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第8話

弾丸のようなスピードでこちらに追いつくと彼女はいきなりぽんと人魚化した。場の空気にふさわしくない陽気な、


「どーーん」


という掛け声とともに、やってきた高速スピードのまま森田君にぶつかる。ふいをつく背後からのアタックで森田君はよろめき、私は森田君もろとも地面に投げ出された。


「あいたたた」


と起き上がろうとすると、コスモスのおかしそうな表情にでくわした。


「あら、ごめんなさい」


森田君はというと、驚愕の表情で私を見ている。どうしたんだろう。


無意識におでこに手を当てようとしたけれど、私の右手の先はなかった。


え?


近くに肘から上の私の右手と指が数本きれいな形で落ちていた。


指?


左手に目をやると、親指以外の指がない。


あふれ出る血と強烈な痛みでパニックに陥りそうな時、不敵な笑いをしていたコスモスに銀の糸が襲いかかった。あっと思った次の瞬間、彼女の体は二つに分けられていた。上半身と魚部分の下半身とに。銀の糸にすぱっと切られたのだ。それでようやく、私は転んだ時に糸の壁に触れてしまったことに気が付く。


あふれ出る血がとまらない。ああ、どうしよう。私の鮮血が緑の芝生を染めて行く。


くらくらする。


森田君は怪我したコスモスを抱き締めて、何か傷口に処理をほどこしているようだ。私はほっとかれたまま。


とっさの時の行動がその人の本心。


森田君は私よりもコスモスが大事なんだ。ぼうっと二人を見ているけれどやがて目がかすんでいく。


仕方ないよね、つきあいの長さも違うんだから。


あーあ。私何しにここに来たんだっけ?


あきらめとともに、私は目を閉じる。痛みも恐怖も悲しみも消えてなくなればいいんだ。


すると、何かに優しく包まれた。温かい。気持ちいい。優しい眠りに誘われるまま、私は落ちていく。


どのくらい時がたったのだろう。もしかすると、ほんとうは一瞬のことだったのかもしれない。


目を開けると、そこは優しい淡い黄色の光に包まれている場所だった。痛みはひいている。右手の切断部分には、黄色の太い柔らかな糸が幾重にも巻きついている。糸を媒体にして失った右手が再びつけられているようだ。左手の指も同じ様に治癒の途中にあった。


どうして。ここはどこ?


すると、穏やかな声が聞こえた。




「リサ、やっと会えたね。」


声は頭に直接響く。ハスキーでかわいい男の子の声。


「誰?」


「名前はないんだ。よかったらつけてくれる。」


「名前…。」


すると、頭の中にイメージが浮かぶ。地平線から顔を出す太陽。希望に満ちた朝の白い光。


「朝日。」


「アサヒ。素敵なひびき。アサヒ。


ありがとう。」


目の前に少年が現れた。中学生くらいの男の子。黒髪に黒い瞳。日本人としては当たり前のその姿。でも、彼の黒い瞳は不思議な魅力を持っていた。黒曜石のような深い輝きを放っている。私は落ちるように彼に魅了されてく。彼の新しいイメージが頭に浮かぶ。叡智。無垢。深い青。


もしかしたら、私の思考は彼につつぬけなのかもしれない。少年は、はにかんだ様子で言った。


「リサが親しみを持てる姿をイメージしたんだ。本来の姿だとリサを怯えさせるだけだろうから。」


「あなたはミキの子なの?」


「そうだよ。だけど僕、生まれる前から君のことを知っているんだ。会いに行ってたでしょ?でも、リサを怯えさせるようなことになっちゃったよね。


分けも分からずリサにつきまとってしまって。あれじゃ、怖いよね。ごめんなさい。」


最初に見ていた夢のことを言っているんだ。けれどあの時の彼と今の彼とは抱くイメージが全く違う。今の彼には恐怖を感じない。けれど…。


「あなたも私を食べたいの?」


「今は、食べたいとは思わない。僕は両親とは少し違う。不完全だからかも。ママが人魚としての本能を捨てたから。


でも、リサのおかげで偶然に欲しいものが手に入ってしまった。…これは、運命なのかな?」


「欲しいもの?」


「そう、人魚の本能。」


彼の手の先にコスモスの下半身が現れた。まだぴくぴくと動いている。


「これを摂取すれば、僕は完全体になれる。でも、僕の理性がどれほど残るのか分からない。…それが怖いよ。」


「それを、食べちゃうの?」


私の不快感が彼に伝わったのだろう。朝日は困ったような笑顔をみせた。


「うん、食べるつもり。生物として、今のままだともろいんだ。だからどうしても食べないといけない。けれど、違う自分になると思うとちょっとしりごみしている。なによりこれを摂取することで、リサを食べたくなってしまうかもしれないってことが怖いんだ。」


