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第2話

目ざましが、ようやく手に入れた心地よい眠りをじゃまする。




嫌だ。もう少し。目覚めたくない。




「りさ、起きなさい。今日は絶対に起こすようにって、あなたが言ったのよ!」


母の声とともに、いっきに覚醒する。


そうだ、今日は大事な日だ。だって、やっと先輩に会えるんだもん。お味噌汁のいい匂いが階下からする。


食べる時間はあるかしら?


ちらっと時計を見るともう七時になろうとしていた!


いけない。朝補修の時間に間に合わない。


今日の時間割りを確認し、教材をカバンにつめていく。


そんな様子を私の部屋の入口で見ていた母はお決まりの小言を口にする。


「どうして、昨日のうちに準備していないの。だらしないんだから。


なんでも後からはよくないっていつも言っているでしょう!」


焦っている時にそんなことを言われると余計に腹が立つ。


「うるさい!邪魔しないで!」


逆ぎれしながら、きっと母をにらみつける。


母は首をかしげてやれやれといった感じで階下へ降りていった。


どたばたと準備をして、自転車を勢いよくこいで行く。


髪をさっととかしただけじゃ、寝ぐせはきちんとなおらないけど、そんなことに今はかまっていられない。


季節は冬。


もう十一月も終 わろうとしていた。


玄関を出てその寒さに一瞬ひるむも、勢いよく自転車にカバンを放り込む。


冷たい空気を吸うとのどがひりつくように痛い。どうも調子がよくないみたい。


自転車をこげばこぐほど呼吸器官が悲鳴をあげる。


時間が迫っているので、そんなことには気付かないふりして必死で急ぐ。


私の高校は丘の上に立っている。


自転車でてっぺんまで登る毎朝の苦行。


なんでこんな所にわざわざ学校を建てたんだと思いつつ、最後の難所をつきすすむ。


坂の上まで立ちこぎをして、校門へすべりこんだ。なんとかぎりぎりセーフ。


親友のミキにそんな姿を見られたら一大事。


「立ちこぎなんて、女の子のすることじゃないわ」って、優しくたしなめられるんだから。


髪はすっかりあちこち乱れているんだろうな。


苦笑しながら手ぐしで整える。


のどがやっぱり痛む。鉄の味がして嫌な感じだ。


寒い日に全力で何かをすると必ずこうなってしまう。オリンピック選手はそんなことないのかな。


やれやれ。朝から疲労困憊。遅刻せずにすんだことにほっとひとつ安堵のため息をつく。心に余裕が出てくると、母に逆切れしたことに対して、ふつふつと罪悪感が湧き上がってきた。




だめだなぁ、私。




げた箱で上靴に履き替えていると、ちょうど担任教師がやってきて、教科書で軽く頭をこつ かれた。後藤田先生はいつも青色ジャージの上下。


ちゃんとした大人なんだから、身なりはきっちりしてほしいものだなぁ。


と、自分のことは棚上げにしてつい思ってしまう。


先生だって、まだ若いんだから、スーツを着ればそれなりに決まるのになぁ。もったいない。


「二ノ宮、見たぞ。おまえ、ローソンの前の交差点で信号無視しただろう。」


「あれ?そうでしたっけ。」


「あんな運転したら命がいくらあっても足りんぞ。


気をつけなさい。」


「はーい。気をつけます。」


片手をあげて、満面の笑みで答える。


先生は苦笑して溜息をつく。


「おまえは、反省の色がみえんなぁ。


やれやれ。」


そう言って、ぼさぼさの頭をかきながらサンダルをぺたんぺたんとさせて歩いて行った。


私はぺろっと舌を出す。


不潔なことをのぞくと、いい先生なんだけどな。


あのジャージ、どのくらい洗たくされていないんだろうか。


変なにおいはしないけど。


…あれじゃ、彼女いないんだろうなぁ。


って先生っていくつなんだっけ?


