることに、密かに興奮していた。
そんな彼らのことを無視して、精霊たちはあたりを見回して言った。
「いない」
「どういうことなのだ」
「待ちなさい。……ああ、この魔法陣は異界へと通じるものだな」
「……見つけた! 遠いが我らとの繋がりがある故、引き戻せるだろう」
精霊たちの様子に困惑していた人々は、精霊たちの口から出た言葉の意味を理解した者から、顔色を悪くしていった。
「お待ちください! 精霊様方! あの女は精霊様方に不敬をはたらいております!」
やっと遠くに追いやったというのに連れ戻されてはたまらないと、アーク王子は慌てて精霊へと声を掛けた。精霊たちは不快そうに眉を寄せると、冷たい目線をアークへと向けた。その目線にアークはたじろいだ。
「こ奴は何をいっている?」
「誰が誰に不敬をはたらいたと?」
「我らと彼の者はとても親しき間柄であるのに?」
「このようなボンクラが次代とは、この国はもう終わりかや?」
「なっ!」
精霊たちの言葉に一言呻いて絶句したアーク王子。その様子を精霊たちは目を眇めて見ていたがすぐに興味を失すと、彼らにとって最重要事項があるとお互いを見やった。
「いかん。このようなものに意識を割いている場合ではなかったわ」
「そうだ、急ぎこちらに戻さねば」
「やるのは我で良いか?」
「そちだけでは足りぬのであれば手を貸すが?」
「ふむ……少しばかり遠いか。我だけでも足りると思うが、ちと借りてもいいか?」
「良い、良い。それではこれを逆転させて、引き戻すとしよう」
そう言うと精霊たちはキースが描いた魔法陣を浮かび上がらせると、陣を書き換えていった。
「これでよい。では彼の者をこの地に再び……!」
魔法陣が輝き呼び寄せる為の『力ある言葉』を言っていた精霊たちは、突然魔法陣から輝きが失われて顔色を変えた。
「何が起こったのだ?」
「書き換えは完ぺきだったのに」
「誰かに邪魔をされた?」
「それよりもーー彼の者との繋がりがーー消えてしまった……」
精霊たちは動揺のあまりフリーズしたように動きを止めた。
◇
どこかへと跳ばされたロレインは、眩しさから閉じた目を恐る恐る開けた。そこはどこかの下町の路地のようだった。辺りを見回して、見覚えのない場所だと確認する。
それから、胸元に手を当て自身と元の世界との繋がりを確認した。しばらくして微かにだが繋がりがあることがわかりホッと息を吐きだした。
(どうやら本当に異世界に飛ばされたのね。かなり細いけど、あちらの世界との繋がりは切れていないわ。持っている魔石を使えば、戻ることが出来るかもしれない)
ロレインは異空間ボックスから魔石を取り出した。皮の袋に纏めて入れておいたが、上級魔石が二十個ほど入っていたはずだ。これをすべて使えば、戻れる可能性が高い。
(キースのように魔法陣を描いて跳べればいいのだけど……そうすれば魔石なんか使わなくても行き来が出来るように……いえ、そんなことを考えている場合じゃないわ。この繋がりがもっと希薄になる前にあちらへと戻らなくては!)