彼は私に近づくと胸のペンダントに触れた。


「ママとは関係なく、僕は生まれる前から君が好き。


今のままの僕でいたいけど、それじゃあいつに勝てない。


リサを守れない。」


彼の言う、『あいつ』が誰を指すのか分かった。森田君だ。


「だから、おまじない。僕が君を食べてしまわないように。」


そう言って、朝日はペンダントにくちづけする。それはとても神聖な儀式のように思えた。はたして、私はそれだけの価値に値する人間なのだろうか。


「値するよ。」


そう言った朝日の美しい双眸が思ったよりも間近にあって、私はどぎまぎする。


「これで、けがの方はもう大丈夫だね。」


言われて、私は右腕と左手の指に目をやる。切断されたのがうそのように、元通りになっていた。こわごわ動かしても、なんの不自然さもない。痛みもない。夢でも見ていたのかと疑うほどに。


「よかった。きちんと治って。でも、流れ出た血液までは僕の力じゃ戻せない。だからリサはここで、安静にしていてね。少し眠るといいよ。」


そう言うと、朝日は私の右のほっぺにキスをして、はにかみ笑顔と共に去った。朝日が何をする気なのか分っていたけれど止められなかった。もう、私には何が正しくて何が悪いのか分からない。


誰かが、正義と正義がぶつかるから争いが起きるんだと言っていた。今の状況って、そういうことなのかな。森田君に朝日にコスモス。私は誰にも死んで欲しくなかった。


ああ、だけど、貧血で体に力が入らない。私一人ここで、ぬくぬくとしていたくなんてないのに。どうしたらいいんだろう。眠りたくない。


意識が消えそうになるのを懸命にこらえようとする。けれど、どうしても血が足りなかった。


「なんとも、たよりないことだ。」


老婆の声が頭に響く。


その声ではっと意識をとりもどす。


目の前にサッカーボールほどの大きさの太陽があった。夕焼け色の真っ赤な太陽が。それは落日のなんとも胸にせまる鮮烈な朱。


「何をぼうっとしている。」


「え、あ。」


「頭もあまりよろしくない、か…。まぁ、他人より抜きんでるのも人として生きにくいからな。その程度でちょうどいいということか。」


「あ、あの。えーーと。」


「しかし、こんなに霊感がないとは、いやはや。なんて不自然なことだろう。」


「あなたは一体?」


「我か?我はそなたの一つ前を生きた同じ魂を持つ者である。」


「えーーーと。


ってことは、私の前世ってことなのかな。森田君が言っていた偉大な力を持った太陽の巫女?」


「うむ。我を形容するにはふさわしい言葉である。」


太陽は満足気にまたたいた。


「あれ。なぜ、今ここに?」


「我、最期を迎えるにあたって、民に失望してな。務めを投げだして時空の旅に出ているところじゃ。今頃皆、さぞ慌てていることだろう。ふふふ。


我も最期くらい好きにしたいと思ってな。次の転生の準備の為に、来世の選択肢をこうして探っておったんじゃ。」


「へぇ。なんだか、途方もない感じ。」


「ははは。造作もないことだ。しかし、やっとそなたのような逸材を見つけた。数ある可能性の中で、そなたが一番面白そうだ。我はそなたに決めたぞ。」


「それは、どうも…。」


「うむ。


そなたという存在はそれだけで面白い。我は来世が楽しみになった。これで少しは気がおさまるというもの。憤懣やる方ないが、我の苦渋に満ちた最期を迎える為に還るとするか。