と、どうでもいいことを考えていると声をかけられた。


「おはよう。りさ。」


鈴音のような美しい声。


振り返ると、すき通るような白い肌が、朝日に輝いてまぶしい美少女がいた。


親友のミキだ。起きぬけに来た私とは違い、ミキの身なりはいつものようにきっちりとしている。彼女のまつ毛はとても長く、色っぽい。印象的なすんだ黒い瞳は不思議な魅力をはらんでる。


同性の私から見ても、どきっとする瞬間があるくらい魅惑的な瞳。


漆黒なはずなのに、時に青くみえたりする。とても神秘的な美しさ。


ぱっとしない自分にできた学校で一番の美人の親友。


たまたま席が前後だったのが仲良くなったきっかけだけど…。


今でも彼女の親友が私なんかでいいのか不安だ。完全に釣り合っていない自覚があるから。


美しすぎて、時々彼女が人間離れをしていると感じる時がある。


私の気のせいかもしれないけど。


親友とは、どれくらいの距離を置いてつきあうものなのだろう。


私は、この美しすぎる親友との距離をどんなふうにとったらいいのか分からない。


彼女と知り合うまではそんなことを考えたこともなかった。見た目や価値観が同じようなレベルの友達としか付き合ってこなかったから。


あけっぴろげな性格の私とは違って、彼女は心の奥底までは見せてくれない。


そんな時、ミキがどこかとても遠いところにいるように感じる時がある。うまくは言えないけれど、そんな時私はとても寂しくなるのだ。


私には上等すぎる大好きな親友を理解したいと思っているから。


「時間には、神経質なのにぎりぎりに来るなんてめずらしいわね。」


ミキの透き通る声が軽やかに響く。


「それがねぇ。最近寝不足なんだ~。」


首をかしげ、ミキが私の額に手をあてる。


「具合でも悪いの?」


「そんなことはないんだけど、夢見が悪くて。」


答えながら、ぞっとするほど冷たいミキの手に驚く。


「ミキこそ、手がめちゃくちゃ冷たいよ。大丈夫?」


思わずミキの手を握るとすっとはずされてしまった。


「ああ、平気。いつものことなの。


どんな夢?りさの好きな食べ物が目の前に並んでいるのに全部食べきれないとか?」


「あ、ひどい。


そんな夢だったら、もう本望なんだけれど。


なんかね。得体のしれない視線を感じる夢なんだよね。」


「それは、嫌ね。変な人に付きまとわれたりしているの?」


「いや~。それはないよ。


だけどなんでなんだろうな~。気持ち悪くて嫌なんだよね~。」


そう言って笑ってみせたけれど、ひきつった表情になっていたかもしれない。




ここ数日、嫌な夢をみている。


とてもリアルな夢を。


しかも、それは断片的なものではない。寝る度に更新されていく。


夢の中でも私は日常を過ごしている。


学校に行って、帰って、宿題して、テレビみて、また学校に行ってというように。


夢と現実との間にある違いはまとわりつく気配。


最初は不穏な予感を感じるだけだった。背筋が凍るような、まるで知らない誰かに観察されているような違和感を。


だって背中がぴりぴりしているんだ。目を閉じても鼻先に手をあてると、触ってもいないのにそこに何かがあるのを感じとることができるように。


危険だと、何かが激しくうったえる感覚が夢を重ねるごとに強くなっていく。


わけのわからない焦燥。恐怖のあまりに夜中に目を何度も覚ます。冬というのにぐっしょりと汗をかいて。




そして遂にある夜、突然あいつは姿を現した。




巨大な黒い影。




私の寝室にはベランダにつながる引き戸があって、寝る時はカーテンをしめているのだが、ある時そこに巨大な影が現れた。シルエットだけでおぞましいものだとわかる奇形。


遂に現れたかと思った。


それから、数日の間その影は全く私に近づこうとせずに、じっと同じ場所でたたずんだまま、こちらをじらす。嫌な緊張の続く夜が続いた。私の恐怖を楽しんでいるかのようにも見える。


影の大きさだけだと5メートルぐらいあるんじゃないだろうか。実像は分からない。見えない分、恐怖が増す。私は影と対峙する緊張と恐怖で何度も目を覚ます。




そして、昨日、遂にアレは部屋に押し入ってきた!




ばりばりといとも簡単にドアを破壊し室内に入ってきたのだ!




