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【完結】犬死にした俺は、過去に戻ってやり直す  作者: Pのりお
最終章 高校生編 -冬-
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第五十五話 白い世界

(おとうさん……)


 風と雪を切り裂きながら、遠いも近いもない空間のなかを進んでいく。父親のタバコの先に灯る赤い火がかすかにちらついたような気がした。その赤くて丸い火は、宙を飛んでいるようにも、空の星みたいにはるか遠くに浮かんでいるようにも感じられた。


(まって、まって、おとうさん……)


 自分の手は、いつのまにか幼きころのように小さくなっている。その背中を追いかけても、なかなか追いつくことはできない。父親が振り返って、そのタバコの火をこちらに向けたときにようやくその姿が大きくなっていく。


 ぼやける白い視界のなかで、赤い火だけが際立っている。いつものように、タバコ臭い息を中空に吐きかけながら、俺のことを待っているその姿。


 熱が腹の底から広がっていくのを感じながら、ひたすらに追いかけている。


 やがて、俺の視界にまったく別のものが現れた。


 白だけの世界に、武骨な大きいものが俺の進む先をふさぐようにそびえている。


 瞬きを繰り返していくうちに、それがなにかわかった。


 歩道橋だ。


 視界が開けて、無音に包まれていた世界が音を取り戻す。後ろからついてきている歌島さんの足音も、地面の雪に刻まれたいくつもの足跡も、しっかりと認識できる。


 歩道橋の下にある道路を、一台のトラックが走り抜けた。ガタゴトと音を立てて、雪に埋もれた地面ごと揺れたような感覚を味わう。


 階段のそばに立つ電柱からいくつもの電線が伸びて、他の電柱につながっている。白く曇る空のなかで、複数の黒い線が引かれていた。歩道橋は雪をまといながらも、その下にある青をひりつく空気のなかにさらしている。


 その歩道橋は、道路をまたいで反対側の道へとつづいている。その道の奥に郵便局が建っているのがわかった。


「立ち止まって、どうしたの?」


 呼吸が乱れるのを抑えられない。


「ここになにかあるの?」


 はぁ、はぁ、はぁ。はぁ、はぁ、はぁ。


 俺の視線が固定されてしまったかのように、歩道橋と郵便局に向いている。


「明人……?」


 立っていることができなかった。


 ガードレールに腕をもたれるようにして、膝から崩れ落ちた。周囲には誰もおらず、執拗に降る雪が眼前に迫ってくる。冷えきった耳たぶに風が押しつけられて、ごうごうというおそろしい音が鳴った。


 両手で顔を覆うと、勝手に過ぎ去った日のことが飛来する。


(おとうさん)


 弱弱しく呼びかける、情けない声。自分の体の内側を叩くように、その声は響いた。


 やめてくれ、と心のなかで叫ぶ。やめてくれ、もうやめてくれ。


 雪のなかを駆けて、長靴の底についた雪の粒を後ろに飛ばす。父親は、歩道橋の階段に足をかけたところで、その姿を見つけた俺は、妙に安心して、バカみたいに声を張り上げている。


(まって、すぐいくからまって……)


 父親のわきに大きな白い封筒が挟まれている。階段の手すりを持ち、ゆっくりとそこを上がろうとしているように見えた。横を向いた父親の顔にはタバコがくわえられていて、赤い火が点のように浮かんでいる。俺の声に気づいているのかいないのか、ただぼんやりと煙の先を目で追っている。コートのポケットに右手を入れて、口の周囲を覆うヒゲをもぞもぞと動かしながら、そこに立っていた。


 ――ダメだ。


 ごうごう、という風の音が、耳元でより一層激しくなった。俺は、寒さに震える。


 ――思い出してはダメだ。


 手袋もなにもつけていない左手を、膝元の雪に滑り込ませた。手に力を入れて握りしめようとするが、ほとんど力が入らない。車の排気ガスのような臭いが鼻をさすので、ごほごほと咳をする。唾液が唇を伝って、雪のうえに垂れた。


 痛い……。


 どこもかしこも痛い……。


 冷気のせいか、自分の内側からわきあがる苦しみによるものなのか、わからない。


 それでも幼き声は、俺のなかに響いている。


(おとうさん……)


 震えていて、抑揚もはっきりしない。


 幼き俺が、歩道橋へと駆けよっていく俺の幻覚が、ぱたぱたと俺の前をさまよっている。


(おとうさん……)


 両手を持ちあげて、耳を塞いだ。


 風の音がやんでも、呪いのようにその声はやまない。


(待ってよ、おとうさん……)


 目をつぶる。暗闇に覆われた視界のなかにも、幼き俺の姿がある。


 その奥には、くたびれた父親の背中も。


 全部全部、消えることなく俺のなかに存在している。


 もう、いいじゃないか。俺は、一人でいるから、こんなふうに俺をイジメなくていいじゃないか。ざぶん、となにもかもを飲み込んでくれる海の光景が、今は吹きつける雪に埋もれてしまっている。喉がかわいて、心臓から血がにじみ出しているみたいに、ぐじゅぐじゅと胸のあたりがざわめいていた。


 どこまで行っても、逃げることはできないのだろうか。この真っ黒なものに吸い込まれて、一生そこから抜け出すことはできないのだろうか。


「明人……!」


 すぐそばで呼びかけているはずの歌島さんの声すら、塞がれた耳に押しつぶされている。


 俺は、その場でうずくまりながら、当時のことを思い出す。


ここから投稿のペースが変わります。一話ごとの分量を長くするためです。

毎日投稿はたぶんつづくと思いますが、分量の関係で一日二回投稿ではなくなります。書くペースを緩めるわけではないので、最後までお読みいただけると嬉しいです。ここからが山場になります。

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― 新着の感想 ―
[一言] 明人くん、見てるよ。 歌島さん、頼みます。 作者さん、応援してます。
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