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夕焼け少年

作者: くろたえ


 はあ。


 今日は学校をさぼってしまった。

今年に入ってから何度かズル休みをしている。

だからといってやりたいことがあるわけでもないので、川べりの土手でぼんやりと水の流れを見ているのだ。

 通っている中学校が見えてきたくらいで、携帯から学校に電話をして、「気持ち悪くなったから帰ります」と言うだけだ。

連絡もせずに休むと学校から家か親の職場に電話が行くことを去年知った。あの時は怒られたっけ。


 部活が終わって家に帰るのは夕方の6時半。それまで所在が無く小遣いで買った本を公園で何度も読み返し、図書館へ行ったりして時間を潰していた。

 お金があれば漫画喫茶でも行くのになぁ。でも、身分証明証を提示しなきゃいけなくなっているから駄目かぁ。

そして、肌寒くなってきた秋の夕暮れに、一人淋しく川面を見詰めているわけだ。


 俺って、何で生きているんだろう。

なんで、こんなつまらない人間なんだろう。

夢もない。成績は中の下。運動は平均よりは少し良いくらい。

何か凄いトラウマ級の事があったわけではない。

ただ、クラスで良くつるんでいた奴が他の奴と仲良くなっただけ。

部活のバレーボールも同じ二年から二人もレギュラー入りしたのに、俺は補欠にもなれなかった。

数学の山崎の長い嫌味と説教と自慢話の相手が俺だっただけ。その間、俺は間抜けに教室で立たされていた。


 全部大したことではないのに、なんだか全部が嫌になってしまっている。


 俺は座っていた川べりから立ち上がる。腰が痛いな。足元の石を適当に拾い、川面に投げた。


チャポン

ジャポン

チャポン


 大小問わずに手に触れた石を投げる。


 空の片方が赤くなりだした。

やっと家に帰れる時間が近づいたかな。


しょうちゃーん!」


 後ろから声を掛けられる。この声は。振り向くと、そうだ。


けいちゃん」


 声の相手に手を振る。

啓ちゃんは向こうの土手から小走りにこっちにくる。

本人は全力疾走のつもりなんだろうな。

身体のあちらこちらが悪いと聞く。

そんなに急がなくていいのに。転んだりしないかハラハラする。


「足元気を付けてねー」


声を掛けると、


「うん。だいじょうぶー」


と応えた。


「何やっているの?」


「別に。適当に石を投げていた」


 少し息を切らせて隣に並んだ。

中学生の俺と同じくらいの身長だけれど、俺の方が重いだろうな。と痩せた啓ちゃんを見る。


「石かぁ」


 啓ちゃんが下を向き、何かを探している。時々、「良いの無いなぁ」とか呟いている。

石に良いも悪いもないだろうに。


「あれこれ、良いんじゃないかな」


 ひとつの石を手の上で投げながら戻って来た。

見ると、もう片方の手にも石をいくつか持っている。


 俺の隣に立ち石を見せてくれる。


「なに?」


 啓ちゃんはニヤリと笑って


「見てて」


 身体を低くし、サイドスローのように横から石を投げた。

投げた石は水面の上をすべるように行き、水面を3回跳ねて川の中に潜っていった。


「わあっ。すごいね!水面で弾んだよ!」


 啓ちゃんの思わぬ特技に驚く。


「うーん。上手く投げれないなぁ。なんだか、腕のキレがないよ」


「え?あれで?3回も跳ねたじゃん」


「調子のいい時はもっと水を切るし、向こう岸まで届いたこともあるよ」


「凄いね!」


 啓ちゃんに投げ方を教わる。石の選び方、持ち方、投げ方。

石は平べったいのが良いのだ。一つ見つけて


「こんなのどうかな?」


啓ちゃんに聞くと


「良いんじゃないかな。投げてみようよ」


「うん!」


 薄く丸みを帯びた石にそって中指を添え、親指で固定する。そのまま腰を落とし腕を背中まで回してサイドスローで前に振る。身体の前に来る前に石を放すと……

石は水面を跳ねた。いち、に、さん。三回目で水に落ちた。


「わあっ!見た?啓ちゃん。見た?」


「見た見た!凄いじゃん。正ちゃん。一発で出来たね」


 二人で笑いあう。赤い夕焼けの中で盛り上がる。俺はぴょんぴょん跳ねた。啓ちゃんも手を叩いて喜んでくれている。

 今度は啓ちゃんが投げる。啓ちゃんはもう4回投げているけれど、いつも3回目で沈んじゃう。俺は凄いと思うのに、啓ちゃんは、がっかりしている。


 また石を探す。もう良い石は分かった。


 石、石、石、なかなか良いのが見つからない。

あ。これなんかどうだろう?

