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1.あとさき

 むしていた。

 今朝、春のさきがけのような涼しさのなか目が覚めた時には、一欠けらの想像もしていなかった。

 灯りとなる物は、まばらに生えているヒカリキノコくらいで、暗い影の奥からは湿った空気と据えた気持ちの悪い臭いが漂ってくる。


 後ろを振り返る。


 古くカビの生えたレンガで作られたここは、街中に張り巡らされた暗渠の中だ。


 少しぬめったレンガの上を、ボクはいったいどのくらいの時間歩いただろうか。

 閉じ込められたのがお昼をしばらく過ぎた頃だったし、お腹の空き具合からして、日はとっくに落ちているに違いない。

 もちろん食べるものはない。

 溜まっていくのは不安と疲労だけだった。


 こんな惨めで怖い思いをしているのも、ドリルとその取り巻き達の仕業だった。


 ちょうどお昼の鐘が鳴ったころ、ドリル達はいつものにやけた顔でボクのところに現れた。

 そして連れてこられたのは街の外。

 そこは下水道の入り口で、探検をするから人手として着いてこい。

 というのがその理由だった。


 もちろん、怖いものが苦手なボクはそれを断ったけれど、ドリルがボクの話を聞いてくれるわけもなく…。

 結局、ボクは彼らに連れられて、大きな口を開けた暗渠に入っていった。


 蜘蛛の巣のように無限に広がる暗渠を、ドリル達はあちらへこちらへ、もと来た道へ戻れるのか不安になるくらいに分かれ道を進んで行った。


 何本か道を曲がると、辺りを照らすのはドリルの持つ松明の灯りしかなくなった。

 それでも平気で進んで行く彼らに、ボクは遅れて着いていく。


 彼らはよくボクを虐めてくる。

 しかしそんな彼らも、いつでも意地悪をしてくるというわけではない。

 普段は仕事を紹介してくれたり、食べ物をくれたり。

 ボクを含めた孤児の仲間たちからは、一目置かれていた。


 なので、こんな暗闇でもスイスイ進んで行く彼らの事が、今だけは頼もしかった。

 しかしそんな折、先を歩いていたドリル達がふと立ち止まり、きょろきょろと辺りを伺いだした。


「ど、どうしたのドリル」


 おそるおそる聞いてみると、どうやら足元に生えていたヒカリキノコが気になっているらしい。

 その近辺をうろうろしながら、何かを探しているらしかった。


「ちょっと待ってろ」


 何度も壁をコツコツ蹴りながら、ヒカリキノコのある辺りを満遍なく探索していたドリルが、あるところで立ち止まってガサゴソやり始める。


 ゴトリと重苦しい音がしたかと思うと、ドリルは引き戸の要領で壁を動かし始めた。


 そこに現れたのは、暗渠と繋がる真っ暗闇の下水道だった。


「……」


 ドリルはいつになく鋭い目でボクを見た後、手下のウィニス達に目配せをした。

 ボクは抗う間もなく拘束され、あらたに現れた下水道へ押し込まれ、起き上がった時には、すでに壁は塞がれてしまった後だった。

 