時に、そなた。力が欲しいか?」


「はい。…どうしても。」


「我の女王としての命運はつきた。帰還とともに命を絶たれよう。しばしの猶予しかないが我の仮の器をそなたに授けよう。好きに使うがよい。」


太陽は眩しいほどに光を放ち、消滅した。


さきほどまでは、頭がくらくらしてどうしようもなかったのに、今は体中に力がみなぎっている。マグマが地表にあふれでるのを待っているかのように私の中でぐつぐつと大きな力が渦巻いている。


しっかりと立ちあがって、ふと気付く。私の両手はしわしわだった。あしもこけている。それに、裾の長い見慣れない民族衣装を着ていた。手にはきらきらと輝く丸い鏡。ずっしりと重くて、落としそうになってから、その存在に初めて気がついた。


何気なく鏡をのぞき、映し出された自分の姿を見て息をのむ。それは、年を経た老婆の顔をしている。私はショックのあまり、再び鏡を落としそうになって、慌てて強く握りなおす。


とにかく、動揺している場合じゃない。今はみんなの所に行かないと。


私は鏡に光を集め、私を優しさで閉じ込めているおもいやりのこもったこの場所に穴をあける。


鏡の光を受けた場所が丸く輝き、次の瞬間黄色の空間は色を失い散り散りに崩壊した。


ああ、外気の冷たさが戻ってきた。外だ。


意外にも、そこは最初に私が倒れた場所だった。私の腕や指が切断された直後に朝日が癒しの繭をこの場に作ってくれたんだ。朝日の優しい糸。私は感謝の気持ちをこめて灰色となってちらばったそれに触れる。


衝撃音が地を揺らす。もう戦いは始まっているようだ。私は太陽を探そうとして、軽く舌打ちをする。まだ日が昇るには時間がある。せっかく、巫女の器を借りたのに。仕方ない。やれることをやらなくちゃ。星の光を集めよう。鏡を持ち上げてふと、気付く。近くにもう一つ繭の山がある。不思議に思って近づく。細やかな編み目が美しい。星の光の中、繭全体が黄色くきらきらと瞬いている。


ああ、そうか。コスモスが倒れていた場所だ。でもこれは、朝日が作ったものじゃない。香りが違う。朝日の繭はお日様のぽかぽか陽気の、なんともいえない懐かしい香りがした。でも、こっちは爽やかなミントの香り。どちらかというと、今の時刻にぴったりな夜のイメージ。


私は鏡の使い方を知っている。自然な動作で両腕を突き出し、鏡の表面を繭に向ける。すると、鏡の裏面の磨かれていない銅板にくっきりと中の様子が映しだされた。


思ったとおり、コスモスだ。中では、繭がまるで意志を持った、生き物のように一本一本細やかに動いて、彼女の患部に手当をほどこしている。コスモスは穏やかな表情で眠っている。まるでつきものがとれたかのような感じ。彼女の中にいつもくすぶっていた毒々しさが嘘みたいに消えている。


本能。彼女をつきうごかしていたもの。彼女を彼女たらしめていたもの。生きる動機そのもの。それを、失ったらもう、彼女は彼女ではなくなるのではないのだろうか。彼女の生きる意味も失われるのではないだろうか。


天使の様なその寝顔が、無垢な優しいその表情が、私にはただただ痛ましく思えてならない。


風にのって、生温かいにおいが届く。これは、血のにおい。嗅覚が異常に働くのに驚く。聴覚もするどいようだ。かなり遠い場所の些細な音まで分かる。二匹の怪物の足音。それぞれの怪物が一ダース以上ある堅い足を動かす度に、節がしなる乾いた音が聞こえてくる。


どうやら森田君は、森田君の姿ではなくなったようだ。


…人型のぬけがらなんかないよね。それは、とても見たくないなぁ。それよりも、戦いを止めさせないと。どちらかが死んじゃう。


どうしたらいい?解決策は?


二人に、どう説得するかが問題だ。ああ、大丈夫。女王の器が教えてくれる。いいえ、それどころか私は、あふれる叡智の中に埋もれていく。巨大な女王の意志の中で私はどんどん小さくなってその一部へと組み込まれていく。私はどんどん薄まってしまう。


ああ、私が私でなくなってしまう…。





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