第三話 夢
俺も他人のことは言えないが、歌島生美の友達は少ない。少ないどころか、誰かと笑顔で接している姿を見ない。休み時間にはずっと絵を描いているようで、通り過ぎるときに少し覗いてみたところ、子供向けのキャラクターと思しきものを熱心に作りこんでいた。
「ケーキ屋じゃなくて、絵を描くのも向いているんじゃない?」
給食を食べ終わったあと、また声をかけてみた。
さすがに免疫がついてきたのか、怪訝そうにしながらもすぐに言葉を返してくれる。
「……見てたの?」
「見えたんだよ。別に隠しているわけじゃないだろ」
「変?」
あまり自信がないのか、そう尋ねてくる。
「向いているって言っただろ。うまかったからそう思ったんだ」
「……うん」
口数が多いタイプではないようだ。周囲の目をすごく気にしているのかもしれない。
「さっきなに描いてたんだ?」
周囲を見渡し、人がいないのを確認してからノートを取り出した。そのうちの一枚を俺に見せてくれた。
「ヌー子ちゃん。わかる?」
ラッコとうさぎを合体したような珍妙なキャラクターだった。少なくとも、俺が大人になったときには廃れていたし、この当時でも有名ではなかったと思う。
「そんなに詳しいわけじゃないよ。ただ、やっぱりうまいじゃないか」
絵がうまい人は、線の描き方からして違う。輪郭を紡ぎ出す線が、きれいな形だった。公式絵がわからないけれど、だいぶ本家に近いのではないだろうか。
色鉛筆でいい塩梅に塗られている。小学生の描いたものとは思えない完成度だった。
「この世界は忠実に過去を再現しているみたいだから、本当にこれだけ上手かったんだろう。イラストレーターになる可能性もあった」
「いらすとれーたー?」
「こういう絵を描くことを仕事にしている人たちだよ」
「わたし、そんなにすごくないよ」
「そうかな? これからどんどんうまくなると思うし。だったら十分にありえる未来だ」
悲しいことに、そんな未来は死という現実につぶされてしまうのだけど。
夢の世界の仮初の住人でなければ、彼女を生かす未来もあったのだろう。俺にできることは思い出に浸りながら、偽物の小学校の生活を謳歌することだけだ。
教室の後ろで、クラス所有のボールを持った男の子たちが楽しそうにはしゃいでいる。歌島から離れた俺は、彼らにそれとなく近づいてみた。
「なぁ、ドッジボールでもするのか?」
男の子たちが、急に話しかけた俺に困惑している。
「ああ、急に悪いな。やるんなら混ぜてくれ。別に一人増えたところで問題ないだろ」
「……おまえ、強かったっけ?」
「まあまあ強いんじゃね? 初めは外野でもいいよ」
特に断られることはなかった。一緒にグラウンドに行くと、足で土を掘って線を引きはじめた。体育の授業でもなければ、石灰を使うことはなかったな、と改めて思い出す。
ドッジボールなんて、どれくらい久しぶりだろう。
物理演算まできちんと組まれていて、違和感のないボールの軌道が宙を描いている。
太陽と青い空の下で、考え事もなくボールを追うことができるなんて幸せなことだ。
「おい、外野入れよ」
内野のメンバーが一人だけになったとき、そいつから言われた。俺は、その指示に従う。
相手のコートからボールが放たれた。気分が高揚しているからか、子供の投げるボールだからか、簡単にボールをつかむことができた。小さな体に慣れていないけれど、子供の体というのはとにかく動きやすいのである。
俺は、つかんだボールを手近なやつに当てた。当たったボールは、自分の手元に返る。
「やるじゃん、山村」
一人残った味方が背中を叩いた。またボールを投げると、別の子に当たる。気づけば、相手のコートには、最初に外野だったメンバーを含めて二人しかいない。
次に投げたボールは、勢いが弱く、相手に捕られてしまう。投げ返されたボールは俺の元に向かってきたが、それも難なくキャッチすることができた。
すぐに思い切り投げると、相手はキャッチできずに当たってしまう。当たったあとのボールを味方の外野がつかんで、残りの一人もやっつけてくれた。
「おいおい。なんで今まで隠してたんだよ」
子供同士の距離感が分からないが、肩を組まれて楽しそうにそう言われた。
当時の俺は、こんなふうにボール遊びに熱心に参加することがなかった。自分の命運を呪っていて、そのときに与えられていた素晴らしい環境に感謝していなかった。
昼休みが終わる五分前にチャイムが鳴り、ドッジボールに参加していた面々が校舎に戻りはじめる。俺もそれにつづいていたが、自分の所属する教室の窓に歌島の姿を発見した。どうやらドッジボールの様子を見ていたようだ。
俺は、小さく手を振った。すると、すぐに歌島も恥ずかしげに手を振り返してくれる。
こんなことしていたら、すでに失ってしまった自分の人生に未練を抱くことになりそうだ。きっと、こうやって日々を楽しく生きる努力をしていたら、あんな結末を迎えることなく、人並みの人生を送れていたのかもしれない。そんなこと、初めからわかっていたことだけど。
――しかし、本当にこれはいつか醒める夢なのだろうか。