石を持って顔を上げると、啓ちゃんが、もう暗くなった土手の向こうに歩き去るところだった。


「啓ちゃん。ばいばい」


 小声で言った。こんな時は啓ちゃんに声をかけても届かない。

啓ちゃんはヨタヨタとしながら土手の奥に消えた。

 遊んでいるときには気にならないけれど、こんな風に後ろ姿を見送る時には、啓ちゃんの身体は良くないのだと思い出させられる。


 また啓ちゃんに会えるかな?


 俺は拾った良い石を制服のポケットに入れた。


 啓ちゃんと初めて遊んだのは、ゴールデンウィークの少し後だった。学校が面倒臭くなった。

ただ、皆と居るのや、今までのコロナとかで自宅学習に慣れて、騒がしいのが嫌になっただけだ。

やっぱり川べりで座っていた。

後ろから声を掛けられた。

凄く驚いた。でも、啓ちゃんが笑っているから、俺も何となく嬉しくなって笑った。そうして友達になった。

会うのは、この川ばかり。

 何にもない土手だけれど、時々ジョギングの人くらいしか通らないけれど、少し下流に橋があって、川の向こうは少しだけ都会で、こっちは田舎臭い。住宅街って言っているけれど畑もたくさんあるような場所。

川の流れはゆったりで、川幅も広い。清流じゃないけれど水も結構きれいだ。


 今の季節、冬に入る前の夕方には、川の向こうに大きな太陽が下りる瞬間、世界が赤くなる。影が長く伸びる。そんな夕方の川の土手が好きだ。


 俺の逃げ場だったこの場所は啓ちゃんも大好きだという。

夕日を見送って辺りがすっかり暗くなってから家に帰った。


 家に帰ると、お母さんが仕事から帰っていた。玄関には父さんの革靴もある。みんな早い帰りだな。まさか、学校に行っていないのがバレたとか?

ドキドキしながらリビングに入る。


 お母さんがスーツを着たまま、家の電話で話しながら携帯のラインを送っている。せわしないな。

奥から父さんが出てきた。


「正太。遅かったな。爺ちゃんのところに行きなさい。今夜が峠だ」


「うん」


 正直、お爺ちゃんは寝てばっかりだし、話したことがない。

好きか嫌いかって何て言えば良いのか分からないけれど、お爺ちゃんのために母さんも父さんも、凄く凄―く大変だってことだ。


 お爺ちゃんお部屋のドアを引いた。

お医者さんがいる。手首を持って脈を計っている。看護師さんに何か指示を出して点滴に注射をしている。

ああ、お爺ちゃん死んじゃうんだな。

やっと、なのか。もう、なのか。


 後ろを振り返って、父さんに聞いた。


「お爺ちゃん、いつからこうなの?」


「ああ、夕焼け症候群で徘徊して、ぼんやりと戻って来たから、ベッドに寝かしてすぐだったらしい。ちょうど仕事から帰った母さんがいて良かった。まったく、何が足りなくて夕焼け症候群なんてかかるんだろうな。娘が身を削って働いて介護しているのに」


