第5話
森田君からメッセージが来ていた。
今日私の家の近くまで先輩の金魚を持ってきてくれるんだそうだ。
休日だというのに、私は朝からせっせとペンダントを作っていたので森田君のメッセージに気付くのが遅れた。
メッセージを読み終えて時間を確認するともう15時になっていた。
電話をかける。
コール音がしばらくなって、森田君が出たのが分かった。
「もしもし、森田君?」
「おう。携帯みた?」
「うん。ごめん、気付かなくて、今見たんだ。連絡、遅くなっちゃったね。」
「いや、大丈夫。むしろ今、連絡くれてよかったよ。部活が終わって家に帰ったところだから。
…部活では先輩の話でもちきりだった。」
「そう。」
「…。
どうする?今から出ると17時くらいになるけど、金魚、持ってくよ。」
「うん。欲しい。お願いします。
山下公園についたら連絡ちょうだい。もらいに行くから。」
「おう。じゃ、また後で。」
「うん、じゃあね。」
電話を切って身支度をする。くたくただったので、のろのろとしているうちに時間は過ぎる。
支度を終えてほうけていたところに、森田君から携帯に着信があった。
「ついたよ。今日すっげー寒いから、着込んできたほうがいいよ。」
「分かった。
ありがとう。すぐに行くね。」
急いで、温かいダウンを着こみ家をでる。首には今日作ったペンダント。中にはミキにもらった青い石が固定されていた。出来は上々。どうしてだか、肌身離さず持っていた方がいいような気がして、さっそくペンダントにしてみたのだった。私はなぜだか、強迫観念と言ってもいいぐらいの思いにせかされてそれを作った。
せっかくの日曜日があっというまに、暮れようとしている。白い息が大気にとける。夜の足音が聞こえてくるような寂しい夕暮れが空いっぱいに広がっている。冬は嫌だな、心まで寒い。
山下公園はけっこう大きな公園なのだけれど、寒さのせいか人気はなかった。
「カラスも鳴くからかーえろ。」
ふいに、意味なくつぶやいてみる。
見上げれば大きな銀杏の木が風に吹かれてはらはらと黄色のはっぱを落としている。私は両手を広げてくるくる回ってみた。なんだか、素敵な気分。地面に目を転じればはっぱがあちこちに敷き詰められている。まるでそれは黄色のじゅうたんだった。オレンジ色の外灯がほのかに静かな世界を照らし出す。ちょっと、ウキウキして私はスキップをして黄色のじゅうたんを進む。
森田君が赤いベンチに腰掛けているのが分かった。驚かそうと後ろから近づこうとした時、空に何かがチカチカ光るのに気がついた。
何かの音が大きくなって近づいてくるのが分かる。ささいな雑音だったのがやがて、飛行機の離着陸の時のような轟音となって耳に届く。森田君も気付いたようで空を見上げている。
サッカーボール大の流れ星のような球が見える。七色にぱちぱちと燃えて、急激に落下しているようだ。不思議に思って見ていたけれど、それがこっちに向かっているのに気づいた!
やばい!
私はかけだした。
私を追うように、光は方向をかえて向かってくる。
感情を現すように、急激に赤黒い色に変わった。
追いつかれる!
輝く赤い炎が目の前に!
ぶつかる!
足がもつれた。そのせいで、私の体は地面につっぷしたような格好になってしまう。
ダメだ。
光が来る!
手でとっさに頭をかばおうとしたその時、ペンダントが青い光を放った!
その青い光にはじかれるように、炎は起動を変え森田君の方向へ。そのまま、森田君に体当たりしたように見えた。
森田君の手にしていた金魚蜂が割れる音がした。森田君が倒れている。
森田君のそばで炎は勢いよく燃えていた。…燃えるものもないのに、燃えていた。
「森田君!」
私は近寄った。彼はぴくりとも動かない。
こんな時、勝手に意識のない体を動かすとかえってよくないよね。
私は、恐る恐る彼の顔に触れてみた。そして、軽く叩く。
「大丈夫?ねえ、しっかりして!」
「あいてて。」
森田君が後頭部を押さえながら上半身だけを起こした。彼は目の焦点があわず、しばらく視線がさ迷う。
「けがはない?」
私は、森田君の体が燃えていないことにほっとしながら聞いた。彼は頭を左右にふった後、自分の体を触ったり、動かしたりして、けがの具合を確認していた。
「うん。倒れた時に、頭うったぐらい。大丈夫だと思う。」
うわの空のような森田君の声。彼の意識は墜落してきた炎に向けられていた。私も、彼の視線をたどって炎をとらえる。今もぱちぱち燃えていた。けれど、炎の中に影が見える。目をこらしても何かよくわからない。核のような炎の中の影は、次第にふくれて大きくなっているような気がした。
「ねぇ、あれ、何が燃えているの?」
「たぶん、先輩の金魚。金魚に、火の玉が直撃したんだと思う。その衝撃でふっとばされた。」
私たちは顔を見合わせた後、しばらく茫然と肥大化する炎の核を眺めていた。核が大きくなればなるほど、炎は小さくなっていくようだった。
やがてとうとつに、森田君が頭をおさえて、のけぞった。見ると、とてもつらそうな様子。
「どうしたの?森田君?