 壁の向こうからは、ドリルの下品な笑い声が聞こえてくる。


「ドリル!!ねえ!出してよ!なんでこんなことするの!」


 壁を叩き訴えてみるが、扉が開く気配はない。


「おいラクニィド、聞こえてるか」

「き、聞こえるよぉ!だから早く出して!」


 懇願してみる。

 が、どうやらドリルにはボクをここから出す気はさらさら無いようだった。

 そして普段は聞かない、荒っぽい声でこう告げられた。


「てめえ、こないだ他所の連中に、俺の配った食い物を流したらしいじゃねえか」


 他所の連中、というのはこの城下にいくつもある孤児のグループのことだろうか。

 たまに縄張りが被ってトラブルを起こすと聞いたことがある。

 ボクはそのあたりの慣例をよく知らないから、今まで気にも留めなかったが、どうやらドリルの気に食わないことを働いてしまったのだろうと察しがついた。


 言われて思い当たるのは、数日前にケガで動けなくなっていた小さな子供に、パンを譲ったことくらいだった。


「それは、あの子がケガしててお腹も空いたって言ってたから…!」

「理由なんてどうだっていい。俺等が稼いできた飯を、無断で他所の人間に流すなんて恩知らずは、許しちゃおけねえ」


 原因はどうやらそれで間違いないらしかった。


「でも…、だって」

「だがまあ。うすのろなお前も、俺等にとっちゃ大事な労働力だ。だからチャンス、というかお仕置きだな」


 とにかくこの真っ暗闇から逃れたかった。

 そして、ここでドリルに嫌われてはダメだと思った。

 ここから出られないことだけじゃない。

 仕事や食料をこれから分けてもらえなくなる。そう思ったのだ。

 

「ごめんなさい!これからは気を付けるから!」

「うるせえ!黙って聞いてろ!次デカい声でしゃべったら、てめえは一生この中だ!」


 その脅しは、ボクには効果てきめんだった。

 一瞬にして大人しくなったボクに満足したのか、ドリルはまた元の調子でしゃべり始める。


「お前の面倒はもう見ねえ。本当ならな。だが、ウィ二スがチャンスをやろうってんでここに連れてきた。俺たちの稼ぎを流す奴なんて、ここでネズミに食われてくたばっちまえと思ってるが、お前がここから自力で出てこられたら、許してやる」

