第四十九話 ホテル
一時間くらい経ったころに、歌島さんが俺のいる駅に降りたのが見えた。
「明人。よかった」
俺は、駅の入り口付近にあるベンチに腰かけていた。たった一時間でここまで来られたのだから、だいぶ近くまで迫っていたということになる。
歌島さんは、病室で見たときと比べて雰囲気が変わっていた。
髪が少し乱れていて、顔つきもいつもより幼い印象だ。俺を追いかけるため、ろくに身支度せずに飛び出したということなのだろうか。
「本当に、よかった……」
その目にはかすかに涙が浮かんでいる。俺は、気まずくなって顔をそらした。
さっきよりも人の数が減っている。夜が深まり、どんどんと寒さが増していくのを感じた。
歌島さんの履いている靴も、俺と同じように雪の多い場所に適さない種類のものだ。長く雪を踏んで歩くことはできないだろう。靴のなかに入った雪で足が冷えて、しもやけになる。
俺の視線に気づいたらしく、歌島さんが笑う。
「すごい雪なんだね、新潟。こんなに積もっているなんて思わなかったから」
「約束、守ってほしい」
両手をポケットに入れて、寒さにかじかんだ手を温めながら言った。歌島さんは、少し考えてからなんのことかわかったらしく、うなずいた。
「もちろん、明人に嘘はつかない。わたしは、明人と一緒に海を見に行く」
「それならいい」
「でも、今日はどうするの? 泊まる場所のあてはあるの?」
駅から数歩離れたところで、俺は首を振った。
「じゃあ、どこに行くの? もしかして、野宿しようと思っていたの?」
「まあ」
「……そうなんだ」
歌島さんは、風に流されてきた雪を顔に受けながら、周囲を見渡した。しばらく考え込んでいる様子だったが、やがて言う。
「わたしに考えがあるの。ついてきて」
歌島さんは、比較的人気の多そうな場所に向かって歩きはじめた。仕方なく、俺はそのあとをついていく。
積もった雪が、俺たちの歩く道を覆っている。一歩一歩進めるたびに、足が柔らかい雪に沈み、ざく、ざくと音を立てた。街灯があちこちに立っているものの、足元のすべてを照らしきれず、ところどころ黒い影ができている。俺は、白いコートを身にまとう歌島さんの背中を見ながら、そんな道を確実に進んでいった。
十分ほど歩いたところで、歌島さんが立ち止まった。
「……あった……」
それは、線路沿いにそびえたつ五階建てくらいの薄汚れた建物だった。近くには、やたらと派手な色をした看板が置かれていて、「ご休憩」「ご宿泊」という文字が書かれてある。
「……ごめん、こういうところしか思いつかなかった。わたしたちは未成年だから、そうしないとたぶん泊まるところがないし」
なぜか気まずそうにちらちらと俺を見た。よく意味がわからないが、ホテルという文字も見えるし、野宿せずにすむなら問題ないと思った。
中に足を踏み入れると、やたらと暗くて狭い空間が現れた。右のほうに、明かりが灯されたカウンターのようなものが設置されている。ガラスで仕切られているけれど、その半分ほどが布で覆われていて、奥にいる人の顔がわからなかった。
ガラスの下のほうに空いた穴から一枚の紙が渡される。歌島さんは、その紙を読んで、ペンを走らせたあと、お金を支払った。
「こっち」
鍵を受け取った歌島さんが、階段をのぼる。
ここはどういうところなんだろうか。俺自身、ホテルというものをあまり知らないけれど、テレビなどで見た限りこんな場所ではなかった気がする。歌島さんは、周囲をきょろきょろしながら部屋を探している。
「ん?」
三階で、廊下を歩いているときに変な声が聞こえた。女の人が叫んでいるような高い声で、俺はその方向に目をやった。なんなのだろうと足を止めてしまったが、すぐに歌島さんに袖をつかまれて引っ張られる。
「……早く行こう」
やたらと強い力だったので驚いたが、すぐに足を動かした。
三階の奥から三番目の部屋だったようで、歌島さんがもらった鍵を差し込んで回す。部屋の中央に大きなベッドがあり、電気をつけた途端、ととげとげしい色の光が灯る。妙に薄暗く、不自然な感じがしたが、安いホテルだからなのだろうか。
歌島さんは、鞄を置くとすぐに部屋のなかをいろいろと探り、その一部を手に取るとゴミ箱に捨てたり、鞄のなかに入れたりした。光の加減で顔色がわかりづらいけれど、少しだけ赤くなっているように感じる。
「……こんな感じなんだ……」
独り言のようなものが聞こえる。相変わらず、俺をちらちら見てくるのがうっとうしい。
部屋のなかは寒くて、暖房を入れてもなかなか暖かくならない。ベッドの前にあるテレビをつけようとリモコンを探した。しかし、見つからない。
「リモコン……あれ?」
ないわけがないと思うが、どこにもない。さっき、歌島さんが部屋のなかのものをいじっていた。もしかして、歌島さんが取ったのだろうか。なんのために?
わざわざ訊くのも面倒だったので、俺はあきらめてベッドのうえに腰をおろした。部屋中に沈黙が広がっていく。