ロレインは袋から魔石を取り出すと自身の周りへと並べた。そして一番魔力の多い魔石を手に持つと、繋がりの糸へと意識を向けた。糸を辿って行くと途中で多大な魔力を感じて、動きを止める。
(これは……精霊様方が私を呼び戻そうとしてくれているのね)
ロレインはそう察すると、足元に並べた魔石を急いで拾い集めて皮の袋にしまった。一番魔力の大きい魔石だけは仕舞わずに、手で持っておく。
あと少しで扉が開く気配がしてロレインは身構えた。
が、ぷつんと糸が切れたような感覚がして……元の世界との繋がりが絶たれてしまった。
「えっ? どうして? ……あっ……そんな……駄目よ」
ロレインは狼狽えて先ほど仕舞った魔石を取り出すと、闇雲に先ほどの魔法陣を再現しようと呪文を口にしようとした。
「おやめなさい、ロレイン。そのようなことをする必要はないわ」
聞こえてきた声にハッとして、いつの間にか閉じていた目を開けた。目の前には麗しい女性がいた。
「女神様……」
「ええ、そうよ。ごめんなさいね、ロレイン。知らなかったとはいえ、貴女には無駄に苦労を掛けたわ。もう私が頼んだことは気にしなくていいのよ」
「ですが女神様、私の伝え方が悪かったのです。このままではあの国……いいえ、あの星は人の住めない星となってしまうのでしょう。その前に、皆を乗せて宇宙に飛び立てるように……?!」
言い募るロレインの唇に女神様が人差し指をたてて触れてきた。シーという合図に言葉を止めるロレイン。
「だからね、もういいのよ。貴女の言葉を聞かなかったのは彼らで、貴女の言葉を聞けないような下地を作ったのはあの子たち。だからこの後のことは自己責任ということでいいのではないかしら」
女神様にニッコリと微笑まれて言われてしまい、何も言えなくなったロレインだった。
「ところでね、ロレイン、貴女、あちらの世界に戻りたい?」
「えっ? えっと、戻れるのですか」
「もちろんよ。私を誰だと思っているの?」
茶化すような言い方で胸を張る女神にロレインは困ったように笑った。女神は優しい眼差しのまま表情を引き締めた。
「ちょっと考えてみて欲しいの。貴女にとってあの世界は、いい思い出がないのではないかしら?」
女神の言う通り、ロレインにはいい思い出は一つもなかった。小さい時には両親や邸の使用人に可愛がられたと思うけど、物心ついた頃には女神様から託された使命を果たそうと、可愛くない言動の子供になっていたと思う。その頃には両親や周りの大人たちから、疎まれて無視されるようになっていた。
ギュッと唇を噛みしめたロレインを、そっと抱きしめる女神。
「本当にごめんなさい。あの世界の状況を確かめずに貴女を送り出した私のミスだわ。だからそんな顔をしないで。貴女はこの世界で楽しく暮らせばいいわ」
女神の言葉に目を瞬かせるロレイン。
「この世界で……しがらみなど考えないで、暮らして……いいのですか」
「ええ、もちろんよ」
ニコリと笑う女神にロレインは涙を零しながら笑顔を返した。
「それなら……この世界で、暮らしていきたいと思います」
「ええ、是非、そうして頂戴。そうねえ、それなら、この世界の知識が必要ね」
そう言うと女神は優しい手つきでロレインの額に触れた。ロレインの頭の中にこの世界の知識が流れ込んできた。
「この世界の言語は元の世界と同じよ。文字のほうもほとんど一緒ね。お金の単位は違うけど、銅貨、銀貨、金貨が使われていることと、貨幣の変換の比率は同じね。生活の様式もあちらと変わらないわ。大きく変わるのは、各街に大衆浴場があることね。貴族は邸に浴場を作っているけど、大衆浴場に足を運ぶ人も多いそうよ。男性専用や女性専用の浴場もあるみたいだから、行ってみるといいわ」
どこから手に入れたのか、女神は折りたたまれた紙をロレインに渡した。広げてみると、この街の地図だった。
「それから、あちらの世界で貴女のものだったものは、異空間ボックスに入れてあるわ。お金は……そうねえ、ギルドで換金すればいいかしら」
「ギルドで換金ですか」
「ええ。この世界にはダンジョンがあるのよ。そこに行くとドロップ品に、こちらの世界ではない貨幣が発見されることがあるわ。だから、換金に出してもどこかのダンジョンで手に入れたものだと思われるでしょうね。……ああ、そうだわ」
女神は何か思いついたのか、手をくるりと回した。いつの間にかその手には何かのカードが握られていた。
「これは冒険者ギルドのカードよ。身分証になるから渡しておくわね」
受け取ったロレインはカードを眺めて小さく「えっ」といった。
「これ、いいのですか」
「どれのこと? ああ、出身地のことね。シュトロンという名の村が、こちらにもあるのよ。嘘は書いていないのだから、いいのよ」
