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【完結】犬死にした俺は、過去に戻ってやり直す  作者: Pのりお
第一章 小学生編 -夏-
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第四話 登校

 夜、ベッドで横になると、これが夢の終わりなのではないかと感じた。この世界で意識を閉ざしてしまったら、もう素晴らしい幻想は消えていってしまうのではないか。あるいは、もう死んでしまった以上、幻想世界から脱したという意識すらなく、自分の存在ごと消失してしまうということも考えられる。


 だから、朝になり、小学生のころの自分のまま起きたとき、少し俺は驚いていた。


「俺は、まだこの世界にいるのか……」


 両掌を広げると、大人のときよりもはるかに短い五本指が見える。部屋の内部についても、小学生のときの状態だ。


 もしかして、これは夢ではないのではないかという考えが脳裏をよぎった。


「過去に戻った? そんなことがありえるのか? だって俺は間違いなく、汚い部屋のなかで死ぬ運命だった。両親も、歌島も死んだことを知ってる」


 声変わり前の高い声が室内に響く。


 でも、実際どうなのだろう。俺はずっと、この世界を現実ではないと考えていた。


 小学生の時分から、数十年の人生を歩んできた。そこでたくさんのことを経験し、苦しみ、痛みを抱えてきた。あの期間が存在しなかったように、都合よく巻き戻るなんてことがあるのだろうか。


 朝。部屋のカーテンを開けると、まぶしい光が差し込む。鳥の鳴き声が聞こえてくる。


 外には、すでにちらほらと人の姿が見えた。この世界を構成しているものは、まぎれもない現実のものであるように思える。神様が、俺のために誂えた世界と考えるより、過去に戻ったうえでそこに俺が放り込まれたと考えるほうが、もしかして自然なのか。


 過去に遡行したなら、俺はもう一度自分の人生を歩めるということになる。


 それは、あまりに甘美で、心躍る想像だった。自分の過去の失敗や、経験してきた不幸な出来事を自分の都合のいい形で上書きできるかもしれないのだ。だが、その一方で、あまりにも甘美すぎて、現実でないとわかったときのショックが大きくなりそうでもある。


 だからこそ、これが幻想の世界だと自分に言い聞かせていた。


 ――考えても無駄か。


 結局、これだけよくできた世界なのだから、どちらか判別することはできないだろう。


 服を着替えて、一階に降りた。


「明人くん、おはよう」


 すでに食卓の前に座っている義父が、そう声をかけてきた。


 朝ご飯の準備は終わっているようだった。義母が俺を見て、ご飯をよそってくれる。


 ――これが現実なら、本当に甘美だ。残酷なほどに幸福だ。


 昨日とは異なる気持ちでその光景を眺める。


 かつての俺は、無愛想に接して、彼らとまともに会話することはなかった。それでも、俺の心をほどこうと懸命に話しかけてきてくれた彼らを邪険にして、苦労ばかりかけた。


(本当の親じゃないくせに)


 そんな心ない言葉すら、吐いたこともあった。


 俺は、二人の姿を目に収めながら言った。


「おはよう」


 死の間際につぶやいた、「父さん」「母さん」という言葉まではつなげられなかった。急にそんなことを言ったら、不自然になってしまう気がした。


 義両親ともに、俺の言葉に動きを止めた。それから、顔をほころばせた。


 こんなことさえも、俺はやってこなかったのだ。ただ、これだけの会話をするだけで、世界は急激に明るくなるのに、それすらも理解していなかった。


「どうしたんだい? 座って、一緒にご飯を食べよう」

「うん」


 死ぬ前はひもじい食事ばかりだったし、複数の皿が並んでいる状態というのはとてもありがたみがある。きちんと手を合わせて、「いただきます」と言った。


 自然と早く目が覚めたおかげで、登校の時間までだいぶ余裕がある。ゆっくりと味わって食べることができる。


「美味しい。すごく美味しい」

「え?」

「全部、美味しい。朝からすごく元気が出る」


 なんで、今の状況であっても恥ずかしさがあるのだろう。これくらいのこと、すらすらと言えなくちゃいけないのに。もっともっと、言いたいことはたくさんあったのに。


 義母も椅子に腰かけて、俺のことを真正面から見つめた。二人からすれば、昨日様子がおかしくて、今日突然まともに会話するようになったということになる。


「それは、よかったわ。明人くんが気に入ってくれて本当によかった」

「ずっと気に入ってる。美味しいって思ってる。でも、なかなか言えなかった」

「……そうなの?」


 これは嘘じゃない。義母の料理はずっと美味しかった。小さいころからそう思っていた。


 ただ、それを告げてしまうと俺のなかで保っていた芯が揺らいでしまうような気がした。だから、黙々と口に運ぶだけだった。


「ずっと伝えられなくてごめん。どうしても、うまくできないんだ、そういうの。だから、無愛想だったのを許してほしい」

「そんなこと全然いいの。優しいのね」


 子供の口調って、どんな感じだっただろう。うまく話せているのか自信がない。


「俺は、二人にちゃんと感謝してるから。いつも俺のことを気にしてくれて、優しくしてくれて、育ててくれている。他人だった俺を、本当の家族みたいに愛してくれて、本当はすごくうれしく思っていた。だからこそ、甘えてしまったというか……」


