第3話
ばかなこと考えた自分の頭をこつんとたたいて、ミキに笑顔で言う。
「じゃー、参りますか!」
グランドには、いつもよりはりきっているサッカー部員の姿がみえた。
こんなにギャラリーが多いとそりゃ、テンションもあがるよね。
森田君もしかり。
森田君が、私のとなりにいるミキの姿を見つけたのが分かった。
分りやすいなぁ。
表情に出ているよ、森田君!
きゃーっと、黄色い歓声があがった。
先輩だ!
私はいそいで、グラウンドわきのフェンスにしがみつく。
目は岸田先輩にくぎづけだった。
先輩がボールをキープして走っている。
速い速い。
あっというまに、何人も抜いていく。
まるで風みたい。なんてかっこいいんだろう。
弾丸シュートをゴールネットに勢いよく突き刺した先輩がガッツポーズを決めたら、いっそう大きな黄色い歓声が校庭に響いた。
でも、ふと違和感を覚えた。
私が好きになった先輩とはなんだかちょっと違うみたい。
確かに、先輩なんだけど、前の先輩は赤い炎の様なオーラがあったのに。
今は氷の様。
クールで冴え冴えとした印象を受ける。
人間じゃないような別の生き物。
まさか、ね。
最近寝不足で、きっと頭がおかしいんだと自分の頭を左右にふってみた。
それから、もう一度視線を先輩に戻した時、先輩の瞳がまっすぐにミキをとらえたのが分かった。
二人の視線はしばらくからみついて離れない。
私はゆっくりとミキの瞳を見て、そして先輩の瞳を見た。
不思議と嫉妬は感じなかった。
感じたのは、むしろ恐怖に近い違和感だった!
なぜなら、見つめあっている二人の瞳がぞっとするような恐ろしい青に見えたから!
なんて冷たい青!
えたいの知れない違和感が心の中でどんどんと広がって行くのを感じる。
奈落の底に落ちていくような大きな不安が私をつつむ。
固まったように動けない私の目の前で先輩はふいにミキから視線をそらし、またプレーに戻って行った。
周りの様子を確認しても違和感を感じとった人は私の他にはいないようだった。
そんな私の様子をミキは静かにみている。口もとには不思議な笑みをたたえて。
私は知らず知らずのうちに震えていた。
「寒いの?」
ミキが穏やかに聞いてきたけれど、私はミキと視線を合わせることができない。
「うん。ちょっと。」
私はうそをついた。
私はもう先輩を見ることがでなかった。ただただサッカーボールだけを見つめていた。
違和感はなぜだか、恐怖に変わる。
恐ろしさを感じて体の震えがとまらない。
何がと問われるととても困るのだけど。
もしかしたら、私は本当に頭がおかしくなったのかもしれない。
きっと、寝不足のせいで幻覚を見ただけなんだ。
それに、例え瞳が青くても別に怖いことなんてないはずだよ。
西洋人の瞳は青いじゃないの!
必至で、自分に言い聞かせながらずっとサッカーボールだけを見続ける。
ボールは蹴られて、蹴られて、蹴られて。
蹴られるその度に方向を変え転がって行く。
なんだか、それが己の意思とは関係なく大きな運命の波に翻弄されていく哀れな姿に映った。
どうしてだかそれが自分の姿に重なって見える。
嫌な予感。
とてつもなく嫌な予感。
考えすぎ、考えすぎ。
あれはサッカーボール。
…私じゃない。
けれど、ずっと震えは止まらない。
練習が終わって帰ろうとした時、森田君がこちらに走ってくるのが分かった。
「二ノ宮!
