第十九話 夜
寝ていると怖くなるのは、この何年かずっとつづいている現象だった。
学年一位のまま夏休みになって、少し気は緩んだ。両親と良好な関係を築けているし、何年も一緒にいる友達もいるし、順風満帆だと言える。本来であれば、なにも恐れることなく生きていけるはずだ。
でも、俺の場合はそうじゃない。
「……っ!」
夜。ベッドのうえで、急に目を覚ました。
はぁ、はぁという荒い吐息が他人事のように聞こえる。カーテンが閉め切られ、蛍光灯が切られた室内は真っ暗闇だ。寝ぼけていて、すぐに自分の状況を思い出すことができない。
呼吸が落ちついてくるのと同時に目が暗闇に慣れてくる。いつも見ている自室が視界に浮かびあがってくるにつれ、心臓の鼓動が緩やかになる。
――またか。
小学生のときから変わらない。たまに、自分の体の奥から湧きあがるような感情で、うなされてしまうことがある。背中に汗をびっしょりかいていて、枕カバーも濡れている。しばらくベッドのうえでぼんやりしていたが、やがて着替えるために立ち上がった。
蛍光灯のスイッチを押すと、白い光が目に突き刺さる。瞳孔が狭まるのを待ってから、俺は室内のクローゼットを開いた。なかには、替えの下着がある。
着ていた服を脱ぎ、替えの下着をまとったところで、ベッドわきに置いていた目覚まし時計が視界に入った。
「……二時か……」
寝たのは十一時だったから、三時間しか寝られていない。かといって眼が冴えてしまったからあまり眠気がない。
カーテンを少し引っ張り、藍色に包まれた窓の外を見た。
――外の風に当たってこよう。
薄手のシャツにジャケットをまとい、こっそり家を出た。
涼しい空気が、肌をさする。この時間だから、外を出歩いている人はいない。都会のほうならいるのかもしれないが、夜に遊ぶところのないこの近辺では寝るための時間でしかない。誰もいないこの空間が、俺はとても好きだった。
小さいころ、住んでいた児童養護施設を抜けて、海を見ていたときと同じだ。静かな景色は俺にとって良き相談相手であり、ただそこにあるだけで俺の心の声を聞いてくれているような感じがある。
俺は、バス停のベンチに腰をおろした。
当然、この時間帯にバスは運行していない。小さな屋根が頭上にかかり、汚れた時刻表の貼られた柱が端に立っているだけの場所である。
「……意外と暑いな」
ジャケットは要らなかったかもしれない。ジャケットを脱ごうとしたところで、そのポケットになにやら固いものが入っていることに気づいた。
――そうだった。
取り出すと、それは携帯電話だった。昨日、コンビニに行くときにポケットに入れて、そのままになっていた。折りたたまれたそれを開くと、小さな画面に光が灯る。
電波の接続状況を表す画面のアンテナが二つ立っていた。時刻はあまり変わっておらず、二時十七分を示している。
――三十分くらいに戻るか。
あんまりここに長居すると、警察に補導されてしまうかもしれない。俺は携帯電話を閉じてポケットのなかにしまった。
それから五分ほど。
突然、携帯電話が震えはじめた。マナーモードなので音は鳴らない。着信かメールの受信があったということだろう。
ポケットから再度取り出し、画面を見ると、そこにとある名前が表示されていた。
俺は、すぐに通話ボタンを押す。
「もしもし……?」
声を発すると、あ、という小さな声が返ってきた。それからささやくような声がつづく。
「明人。出てくれた」
表示された名前のとおり、歌島だ。こんな夜遅い時間にかけてくるとは思わなかった。
「なんでこんな時間に? どうかした?」
「ううん。別に大した用じゃないよ。ちょっとかけてみたくなっただけ」
「俺が寝ていたらどうするんだよ……」
バイブレーションの音は、寝静まった部屋のなかでは大きく響く。もしも、寝ているときにかかってきたなら起こされていたことだろう。
「ごめん。でも、ほんとは起きてるってわかってた」
「え?」
「わたし、今日あんまり寝られなくて。で、たまたま家から出た明人を見ちゃったの」
「なるほど、そういうことか」
まさか見られているとは思わなかった。あのとき、窓から歌島が見ていたと思うと恥ずかしくなる。ただ、携帯電話を持ち運んでいるかはわからないから、ダメもとで電話をかけてみたということなのかもしれない。それなら、俺が出たときに驚いていたのもうなずける。
「ね。明人は、なにやってるの?」
からかうような声。俺は、少し迷ってから答えた。
「なにも。俺も寝られなかったから、なんとなくぶらついているだけだ」
「そうなんだ。今はどこ?」
「バス停。座れるようなところがここしかなかったから」
「そこで寝ちゃだめだからね。風邪ひいちゃう」
「わかってる」
確かに、眠気がだんだん戻ってきている。油断していたら、本当にやるかもしれない。
「おまえこそ、さっさと寝たほうがいいんじゃないか? 電話なんてしてないで」
歌島の声が控えめなのは、家のなかにいる両親を起こさないようにするためだろう。どうせ隣同士なんだし、こんなふうに話す必要なんてない。