「夕焼け症候群っていうんだ」


「ああ。そうらしい。夕方近くになると不安が強くなって「家に帰りたい」とかの理由で徘徊をするそうだ。古い家を建て直してやったのに、どこに行こうっていうんだろうな」


父さんも大変だったのだろう。お爺ちゃんへの当たりがキツイ。


「お母さんは?」


「今、親戚に電話をかけている。今夜は母さんとこの親戚が来るぞ。俺も会社にメールしておくか」


 父さんもお母さんも電話口で「危篤」って言っていた。

そうか、お爺ちゃんが死ぬんだ。


 お医者さんが、僕を通り越して父さんや母さんに声を掛けた。


「そろそろです」


 母さんがバタバタと入って来て押されて横にずれた。

父さんが俺の後ろに立ち、両肩に手を置いている。


「お父さん。聞こえる?お父さん。私が分かる?香苗かなえよ」


 母さんが必死にお爺ちゃんの手を握っている。

お爺ちゃんの意識はあるのかな。薄目を開けているような、どこも見ていないような。


「行こう」


 父さんに促されて部屋を出た。

きっと、父と娘に戻っているのだろう。

俺らが居たら、お母さんはお母さんのままだろうから。


ピンポーン


 玄関のチャイムが鳴る。

父さんが、自分が出るからと俺を抑えて扉を開けた。

隣の県に住む叔母ちゃんだった。

「父がお世話になっております」

「いえ。それよりも早くお顔を見せてあげてください」

そんなやり取りで、俺の横をパタパタと通り過ぎた。


「お茶を入れたほうが良いかな?」


 父さんに聞いた。

否定に首を振って、


「しばらくは皆、落ち着けないだろう。お前は部屋に戻っていなさい」


「うん」


 僕は良いんだ。お爺ちゃんとは、あまり話さなかったし。


 部屋に行った。

制服を脱いで部屋着に着替えベッドに寝ころんだ。

お爺ちゃんが死にそうだ。

勉強をしたほうが良いかな。

お爺ちゃんが死にそうだ。

今日、学校で進んでいそうなところでも、やっておかないとな。プリントをくれると良いのだけれど。

お爺ちゃん。


 また玄関のチャイムが鳴る。

父さんの声、お客さんは伯父さんかな。男の人の声。

しばらくして、また玄関にお客さん。

机でぼんやりとしながら1階の様子を音で想像している。

きっと、お母さんの兄妹がお爺ちゃんを囲んでいるんだろう。今の時代に病院じゃなくて家で看取ることが出来るのは幸せな事なんだって。そう、父さんが言っていた。


 ならば、お爺ちゃん。幸せだったろう?


 下で悲鳴があがった。「お父さん」ってたくさんの人が呼び掛けている。


 ねえ。啓ちゃん。幸せだったろう?


 なぜか涙が出ていた。

家でのお爺ちゃんは、ぼんやりとしてばかりで話すことも目を合わせることもなかった。

 でも、啓ちゃんは、一緒に遊んだ。


「なんだか、最近生きているのがつまらなくてさ」

何て言う俺の愚痴に、

「なんとなくで生きているならば当たり前だよ」

と言われた。

「仕方ないじゃん。毎日が普通過ぎて面白くないんだよ」

俺がむくれても、

「普通って有難いことだと思うよ」

って説教臭いから、

「啓ちゃんは、つまらないって思わない?今が嫌だから、ここに来ているんでしょう?」

と少し意地悪な質問をしてみても

「今が嫌かぁ。分からないなぁ。でも、この川が好きでさ。ここが遊び場だから」

「そう」

って言うしかなかった。

少し肩透かしを食らった気分だった。


 翌日はお通夜だった。

お母さんは朝から何だかわからない色々な準備をしていた。父さんは書類を貰いに回っていると聞いた。

伯母さんと叔父さんは買い物だと言っていた。

 