頭痛いの?ねえ、救急車呼ぶ?」
あわてて、携帯をとりだそうとしていると、私の手を森田君が押さえた。森田君は肩で大きく息をしながらも、強い意志で私の行動を止めた。
「呼ばなくていい。」
一秒か二秒。たったそれだけ。その間に彼は呼吸の乱れを整えた。そして、初めから何事もなかったかのような、涼しい顔になる。私は知らない人を見ているような気がして森田君の変化を眺めていた。
彼は、これまでとうって変わってするどい目つきで炎を凝視している。森田君の目からはすでにとまどいと狼狽の色は消えていた。
森田君のそのするどい瞳は炎のせいか、赤くみえた。
私の背筋が凍る。なんとも嫌な予感にとらわれる。
「ナンバー千十二。」
彼は確かにそうつぶやいたように思う。何を思ったのかつぶやいた次の瞬間には、すばやい動きで起き上がり、私には目もくれず、走り出した!それも全力疾走で!
私は、わけがわからず、彼の背中に声をかけた。
「森田君!待って!どうしたの?ねぇ。森田君ってば!」
けれど、彼は一度も振り返らず、そのまま姿を消した。
私は一人残されたことを強く意識しながら、ゆっくりと炎の方へ振り返る。振り返りたくない気持ちと、怖いものみたさと、二つの感情に揺れながら。
暗さの増した公園の中で、ぼんやりと動く火のかたまりがみえた。それは少しずつ形を成しているようだった。魚の尾びれがみえる。
ああ、やっぱり金魚。そう、金魚だった何かだ。
消えゆく炎の中から、巨大になった何かがずるずるとこちらに向かって動いているのが分かった。
「ひっ。」
私も森田君のように脱兎の如く駆けだそうとした。しかし、私はあまりの恐怖に腰が抜けてしまって、立ちあがることができない。へっぴり腰のまま、ずるずると濡れたような音をたてて何か得たいの知れないものがこちらをうかがっているのを凝視することしかできないでいる。
やがて、くすぶった炎の中から二つの人の手に近いものが現れた。ソレの指と指の間には水かきがみえる。
そして、次には頭部が出てきた!
しかし、ソレは長い髪の毛でおおわれているので顔をみることはできない。
ああ、これはほふく前進だ!
ゆっくりと、煙にまみれながらそれは苦労してこちらへと近づいてくる。右腕と左腕を曲げて、交互に引きながら、苦労して一歩、一歩と。
呆然とみる私と長い髪の毛からかいま見えた二つのするどい目がぶつかった!
「ひっ。」
私は声にならない声をあげていた。それは薄く笑い、ひねたように語りかけた。
「何が、『ひっ』なのよ。ちょっと、頭にくるわね。あなた、私の新しい飼い主なんでしょ!ちゃんと世話しなさいよ。」
危害を加えられることを覚悟していた身にとってはなんとも、拍子ぬけする内容だった。しかし、化け物の飼い主にならざる負えない状況に追い込まれそうな事態は、是が非でも避けたい。そういう意味では、深刻な内容といえる。
「…は?」
私の間の抜けた声がそれのいらいらを増大させたようで、半トーンかん高くなった声が重ねて浴びせられた。
「あんた、この金魚の飼い主なんでしょ。知っているんだから。いいからさっさとこっちにきて手伝いなさい。」
後から考えると、この時の私は恐ろしいと感じる心の許容量を超えて、何も感じなくなってしまった状態に陥っていたのだと思う。
のこのこと、化け物の言うがままにおとなしく、近づいていったのだ。
距離を縮めるにつれて、雨のにおいがたちこめていく気がした。前進運動に疲れたのか、それはうつぶせになったまま動こうとはしていない。まじまじとよくみると、上半身は人間の姿をしていた。
肌は潤っているというのだろうか、なんだかぬるっとしている。透明のジェルがまとわりついているような状態のようだ。腰から先は、うろこにおおわれた尾びれがついている。光源といったら外灯だけの薄暗い夜のはじまりでの中で、濡れたうろこの一枚一枚がきらめいている。
あれ?この生き物みたことあるぞ!