今から、ラーメン食べにいかない?岸田先輩も来るって。
よかったら、久野さんも。」
森田君がきらきらした目で、ミキを見た。
ミキは私を見る。
いつもだったら、絶対行くと言ったはずだが、私は迷った。
ミキはそんな様子を気にするふうでもなく、私に聞く。
「行くんでしょ?」
私は笑顔を貼り付けて答えた。
「うん。
行きたい。」
森田君は笑顔で、
「じゃー、ちょっと待ってて。すぐ荷物を持って先輩と来るから。」
と言って走って行った。
ミキと二人残されて私は初めて二人でいることに居心地の悪さを感じてしまった。
そのことに心が沈む。
ミキが静かに言った。
「りさがうすうす違和感を覚えているのは分かっているわ。」
ミキは笑っていた。
嬉しくてしょうがないというように。
そんな彼女の姿を見るのは初めてで…。
「りさには申し訳ないけど、岸田先輩はあきらめて。」
「どういうこと。」
「彼は私のものになるの。」
彼女は高揚していた。
そうして、はしゃぐように告げた。
「あなたとも、もうすぐお別れね。
楽しかったわ。」
私は、ミキにしがみついた。
彼女の両肩を揺らして言う。
「言っている意味が分からないよ、ミキ。」
ミキは初めて人間らしい表情をした。
ちょっとためらうような困った顔。
「あなたが好きだったわ。
本当に、大好きだったの。
私がいないとあなた、すぐとりつかれてしまうでしょうね。」
そう言って、私を抱き締めた。
それから彼女は突然私の両手を握りしめ、何か念じた様子。
すると私の両手には手品のように青い小さな石が現れた。
何かに似ている。
ああそうか、冷たい青。
さっき怖いと感じた二人の瞳の色だ。
「餞別にあげるわ。気休めにしかならないかもしれないけれど。でも、持っている方がずっとましだと思うから。」
私は半泣きだった。
「ミキ。説明して。」
ミキはまたあの独特な笑顔をみせた。
でも、もう怖いとは思わなかった。
ただ、悲しかった。
「来たわ。」
ミキの視線の先には岸田先輩がいた。
先輩は一人だった。
二人はそのまま、言葉も交わさずに無言で歩いて行く。
「ミキ!」
私が叫ぶと、ミキは振り返った。
「さよなら。」
アルカイック・スマイル。
今この時、彼女の瞳に笑いを感じることができた。
心からの笑顔。
雪がいつのまにかちらちら降っていた。
この寒さの中、二人はそろって薄手の格好をしている。
それは周囲から著しく浮いている。
それでも、ミキはやっぱりきれいだった。
先輩もとてもかっこよかった。
人間離れした美しさ。
恐いくらいの美しさ。
私は、ミキに「さようなら」とは言えなかった。
言いたくなかった。
雪がちらちら降る中で遠ざかる二人の背中を私は見えなくなるまで食い入るようにみつめていた。
「二ノ宮?」
息を切らして森田君がやってきた。
肩で息をしながら、彼は言う。
「あれ?先輩と久野は?
って、二ノ宮泣いているの?え?何?」
あまりに、緊迫感のない森田君の登場に自然と笑みがこぼれた。
「森田君、私たち同時に失恋したみたいよ。」
「え?え?
うそ。え?どういうこと?
先輩と久野?
まじかよ~。」
森田君は大仰にがっくりと頭をかかえて地面にしゃがみこんでしまった。
「あーー。胸が苦しい。
俺も泣きそうだぁ~。」
私もつられてしゃがみこむ。
「あはは。泣いちゃいな~。
泣いちゃいなよ~。」
そういっている間にも私の目からはぽろぽろと涙がこぼれる。
明日には、きっとミキにも先輩にも会えるはずだと、自分にいい聞かせていた。
だけど、なぜだか心のどこかで、もう二人には二度と会えないことを知っていた。
「おっしゃーー。二ノ宮。こういう時は、好きなもの、おもいっきり食べよう!」
「あはは。どうせ、ラーメンとかいうんでしょう。
それじゃ、全然代わり映えしないと思うんだけど。」
「いや、違う。いつもは節約でラーメンの小だから。
今日はやけだ。こうなったら特大の大盛りを食べてやる!
ほら、もう泣くな!