「そんな…、灯りもないのにどうやって!お願いだから置いていかないで…!」


 返事はなく、しばらくの間その場で動けなかった。

 暗闇に目が慣れ、遠くで淡く光るヒカリキノコを見ると、選択の余地はないと悟ったボクはキノコを目印に歩き始めた。


 それから数時間。

 時間を知らせる鐘の音も聞こえないので、正確には分からないが、おそらく日は落ちている。


 そういえば下水道までは鐘の音が聞こえないんだなと、ふと思った。

 考えてみれば、人の喧騒や馬車の行き交う音。

 聞こえてきてもよさそうなものが、一切聞こえてこない。

 歩き始めてから今の今までひとつもだ。


 ため息が漏れる。

 と、その静寂のせいか、思いのほかため息が大きく聞こえる。

 後悔のため息だった。


 でも一体なんの後悔なんだろうか。

 知らない子供にパンを譲った後悔だろうか。

 それともいつの間にかドリル達の世話になって、こんな苦労を強いられている事にだろうか。

 はっきりとは分からなかった。


 いい加減据えた臭いにも慣れ、暗闇にも慣れてきたのか、心に少しばかりの余裕ができて、余計なことを考え始めてしまった。

 それと相まって、ずっと歩き続けてきた足も限界に近づいてきていることに気が付いた。


「んっ、くふぅ。随分…歩いたなあ」


 それでもやっぱり、闇の中でひとりというのは心細い。

 わざとらしく声を出して、どっこらしょと壁を背にして座ってみる。


 しかし、この声を出したのがいけなかった。

 一瞬にして、心細さがぞわぞわと心を覆い、せっかく慣れてきた暗闇がまた牙を剝き始める。


 なんとか正気を保とうと、じっとヒカリキノコを眺めるが、背筋のぞわぞわは中々消えてくれなかった。

 そしてまた小さく、後悔のため息が出た。


 その時だった。

 ゴゴゴゴゴ、と暗闇の奥から重い地響きが聞こえてきたかと思うと、瞬く間に地面が震えだし、砂埃が舞い始める。


「ヒェィィィィッ」


 恐怖のあまり、なんとも情けない声で叫んでしまう。

 だって仕方ないじゃないか。

 こんな暗闇で、しかも巨大な揺れと地鳴りで恐怖心を掻き立てられたら誰だって縮こまるに決まってる。

 ぴたりと壁に着けてある背中の安心感だけが、救いと言えば唯一の救いだった。

 しかし。


 ガコンッ


 という不吉な音と同時に、背中を預けていたレンガの壁は無くなり、ボクは声にならない悲鳴と共に、更なる暗闇へと落ちていった。



---------



 バルコニーに伸びる影はまだ短い。

 城下に広がる街の活気は一段落し、そこかしこを行き交っていた荷馬車も数を減らして、薄茶色い幌がまばらに見えるだけになっていた。


 あたしは腰に手を当てて、ふんぞり返るように眼下を眺めていた。

 別に威張りたいとか、民草に喧嘩を売りたいだとか、そういった意味はない。

 だがこの光景を見ていると、どうも腰に手を当てて胸を張りたくなるのだ。

 それがとても心地良く。

 紫がかった自分の黒い髪をなびかせる淡い風も、あたしは心底気に入っていた。


「アスカ様、お食事の用意が出来て御座います」


 深く険しい山を背後に建つこの城の一番上、王の間よりも高い位置に作られたこの部屋は、きっと他人には誇れない目的で作られているのだろう。

 壁や天井にネジを留めた跡や、部屋に続く無駄に長い螺旋階段、他人を遠ざけておきたい造りなのは間違いなかった。

 だからだろうか、小さいころから、ここには近づいてはいけないと口酸っぱく言われてきた。


 しかし、そんなことは気にしない。

 あたしは高いところが好きだし、自分の行きたいところへ行くのが好きだった。

 侍女もそのことを分かってくれているのか、10歳を過ぎたころからそのことについて小言を言わなくなった。


「本日は国王陛下もいらしておいでです。お待たせしてはいけませんので、ご準備を」


 その一言で、あたしの心はぱっと明るくなった。