女神様のお墨付き(?)だから、いいのだろうとロレインは頷いた。
「さて、そろそろ私は締め上げにいくことにするわ。えーと、ロレインも気になるわよね」
うっかりとこちらの世界でのこれからのことにワクワクしだしていて、元の世界のことを忘れかけていたロレインは、女神に言われてハッとした。離れてしまったとはいえ、出来れば最後まで見届けたいと思った。
「はい」
「それなら私と視界を繋いでおくことにしましょうね。一応、これで貴女とはお別れだから別れの言葉を言っておくわね。ロレイン、この世界で楽しく過ごしなさい。貴女らしくすごしてね。困ったことがあれば、いつでも言ってね(祈ってね)。なるべく急いで来るから」
ニコニコと言う女神にロレインは首を傾げた。
「あの、お別れなんですよね」
「ええ、今はね」
「今は……ですか?」
「そうよ。知り合いが一人もいない世界に一人で放り出すわけがないじゃない。向こうの件が片づいたらフォローのためにもしばらくは同行するわ。だから少しのあいだ待っていてね。ああ、そうそう、その服はあなたに似合っていて素敵だけど、着替えたほうがいいわ」
言われてロレインは自分の胸元へと目を向けた。祭典に相応しいデイドレスだけど、冒険者を名乗るには華美過ぎるだろう。
異空間ボックスから冒険者が来ていてもおかしくなさそうな、シャツ(シードラゴンの髭が袖口に飾りとして使われている)と動きやすさを考えてスラックスに似たズボン(迷彩柄で毒除け、麻痺無効、混乱防止がかけてある)と赤い皮のベスト(火竜の鱗が飾りとしてつけてある)ショートブーツ(加速の加護付き)を取り出すと、範囲魔法で認識阻害をかけて手早く着替えた。ついでに髪も紐で一つにまとめる。
その様子を見守っていた女神はニコッと笑うと「似合うわよ」と言った。そして、「じゃあ、あとでね~」と手を振ると、姿を消したのだった。
◇
暫し茫然自失状態だった精霊たちはハッと正気に返ったようで、他の精霊たちと顔を見合わせると頷いて言った。
「探さねば」
「一人で心細い思いをしているだろう」
「陣はこ奴が作ったものだったな。それならばこ奴に設計図を出させれば良いだろう」
「そして位置を再度特定して……」
思案をしながらキースへと詰め寄る精霊たち。そこに。
「待ちなさい。勝手なことをするのは、許さなくてよ!」
聞こえてきた美麗な声に、広間に居た人達はハッとした。気がつけば玉座のところに、とても麗しい女性が立っていた。ストレートの金色に輝く髪は腰を越す長さがあった。
麗しい女性は精霊たちを半眼で睨むように見ている。精霊様たちに不敬なと、アーク王子は女性に怒鳴ろうとした時、精霊たちが慌てたように女性の前まで行くと跪いた。
「女神様、お眼に掛かることが出来て、光栄にございます」
ポカンと口を開けてその様子を見ていたアークは精霊たちの言葉に衝撃を受けた。
(……まずい。もしかしなくても、まずい状況ではないのか?)
背中を冷たい汗が伝いだした。隣にいるキースも蒼い顔をしてカタカタと小さく震えだした。他にも広間に居る人々の中で、状況を理解できた者から先ほどの比でないくらい顔色が悪くなっていく。
そんな人々のことなど放っておいて、女神と精霊たちのやり取りが始まった。
「女神様におかれましてはご機嫌麗しゅう」
「はっ! ご機嫌が良いわけなどないことは、其方らのほうがわかっておろう」
「そ、それにつきましては……」
「はい、そのことにつきましては申し訳ございません。直ちに彼の者をこちらへ戻すことを……」
「先ほども言ったけど、あの子を連れ戻すことは許しません!」
女神の言葉に精霊たちは驚愕の表情を浮かべた。
「なぜでございますか」
「彼の者がいなければこれから困ることになります」
「それを其方らが言うの?」
おかしなことを聞いたというように、女神はうっすらと口元に笑みを浮かべながら言った。精霊たちは小首を傾げて女神のことを見つめ返した。
が、話を聞いている人間たちは女神の眼差しの冷たさに、カタカタと震えだした。
「あの女神様、我らは何か間違いを犯したのでしょうか?」
精霊の一人、たぶん風の精霊王だろうーーが、恐る恐る女神へと問いかけた。
その言葉を聞いた女神は目に見えて分かるほど落胆したようで、額に手を当てて深々とため息を吐きだした。
「それでさえ分かっていないとは思わなかったわ。……いえ、これも私が悪いのだわ。優秀と評判の次代の神候補だからと、最初の指示だけですべて任せてこちらの様子を見に来なかったのだもの。でも、ねえ、其方らに問うけど、なぜこの世界には精霊を奉る神殿しかないのかしら?」
「そのことが?」