いこうぜ!」
そう言って、森田君は立ち上がると手を差し出した。
私は、笑って森田君の手をとって立ち上がる。
いつのまにか雪が肩に、頭にふりつもっていた。
私は雪をはたきながら、空元気で言う。
「うし、行こう。
でも、ちょっと待って!」
私は手に残ったミキの置き土産をしっかりと握りなおし、なくさないように、大事にカバンの中にしまった。
どんな一日も終わる。
そして明けない夜はない。そう信じたい。
私は、ふとんの中でおびえていた。
今夜の夢。今日こそ私はあの蜘蛛に食われるのだろうか。
手の中には、ミキの残した石。
青い、青い、凍えるように冷たい石。
ミキ。
岸田先輩。
一体、何がどうなっているんだろう。
昨日までは普通だったのに。
涙で視界がぼやけてくる。
そういや、ラーメンおいしかったなぁ。
森田君ってば、かまずに食べるんだから。
あれじゃ、体に絶対よくないよね。
ふふふ。と、笑みがこぼれる。
支離減裂なことばかり考えてしまう。
思考はもう飽和状態だった。
ああ、どうしよう、嫌だ。
瞼が重くなってくる。
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目ざましがけたたましく鳴って、朝をつげる。
私は、朝が来たことに、ほっとする。
昨夜の夢。ひどいものだった。
最悪だった!
夜中に目を覚ましてから、結局眠ることができなかった。
悪夢をふりはらう様に、頭を左右にふる。それでも生々しいあの夢はしっかりとこびりついて頭から離れようとはしない。
軽く、ため息を一つついて起き上がる。
朝がきた。そう、また一日が始まるんだ。ふらふらと、準備をしていく。何も考えなくても決まった手順で支度がすんでいく。
機械的な動作はいい。頭をからっぽにしていてもできるから。
いつものように、家を出る。見上げた霜月の空は寒々とした灰色で、綿雪がふわふわと空を漂いながら落ちてくる。綿雪を顔で、一つ、また一つと受け止めた後、私は自転車に乗ってこぎだした。
登校して、私は、先輩の失踪の噂と、ミキの急病による長期休学を知った。
みんな先輩の話でもちきりだった。…そして興味本位に好きなことを言っていた。
予感が現実としてそこにあった。嫌だった。信じたくなかった。
私は、気分が悪くなっていく。
昨夜の夢はきっとただの夢だ。きっとそうだ。
「二ノ宮、大丈夫か?」
森田君が心配そうに声をかけてきた。
「…うん。大丈夫だよ。」
「でも、顔色悪いぞ。早退したほうがいいんじゃないか?」
「うん。ちょっと、ここ最近寝てなくて。」
「そう。」
森田君はいつものように、隣の机に腰掛けて両足をぷらぷらさせている。
「なぁ。」
森田君は言いにくそうに切り出した。
「おまえ、何か知っているんじゃないか?」
「え?」
私は血の気が引いて行くのが自分でも分かった。震える声できき返す。
「なんの話?」
森田君はじれったそうに言う。
「岸田先輩と久野のことだよ。
だって、おかしいだろ?昨日の今日だぜ?
どうだったんだ?別れ際の二人の様子は。」
私は下を向いたまま答える。
「どうだって聞かれても。別に。
二人で帰ってたよ。」
「それも、おかしくないか?」
「何で。」
「だって、突然二人がそんな仲になるなんて。久野のクールな感じを知っているだけに、よく考えるとおかしいなって思って。」
私は本当に頭が痛くなってきた。
「そんなの、私に言われたってわかんないよ。二人が一緒に帰ったのは事実なんだから!」
私は気づくと大きな声を出していた。森田君は驚いた顔をして、唖然としている。
「ごめん。頭痛い。ちょっと、保健室に行ってくる。」
私は、森田君の返事も聞かず、教室を飛び出した。ああ、頭がくらくらする。朦朧とする意識で保健室についた。
誰もいない。ストーブがあって温かい。私は、ベットに倒れこんだ。世界がぐらぐらゆがんでいく。
岸田先輩。ミキ。本当に、一体どこに行ってしまったの?何が起こっているの?
私の重たいまぶたが自然に閉じて行く。私は願った。
どうか、お願い。悪夢はもう見たくないの!
けれど、私の願いに反して睡魔は悪夢をつれてくる。