 隣のおばちゃんが、お重に煮物を持ってきてくれた。

父さんに言われたように、

「お気遣いをありがとうございます」

と丁寧に受け取った。荷物は俺の手に渡るとズッシリと重かった。三段重の全部が煮物だった。

「挨拶はよろしいですか?」

と聞くと、

「良いのよ。昨日も帰りで会ったしね。ご家族でゆっくりと過ごしてください」

って言われた。

啓ちゃんは、川からの帰り道で隣のおばちゃんに会ったのか。


 買い物から帰って来た叔母ちゃんは、いなりずしを作り出した。

叔父ちゃんは、お酒をたくさん買って帰って来た。


 夕飯は叔母ちゃんの作ってくれたいなりずしと、煮物だ。部屋で食べている。

下ではお客さんが何人か来ていたみたい。

玄関のチャイムが何回も鳴っていた。

少し下が騒がしかった。宴会みたいだな。


 お客さんが帰って静かになった深夜、父さんとお母さんは俺の部屋で寝るという。

普段の両親の部屋は、叔父さんと叔母さんが使うそうだ。でも、お線香の晩は二人でやるから、父さんもお母さんも、ゆっくり休めと言われたらしい。


 少し恥ずかしいけれど俺とお母さんはベッドで一緒に寝た。下のフローリングに布団を敷いて父さんが寝た。


 真っ暗な部屋の中、誰にも気づかれないように、お母さんが声を殺して泣いていた。

 多分、父さんも気付いていると思うけれど、何も言わなかった。

そうか、当たり前だけれど、父さんが死んだってことになるんだ。

父さんが死んだら、悲しい。泣くと思う。



 翌日、お葬式。

みんな喪服を着ている。俺は学生服。

霊柩車が来て、いつの間にか納棺されていたお爺ちゃんが運ばれていった。

葬儀屋さんが手配したマイクロバスに乗って火葬場に行く。

 何時間くらい居たのかな。

朝に来て、昼頃からお爺ちゃんの番になるそうだ。


 少し外に出た。

中庭になっている場所だ。ここから煙突が見える。白い煙にはお爺ちゃんもいるのかな。


 お母さんが来た。


「お前も大変だったね。家にお爺ちゃんがいて、お母さんもお父さんも忙しかったから、辛い思いをさせたかな?」


「別に」


「そう」


「あのさ、夕焼け症候群って聞いた」


「ええ。そうなの。うちはお爺ちゃんにとっていえじゃなかったのかしら」


お母さんはハンカチを握りしめている。


「お爺ちゃんは、ちゃんと自分で家まで帰って来ていたじゃないか」


「そうね。でも、どこかに出かけていたのよ」


「川だよ」


「え?」


「川でお爺ちゃんと遊んだ」


俺はポケットから入っていた石を見せた。


「薄くて丸い石が良いんだって」


お母さんは目を丸くしている。驚いているのか。


「お爺ちゃんは、川では子供になって俺と遊んだ。お爺ちゃんの夕焼け症候群は、子供の頃に戻って好きな川辺で遊ぶことだったんだ」


お母さんが泣いた。涙を流しながら石を見ている。


「お父さんは、あそこの川で水切りを教えてくれたわ。6回も7回も水の上を跳ねたのよ」


「俺とやったのが最後の日。あの日は3回も水の上を飛んだのに、お爺ちゃんは調子が悪いって言っていた」


「そう。最後の日も川辺に行っていたのね。あなたと一緒に居たのね」


「うん。別の日には話を聞いてもらったりもしたよ。俺にとっては「啓ちゃん」だった」


 そう。そう。

お母さんは、笑いながら泣いて、その涙は止まらなかった。

でも、多分良い涙なんだと思う。


「お父さんとあなたが水切りをして遊んでいたなんて知らなかったわ」


「水切り?」


「そうよ。石が水面を切って渡るでしょう。「水切り」って言うのよ」


そうなんだ。


俺は啓ちゃんと夕焼けの中で遊んだ。

たくさん話もした。


俺は、友達を一人なくした。


「啓ちゃん。ばいばい」


俺も少し泣いた。お母さんは涙を流し続けていた。でも少し微笑んでいた。



朝倉あさくら 啓吉けいきち。お爺ちゃんのお葬式が始まった。

遺影は少し若い頃のらしい。髪の毛もあるし、何よりも笑っている。

家にいた時は、笑わなかったし話さなくて、ぼんやりとしてばかりだった。


でも、写真のお爺ちゃんの笑顔は、啓ちゃんに似ていて俺はまた泣きそうになった。


お爺ちゃんは、夕焼けに還ったんだ。


水を切った石と一緒に向こうの岸まで行ったのかも知れない。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 啓ちゃんの存在が前半ではボンヤリしていましたが、後半ではハッキリしていく構成が良かったです! [一言] 私も夕暮れが嫌いなんですよね。 昼でも夜でもない間の時間というのが嫌いな人が多いか…
2024/03/01 13:20 退会済み
管理
[良い点] 「夕焼け企画」から拝読させていただきました。 しんみりする読後感でした。 優しいけど、やはり、哀しく、寂しいですね。 これからの少年に幸あらんことを。
[良い点] ∀・)不思議な縁を感じた作品でしたね。特に感心したのは語り手の正ちゃんがコロナ禍における令和の少年であったというところ。ここと啓ちゃんの交流があったというのが何とも言えない感じで心温まるの…
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