第五十話 意識
歌島さんもベッドの反対側に座る。暖房が効くまで上着を脱ぐこともできず、寒さに凍えるしかなかった。部屋のなかにはシャワー室らしきものがあり、それ以外に大した設備はない。ここに来るまでの間、遊べるようなところもなさそうだったので、暇を持て余すしかなさそうだと思った。
病室にいたときは、ずっと歌島さんが話していたが、今は黙り込んでしまっている。俺は、気になっていたことを訊いてみることにした。
「あの……」
「な、なに!?」
普通に話しかけただけなのに、歌島さんは肩を大きく揺らした。ベッドが弾んで、俺の腰も少し浮いてしまう。ポケットに入れていた電話らしき装置をベッドに置いた。
「これはなに?」
時計だと思っていたが、それはあくまでこの装置の機能の一つなのだろう。お互い、離れた距離にいたにもかかわらず、この電話が反応した。
歌島さんは、挙動不審になりながらも装置を見た。
「携帯電話だよ」
「けいたい、でんわ……?」
「うん。遠くにいても電話ができるんだ。その電話から電波が出て、かけた電話先につなげてくれるの。すごく便利な道具なの」
「……そう」
俺は、その携帯電話を適当にいじってみた。今は電話がかかってきていないからか、以前に見たときと同様に時刻が大きく表示されている。真ん中のボタンを押すとメニューらしきものが出てきて、よくわからない文字がずらっと並ぶ。
いじっているうちに、なんとなく操作方法がわかってくる。アドレス帳というものに、複数の名前が並んでいるのを目にした。それから、「歌島生美」という名前も発見する。
試しに電話をかけてみると、歌島さんのほうから駅のときと同じように、ぶるぶると震えるような音が響いた。
あの家を出るまえに、この電話のことをもっと調べておけばよかった。歌島さんが電話に出たのを確認してから、電話越しに声を入れると、どうやら向こうにも聞こえたようだ。逆に、歌島さんの声もまた装置から聞こえてくる。
電話を切るとため息が出る。この電話がなければ歌島さんに捕まることはなかった。いや、どのみち警察を呼ばれるだけで、俺のやろうとしていることは失敗していたかもしれない。
これ以上、他の電話がかかってくるのも嫌だったので、電源の落とし方を教えてもらって、リュックのなかにしまった。歌島さんは画面を見ながら、ボタンをポチポチ押して何か操作をしている。
そのあと、今度はどこか別のところに電話をかけはじめた。もしかしたら、義両親に今日のことを報告しているのかもしれない。俺のことを気にして小さな声で話しているようだったので、興味がないことを示すためにベッドのうえで寝転がった。
過ぎてしまったことは仕方ない。最終的にあの海にたどりついたなら、そのあと歌島さんの隙を見て逃げてしまえば一人の時間を継続できる。とにかく、今は大人しくしていることしかできないと思った。
暖房が効いてきたので、俺は上着を脱いで壁に立てかけた。
そういえば、この部屋には一つしかベッドがない。今日寝るときは、歌島さんと同じベッドのうえで寝るしかないのだろうか。部屋が狭くて他にろくな設備がなく、寝られそうな場所がなかった。
――妙な感じだ。
もしかして、歌島さんもそのことを気にしていたのか。歌島さんが飲み物を買いに行っている間に、俺はとっととシャワーを浴びて寝ることにした。
着替えを豊富に持ってきたわけではなかったので、もともと着ていた服を着直して、ベッドの右端にもぐりこむ。俺の横にミネラルウォーターを置いた歌島さんは、あまり物音を立てないようにしながら、さっき俺が使ったシャワー室に入っていった。
目を閉じるが寝られない。水音が響きつづけ、そのあと服を着る音が聞こえてくる。もわっとした蒸気が、開いたドアから広がったような気がした。
「明人、もう寝た?」
俺は、まぶたを閉ざしたまま静かに呼吸をしている。足音が遠ざかり、ベッドの反対側に腰を下ろしたのか、ベッドが少し揺れた。歌島さんはそのまましばらくタオルで髪の毛を拭いていたようだったが、やがて電気を切って同じようにベッドに横になった。
かすかに目を開いた。とげとげしい色の光が消え、暗くなった部屋に人影が二つ。
お互いに背中を向けた状態で、一つのベッドにその体を投げだしている。
お互いが体を動かすだけで、マットレスを通じてそれが伝わってくる。
暗い部屋のなかで、呼吸音が交互に繰り返されている。明日は、朝の早い時間に動きはじめたいから、さっさと寝て備えておかなければならない。
俺は、もう一度目を強くつむり、意識を暗闇のなかに沈み込ませた。




