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【完結】犬死にした俺は、過去に戻ってやり直す  作者: Pのりお
最終章 高校生編 -冬-
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第五十七話 メール

 かち、かちという規則的な音が聞こえて、俺の目が自然と開いた。


 どれだけ寝ていたのだろう。気づけば、俺はベッドのうえで横になっている。


 体に痛みはなく、ただ、妙な倦怠感が俺を襲っているだけだった。


 ――ああ、そうか。


 俺は倒れたのだ。そう気づいて、体を起こすと付近になにかの気配を感じた。そちらに視線を向けて、ベッドに顔を伏せて眠る人の姿を見つけた。


 歌島さんだ。


 さっきから聞こえてくる、かち、かちという音は、小さな置時計から発せられている。周囲を見渡して、そこが以前と似たようなホテルの一室であることを理解した。


 時計は、十二時半を示している。窓を見ると夜のようだし、あれからかなり時間が経ったのかもしれない。倒れてしまったあと、俺はどうやってここまで運ばれてきたのだろう。もしかして、歌島さんが俺をここまで連れてきたのだろうか。


 よく見ると、歌島さんの服に擦ったような跡があった。コートを着たまま寝ているようだけど、雪のせいかだいぶ湿っている。


 起こしていいものか、迷う。ベッドは俺一人で占領していて、他に寝る場所がなさそうだ。昨日のホテルよりも設備がしょぼく、少し狭かった。


 ――喉が痛い。


 そういえば、倒れるまえに吐いてしまった。俺は水を飲もうと考えたが、ベッドのすぐそばに未開封のミネラルウォーターが置かれていた。昨日と同様に、歌島さんが買って、俺の横に置いてくれたのかもしれない。


 ペットボトルの蓋を開けたところで、歌島さんから「ん」という声が漏れるのを聞いた。


「あ、起きた」


 ベッドのなかで水を飲んでいる俺の姿を見て、歌島さんが言った。ごしごしと目をこすり、笑いかけた。


「よかった。病院に連れて行ったほうがいいか、迷ってたの」

「……」

「……明人?」


 その顔を真正面から見すえて、歌島さんが俺を運んできたのだということを確信した。


 思った以上にボロボロだ。


 この体は、十歳のときよりはるかに重い。それでも病院には向かわず、ホテルまで運んだのだからかなりきつかったはずだ。途中で転んだり、つまずいたりしたのだろう。目の付近には擦り傷があり、口元に血が固まっている。


 そのことに気づいたのか、歌島さんが恥ずかしそうに顔を覆った。


「ごめん、ちょっと今ひどいことになっているから……そんなに見ないで……」


 すぐに洗面所のほうに行って、水で顔を洗うような音が聞こえてきた。自分の手当てとかはしなかったのだろうか。ペットボトルの蓋を閉めてから、ベッドから立ち上がり、部屋の隅のほうに移動した。


 自分の口元をまさぐるが、吐いたものは残っていない。ウェットティッシュらしきものを小さなテーブルのうえに発見して、すぐに視線をそらした。部屋の隅で膝を抱えていると、歌島さんが顔をタオルで拭きながら洗面所から出てきた。


「体は大丈夫? おかしいところはない?」


 俺は首を振った。それから、ベッドのほうを手で指し示す。


「俺はもういいから」

「え?」

「ベッド。あんたが使いなよ……」


 実際に、もう眠気はなかった。暖房がすでに効いているらしく、そんなに寒くもない。


 俺が座っている場所のすぐ近くに小さな窓があった。そこに四角く切り取られた夜空が映しだされている。雲で覆われているせいか、星はほとんど見えなかった。


「……明人。お腹は空いてない?」


 歌島さんは、時計のそばに置かれたビニール袋のなかから、おにぎりをいくつか取り出す。俺の近くまで歩み寄って、それを渡そうと手を伸ばしてきた。


「……っ」


 瞬間、またあの光景がフラッシュバックして、俺は壁にはさまって頭を抱えた。ぶるぶると震えていると、「ごめん」という声とともに、床におにぎりが置かれる音がした。足音が遠ざかるにつれて、震えが収まっていく。


 はぁ、はぁとまた息が荒くなる。深く呼吸をしてから、おにぎり二つを手で拾った。


 食欲はあったので、俺は包装を外しておにぎりを口に含む。俺が食べている間、歌島さんはベッドのうえに腰かけて、俺をじっと見つめていた。会話はなく、気まずい空気だけがそこに流れていた。


