第三十二話 るいの過去
もともと、実母はそこまで子供に興味がない人だ。子供というのは恋愛の副産物であり、望んで得るものじゃない。だからこそ、俺のことを放棄でき、そのあとるいに対してもひどい扱いをすることができたのだろう。
るいにとって、母親は親というより、姉のような存在だったという。面倒を見たり、料理を作ったりすることはなく、あくまで話し相手。るいが物心ついたときからそうだったらしい。
「でも、そんなに気にしてなかった……」
振り返りながら、るいはそう言った。
もともと、母親がどんなものかというのを知らなかったわけだし、害を与えてこなければ、気にならないようなことだったかもしれない。
当然、るいや母親の面倒を見てくれる人がいたわけだ。それが、父親の男性である。
「……たまに怖かったけど、優しかった」
「怖い?」
「イライラして、冷たいときがあった」
仕事をして、家事をこなして、子供であるるいの面倒も見ていた。負荷が大きくて、いつも疲れている様子だったという。
基本的に、幼いるいにできることは限界がある。いつもそのことを申し訳なく思っていたとるいは話してくれた。
「でも、幼稚園児とか、小学校低学年だったらほとんどなにもできないだろ」
「……うん。だけど、ほんとに大変そうだった」
結局、いろんなことすべてを父親が対応していた。ストレスを抱えすぎて、冷たく当たることがあったとしても、毎日欠かさずに家事をこなしていた。
しかし、そんな日々もずっとはつづかない。ある日、父親が倒れてしまった。
「びっくりした。お仕事してるときに倒れちゃったって」
当然、すべてのことが父親によって支えられてきたので、一気に生活が荒れてしまう。父親は一週間ほど入院したのだけど、その間にまともなご飯はなかった。洗濯など、最低限のことはるいがやっていたが、どんどん家のなかはめちゃくちゃになった。
一週間経って、父親が退院した。無理がたたったわけなので、以前のようにすべてのことを任せられる状況ではなくなった。にもかかわらず、母親は一切なにもすることはなかった。
「だから、どんどん、仲が悪くなっちゃった。いつも、けんかしてる。あたしは、すみっこのほうで見ていることしかできなかった」
しだいに、るいのことなど見えなくなってしまったかのように、るいにかまってあげる人はいなくなった。
時が過ぎるほど、事態は悪化していく。
どんどん、家のなかは荒れて空気が悪くなっていく。掃除をまともにしないせいで、徐々にゴミが増えていき、ゴキブリなどが闊歩するようになった。新しい服を買ってもらえないせいで、手洗いでなんとか工面しても、ボロボロになるのを避けられない。ご飯を買うためのお金さえろくに与えられないから、いつも安いお菓子などでしのいでいた。
父親も、母親も、そんな状況だからあまり家に寄りつかなくなった。それぞれが、別の場所に勝手に泊まるので、そんな空間にるい一人だけが残される。
そんな生活をつづけているときに、やがてるいも限界を迎える。
母親が帰ってきたタイミングで、るいは泣きながら訴えたそうだ。お願いだから、ちゃんと家のことをしてほしいと。でも、るいの言葉は聞き入れられることはなく、それどころか、まだ小学生であるるいに対して、役立たずという趣旨のことを言ったという。
ショックを受けたるいは、しばらくふさぎこむこととなった。そのときに、たまたまあるものを見つけることになる。
それは、一枚の写真だった。
「……小さいころのお兄ちゃんがいた。折り目がたくさんあったけど、顔のところだけはちゃんと見えて、お兄ちゃんがいるって何回かお母さんから聞いたことがあったのを思い出した」
床に落ちていたのを見つけたみたいだし、大事にされていた写真ではなかったのだろう。そこからるいは、俺に会いたいと思うようになったらしい。なぜなら、唯一すがれそうな相手が俺しかいなかったからだ。そして、母親が酔っているときに居場所を訊き出した。俺が今住んでいる家は、俺が来るより前から両親の家だったから、母親もその場所を知っていたらしい。
るいは、覚悟を決めて家を出ることを決めた。そうしなければ、自分が壊れてしまうということを理解していたからだ。
リュックには、好きだった絵本やアルバム、それから最低限の衣類を詰め込んだ。無我夢中で、他には何も持ってくることはできなかった。父親、母親の両方の財布からお金をとって、独力で俺がいる場所までやってきた。
「ここまで来て、よかった」
自分の話を終えたとき、最後にるいはそう言った。




