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【完結】犬死にした俺は、過去に戻ってやり直す  作者: Pのりお
最終章 高校生編 -冬-
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第六十話 日の出

 夜の新潟を、突き進んでいく。かつて車のなかで見ていただろう景色を、電車やタクシーを用いて超えていく。あそこからずいぶんと遠くまで連れていかれたようだ。いろいろと準備をして、午前二時にはホテルを出たのだけど、そこからも数時間程度かかってしまった。


 歌島さんは、細かい行き方をメールで教えてもらったようで、幾度も画面を眺めては、ときに迷いながらも俺を導いてくれた。おそらく、自分の体力が持っていたとしても、自分の力ではたどりつくことはできなかったのではないかという気がした。


 やがて、道路を走るタクシーの窓に、海のような黒くて大きなものが見えるようになった。


「このへん、なんもないけど珍しいね。お二人とも」


 そんな運転手の言葉に、歌島さんは苦笑いを返した。


 海が近づくにつれて、俺の鼓動はますます速くなる。月日が経って、あの海は変わらずそこに存在しつづけているだろうか。


 タクシーを降りた俺たちは、雪がすでに止んでいることに気がついた。足元には雪が残っているもの、内陸部より雪の頻度は低い。空を覆っていた雲も減っていて、藍色に包まれているのがわかった。俺は、歌島さんに言った。


「あとはわかる」

「うん」


 すでに周囲は見覚えがあるものばかりだ。かもめ園にいたとき、俺はずっとこのあたりで生きてきた。思い出らしきものはほとんどないけれど、何度も通った場所だからくっきりと記憶に残っている。

 そして、歩いて五分くらいして、着いた。


「……ここが?」


 歌島さんの問いかけに、俺はうなずき返した。かもめ園は、今の背丈でみると思ったよりも小さい。車から投げ捨てられたときはあんなに大きく見えていたのに、不思議なものだと俺は思った。


 さらに奥へと歩いていくと、岩肌に囲まれた海が波打っているのが見えた。


 まだ、日が昇っておらず、暗い。街灯の光もここまでは届かない。小さいころに見たときと同じように、黒い塊のような印象を受けた。


 岩礁の端に立って、海に手を伸ばした。


 揺れる海面も黒く染まっていて、ほとんどなにも見ることはできなかった。


 ――久しぶりだな。


 俺は、胸の内側で、そっとそう声をかけた。


 ここも嫌な思い出が染みついている場所なのに、この海があるからか不思議とつらくはならない。いや、それとも、そばについてきている歌島さんのおかげだろうか。とにかく俺は、岩にしゃがみこみながら、穏やかにその海を眺めることができた。


 鼻にくるその潮の匂いも、さざめきもなに一つとして変わっていない。記憶のなかにある光景のままにそこに存在していた。やはり、この海は、俺を支えてくれた海は、悠然としていて美しかった。


「……明人。寒くない?」

「平気だ。別に……」


 冬の夜は確かに空気が冷たい。風が背中のほうから吹いていて、肌につきささる。それでもこの場所にいると心が安らぐのを感じた。


 しばらくそこで、会話もなく、海のそばに腰かけていた。


 俺は、寒そうに手をこすりあわせる歌島さんを見て言った。


「寒いなら、ここにいるのは俺だけでいい。しばらくはここにいるから」

「ううん。それだけじゃない。明人と一緒に見ようと思ったの」

「……なにを?」

「あ、もう少しだよ。たぶん」


 歌島さんは携帯電話を見ている。そして、コートのポケットにそれをしまうと、海とは反対側のほうを指さした。


 夜に包まれていた街の下が、ゆっくりと赤く染まりはじめたところだった。


 藍色だった空が少しずつ下から上へと赤や白に侵食されていく。やがて背の低い建物の間から丸くて大きなものがその姿を現しはじめた。


 白い鳥が、電線や綿雲とともに空を浮かんでいる。ニワトリとカラスを混ぜたようなこの鳴き声は、カモメだろうか。二段ベッドのうえで寝ながら、その鳴き声とともに目を覚ました日々が蘇ってくる。


 屋根に雪をのせた家々も、はるか遠くにそびえる山々も、少しずつ闇から抜けて、光のなかに入り込む。まっすぐ見ているとまぶしすぎて、目を開けていられなくなる。太陽は、初めに上の輪郭をさらし、赤く染められた空のなかを少しずつ駆け上がっていく。


 俺は、その視線を海のほうに戻した。


 ――あれ?


 すると、さっきまで黒に染まっていた海が、きらきらと輝きだす。赤い日差しに照らされて、海面をちらちらと瞬かせながら、地平線の果てまでつづくその姿を俺の前にさらしている。


 かつて、ここに暮らしていたころ、夜をここで明かしたことはなかった。だから、その光景は俺の記憶には存在しないはずである。にもかかわらず、その赤い海の光景は、俺に妙な感覚を与えてきた。


「……っ」


 急に、岩肌が消えて、白い砂浜が脳裏に浮かぶ。そこにはたくさんの人たちと、輝く海と、それから小さな砂の城の姿があった。どうして、そんなものが勝手に現れるのだろう。


 幾層にも折り重なった波が、絶え間なくこちらに向かって押し寄せている。海の反対側から差し込む鋭い光が、海のうえをまっすぐ走っていて、その走った跡に光が散っている。さっきまでは黒につぶされていた細かな波紋も、そこに浮かぶ泡も、だんだんと姿を鮮明にする。俺は、海を見ているうちに、胸の奥からわきあがるものの存在に気がついた。


 ――なん、だ?


