第二十一話 謎の女の子
心がずっと満たされない。
いつまで経っても、失ったものを守りつづけても、それは変わらない。
ただ、俺は一人ではない。
そんなことを、夜道を進みながら考えた。
俺にもよくわからないのだ。過去に戻って、より良い未来を勝ち得ながら生きて、それでもかつて経験した未来に怯えている。そしてそれだけじゃなく、戻った時点より前の、触ることのできない幼少期のことも。
神様とやらがいるのであれば、なにを考えてこんなことをしたのだろう。
俺になにを求めているのだろう。
「……」
心のなかでいくら問いかけても答えは返ってこない。静寂が耳を覆うだけだ。
かつて一世一代の対決をした公園の横を通りすぎ、住宅街を縦横に走る道路のうえを渡り、家の付近にたどりついた。そのとき、あることに気づいて足を止めた。
――誰かがいる……?
玄関に通じる門扉のすぐそばに、小さな人影があった。歌島でも、両親でもない。明らかに子供とわかるその姿に俺は息をのんだ。
女の子だった。髪を二つ結びにして胸の前に垂らしている。街灯の光にさらされた横顔は、まっすぐ俺の住んでいる家を見ていた。
背中にはやたらと大きなリュックサックが背負われている。まるで、ラジオ体操に行っていたときの俺みたいな佇まいだった。
――誰だ?
もうすぐ、深夜の三時になろうとしている。子供が一人でいていい時間ではないし、そもそも大きな荷物を持っているのも不自然だ。それに、俺の家の前にいる理由もよくわからない。
慎重に、足を動かした。
足音を立てないように、かかとから着地して進んでいく。そして、女の子まで一メートルほどの距離になったところで俺は言った。
「……どうしたの? こんな時間に」
俺の声に驚いたのか、肩をびくっと震わせた。すぐに俺のほうを向いた。
近くで見ても、やっぱり誰かわからない。今まで一度も会ったことのない子供だった。
困ったように視線を泳がせて、急にくるりと後ろを向いてしまう。
「あ、おい」
深夜なので大声を出すことはできない。女の子は、そのまま走り去ってしまった。
こんな時間に一人でいて大丈夫だろうか。あとを追おうとしたが、闇夜にまぎれてしまい、どこに行ったのかわからない。こうなってしまったらもうどうしようもない。本当は近くに住んでいる子で、何か理由があってたまたま家を出ていたのだろうか。
俺は、道を引き返して家のなかに入った。
物音を立てないよう、慎重に開け閉めして靴を脱ぐ。暗い家のなか、手探りで二階に上ろうとしたところで、後ろから足音が聞こえた。
「……明人?」
父さんだ。どうやら起こしてしまったらしい。父さんはまだ夏休みではなく、明日も仕事があるので申し訳ないなと思う。
「外に出ていたのか?」
俺はうなずく。ごめん、と謝って、そのあと、散歩してきただけだと付け加えた。
「おまえのことだから、変なことをしているわけじゃないとは思ってる。だが、あんまり深夜に出歩くものじゃない」
「寝られなかったんだ。これからは控えるよ」
母さんまで起こしてしまうわけにはいかないし、さっさとベッドに入らなければ。だが、ふと気になって俺は言った。
「さっき、家の前に誰かいた」
「……誰か?」
「子供みたいだった。小学生くらいの女の子だと思う。リュックまで持ってたから気になったんだけど、話しかけようとしたら逃げちゃった」
「こんな時間に?」
「もしかしたら、幽霊かもしれないけど」
俺は肩をすくめた。父さんは、怪訝そうにしばらく考え込んでいたが、やがて「おやすみ」と寝室へと引っ込んでいってしまった。
自室に戻った俺は、ジャケットを脱いでクローゼットに置いた。
――そうだ。
携帯電話をポケットから出しておく。勉強机に置こうとしたところで、携帯電話のランプが点滅していることに気づいた。
画面を見ると一通のメールの通知。
歌島からだった。
メールを開き、内容を確認する。
歌島生美:さっきの女の子なんだったの?
どうやら、また窓から様子を見ていたらしい。もしかしたら俺が帰るまで心配してくれていたのかもしれない。
俺は、「わからない。とっとと寝ろ」とだけ返して、携帯電話を折りたたんだ。
ベッドに乗り、カーテンを持ちあげて、改めて玄関前の様子を見た。
やっぱり、そこにはもう誰もいない。俺から逃げたあと、戻ってきたということはない。
つい、幻覚でも見たのかと考えてしまうが、歌島も目撃したのであれば実在していたのだろう。二階という位置であれば多少遠くも見通せるが、どこにも女の子らしき姿を見つけることができなかった。
――気になるな。
俺に声をかけられるまえの女の子の表情。家を食い入るように見ながら、どこか泣きそうな顔をしていた。いったい、なんで俺の家のまえにいたのだろう。
関与していない物事が、以前の人生と同じような動きをするのなら、当時の俺が気づいていないだけで女の子はここに来ていたのかもしれない。そのとき、いったい女の子はどうなっていたのだろう。
子供の足なら、そこまで遠くには行っていないはずだ。考えすぎかもしれないが、朝起きたらもう一回探してみようと決めて、俺は襲ってきた眠気に身を任せた。