 もちろん、今まで暗しく沈んでいたなんてことはないが、公務に忙しく、各地を駆け回ることの増えた最近では、御父様と食事を共にする機会も減ってしまった。


 階段を駆け下りるあたしに、侍女は追いかけながら小言を叫ぶが、忠告を無視して自室へ急ぐ。

 侍女の到着を待たず、クローゼットの中からそこそこ見栄えのするドレスを手にすると、着ていた服を脱ぎ捨ててちゃきちゃきとドレスに身を包む。


「アスカ様!いつもそうやって乱雑に扱って!」


 息を切らせながら追いついてきた侍女に背を向ける。

 侍女は、脱ぎ散らかした服をてきぱきまとめながら、向けた背中のドレスを締めてくれた。


 小さなころから世話になっている侍女だけに、彼女は無言の要求にも思うように応えてくれる。


 食堂へ入ると、すでに御父様は席に着いていた。

 数ヵ月前に見た時より少し瘦せて見える。

 心配になったが、それよりも久しぶりの御父様の顔を見られて、あたしは嬉しくなって駆けだしてしまった。


「御父様!お帰りなさいませ!御公務お疲れ様でした!」

「おお、アスカ。しばらく見ないうちにまた綺麗になって。背も少し伸びたか」


 もうすぐ12歳だが、数ヵ月で見違えるほど背は伸びていない。

 しかし褒められて悪い気はしないので、素直に受け取っておく。


「育ち盛りですもの。出掛けてばかりいると、あたしの成長見逃しちゃうんだから!」

「はっはっは、そうだなすまん」


 御父様はそっとあたしの頭を撫でてくれる。


「さあ、せっかくの料理が冷めてしまう。早く席に着きなさい」


 食堂に入った時には、御父様の顔を見て嬉しさのあまり気が付かなかったが、他の席にはすでにお兄様や妹が座り食事の準備を済ませている。


 会食中、御父様の留守の間にああだった、こうだったと、家族の会話は途切れることがなかった。

 お兄様の告げ口で、勉学をサボって遊んでいたことがバレてしまったが、御父様は叱ることなく笑ってくれた。

 もちろん最後にはお小言を貰ったが、そんなことは気にならなかったし、御父様も気にしていなかった。


「父上も甘い。せめて最低限の教養でもあれば」


 とは、次兄の言葉だ。


「アスカももう12になります。嫁がせた時にこのままじゃ王家の恥だ」

「まあそう言うなユリフォス。必要とあらば、アスカも自然と身に着ける」


 御父様。それはあたしに教養がないとおっしゃるのでしょうか。


「今日明日とは申しませんが、この年になってもまだ他家から見合いのひとつも声が掛からないのは…」


 流石にそこまで言われると淑女の沽券に関わる。

 そう思いフォークを置いた。


「ユリフォス兄だって男の甲斐性ないくせいに」


 次兄のユリフォスは今年22になり、すでに婚約者もいる。

 しかし、婚約が成って早2年。

 その婚約者、アミから色々と話は聞いている。


「なっ、お前!」


 ぱっと顔を赤くしたユリフォスは見るからに動揺していた。


「これアスカ、食事の席でそういった話はよさないか」


 御父様の一喝で、ひとまず喧嘩には発展しなかったが、今後どう仕返ししてやろうか。

 あたしは満足していなかった。

 女を貶したユリフォスに、あたしは復讐の機会を誓ったのだった。


 食事も終わり、御父様も公務に戻っていった。

 そうするとまた暇な時間が訪れてしまった。

 幸いなことに、今日はハヤネール先生の授業もない。

 また城のてっぺんに上って城下を見下ろしてもいいが、それではあまりにも一日がつまらない。


 誰かを誘って剣でも振り回して遊びたかったが、あいにく今日は誘えそうな相手は城内にいない。

 今までなら、ご機嫌取りに訪れる王侯貴族の諸氏に着いて来た、年頃の男達を相手にブンブンやっていたところだ。

 だが、御父様が忙しく城外へも公務で出かけ始めた頃から、この城への来客もずいぶん減ったし、城に常駐している兵士に剣の相手をお願いしようものなら、仕事の邪魔をするなと兵士長に怒られる。