「何がおかしいのでしょうか?」
精霊たちは言われたことが判らないというように、首を傾げて言った。
「問う前に、答えなさい!」
「は、はい。我らがこの世界を任された時は、人の子らはまだ幼く我らが教え導いておりました。成長をするにしたがい人の子らは我らを敬い慕ってくれるようになり、精霊信仰なるものを起こし神殿を建ててくれたのです」
精霊の答えに女神は頭痛を覚えた。眉間を揉んでほぐすような仕草をした後、冷ややかな視線を精霊たちへと向けた。
「そう、よーくわかったわ。これじゃあ、あの子をこの世界に呼んだ意味がなかったわけね」
「何をおっしゃるのでしょうか」
「そうです、女神様。意味がないなどとおっしゃらないでください」
「この世界の危機に遣わしてくださったあの者を呼んだ意味がないなどとは」
精霊たちは後悔している様子の女神を慰めようと、言葉を紡いだ。が、その言葉に女神の様子が変わった。
「其方らが、それを言うか! 神界の混乱によってこの世界に目を向けることが出来なかった私にも罪はあるが、そもそも、其方らが最初にやるべきことをしなかったのが悪かったとなぜ、わからなぬ!」
女神の怒号に精霊たちは首を竦めて小さくなった。が、まだおのれたちの何が悪かったのかが分かっていなかった。
「其方ら! なぜ、幼き人の子を導く時に、この世界の作り手である『女神』のことを伝えなかったのだ? それを伝えていれば、今このようなことにはなっていまい!」
女神の目線を追いかけて精霊たちは後ろを振り向いた。
そこには……茫然とした顔で佇む人々がいた。
精霊たちの顔に怒りの色が浮かぶ。それを見た人々は精霊を怒らせたことを感じたが、どうすればいいのかわからずに固まったように動けずにいた。
その様子に精霊たちは怒鳴りつけようと口を開こうとして……女神に遮られた。
「其方らに人の子を怒る資格はないわ。神に対する作法を教えるどころか、神がいることを認識させていなかったのですもの」
ハッとした精霊たちは平伏して女神に許しを請いだした。
「申し訳ございません」
「我らの怠慢にございます」
「我らが間違っておりました」
「これからは人の子らに我らより女神様を祀り奉るように申しつけます」
精霊たちの言葉で人々はやっと自分たちの態度が女神に対して不敬であると判り、分かったものから膝を折って平伏しようと動き出した。
「今更である! そのままでいるがよい!」
が、そこにまたも女神の声が制止を伝えてきた。それどころか声に力があったのか、人々は立ったまま動けなくなってしまった。
「さて、此度のこと、何が悪かったのか解かったであろう」
女神の問いかけに平伏したままコクコクと頷く精霊たち。
「こうなってはあの子をこの地に戻すことが適わないこともわかったであろう」
この言葉に精霊たちはぐっと唇を引き結んだ。そうしなければ叫び出してしまいそうだったからだ。
「これからのことであるが、先に其方らに伝えた通り、この星はもうすぐ人が住めぬようになる。生き延びたければ、自分たちでどうにかするのだな」
女神に告げられた言葉に、人々は悲鳴をーー上げることは出来なかった。冷たい女神の眼差しに、飲み込むしかなかったのだ。
「そ、それでは、人の子らには酷というものでは」
「そうです。猶予をお与えください」
精霊たちは懇願するように言った。
「それが出来ないから、あの子に伝えてもらったのよ。聞かなかったのは人の子らで、そうするようにしたのはあなた達でしょう。これ以上は私にもどうすることも出来ないわよ」
女神の言葉に精霊だけでなく、人々の胸に後悔の念が沸き上がってきた。
もう少しロレインの話をちゃんと聞いていれば……。
せめて先ほどロレインが話そうとしたことを聞いていれば……。
彼女が言ったように『困ったこと』にならずにすんだのだろう。
ロレインがあれほど急いで夜空をいく船を造ろうとしているのかを、もっと深く考えていれば……。
後悔に泣きそうになった人々の耳に精霊が女神に問う声が聞こえた。
「で、では、女神様、せめてあと何年あるのかお教えいただいてもいいでしょうか」
「ああ、そうね。人の子らにも覚悟をする時間が必要ですものね。そうねえ、大体千年後ね。この星が無くなるのは」
「……はっ?」
「宇宙では魔法を使うための魔素がないから、これからだんだん魔素を薄くして魔法を使えなくなるのが……これが三百年後かしら」
「……えっ?」
「あとは……そうねえ、朗報と言えるかもしれないけど、魔物は魔素が薄くなると共に居なくなるわ」
「……」
呆けた顔で女神を見つめる人々を見て、女神は端正な顔をしかめた。
