第四十六話 謝罪
夜に、俺の部屋にノックがあった。出るつもりはなかったので放置していたが、しばらくしてもドアを叩きつづけている。仕方なく、俺はドアを開けた。
「あ……」
そこにいたのは、一人の女の子。同じ家に暮らしている百瀬るいだった。
自分からドアを鳴らしていたくせに、俺が開いた途端に肩を縮こまらせた。どうせこいつと会うのも最後だろうし、少しくらいは相手をしてやってもいいかもしれない。
「なんだ?」
「……その」
うつむいて、ぼそぼそと話している。今にも泣きそうな様子であり、泣かれたら非常に面倒なことになるため仕方なく俺は部屋のなかに招き入れた。
部屋のなかに入った百瀬るいは、足元を見たり、こっちを見上げたり、視線を落ちつきなく動かしている。立って並ぶと、だいぶ身長差があるなと思った。俺の感覚では同学年くらいだけど、今の体は十六歳のものだから、そのギャップに未だに慣れない。
しばらくしてから、百瀬るいが言った。
「……あたしのこと、怒っていますか?」
意味がまったく分からない。俺は、舌打ちした気持ちを抑えて答えた。
「知らないやつのことを、怒るも怒らないもない」
「……駅であたしのことを拾ってくれたことも、あたしのために話してくれたことも」
「だから知らない」
歌島さん同様に、謎の俺が助けてあげたらしい。どうでもいいと思って、適当に受け流す。
「自分が助かろうとすることは、決してワガママじゃないって。自分の行きたい道を自分で選ばなければ後悔するって。そう言ってくれたから、あたしは勇気を持つことができた」
「……」
「でも、あたし、自分のことばっかりで、『お兄ちゃん』のことをわかろうとしてなかった。同じように苦しんでいたのに」
「おまえなんかに俺のことがわかるもんか」
「ごめん、なさい……」
調子が狂う。こいつにもつらいことがあったかもしれないが、俺にとって関係のない話だ。
お兄ちゃんと呼ぶくらいに百瀬るいは、前の俺のことを慕っていたのだろう。そいつと俺はまったく関係のない間柄であり、謝られる筋合いもない。
「そんなことを話しにここに来たのか?」
さっさと出てほしいということを暗に伝えたつもりだった。優しくするつもりもないので、長く居座られると泣かせてしまう可能性がある。それだけじゃなくて、部屋の隅に置いているリュックの存在にも気づかれたくはなかった。
今は十二月二十八日。小学校は休みに入っていて、こいつは基本的に家のなかにいる。明日の午前に家を出るとき、こいつもいることが想定される。警戒されてしまうと計画の差し障りになるので、そういう雰囲気を匂わせたくない。
百瀬るいは、リュックのほうを見向きもせず、「その……」と言いながら両手を組んだ。
「このままだと、どこか遠くに行っちゃいそうな気がして……。あたしは、たくさんのものをもらって、ずっとそのままだから……。その、どうしたらいいんだろうって……。わからないけど、やっぱりなにもしないわけにはいかなくて……」
しどろもどろに言葉を紡いでいる。いつまでも相手にしていられない。面倒くさくなった俺は、そばを離れてベッドのうえに腰かけた。すっかり日の暮れた窓の外を眺めながら、明日の逃走ルートを確認する。駅の方角がどこで、比較的人通りの少ない道はどれで、電車に乗ったあとにどうすれば新潟に行けるのか……。
暖房の設定温度が低いのか、少し寒い。リモコンで二度上げたとき、百瀬るいが言った。
「あたしのこと、わからないままでいいから」
冷たくあしらう俺のことをまっすぐ見据えている。両手を握りしめながらつづける。
「あたしのこと、嫌いでもいいから、言いたいことがあるなら言ってください。お兄ちゃんに言われたように、あたしは自分の思ったことをちゃんと話します。だから、なんでもいいのでお兄ちゃんも思っていることを、言ってください」
俺は、窓の脇につるされたカーテンを引っ張った。
別に言いたいこともない。自分を守るための術は、自分をさらけ出さないことだ。目の前にいる顔を真っ赤にした女の子でさえも、信じることはできない。
俺はうなずいた。
「わかった、なら言わせてもらう。とりあえず、俺は疲れているし、もう寝てもいいか」
「あ、すみません。はい……」
それから目を右往左往させたあと、百瀬るいは「おやすみなさい」と言って、部屋から外に出た。まもなく奥の部屋のドアの開閉音が聞こえた。自分の部屋に戻ってくれたらしい。
一人きりになった俺は、大きく息を吐いてエアコンのランプを見つめた。
――じゃあな。
もう二度と、この部屋には戻らない。この家に引き取られたこと自体が大きな間違いだったのではないかと俺は思った。