 城に人は多くとも、遊び相手になってくれる相手は少なかった。


 長兄のクラウス、次兄のユリフォスも、御父様程ではないにしろ城を空ける機会は多い。

 戦争の話は耳にしていないが、どこそこで小競り合いが…なんて話はあたしも耳にしている。

 世界を束ねるこのバタラニティ王国も、そういった動きに対応しなくてはならないのだ。


「にしても暇だ…」


 何をしようか考えながら歩いていると、ついには中庭にまで来てしまった。

 後ろからは、距離を保ちつつ侍女のクレマンティーヌが着いてくる。


「クレア」

「何でございましょう」

「暇だし、街へ出ましょうよ」


 クレマンティーヌはキッと鋭く目を光らせる。


「いけません」

「ハァ…」


 分かっていた。

 彼女が10年近くもの長い付き合いのうち、いちどとしてこの我がままを聞いてくれたことはなかった。

 あたし達王族が街へ出られるのは、年に一度の豊穣祭りと国立記念日のお祭りくらい。

 18で成人するその時まで、バタラニティ王家の人間は自由に城外へは出られないのだ。


 その身を、事故拉致賊心などから守る為とは言え、閉じ込められるこちらとしては窮屈でしかたがない。

 その為、御父様はあたしがお稽古事より剣を振り回している時間が長くても、大目に見てくれているのだ。と思う。

 御父様自身も、きっと幼いころに窮屈な思いを体験したのだ。と思う。

 閉じられた城門の内側で、せめて自由にのびのびと子供に育ってほしいと思っているのだ。と思う。


 だからあたしは、あたしの思うようにさせてもらっている。

 クレマンティーヌも、彼女の目の届く範囲、決められたことの範囲内ではあたしの自由にさせてくれていた。


 がしかし、それでも暇を解消するのはなかなか難しかった。


「せめて、メシェが剣でも握れたらなぁ…」


 メシェとは、母親は違うがあたしの2つ下の妹だ。

 あたしとは対照的に外で遊ぶのは嫌いらしく、いつみても自室で本を読んでいるか、この中庭で本を読んでいる。

 本の虫だ。


 ちょうど噴水の向こう。

 東屋の長椅子に腰かけて、今日も我が妹は虫になっていた。


「メシェ」


 名前を呼ぶと、彼女はさっとその栗色の髪から青い目を覗かせた。


「お姉さま。珍しいですね」


 まだ見たことのない新しい虫でも発見したかのように、メシェは目を丸くしていた。

 まあなんていうことはない。

 普段全く足を踏み入れない、甘い花みつの香るこの中庭に、あたしが現れたことを珍しいと言っているのだ。


「あなたがいると思ってね」


 嘘だった。

 気まぐれに中庭に来て、たまたまメシェを見つけただけだ。

 しかしそこは淑女の気配り。

 初めから貴女に会いに来ましたのよ。とでも言わんばかりの台詞が口をつく。


「まあ。お姉さまがわたくしにご用だなんて、いったいどうしましたの」


 メシェは屈託のない笑顔で、長椅子の片方を空けてくれた。


「暇で死にそうだから、メシェに相手してもらおうかと思って」


 サッと血の気の引いたような顔になってメシェは答える。


「お、お姉さま。わたくし剣なんて振るえませんわ…」

「あはは!あなたに剣の相手なんて務まるもんですか!そんな酷い事しないわよ」

「ハハ。よかったぁ。お話相手ですの?」

「ええ、人間に戻してあげようと思ってね」

「…人間…?」


 どうやら、本の虫から…。というギャグは通じなかったらしい。

 それから日が傾き始めるまで、クレアやメシェの侍女が用意してくれたお茶を楽しんだ。


 話題の大半は、メシェの読んでいる本についてだった。

 最近では王国史に関連した本をよく読んでいるそうだ。


 よくもまあ、お勉強の時間以外にそんな内容の本を読む気になれるものだなと感心した。

 しかしメシェの話してくれた内容は意外と面白かった。


 王家の成り立ちが、神話に出てくる蜘蛛の魔物を退治したことに始まるのではないか、とか。

 その昔、まだ「堅岩の加護」を受けた者が大勢いた頃の神話など。

 その内容はおとぎ話のそれであったが、建国にまで話が繋がっているなんて初めて知った。

 

 授業で習う建国なんて、せいぜい初代バタラニティ王が各地を平定し、魔物達から民を守り云々…。

 なんてことしか知らないあたしにとっては、おとぎ話が絡んだ方が興味をそそられた。


「作り話が大半ですが、初代バタラニティ王の持つ光の小手の伝承が、他のお話では大火の楔だったり…」


 と、妹の話は尽きなかった。

 趣味というより、もう研究の域に達しているのではないか。

 そう思わされるような気迫に、あたしは少しの暇も感じることはなかった。


 お茶会の終わった後、たまには素直にお喋りやお茶を楽しむのも悪くないなと満足していた。

 そしてなにより、暇で暇で仕方のなかったあたしは、妹の話の中から最高の収穫を得たのだった。




 夜。


「『水鏡の扉』と呼ばれる秘宝は、神話に出てくる蜘蛛の魔物を退治した際に用いられたといわれる法具。それはありとあらゆる力を、初代バタラニティ王に授けたと言われています」



 侍女もコックも城下の街も、すべてが寝静まっている。

 あたしは物音を立てないように、こっそりと寝巻から動きやすい服へ着替え、探検の準備をした。



「王宮の宝物殿。そこには様々な宝が秘蔵されています。『水鏡の扉』も、ここの宝物殿に置いてあるとかなんとか。祭事に持ち出す法具で、そんなの見たこともありませんし、おとぎ話の一説に語られているだけですけどね」