 食べ終わって、水を飲み込んでから俺は言った。


「別に、どこにも逃げない。逃げられるような状態じゃないし」


 自分のなかの気力がほとんど空になっている。もう何も考えたくないという気持ちのほうが強かった。


 歌島さんが首を振る。


「そんなことを、考えているわけじゃないの。明人もベッドで寝ないと……」

「一人にしてほしい」


 俺は膝に額を当てて、目をつむった。ズボンをつかむ手に力がこもる。


 歌島さんはそれ以上なにも言わず、シャワーを浴びて髪を乾かしたあと、ベッドに入った。


 部屋に灯っていた電気が薄いオレンジの光に変わり、一気に室内が暗くなった。俺はそれでも部屋の隅から動かずに、そのまま膝を抱えていた。


 窓からかすかに光が入ってきて、青白くその付近を照らしている。


 昔、海の前にやってきて、足を踏み出そうとしたときも、こんな夜空だった。


 ……あの海で、死のうと思った日のことは、今でも忘れていない。


 自分のすべてが失われてしまって、もうこれ以上、生きていたくないと考えた。


 あとほんの少しだけ、一歩だけでも前に進めば、消えることができる。


 でも、そうすることはできなかった。


 ときおり舞い上がる水飛沫を浴びながら立ち尽くし、さんざん自分の心の声をぶちまけた。


 どうして、俺がこんな目にあうのだと恨み言を言った。


 同時に、どうして、俺なんかが生まれたのだと嘆いた。


 ひたすらに、醜い感情を延々と垂れ流しつづけていた。


 ふと、ベッドのほうの歌島さんを見ると、目をつむりながら静かに呼吸している。


 どうして、この人は、俺のためにここまでしてくれるのだろう。何度も考えたその疑問が、また頭をもたげた。


 傷だらけになり、俺を運んで、自分のことなど気にせずに俺の面倒を見た。そんな姿を見れば見るほどに俺は苦しくなる。


「……いいんだよ、もう」


 ぽつりと独り言を漏らした。過去に助けたという事実があったとしても、今の俺がしたことではない。だから、そんな恩に報いる必要もない。俺なんて、親に捨てられて、もうそこから抜け出すこともできずに、おびえることしかできない。


 俺なんかにかまうから、みんな不幸になる。


 父親だって、俺がいなければもっと楽に新しい生活を送れたかもしれない。俺さえいなければ、もっと楽しく生きられるはずなのだ。今だって、新年の準備をしながらワクワクした気持ちで夜を過ごせていただろう。


 最初から一人だったなら、こんな不幸は起こらなかったはずなのに。


 そんなことを思いながら、俺はつづけた。


「俺なんかに、そんな価値はないんだから……。俺を必要とする人なんて、いるわけがないんだから……」


 窓の外をまた眺めていると、ベッドのほうからがさがさと物音がする。起こしてしまったかと焦って視線を戻したとき、さっきとは反対側を向いていることに気がついた。掛け布団を頭の付近までかぶった状態で、呼吸に合わせてその体が上下する。


 俺は、無心になり、ただひたすらに空を見て夜を過ごした。



* * *



 いったいどうすればいいんだろう。もう、なんのやる気もわかないし、新潟の地でぼうっとする以外に選択肢がない。あの家に戻りたくはないし、かといってこのままここにいても意味がないことは理解していた。


 歌島さんにホテルの滞在を延長してもらい、ただ、買ってもらったご飯や水を口に入れて、一日を過ごす。あの海に行きたいという気持ちが残ってはいたが、そのためにまた自分の過去と向き合うのは不可能だと感じていた。


 昼にまた眠気が襲ってきたので、少しだけ寝た。


 そのときにおかしな夢を見た。


 ――波音が聞こえる。


 海の匂いもしないのに、そのさざめきが聞こえる。


 これはなんだろうか。


 俺はここにいるはずなのに、自分の実体が存在しない。ただ、ふわふわと意識だけがあって波に揺られているかのように、暗闇をたゆたっていた。このままどこまでも流されていけば、自分は誰からも切り離されて、延々と一人の世界を漂うことができる。


 しかし、俺はいつのまにかどこかの岸辺にたどりついた。


 体を起こすと、砂浜が広がっている。砂浜にはいくつもの足跡があって、俺のいるほうへとつながっている。


 浜辺に押し寄せる波が、足元を濡らす。


 その波は、決まりきっているかのように同じ場所まで押し出され、すぐに引いていく。


 ――どこかで見覚えがある。


 どこで見たのだろう。空が赤く染まり、それに伴って海面も赤くなっていた。


(明人)


 重なる声が、俺の耳に響く。それと同時に、その夢の世界が俺の前から消えていった。






 どうやら床に横になって、寝てしまったらしい。


 一日中、ずっとぼんやりしていたが、気づけばまた夜になっている。歌島さんは俺が起きたことを察知すると、真剣な顔で俺を見た。


 結局、一日を無為につぶしてしまった。それに付き合わせてしまったことには申し訳ないという気持ちがあった。


 いつまでもこんなふうにしていることはできない。お金だって限界があるだろう。


 今は何時だろうか。あまり時間を意識していなかったから、見当がつかない。ベッドのそばに置かれた置時計を確認すると、十一時五十八分となっている。


「……新年、か」

「うん。もうちょっとで、ね」


 と、歌島さんは、部屋の隅に置かれた俺のリュックのなかを勝手にまさぐり、そこにあった電話を手に取った。それから、手をあまり見せないように俺のそばに電話を滑らせた。


 秒針の回る音が聞こえる。やがて、かち、とひときわ大きな音がして、時計が十二時ちょうどを指し示した。この瞬間、前の年が終わって、新しい年に入ったということになる。


 当然、そんなことを祝うつもりもなかったので無感情にそれを受け止めていると、歌島さんが少し近づいてきて、俺の数十センチ近くのところで腰を下ろした。


「……明人。それ、見てほしいの」


 電話のことだとわかった。電源のつけ方を教えてもらい、画面を開いた。


 画面には、置時計と同じ時刻が数字で記載されている。そのとき、それとは別に、意味不明の文字が並んでいることに気づいた。





《未開封メール 29件》





「メール、来てるよ」


 歌島さんが言った。


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