私は部屋の端へあとずさりながらまじまじとその姿を眺める。




グロテスク。




その一言につきる。


黄色と赤の筋が同体部分に縦にのびて、いく筋もの鮮やかな色彩を放っているのが分かった。夜のにぶい月明かりがなめらかな黒い肌にサテンのような光沢をあたえる。みいっているうちに、やつのくさい呼気が部屋中を生温かくしていく。体の縦じまと真っ赤なルビーの様に輝くいくつもの瞳が私にじわじわとせまる。


たくさんの足の緩慢なる動き。


移動するさいの耳障りな音。


細部の様子までしっかりとわかるのが嫌だった。リアルでいっそう恐ろしいから。




現れたのは巨大な蜘蛛だった。


夢だからだろうか、やつの心が手に取るように分かってしまう。


獲物を前にした興奮、高揚感。


そして、どういたぶろうかとほそくえむ思い。


こちらの恐怖を煽って楽しむ様がひしひしと伝わってきて、それが身の毛もよだつ恐怖となる。


恐ろしさのあまり目が覚めても、しばらくどちらが現実なのか分からない。


どちらも同じ私の寝室で、夢があまりにもリアルだから。


自分の荒い息遣いだけが静かな部屋で音をたてていた。


やっと、恐怖の元凶を理解することができた。どういうわけか敵の正体を知った今、そのことにすこしほっとしている自分がいるのに驚く。


度重なる睡眠不足で、我ながらやつれているなと自嘲する。




だけど、問題は今夜だ!




