第三十六話 砂の城
昼頃、海の家で食事を済ませる。俺の前に座っている歌島は、焼きそばを口に運んでいて、俺は味噌ラーメンをすすっている。正面に来られると、いつもよりも体のラインを強調された姿ゆえに少し緊張する。
足を伸ばした拍子に、歌島の足と接触する。あまり店内は広くないので、ちょっと動くだけでもこうなってしまうのだ。
「ごめん」
「ううん」
歌島はあまり気にしたそぶりがないが、素足と素足がぶつかるので変な感じだ。俺は、極力当たらないように、足を後ろに下げた。本当に初心な男子高校生のようなムーブだと自嘲してしまう。
ふと横を向くと、るいが他のメンバーと楽しそうに談笑している姿が見えた。俺たちがいなくても十分に可愛がられていて、親がまともでさえあれば、きちんと人間関係を築いていけるのだろうと感じた。
「るいちゃん、本当にいい子だよね」
歌島が言う。あの年齢でありながら、他人を貶めるようなことは言わないし、基本的に相手の話を真摯に聞くので、嫌われる余地はなさそうだ。
「連れてくるべきか迷ったが、連れてきて正解だったかもしれない。あいつにとって、きっといい思い出になる。海には来たことがないって言っていただろ?」
「あの子は、どこ出身なの?」
「新潟だ。別に行こうと思えば行けるはずなんだけどな、機会がなかったんだろ」
潮風の香りを感じながら食べる飯はうまい。海を泳いで体を動かしたあとなので、風が吹くたびに適度に体が涼しくなる。
俺にとっても新潟は、非常に関係の深い場所だ。るいが来たことで、否応なしに自分の過去について思い出す機会が増えた。冬には、雪が街全体を覆っていて、足を動かすたびにきゅっきゅっと足音がした。
そして、特に記憶に残っているのは、俺の前を歩く実の父のくたびれた背中だった。
「……明人は、新潟に行ったことがあるの?」
「え?」
急に鋭いところを言い当てられて、俺は戸惑った。歌島は俺をまじまじ見ている。
「ほら、るいちゃんが親戚なら、逆に明人のほうが向こうに行ってもおかしくないよねって。ごめんね、あんまり訊かれたくないことかもしれないけど」
「いや、いいよ、そうだな、新潟には行ったことがある」
正確には、居たことがある、だけど。それを話すとややこしいのでそんな表現にとどめた。
「だけど、小さいころのことだ。あんまり覚えているわけじゃない」
実際、新潟にいたのは、俺の体感時間で三十年以上も前のことだ。俺を形作る多くの出来事があったけれど、もはやその断片のみが痛みを伴って刻まれている。記憶というのは、何回も思い出すうちに思い出したという記憶自体が残るので、自分の頭のなかで伝言ゲームを行っているようなものである。
だから、嫌なことばかりが記憶されてしまうのかもしれない。
「今日は、るいちゃんだけじゃなくて、明人にとってもきっといい思い出になるよ」
俺は、ラーメンをすする手を止めた。歌島は、パーカーの袖口をつかんで伸ばしている。
「だって、きれいな海で、空も青くて、こんなに楽しいんだもん。少なくともわたしは、大きくなっても忘れないと思うな」
「ああ、そうなるといい」
うなずくと、歌島はにっこりと笑った。
食事のあとは海のなかに入らず、かき氷を買ったり、砂浜で寝転がったりして過ごす。朝の早い時間から来たので、もう海で泳ぐのは十分だった。元気のあるやつはまだ海に入って遊んでいるけれど、るいのことを始終見ていた俺は疲労していた。
るいは、そんな俺の苦労を知ってか知らずか、海に入らず砂遊びをしている。ビーチパラソルの下で涼んでいる俺から少し離れたところで、砂を山のようにかき集めてから、なにか形のあるものにしようとしている。
しかし、手先があまり器用ではないようで、何度か挑戦してはすぐに崩れてしまう。俺は、海の家でバケツを借りて、水を汲んでからるいのところに向かった。
「水かけないと作れないぞ」
手ですくって水をかけてやる。湿った砂は強度を増して、風が吹いても倒れなくなった。
「……ありがとうございます」
「なに作るんだ?」
「砂のお城。一回作ってみたかったんです」
と、俺たちの様子を見たのか、歌島が俺とるいの元までやってきた。さっきるいが教えてくれたことを歌島にも伝えると、「わたしも手伝う」とその場にしゃがみこんだ。
「明人、こういうの得意じゃないでしょ」
実際そのとおりだったので、歌島の加勢はありがたかった。絵がうまいだけあって、歌島の手先はだいぶ器用なほうだ。三人とも笑いながら城を作っていき、夕方になったころにはどこに出しても恥ずかしくない、立派な城が出来上がっていた。
「できた!」
るいが、うれしそうに手を叩いた。三人の手は砂にまみれて汚れている。斜めから差し込む日差しに照らされて、砂の城はくっきりとした影を持って堂々とそびえたっていた。
俺は、疲労感と達成感に包まれながら、大きく息を吐いて、その城を眺めていた。