「そんな顔をしてもこれは決定事項だから変えないわよ。それにあなた方の自業自得でもあるのだから、短い期間で足掻くことね。それから其方らの次の神への推薦はしません。理由は……言うまでもないわよね」
やはり呆けた顔をしている精霊たちへと睨むようにして言った女神。精霊たちは呆けたまま頷いた。
「では、私は行くわ。もうこの世界に来ることはないけど、たまには覗くこともあるかもしれないから」
女神はそう告げるとまたも平伏した精霊たちを見つめてから姿を消したのだった。
◇
異世界にて女神と視界を共有したことで、事の顛末を見届けたロレインはいつの間にか詰めていた息をはあ~と吐きだした。いろいろと思うことはあるのだけど、最悪の事態は免れそうだと、密かに安堵する。
そこに女神が現れた。
「ごめんなさいね、ロレイン。本当はもっと罰を与えたかったのだけど、途中から関わるのが嫌になってしまったの。だから関わらない宣言をしてきたのだけど、もう少し重い罰を与えたほうがよかったかしら」
「いいえ、女神様。事実を知った彼らには、女神様と関わることが出来ないということ以上に、重い罰はないと思います」
ロレインは女神へと首を振ってからそう告げた。
「あら、そう? ロレインがいいのなら私もこれでいいことにするわ。さて、それじゃあ私は報告に行かなくてはならないから、しばらく神界に行ってくるわね。最速で終わらせて来るから、それまでゆっくりと街を観光していてね」
女神は一度頷くと笑顔を見せてから姿を消した。
しばらくロレインは路地に佇んでいたが、おもむろに地図を広げて冒険者ギルドの場所を確認すると歩き出した。
広い通りに出てもう一度地図を見て場所を確認した。
今いる場所とギルドの位置を確認して歩き出す。
(それにしても女神様は……あんなことを言っていたけど、本当にお優しいわ。前の世界でも産業革命から急速に発達して、宇宙に行くのに百年? 百五十年くらいだったかしら? それくらいでロケットを打ち上げることが出来ていたはず……よね。協力してくれていた彼らと私が書き残したものを参考にしてくれれば、五百年もあれば宇宙に飛び立てる大形の船が作れるはずね。一応太陽光発電の設計図もあるんだもの。どうにかするでしょう)
迷うことなくギルドへと着いたロレインは(よーし、新しい世界を楽しむぞー!)と気合を入れて扉をくぐったのだった。
受付へと向かうロレインにお約束に絡んでくるゴロツキとか、上級ランクのイケメン(?)冒険者が助けに入るとか、ロレインの規格外の装備に周りが目を剥くとか、いろいろ頑張っていたおかげで実は上級ランクの実力があるとか……。
それはまた、別の話ということで。
◇
女神が去った後、精霊たちは暫し茫然としていたが、徐に立ちあがると人々のほうを向いた。
広間にいた人々は女神が去ったことにより、動けるようになっていた。
「そなたらに伝えていなくてすまなかった」
「いいえ。精霊様方に謝罪されるようなことはありません。思い出しました。教典に『この世界を作られた方から精霊様方は管理を任されている』と書かれていたことを。この言葉の意味をよく考えなかった我らに罪はあります」
風の精霊王が謝罪の言葉を言った。人の代表として、シュトロン国の王が答えた。
そうなのである。精霊が女神のことを積極的に話してはいなかったが、ぜんぜんまるっきし伝えていないわけではなかったのであった。
「だが、我らの怠慢により、女神様を怒らせてしまった。もしこの世界から女神様の加護が無くなってしまえば、我らにはどうすることも出来ぬ」
水の精霊王らしきものが言った。
「そうさの、所詮我らの力は、創世の女神からの借り物に過ぎぬからの。これからは今までのような力は振るえぬかもしれぬの」
土の精霊王と思われるものが続けて言った。
精霊たちの言葉に、人々の顔も暗くなる。これからは厳しい環境に置かれることになるかもしれないと、皆、思った。
「そのようなことを今言ってもどうしようもあるまい。それよりもこれからのことを考えなければ。幸いにも彼の者が色々書き残してくれておる。それを読み解いて、空行く船を造れるようにしなければならぬ」
火の精霊王の言葉に決意を秘めた眼差しで頷くアーク王子。側近たちも力強く頷いていた。
それから数世代後、彼らの子孫たちは、空行く船を造り上げることが出来たのか。
それは神のみぞ知ることだろう。
補足
・女神にとって千年という時間はとても短いと感じるもの。なので、人にとっては十分長い時間であると、気がついていない。
・ロレインは魔法のない世界から、頼まれて転生してきた。前の世界の知識を書き残している。この世界の人々はそれをもとに失敗を繰り返しながら、数百年後には宇宙を行く船を造りあげる……かもしれない。