 ざぶん、ざぶんと、波が寄せて返す音が、やわらかく耳のなかを反響する。


 かつて、この場所で苦しみ悶えた俺や、今ここにいる俺だけでなく、別のもう一人がそこに重なっている。それと同時に胸のなかを別の感情が広がっていく。


 俺は、この海とは異なる、同じ色をした海を知っている。これは、なんだろう。今の景色と重なるなにかが、俺の胸をしめつける。


(明人)


 そう呼びかける声もまた、どこかから聞こえてくる。


 それは、一人だけではなく、複数の声だ。その声を発する人たちの姿もまた、自然と浮かんできた。それは、あの病室を訪れていたたくさんの人たちの顔と一致している。彼らは、俺と同じ場所に立って、俺を見ながら笑顔を向けている。


(明人)


 やがて、その笑顔は、また別の人のものに変わる。それは、頬を少し赤く染めて、俺の隣に立つ人の姿とも一致していた。


 ぐつぐつと、煮えたぎるように心臓が脈打っている。体がその鼓動に合わせて震え、湧きあがるなにかが内側を暴れまわる。海面には、光に反射して映し出された俺の顔が揺らめいている。そのとき、頭の頂点からしびれるような感触があり、狭く閉ざされていたものが、一気に開けるような気配がした。


 視界がぼやけ、一粒の水滴が岩肌に落ちた。それを皮切りに、また、別の水滴があふれては落ちていく。時間が経つにつれて、その量はどんどん増していく。高ぶった感情が止まらず、光り輝く海ごと、その涙の裏側に埋もれていた。


 受け取ったメールの文面も、ホテルのなかで受けた唇の感触も、それと同時にあふれでる数えきれないほどの光景が、一気に脳裏を覆っている。溺れてしまうほどぐるぐる視界が回り、その合間に響く波音だけが、俺をその場にとどめていた。


 この冷たい空気のなかで、おそろしく胸の奥が熱い。岩にのせた手からごつごつとした感触が伝わり、ときおり細かい海水の粒が降りかかってくる。体の震えがずっとつづいていて、涙もいつまでも、体全体をしぼるようにこぼれつづけていた。


「……明人?」


 声が聞こえて、俺は、自分の胸を抱きしめた。


 いつも、そうだ。俺は、この海に何度も助けられた。今回も同じだと思った。


 ずっと俺のなかに立ち込めていた黒い霧が、晴れていく。この暗くて巨大なものと、俺は戦いつづけてきた。幾度も喉をしめつけ、痛みを与えてきたものが、ようやく氷解して、今涙となって消えている。そんなイメージが俺を支配していた。


「……ごめ、ん」


 やっと、たどりついた。


 いろんなものを失い、それでも俺は、もうすでにそれを手に入れていた。赤く染まった海には、たくさんの人たちがいる。明人、明人と呼びかける人たちが、俺には存在している。


 苦しんできた。いつも過去におびえて走って、背後を追いかけるそれを気にして、眠れぬ夜を過ごした。あとほんの少しで手に入れられるものでさえも、壊れるときのことを考えて、その一歩前で立ち止まるしかなかった。


「ごめん、()()……」


 声がとぎれとぎれになって、うまく話せているかわからない。こんなものが俺の内側に潜んでいたとは思えないほど、凄まじい感情が束となって襲いかかっている。でも、今だけは泣かせてほしいと俺は思った。


 歌島は、俺の様子を初め不思議がっていたが、やがてその意味を理解して、一緒にぽろぽろと涙をこぼしはじめた。


 空はますます明るくなり、目の前に広がる海もさらに輝く。赤く染まっていた海は、白い光とともに、青白いその姿を表に出した。けれど、視界はまだぼやけていて、それどころか胸を突き上げる感情は、暴風のように俺のなかを吹き荒れている。


 そのとき、カモメが俺の背中を通り過ぎて、海のほうに羽を広げ、飛んでいくのが見えた。


 一塊の大きな熱いものが、胸に溶けだして、もう完全に制御できなくなった。


 目を覆う。今までかじかんでいた体に血流が戻るがごとく、全身が脈打つように熱くたぎるものが流れだした。その熱は、なによりも温度を持っていて、自分ごと焼き尽くされてしまうと思うほどに猛っていた。


 もう、耐えられなかった。震えがやがて衝動となり、俺に襲いかかる。


 口が開き、勝手に声がほとばしった。


「――――」


 なんて叫んだのか、自分でもわからない。その声は、俺の耳には入らず、直接体を伝わり、全身を走るものと合わせて体の中をのたうちまわっていた。


 カモメの鳴き声と、波音が遠ざかっていく。そのときの俺は、今までに生きてきた人生ごとそこに込めて、いつも俺を受け止めてくれていた海に向かって、喉に全力を注ぎこみながら、声を張り上げていた。


 長い間、俺はこの海とともに生き抜いてきた。ようやく、俺は本当の意味で救われたのだとそのときの俺は思ったのだった。


まだもう少し続きます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 作品全体を通して、トラウマを抱えている人の観る独特の世界観や感覚、感情の描写が上手すぎます。 幼い頃はちょっとのことで喚くように泣きますが、次第に大人になっていくにつれ、理性の発達とともに泣…
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