そっか、人魚だ!
へーー。初めてみた。
私は妙に感心して今しがた生まれたばかりのようなその生き物をまじまじと観察する。
いっこうに、救いの手を差し伸べない私に対して怒号が飛んだ。
「おい!コラ!なにを見惚れているの!気持ちは分かるけど。
さっさと行動して!こっちに来なさい。」
怒られて、びくびくしながら私は人魚の目の前にしゃがみこむ。
「何をしたらいいの?」
しゃがみこんだ私の胸で、例のペンダントがすこし揺れた。それを目にしたとたん、人魚は剣のんな目つきに変わった…気がした。なんとなく、気配でそう感じた。
「…。その石、どうしたの?」
「え?友達にもらったんだけど。」
しばらくの沈黙の後、人魚は言った。
「とにかく、時間が惜しい。情報が少なすぎるわ。とりあえず、本来の金魚に戻るから。そうしたら、あなたのねぐらに連れて帰りなさい。」
なんだか、やけに命令口調。そして、そんなことをしてあげる義理は私にはない。
あ、でも元は先輩の人魚だからなぁ。粗末に扱うわけにはいかないのかなぁ。
そんなふうに、ずれたことを考えている間に、人魚はシャンパンの栓を抜く時のようなぽんっという、音を立てて金魚になった。すると、陸に上がった魚と同じように、体全体でぴくぴくしている。私はあわてて金魚鉢をとりに行ったけれど、粉々に割れていた。
どうしよう、なんかめちゃくちゃ苦しそう。
途方にくれて、金魚の元に戻ると、金魚は再度、人魚へと変身していた。
「ちょっと、なんなのよ。息できなかったわよ。死ぬかと思ったじゃないの!」
すごい剣幕に辟易しながら、私はどうにか説明を試みる。
「だって、金魚は魚だもん。水の中じゃないと生きられないんだよ。」
「わー。なんだってそんな七面倒くさいものにおさまるはめに。はぁ。」
彼女?はしばらく葛藤している様子。やがて気持ちをちゃんと切り換えたのだろう、さばさばした声で独り言のようにつぶやいた。
「まぁ、しょうがない。理由はわかったんだから。ちょっと、構成をいじればいいわけだし。」
そして、とうとつにまたぽんっと、金魚へ変身した。今度はまるで何事もなかったかのように、平然と呼吸をしている。そしてすぐさま、また命令するのだった。
「さ、案内しなさい。あなたの寝ぐらへ!」
その声の勢いとは対照的な気分の私の口から溜息がもれる。
私が肩を落として、足をひきずるようにずるずると歩いていると、金魚はまた文句をつけてきた。
「なんなのよ、さっきから。あなた、暗い!暗すぎるわ!
もうちょっと、こうぱーっとした明るさっていうのかしら?そういうの、全面に出して行きましょうよ!」
なんとも、憂鬱の元凶から励まされるという奇妙な事態。私はしら~っとしつつも、怒らせるだけの勇気もなく、無理やり笑顔をつくってみた。
「こんな感じでいいのかな?」
「…。
ああ、その部位の筋肉を微細に動かすことでコミュニケーションをとる文化なわけね。オッケー。
まぁ、オーラ的に少しはましになったからいいんじゃないかしら?」
と、妙にずれたところで許しをいただく。
オーラって、人魚には一体何が見えているんだ??
私は固い笑顔をはりつかせて木枯らしの中、帰路につく。
森田君、どうしちゃったのかな。
人のことなんて考えている場合じゃないのに、ついあの時の尋常ならざる森田君の姿が頭をよぎる。
家に帰ると、家族にばれないように早々と金魚を部屋へ案内する。なんとか、うまく見つからずに、自分の部屋に帰ることができた。
ほっとしたのもつかのま、
「私、知識を供給しなくちゃ。」
人の部屋に入るなり金魚はそうつぶやいて、本棚や机のまわりを元気よく泳いでいる。金魚が空気の中を泳ぐという違和感のあるその様子が、私に居心地の悪い思いをさせる。
だって、変なんだもん。
いや、まてよ。せめて飛んでいると思えば少しは変でもないのかな?うーん。やっぱりおかしい。だって羽がないんだもん。そんなんで飛んでるって思えないしなぁ。
と、どうでもいいことをあれこれ思い悩んでいるうちに、金魚はひれで、勝手に私のパソコンの電源をつけていた。
「ちょっと。何やって…。」
私はいいかけた言葉を途中で見失ってしまった。なぜなら、金魚の頭部からコードらしきものが出てきたからだ。先端にはUSB用の接続部品がついていた。それはそのままゆっくりと伸びていき、見事、パソコンにドッキングした。その直後、金魚は目を白黒させて感電したように震えている。心なしか、体から黒い煙がぷすぷすと出ているようだった。
うーん。何かが焼けるいいにおい。
お・い・し・そ・う!