 昼間、メシェはそう言っていた。

 しかしなんということだろう。

 暇で暇で死にそうだったはずのあたしは、今まで宝物殿への探検なんて露ほども考えたことがなかった。


 宝物殿に見たことのないお宝が眠っている。


 それはあたしにとって、救世主のように心へ響いた。

 行くしかない。この目で確かめてみるしかない。

 そもそも、宝物殿なんて国王とその側近しか入れない場所だ。

 長兄のクラウスでさえ、たぶん未だに中へ入ったことがないのではないだろうか。


 どんなところだろう。

 国王と、決められた極少数しか入ってはいけないその宝物殿とは、どんなところなんだろう。

 腹の底から声を出して走り出したいのを我慢して、あたしは盗人のごとく宝物殿へ向かった。


 宝物殿へ続く道すがら、昼間とは打って変って夜の様相を呈した城内は、慣れ親しんだ我が家でありながら少し物怖じしてしまいそうだった。

 兜の下から覗く兵士の眼光も、普段ならいざ知らず見つからないよう抜き足差し足で切り抜けるとなると参ってしまう。


 幸い、まだ育ち切っていない身体は、物陰を利用して上手く見張りの目を搔い潜れているようだ。

 深夜に部屋を抜け出したのを誰かに見つかるのが怖い反面、ひとり、またひとりと兵士の目を掻い潜っていく度に、高揚感が胸を高めて笑い出しそうになるのを必死で我慢する。


 キヒヒヒヒヒヒッ

 深夜の秘密の探検が、こんなに面白いものだとは知らなかった。

 こんなに楽しいのなら、見つかるまで毎日続けてみてもいいかもしれない。


 ヒヤリとした場面はあったものの、誰にも見つかることなく宝物殿の前へ着く。

 宝物殿へ続くまでは、途中で数えるのを止めてしまったほどにいた兵士も、部屋の前に着くと誰一人としていなくなっていた。


 昼間、なんどか前を通ったことのある宝物殿だったが、やはりその扉にはしっかりと鍵が掛けられていた。

 窓はなく、唯一の扉も閉じられている。 

 あるとすれば壁の下に設けられた換気をする為の長細い穴だけだったが…。


 その穴にも、網目状に細工された木の板が嵌められている。

 この板さえなんとか出来れば、この穴は通れるとふんできたあたしは、夕食時にこっそり持ち出したナイフを取り出して、柵を調べ始めた。


 しかしなんてことはなかった。

 柵は上下の溝を利用して嵌めた、下を持ち上げれば簡単に外れるけんどん式となっていた。


 音の出ないようにそっと外す。

 中は真っ暗だったが、腰に巻いたポーチには蝋燭と火付け石を持ってきている。

 頭を穴に突っ込んでみると、少しキツイがなんとか入りそうだ。

 頭が抜け、肩を通し、身をよじって腰まで通すと、あたしは完全に闇に溶け込んだ。


 立ち上がってみる。

 部屋の中の暗闇は、足元に空いた換気孔から入るわずかな光にぼんやりと揺らいでいた。

 なんとか声は押し殺したがそれでも、あたしは嬉しさのあまりぴょんぴょん跳ねて、悪事の喜びを満喫した。


 城下の街では、盗みに入った罪人の手を切り落として牢に閉じ込めるらしいが、こんなにも楽しいものならその罪人の気持ちも少し分かるかもしれない。


 だめだめ、あたしは盗みに入るんじゃない。ちょっと探検しているだけなのだ。

 だから罪人は可哀想じゃない。盗みは盗み。悪いことなのだ。


 自分を戒めた後、蝋燭を取り出して火を点ける。

 その灯りが漏れないよう、素早く柵を元に戻すと、ぐるりを部屋を見渡してみた。

 