 俺は、二人が死んでしまってからそんな自分の気持ちに気づいた。だから、この言葉を伝えることはできなかった。


「ごめん。今までのことを許してほしい」


 この時点で、引き取られて二年くらい。最低限度の会話はあっても、それ以上のことは一切してこなかった。一緒に出かけたことはないし、会話自体長くつづくことはなかった。


 二人が死んでしまったあと、俺のなかには深い後悔が残った。失ってようやく、二人の存在が自分にとって大きかったことを理解した。


 冷たい部屋に二人の死体が横たわっている。顔は原型をとどめておらず、もともとどんな顔で俺に接していたのか、よくわからなくなってしまった。自分一人で生きていけるつもりだったのに、急に足元から崩れ落ちたような感覚を味わったものだった。


 手足から血が引いて、頭の奥がしびれた。俺という人間には、もはやなにも残っていない。もともとなにかを持っていると考えていたわけではないが、自分という人間を支えていたのは自分だけではなかったということを理解していなかった。


 失ったというだけでなく、終わってしまった過去が強く脳裏に残った。もう二度と、手に入らないものであることを痛感した。これから先も、その空白を胸に生きざるを得ないのだということを思い知らされた。


「……やっぱり昨日、なにかあったのかい?」


 そう尋ねてきたのは義父だった。どう答えようかと迷った挙句、結局うなずくことにした。


「それについては教えられない?」


 もう一度うなずいた。


「なるほど。きっと、とてもとても怖い夢を見たんだね」


 ある意味でそうなのかもしれない。


「大丈夫だ。僕たちは、明人くんの味方だから。言いたいことがあれば言えばいいし、腹が立ったり、気分が悪くなったら、それも話せばいい。なんでも言い合える仲になりたいとずっと思っているんだ」

「うん」

「だから、今日は明人くんの気持ちを聞くことができて、とてもうれしい。これからも、話したいことがあれば遠慮なく言ってほしい。もちろん、言いたくないことは言わなくても構わない。もっと気軽に接してくれていいんだ」

「……うん」


 簡単じゃない。今まであったことを、まるでなかったみたいに接するのは。

 いつこの世界が消えてしまうのかと考えながら、この世界に埋没するのは。


「学校から帰ってきたらいろいろ話そう。せっかくなら、どこか食べに行こうか。楽しい気持ちになったほうが話しやすいかもしれない」

「……ありがとう」


 まともな人生を歩んでこなかったから、三十代で死んだにもかかわらずコミュニケーションが下手なままだ。せめて、誠意をもって接しなければならない。


 登校の時間になり、家を出た。と、またも同じようなタイミングで隣の家から歌島の姿が現れた。たまたま同じような習慣らしい。子供のときは、隣の住人のことなど一切興味なかったから、まったく気づくことはなかった。


「おはよう」


 そう声をかけると、警戒が緩んだらしい歌島は「お、おはよう」とつっかえながらも返事をしてくれた。昨日はそのまま通り過ぎてしまったけれど、一緒に登校してみようか。歌島が、門扉を開けてアスファルトに降り立つのを待った。


「山村くん?」

「話しながら行こう。そのほうが退屈じゃない。嫌か?」

「……いいよ」


 会話を交わすようになったのは昨日からだ。まだ完全に警戒が解けているわけじゃない。


 黒のランドセルと赤のランドセルが並ぶ。俺が死んだときの年代であれば、もっと色のバリエーションが豊富なのだろうか。歌島は、ランドセルの肩ひもを両手でつかみながら歩いている。足を進めるペースが遅く、歩幅も小さかった。


 俺は、そのペースに合わせてゆっくりと足を運んだ。


「急に話すようになったから、びっくりだよな。困らせちゃっているかも」

「そ、そんなことないよ」

「ならいいんだけど。俺さ、自分のことを反省しているんだ。だから、直さないといけないところをどんどん変えていこうと思ってる」


 笑ってみせる。歌島は、不思議そうに瞬きをしていた。


「要するに、俺はもっと仲良くしたいんだ。歌島ともクラスの子たちとも。正直、こんなこと言うのも恥ずかしいんだけど、後から振り返ればこの時期が俺の『全盛期』なんだ」

「ぜんせーき……ぜんせーき?」

「ああ、すまん。こっちの話だ。俺のこと、怖いか?」


 ぷるぷると首を横に振っている。


「仲良くしてくれる?」

「うん」


 子供というのは素直である。いや、歌島が特別まっすぐな子なのかもしれない。

 すでに過去のどんなときより関係値は進展している。歌島という少女がどういう子だったのか知る機会もなく死別してしまった。


 ――これが過去なら、この子が生きつづける未来も存在しうるのだろうか。


 もしも、そんな未来がありえるなら、その未来を導けるのは俺しかいない。


 不規則に足音が鳴り響く。隣のかすかな息遣いまで聞こえてくる。頬には、赤みがさしていて、歩くたびに髪の毛が揺れている。昨日推測を立てた、NPCのようなものではないのかもしれない。本当に、今ここで生きている実体であって、まだ未来の確定していない存在なのかもしれない。