いやいや。焼けているし!!
私は、控え目に声をかけてみる。
「あの…、大丈夫ですか?」
すると、金魚は静かに言った。
「邪魔しないで。」
そのまま、さきほどよりも激しく震えている。
ああ、なんかもう煙もちょっと激しくなってきた!
とりあえず、火事だけはさけたいのでもう一回、勇気を出して話しかける。
「あの、燃えないで下さいね。」
魚は、さらに感情を含まない機械的な声で答えた。
「燃えることはありませんが、これ以上邪魔をされますと、あなたに何をするか私、自信がありません。」
「ひっ。」
もらした声に慌てて、私は思わず口を両の手で覆ってしまった。その場にいるのも、いたたまれなくなり、忍び足で自室を出、階下に降りることにした。
とりあえず、金魚は放っておくことにする。ちょうど、晩御飯の時刻で、階下のキッチンには家族が集まっていた。私もその輪に加わる。
不思議に思うのだけれど、どんな時でもお腹って、すくものなんだなぁ。私の神経は尋常ならざる状況で太く成長したようだ。
今夜のおかずはハンバーグ!
これを食べている時って、もう本当にとっても幸せ!
父、母、姉、私。家族で囲む素敵な食卓。和やかなひととき。
姉が、首をひねりながら静かに言った。
「おかしいなぁ。今日は絶対焼き魚だと思ったのに。」
私は、心臓がとまりそうになりながら、なにくわぬ顔でハンバーグをつつく。父も姉の言葉にうなずきながら言う。
「あ、お父さんもそう思った。なんか、いいにおいがしたもんなぁ。」
母は鼻をくんくんさせている。
「あら、本当!おかしいわね。におうわ。
お隣さんのお夕食かしら?」
「りさ、さっきから何ハンバーグを刻んでんの?」
姉に言われて自分がハンバーグを跡形もなく粉々にしているのに気づいた。母が心配そうに言う。
「あら、今日のはおいしくなかったかしら?」
「ううん。そんなことない。ちょっと、考えごとしていて…。ごめんなさい。」
そう言って、慌てて粉々になったハンバーグを口にほうばる。もう、味なんかしなかった。
焼き魚とは!
さきほどに比べて、魚が焼けるにおいが強く鼻につくようになってくるのが感じられる。母も父も姉も鼻をくんくんさせている。母は眉をよせていた。
「本当に、すごくにおうわね。」
「隣の換気扇ってどの場所にあったかな。こっちに向いてた?」
姉が首をかしげて言う。
「父さんは、部屋ににおいがつくのは嫌だぞ。もしこれから、こんなことが続くようであれば、ちょっと苦情を言わなきゃならないなぁ。」
「そうね。でもあなた、トラブルだけは、避けてね。」
と、三人が話をするのを、黙って聞くのは生きた心地がしない。私はかきこむようにご飯をつめこんで、不自然にみえないようにそそくさと二階の自分の部屋へさっさと消えようとした。階段を半分のぼったところで、
「ちょっと、りさ!洗い物していきなさい。」
と背後に聞こえた母の声。ぎくりとしながら、
「ごめーーん。明日させて!今日は無理!」
と答えてしまったのは、ちょっと軽率だったのかもしれない。
後から誰かに様子を見に来られたらどうしよう。そう思いつつも、金魚がどうなっているのか、知るほうが先だったので私は足早に階段をのぼる。けれど、部屋の前まできて躊躇する。しばらく煩悶した後、意を決して部屋のドアをおそるおそる開けてみた。
どうか、金魚が丸焼きになっていませんように!
すると、自分の部屋にそぐわないものがそこにいたので、私は見なかったふりをしてゆっくりとドアを閉める。
まさか、ね…。
そう思って、またドアを開ける。
上半身もあらわな、なまめかしい人魚がそこにいた!
あれ?見たことある。鏑木清方の「妖魚」だ!なんで?
それは、確かにそこにいた。絵からそのまま出てきたかのように。それでいて、とてもリアルな姿で。