第十五話 歌島家
歌島の家に行くのは何回目だろうか。
小学生のとき、歌島を助けるために無理やり一緒に勉強をしたときから、幾度となく歌島家に訪れていた。歌島家と山村家の関係は非常に良好であり、お互いがお互いの家に行き来することが頻繁にあった。
あまりにも気安いものだから、たまに戸惑うときすらある。
部活が休止した初日の学校帰り。要らない荷物を自室に置いてから歌島家に足を踏み入れると、早速歌島の母親が現れた。
「あら。見ないうちにまた背が伸びたんじゃない?」
もはや、お邪魔しますなんて言葉も要らない。はっきり言って、前の人生における家よりも当然のように俺の存在が受け入れられている気がする。
「自分じゃあまり自覚できないんですけどね」
「どんどんかっこよくなっていくものね。これなら将来安泰。頭もよくなって、運動もばりばりやって、言うことなし」
「全然俺なんか大したことないです」
「あの子なんて全然成長しないんだから、大したもんよ。それより、わたしは家にいないほうがいいかしら?」
「いやいやいや。勉強教えるだけです。あいつ、赤点がひどいじゃないですか」
「あ~、そうね」
あまり気に留めてなさそうだ。もともと成績についてうるさく言うような人ではない。
「勉強のしすぎは体に毒だからほどほどにね。あとで飲み物持っていくから行ってあげて」
「あざっす」
歌島の家も俺の家も似たような構造で、二階に歌島の部屋がある。俺に気づいた歌島が、二階の手すりに寄りかかりながら「もー、お母さんひどいんだから」とブーたれている。
「ほらほら、部屋に戻れ。おまえの状況は、ほんとにヤバイんだから」
段差を一歩ずつ進みながら言うと、歌島は渋々といった感じでうなずいた。
歌島と一緒に部屋のなかに入る。
歌島の部屋は、小学生のときと比べてだいぶ物が増えた。クローゼットに入らないほど服があるし、いくつもの化粧品が小さなキャビネットのうえに置かれている。また、二年前に絵画コンクールで入選した絵が額縁に入れられて、壁に立てかけられていた。
部屋のなかには勉強机があるが、いろんな荷物で埋まっているから一緒に勉強をするときは部屋の中央にあるテーブルのうえで行うことにしている。
「はい、クッション」
もはや俺専用になってしまった青のストライプのクッションを渡される。
「せっかく受験終わったのに、まだ勉強しないといけないんだ……」
やる気なさそうに折り畳み式の携帯電話をいじっている。スマホが普及するのはまだまだ先のことである。
「おまえが教えてくれって言ったんだろ?」
「それはそれ、これはこれ、というか……。あ、ダイエーがリードしてるよ」
「まじか。見せて」
歌島の隣に移動して、携帯電話の画面をのぞく。まだ試合途中だが、オリックス打線をうまくおさえているようだった。
スコアの情報だけだが、回が終わるたびに結果を更新してくれる。どちらも野球部ではないが、二人とも野球は結構好きだった。
二人で絨毯の上に座りながら、一つの携帯電話を見ていると距離が近くなる。慣れているとはいえ、ここが女の子の部屋だということは意識していた。歌島の肩と俺の肩が触れそうだ。
歌島はなにも言わず、こちらを見ることもなく、画面を眺めていた。
と、ドアの外から足音が聞こえた。俺はすぐに立ち上がる。
「ごめんね、麦茶しかないわ」
歌島の母親が、コップなどを持って部屋に入ってきた。なにごともなかったように、すぐに受け取りに向かった。
「ありがとうございます。別になんでもいいですよ」
正直、エアコンがまだ効いてなくて暑い。エアコンの性能も、まだ十分に進化してないなと思う。俺はすぐに二人分のコップに注いで、片方を歌島に渡した。
「じゃ、あとはごゆっくり」
やたらと意味深な言いまわしで歌島の母親が部屋から出た。足音が遠ざかるのを聞いてから歌島の対面の位置に座りなおす。
携帯電話を折りたたんだ歌島が言う。
「明人も、携帯電話買ったらいいよ」
「正直、あんまり必要ないんだよな……」
ラインもSNSもないわけだし、わざわざメールを打ってまで連絡したい相手もいない。両親に対しては固定電話で必要なやりとりができる。当時は携帯でメールを打つということ自体が楽しかったみたいだけど、その先を知ってしまった俺としては気が乗らない。
「でも、夏休みのときとか連絡とるの大変だよ。どこか遊びに行くときに、わざわざ家に電話かけたくないもん」
「考えておくよ」
「そんなこと言ってるうちに、時代に取り残されちゃうよ」
ただ、携帯電話の契約には当然金がかかる。家計に余裕がないわけではないが、あまり両親の負担になることは言いたくなかった。
俺は筆記用具の準備をしながら、笑いかけた。
「一つ、予言をしてやる」
すると、歌島の表情が「いつものが出た」というような苦笑いに変わった。
俺はつづける。
「これから五年くらい先に画期的な携帯電話が発売されて、今の携帯電話は一気に廃れることになる」
「たった五年で?」
「ああ。携帯電話の進化はとても速いからな」
「ふぅん。信じられないけど、明人の予言は当たるもんね……」
ちなみに、スマートフォン自体はこの時点ですでに存在しているらしい。ただ、例の商品が発売されたことで一気に市民権を得たということになる。
「でも、五年も携帯電話がないのは寂しいな」
「やたらとこだわるな」
どうしても携帯電話を持ちたくないというわけでもないので、もう少し話を聞いてみよう。