 そこには祭事の際に見かける法具が並び、壁には見たことのない剣や古めかしい鎧が飾ってある。

 王国兵士が身に着ける鎧とは似ても似つかぬ、奇妙な鎧だった。

 肌の露出しそうな箇所は皆無で、目の辺りには赤いガラスが丸く嵌めこまれ、顎部分は悪魔が笑っているような鉄の仮面で覆われている。

 背中には、大きなカバンを背負うように無骨な箱が固定され、なんとも間抜けな鎧である。


 そこまで観察して思った。

 なぜこれが鎧だと思ったのだろう。

 そのへんてこな出で立ちで、いったいぜんたいどうやって戦うというのか。

 そもそも、こんなにも重そうなものを身に着けていては動くに動けない。

 儀式か何かに使うものなのだろうか。

 でもこんな法具、今まで見たこともない。


「変なの…」


 あたしは蝋燭を掲げながら、順当に部屋の中を探索していく。

 お目当ては水鏡の扉。

 それをこの中から見つけ出すことなのだ。


 少し、また少しと蝋燭が短くなっていく。

 長さが半分にまでなろうかという頃、あたしは冷静になった。


 おとぎ話の伝説の法具は、本当にあるんだろうか。いくらおとぎ話として語られていると言っても、御父様からそのような話は一度も聞いたことがない。

 実際にあったとしても…。

 メシェから、それを使って様々な力を授かったという話を聞いた時、あたしは勝手に手鏡のようなものを想像していた。

 しかしメシェはそんなこと言っていただろうか。

 いや言っていない。


「しまったなあ。形とか聞いとくんだった」


 今更後悔しても遅いが、そんなもの後の祭りだ。

 色も形も知らない物を探そうだなんて、昼間のあたしは少々理性に欠けていた。


「どうかしてたなあ。でも、まあ」


 いいかと思った。

 メシェの話に中てられて、勢いのままに実行に移してしまったが、今日は自分史上最高の冒険が出来た。

 そう確信できたし、確信できるだけの満足感があった。

 

 さて、そろそろ戻るか。

 でもここから自室へ戻るのか…。

 行きはよいよい、帰りは恐い。


 だが、オークに奪われた棍棒は返ってこないのだ。


 はてこれは誰の言葉だったか。

 やり始めたことは、初めには戻らないから、悩んでないでやるべきことをやれ。とか、そういう意味だった気がする。


 帰り支度をする為、換気孔の柵を持ち上げたその時だった。


 ブゥゥゥン、と。どこからともなく頭を揺らすような低い音が聞こえてきた。

 その音以外、兵士の鎧の音も聞こえない。

 耳を澄ますと、その音はどうやら部屋の奥から聞こえてくる。


 部屋の奥には、祭事で身に着ける王冠や巻物の類しかなかったと思うが…。


 目を凝らしてみる。

 すると、蝋燭の薄明りの中、音のする方からじんわりと青い光が滲んでいるような気がする。

 ふっと一息で蝋燭の火を消してみると、やはり王冠や巻物が据えられている棚の辺りが青く光っていた。


 あたしは慎重に奥まで進むと、棚ごと邪魔なものを退ける。

 多少音が響いても構うものか。

 棚の脚が床と擦れ、乾いた鈍い音が部屋に響く。


 そこには、見たことのない文字で床に円形の陣が描かれていた。

 

 不味いのではないだろうか。

 この部屋の物を調べている間、変な事も起きなかったし、変な事もしなかったはずである。

 だからきっと、この青い文字はあたしとは関係ない…と思うけど。


 しかしこんなもの見たことがない。

 堅岩の加護を受けている者が、小屋ほどもある大きな岩を持ち上げるのを見た時、興奮にも似た驚きを感じたが、

 今感じている興奮は、素直に喜べるようなものではなかった。


 焦り。不安。焦燥感。

 しかしこのまま放っておいて、見て見ぬふりをするのは言語道断。

 怒られるのを覚悟で、人を呼んだ方がいいのではないか。

 うん、そうだ。

 こっそり宝物殿に入ったとは、素直にお叱りを受けよう。

 でももし、この光が不味いものなら、見て見ぬふりをして大惨事を招くことの方が大罪だ。


「っ!!!」


 覚悟を決めて人を呼ぼうとしたその時。

 一瞬にして輝きを増した青い光は、声を出す間もなくあたしを包み、やがて闇へと溶けていった。

まだ序盤なうえ、拙筆ではありますが、お読みいただいた感想を頂けるとうれしいです。

どうかこれからよろしくお願いいたします。

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