第二十九話 斜陽
トランプやらボードゲームをやっているうちに、日が暮れてきた。そろそろ母さんが帰ってくる時間帯だ。久しぶりにこうやって遊ぶと案外楽しいものだ。るいは、どのゲームも一生懸命にプレイして、いつもより明るい表情を見せてくれた。
――こうやって嫌なことを忘れる時間も大事だよな。
るいにとって、不安な状態がつづいている。なにもしていない時間が多ければ多いほど考えることも増えてくる。血のつながりがあったとしても、俺たちは知り合ったばかりの関係で、心を完全に開くことは簡単じゃない。
遊ぶことに飽きて、ぼんやりしているとき、歌島が話しかけてきた。
「ねえ」
真剣そうな表情を浮かべている。るいが、麦茶を飲むために一階に降りたところだった。そのため、歌島と俺しかいない状況である。
「なんだ?」
「あの子。この前、深夜にいた子?」
「……」
歌島は、以前、俺の家の前に来ていたのを目撃している。暗がりではっきり見えなかったとは思うが、髪型のおかげで推測が立ったのだろうか。
「別に違うけど」
「間があったよ」
「深夜にいた子、というのを思い出すのに時間がかかった。もう忘れていたからな」
「……やっぱり教えてくれないんだ」
ちくりと胸に痛みが走り、顔を上げると歌島が眉を下げてこちらを見ていた。俺の嘘なんて簡単に見破られてしまうのだなと思う。もしかしたら、今日るいの姿を見たときからそのことに気づいていたのかもしれない。
殺風景なるいの部屋のなかで、お互いの声だけが響いていた。散らかったままのボードゲームの駒、さんざん遊んだトランプの束、歌島のポーチが、点々と床に転がっている。俺は、片膝を抱えながら、ぼんやりとそんな光景を眺めていた。
話せないのは、なにも俺のせいじゃない。込み入った問題であり、おいそれと吹聴できないというだけのことだ。歌島に話したくないとか、自分たちの問題から追い出したいとか、考えているわけじゃない。
それでも罪悪感が灯るのは、俺のなかにそういった感情が眠っているからなんだろうか。
「ごめん、明人」
歌島が、ボードゲームの駒を拾いながら言った。
「困らせるつもりじゃなかったの。こんなの、自分勝手だよね。誰にでも話したくないことはあるもん」
結局、いつも、歌島になにも自分のことを話していない。
俺が養子であることも、実の両親に対するトラウマを抱えていることも、ゴミのような人生を一度辿ったことも、過去に戻ったことも、自分のために歌島を助けたことも、いつだって蓋をして、歌島を遠ざけている。
そして、そこに眠る自分のいろんな感情すら、まともに伝えたことがない。
過去に戻ってからの六年間、嘘ばかりが上手になった。顔色を変えずにごまかしたり、様々なことを知らんぷりしたりして、歌島の前で偽物の俺を演出してきた。その蓄積が、今の歌島の表情に結びついているのだということを、俺は理解している。
赤く染まった空が、窓ガラス越しに映し出されている。歌島の寂しげな表情が、いつもよりもやたらと鮮明に脳裏に焼きつけられる。さっきまで一緒に遊んで楽しんでいたにもかかわらず、迷子の少女のような儚さに包まれているような感じがした。
俺は、窓の先の空に視線を固定したまま言った。
「今は、無理なんだ」
振り返らなくても、歌島が俺のほうを見たのがわかった。
「……難しいんだ。俺は、こういう人間だから、どうしたって本当のことじゃない言葉が先に出てきてしまう。自分でもよくわかっていないんだ。本当はもっと言いたいことがあるんじゃないかと思っても、なぜかすぐに消えてしまう。でも、いつか、話せるときが来たら、本当のことをたくさん伝えられるんじゃないかって思う」
過去を変えたつもりでも、自分の本質を変えることがこんなに難しいなんて思わなかった。
人生という名の歴史が、俺をこのように形成した。その形がどれほど醜いものだとしても、それがなければ俺は存在することができない。苦しみ、無惨に散った元の人生の重みは、今の状況であっても俺の大部分を占めつづけている。四畳半の部屋で絶望に打ちひしがれていた俺は、ずっとそこに存在している。
歌島のいるほうに首を回すと、歌島は俺をまっすぐ見据えながら呆然としていた。
そして、引き結んだ口を少しだけ横に引いて、笑った。
「うん」
やがて、一階からるいが戻ってきた。飲むときにこぼしてしまったのか、Tシャツが少し濡れているのがわかった。
部屋の入口付近で立ち止まったるいは、俺たちを見て首をかしげる。
「どうかしたのです?」
「なにが?」
俺はにっこりと笑う。
もうご飯の時間になるから、るいも片づけるようにと言って、三人で散らばったものを拾いはじめる。本当に話せるようになる日が来るかわからないけど、そういう日が来るようにしないといけないのだと、俺は改めて思うのだった。