ついに、姿を現した化け物。


私はやつにどうされるんだろうか。


やっぱり、最終的には食われるんだろうか。




ぞくっと寒気がして、私は両腕を交差して自分を抱きしめる。




「ほら、何ぼーっとしているの。


時間、ぎりぎりなんだから、そろそろ教室に行きましょう。」


はっと我に返ると、美しすぎる親友がほほえんでいた。




私は自分のことでいっぱいいっぱいだったので、つかのま観察するような冷たい視線を送っていたミキの姿を知ることはなかった。


「先輩、今日来るの知ってるよな?」




にやにやしながら、クラスメイトの森田君が話しかけてきた。


森田君は背が小さくて、えくぼのかわいい男の子だ。


小柄ながら足が速くサッカー部ではエースストライカーと言われているらしい。


それがどう凄いものなのかよく分らないけれど、本人がよく自慢するので、きっととてつもなく凄いことなのだろう。


「なぁ、なぁ、久野は?今日はあんまり見かけないけど。」


森田君はきょろきょろしながら言った。


久野はミキの名字だ。


「はは。森田君ってば。


いくらなんでも、クラスが違うんだから休み時間の度に来るわけないじゃない。」


「まぁ、そりゃ、そうなんだけどさ。


久野って、友達おまえしかいないじゃん。だからよく来るイメージ。」


「そうでもないよ。


あの子って可憐にみえるけど、孤高の人なんだから。」


「そっか。」


森田君が私の隣の席の机に座り足をぶらぶらさせる。


森田君と私はたぶん、性格が似ているんだ。馬があう。




最近、私達は二人で、『片思い同盟』というものを結成したばかりだ。




「先輩、推薦の一次合格したらしいよ。」


森田君がとっておきの情報を得意げに教えてくれた。


「まじで。はぁ。すごいな。


あとは面接だけだから、もう受かったも同然だよね。


K大かぁ。


私の学力じゃ、到底無理だなぁ。」




「はは。


まぁ、そう言うなって。まだ卒業まであとちょっとあるじゃん。


先輩、今日部活の練習に参加するらしいから、また練習観にくれば?」


「まじで!やった!絶対行く行く。


森田君の為にミキを誘ってみるよ。」


そう言って、Vサインを出すと、森田君はちょっと照れてぼそっと言った。


「…よろしく。」


あーあ。森田君。


はりきっていいところ見せようとするんだろうな。


かわいいな。


でも、森田君はいいよなぁ。


いいところをミキにみせることができるんだから。


私は、大勢の先輩のファンに埋もれてしまって、先輩に存在すら覚えてもらえない。




先輩。


先輩。


先輩。





はぁ。




私はもんもんとして、一人首を左右に振った。


岸田俊先輩はサッカー部所属で非常に人気のあるスター選手だ。


だけどサッカーのルールって、いまいちわからない。


でも、観ていて先輩がすごいのは分かる。


先輩はどこにいても目立つ。プレイ中の動きが他の人とは全然違う。まるで先輩だけが異なる次元にいるみたい。


速いし、美しい。


躍動している姿は、女の子たちの憧れの的。


今日、久々に先輩のそんな姿が観られるんだと思うと私はうきうきして、楽しくなってきた。


でも、私が先輩を好きになったのはサッカーのプレイを観たからじゃない。


夏の夕暮れに偶然、沈む太陽のそれでも強い光のまぶしさに、先輩が顔をしかめたところをみてしまったからだ。


ミキには、


「顔をしかめたところを好きなになったの?マニアック」


って言われたけれど。


本当にすごく印象的だったのだ。


あの夕日に照らされた美しい横顔がとても。


男の人なのに「きれい」と、思わず見とれてしまうほどに。


たったそれだけのことなんだけど、あの一瞬で私は恋に落ちた。


そして、あの時の先輩の姿は今も私の心に焼き付いて離れない。


言葉も交わしたことがないのに、不思議。


人って簡単に恋に落ちるものなんだぁ。


あとで、彼が有名な岸田先輩だと知って私はとても落胆した。


だって、誰もが憧れるとうてい手の届かない存在なんだもん。


森田君にふと気になって聞いてみた。


「ミキのどこが好きになったの?」


森田君は真っ赤になってせき込んだ。


「まいったな。」


といいながら、ちょっと言葉をさがしている様子。


私は、当然ミキの美しい容姿に惹かれたのだと思った。


でも森田君は意外なことを言った。




「孤独なところかな。」


「孤独?」


「うん。なんだか、久野って無関心な感じだろ、何にでも。


もっと、きちんと笑ったところを見たいって思ったんだ。」


「きちんと?」


「そう。きちんとほほ笑むことってないだろう。口を笑顔の形にはするけど。」


「え?


そうかな。」


「そうだよ。」


森田君は悲しそうにほほえんだ。




私は、ちょっと動揺した。


私は、彼女の親友だと自負しているのに、彼女の何を見ていたんだろう、と。


本当に、彼女は心から笑っていないのだろうか。


それとも、モナリザと一緒であの微笑は見る人によって与える印象が違うというだけのことなのだろうか。


ふいに、自分の見ている世界と人の見ている世界の違いにどきどきした。


私の尺度と森田君の尺度。価値観や物の見方によって感じる世界の違い。


きっと、違って当然なんだ。


当然なことなんだけれど、とてもどきどきした。


「今日、先輩がサッカーの練習に参加するんだって。放課後時間があったら、観にいかない?」


そう言って、ミキを誘ったら、二つ返事でつきあってくれることになった。


こんなこともあろうかと、カバンにいつもホッカイロをたくさんつめこんできているのだ。


「ミキも貼らない?あったかいよ?」


放課後、ガランとなって静かになった教室でホッカイロをお腹と背中に貼りながら、ミキに尋ねた。


「私、そういうのは体に合わないんだ。


ありがとう。いらない。」


「そう?でも、外って今日絶対に、すっごい寒いよ?


もし、寒さに耐えられなくなったら、帰ってもいいからね。」


「そうね。」


彼女はあいまいに答える。


私は体育用のジャージを制服の下にきこんだ。


「ちょっと、好きな人を観に行くのよね?」


「そうだよ?」


きょとんとして言うと。


ミキがため息をついて言った。


「いくら、寒いからと言って、それは好きな人に会いに行く格好じゃないわ。」


「そうかな。」


きぶくれして、ぱんぱんになった己を見返してみる。




うん。確かにそうかも。


これは、ちょっといただけないかも…。




「でも、きっとギャラリーが今日はかなり多いはず!


先輩がその中から私を見い出すことなんてないから、大丈夫よ!」


「そう?そういう問題なの?


まぁ、りさらしくていっか。」


「そうそう。」


さらに、オーバーを着て、手袋に、マフラーを装着。


そして、オーバーの両ポケットにそれぞれ小さな持ち運びようのホッカイロを入れるとついに私の完全なる防寒が完成した!


いっぽう、制服のセーラーにカーディガンもしていないミキの姿は私とはとても対象的だった。


見ているだけで、首筋が寒い。


「ねぇ。本当にそれで平気?グラウンドって吹きっさらしでめちゃくちゃ寒いよ?」


ミキは口の両端をわずかにあげて言った。


「大丈夫よ。寒いほうが好きなの。」


「そう。」




アルカイック・スマイル。




森田君がきちんとほほ笑んでいないと感じた微笑。


心なしか、彼女の瞳は笑っていないように見えた。





ぞくりとした。

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