「ケーキ屋さんには、どうしてなりたいの?」


 歌島は、表情を動かさずにこちらを見た。俺はつづける。


「昨日言っていただろ。将来の夢。なにか理由があるのかなって思った」


 セミの鳴き声が聞こえてくる。この世界を構成するための環境音などではなく、一つ一つの生命に裏打ちされている。通学路の途中にカシの木が生えていて、幹にへばりつく蝉の姿が見える。風が吹くたびに、頭上の葉がかさかさと音を立てて揺れた。


「ケーキは、美味しくてかわいくて、好きだもん。ケーキ屋さんにいる人は、みんなうれしそうだし、楽しそう。だから、ケーキ屋さんって素敵だなって思うの」

「そうなんだ。歌島はみんなを喜ばせたい?」

「うん」


 木陰から出ると、日差しが歌島の顔に当たる。前を向くその表情に曇りはなかった。


「……山村くんは」

「ん?」

「あんまりこういうこと言っても笑わないんだ。男の子だったら、からかってきそうなのに」

「その程度のことでからかわないさ。別に、どんな夢を抱こうがいいじゃないか」


 俺の生きてきた時間軸ではすでに亡くなってしまった、女の子の達成できなかった夢。悲しくなりこそすれ、笑うなんてことはできない。


「子供っぽい?」

「そもそも子供だろ、小学生なんて」

「……じゃあ、やっぱり子供っぽいってこと?」

「さあな、どうとでも思え」

「自分だけ、大人みたいなこと言う」


 社会の底辺を這いずり回り、塵芥のように死んだ男が今さら子供のふりなんてできない。今の自分のまま、変な小学生としてやり通すしかないだろう。


「山村くんにはないの? 夢とか」

「……あんまり考えたことはなかったな」


 実際に小学生だったころ、俺はとにかく目の前の現実が嫌で、その現実から逃避することばかり考えていた。前向きに、輝かしい未来を目指すなんて発想はなかった。


 大人になってからも、失ったものが多すぎて苦痛と隣り合わせの人生だった。そのうちに霧が晴れて、自分なりの道を歩むことなどできそうになかった。なにかを手に入れるより、これ以上なにも失わないように、懸命に耐えるだけの日々だった。


 当然、今もなにも考えられない。このわけのわからない状況に、振り回されているだけだ。


「ま、強いて言うなら『友達100人』ってやつだ」

「うちの学校の四年生、100人もいないよ?」

「おまえは案外細かいな。とにかくたくさん作るってことだよ」

「ふぅん。その第一号がわたしなの?」

「そうなるかな」


 思えば、義両親以外に自分の人生に立ち入らせた人はいなかった。これは、過去の時点だからではなく、自分の人生すべてを通しても第一号となるのかもしれない。


 ――なんで、まだ死んでいないのだろう。形を変えて生きつづけているのだろう。


 立ち止まる。過去に戻るにしろ死後の仮初の世界にしろ、ろくでもない俺のためにわざわざ誂えるなんて非常にもったいないことだ。俺なんかよりもはるかに立派で、素晴らしい人生を歩んできた人がいただろうに、こんな恩恵を被っていいものなのか。


 歌島なんてまさにそうだ。俺を送り込むより、彼女が死なないように改変したほうがはるかに有意義だろう。


 数歩前に進んだ歌島が振り返った。


「山村くん?」


 俺は、歌島を見ながら考えた。


 ――知っている、俺だけが知っている。


 彼女が死んでしまうことを。それだけじゃなくて、これから起こるいろんなことをも。


 パラレルワールドであり、自分の経験した通りに動くだけじゃないかもしれないが、自分の知った通りの世界が構成されている以上、まったく異なる世界とも考えづらい。


 かつての俺とは異なり、知識という力を持っている。過去に対する後悔から、よりよい人生を歩むための術も、以前よりは理解している。誰にも案内されることなく、突如として放り込まれたこの世界において、なにも為さないままでいていいとは思えなかった。


 空が澄んでいて、わずかに浮かぶ綿雲はゆったりと動いている。小学校の校舎が、空の端にそびえ立っていて、そこに向かう小学生たちの姿が徐々に増えているのもわかった。ぼんやり眺めていると、遠くのほうから鈴の音のようなものが聞こえてくる。


 歌島は、さっきまでと変わらず、肩ひもを両手でつかみながら立っている。足元から、細長い影が伸びていた。俺は、また歩みを再開しながら言う。


「ごめん、なんでもない。行こう」


 俺の不審な振る舞いについて尋ねることもなく、歌島は俺の横に並んだ。そのまま、とりとめのない話をしながら学校へと向かった。

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